Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部、中等部、新宿区合同記念幹部会 心清く栄冠の女性史つづれ

1989.1.15 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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20  信心の心が定まらず、世間の風に流されていた大尼(領家の尼)に対し、孫嫁とされる新尼にいあまは、大聖人と門下がいかなる苦境にあっても、純真な信仰を貫き通し、大聖人への御供養など真心の外護げごを続けていた。
 大聖人が身延に入られた翌年のことである。この新尼を通して、大尼は大聖人に御本尊の御下付を願い出た。それに対し大聖人は、大尼には下付を許さず、新尼のみにお下げ渡しになる。「新尼御前御返事」には、このさいの大聖人の御心情が縷々るるつづられている。
 「領家は・いつわりをろかにて或時は・信じ或時はやぶる不定なりしが日蓮御勘気を蒙りし時すでに法華経をすて給いき、日蓮先よりけさんのついでごとに難信難解と申せしはこれなり
 ――領家の大尼御前は、いつわり愚かで、ある時は正法を信じ、ある時は信心を破るというように定まらなかったが、日蓮が勘気(竜の口の法難、佐渡流罪)を蒙った時にすでに法華経を捨ててしまわれた。日蓮が前から、お会いするたびに「法華経は信じ難くし難し」と話してきたのはこのことである――。
 「日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために此の御本尊をわたし奉るならば十羅刹定めて偏頗の法師と・をぼしめされなん、又経文のごとく不信の人に・わたしまいらせずば日蓮・偏頗は・なけれども尼御前我が身のとがをば・しらせ給はずして・うらみさせ給はんずらん
 ――大尼御前は、日蓮にとって重恩の人であるから、お助けするために、この御本尊をしたためて差し上げるならば、十羅刹はきっと日を偏頗な法師と思われるであろう。また経文に説かれている通りに、不信の人に御本尊を差し上げないならば、日蓮は偏頗はないけれども、大尼御前は自身のとがを知られず、日蓮をうらまれることであろう――。
 あくまで仏法は厳格であり、信心の厚薄こそ肝心である。仏法の眼目たる御本尊を、信なき人に授与することなど論外であった。
 それとは反対に、新尼に対しては、御本尊をお下げ渡しになる。それについて大聖人は次のように仰せである。
 「御事にをいては御一味なるやうなれども御信心は色あらわれて候、さど佐渡の国と申し此の国と申し度度の御志ありてたゆむ・けしきは・みへさせ給はねば御本尊は・わたしまいらせて候なり
 ――新尼御前も、大尼御前と同じように見えるが、法華経への信心については、明らかにまさっておられる。佐渡の国でも、またこの国でも、あなた(新尼御前)は、たびたび厚い志を尽くされ、信心がたゆむ様子が見えないので、御本尊をしたためて差し上げたのである――。
 信心は、年数のみでもなければ、位階でもない。あくまで一念の深さ、清らかさの問題であり、生涯貫くことこそ肝要である。大聖人が、大尼でなく、新尼に御本尊をくださったところに、こうした仏法の透徹した精神を見る思いがする。
 だが、大聖人は続いて、こう仰せである。
 「それも終には・いかんがと・をそれ思う事薄冰をふみ太刀に向うがごとし」――しかし、この先を思うと、薄氷を踏み、太刀に向かうようである――。
 たとえ御本尊は受けたとしても、信心を貫き通すことは、まことに至難であることを示されている。大聖人は、新尼の行く末まで、深く心にかけられ不退の信仰の大切さを教えられている。
 ともあれ、信心の王道を見失うことほど愚かなことはない。どうか皆さまは、このことを強く強奥に刻み、朗らかに前進していただきたいと念願し、本日のスピーチとさせていただく。どうか、今年一年もよろしくお願いします。長時間、本当にご苦労さまでした。

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