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日蓮大聖人・池田大作

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第11回全国青年部幹部会 「希望」は「勇気」とともに輝く

1989.1.6 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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1  最高の価値の青春をつづりゆけ
 本日は、大変に寒いなか、また遠いところ、参加された皆さま方に心から「ようこそ。ご苦労さま」と申し上げたい。秋谷会長を中心に、このように若き青年が集い、諸君とともに「青年世紀の年」第二年を生き生きと迎えることができ、私は本当にうれしい。
 私はすでに、諸君を信じ、諸君に頼み、諸君に広宣流布と学会の未来を託す以外にない年齢である。ゆえに私は、本年も全力を挙げて後進の育成のため、完璧かんぺきなる万年への広宣流布の基盤建設のために走り、この一年は、十年分にも匹敵ひってきする歴史を刻んでいきたいと思っている。
 これは決して言葉のみで言っているのではない。口先だけの言葉は、何も心に響かないし、何も変革することはできない。その意味で、どうか諸君も、大聖人の門下であるならば、また私とともに戦おうと心に決めた一人一人であるならば、同じ一年であっても、最高に充実した青春を送り、最大に自己を発揮しゆく歴史をつくっていただきたい。そして最高に生きがいのある、価値ある日々の、自分自身の軌跡を絢爛けんらんつづっていただきたい。
2  昭和二十六年七月二十二日、創価学会の常住御本尊である「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊の奉戴ほうたいの意義をとどめ、臨時総会が開催された。これには、当時、御隠尊であられた日亨にちこう上人も、ご高齢にもかかわらず、こころよく出席してくださり、″世界中の人々にこの仏法を教え、さらには数ある星の世界にまで正法を弘通していくのが大聖人の御真意である″と語られた。そして、その大聖人の仏意仏勅ぶっちょくのままに、あらゆる難を乗り越えて進みゆく学会の前途を最大に祝福し、励ましてくださったことは、強く私の胸に刻まれている。
 今や題目を唱えゆく″妙法の家族″は、地球上のほとんどすみずみに至るまで広がった。そして、この青く美しき地球を包む妙法の音声おんじょうは、一年一年、より力強く、全宇宙へと響きわたっている。どのような魔軍の力をもってしても、また、どのような策略や弾圧によっても、発展を続ける学会の前進と、限りない希望と歓喜の波は、もはや絶対に押しとどめることはできない。
 ともかく、″一閻浮提いちえんぶだい広布への完璧なる基盤を第三代の時代に築け″――これが戸田先生の遺言であった。私は、先生から託された使命のバトンを握りしめ、道なき道をひたすら走り抜いてきた。戸田先生の構想はすべて実現してきたつもりである。
 このあとは一切を託す青年部の諸君がそれを受け、一人立って進んでいけば、無量の福運の道が必ずや開かれていく。そうでなければ、無常と暗黒への道へ入ってしまう。そのどちらを選ぶかは諸君自身にゆだねられていることを忘れてはならない。
3  「進行」とは何ものにも屈しないこと
 ところで、このほど完成した「対話シリーズ」のビデオの一つ「アンデスを越えて――ペルーの創価家族たち」を観賞した。すでにご覧になった方もいると思うが、南米のペルーSGI(創価学会インターナショナル)のカルロス・シマ理事長一行が、はるかなるアンデス山脈の山村・タウカ村を訪れ、この地のメンバーを激励する姿を追ったドキュメンタリーである。
 日本のほぼ反対側に位置するペルーでは、正月を真夏に迎えることになるが、本年の新年勤行会には、約五千人のメンバーが集い、はつらつと一年のスタートを切ったとの報告が寄せられている。
 日本の成田から、ペルーの首都リマまでは、現在でも、アメリカのロサンゼルス経由の飛行機で、まる一日がかりの旅となる。私も、これまで一九六六年、一九七四年、一九八四年と、三度ペルーの地を訪問した。私にとっても、「インカの国」ペルーは、懐かしい故郷のような国となっている。
4  さて、ビデオに映されたタウカ村は、首都リマから約六百三十キロ。車で往復三十六時間かかる。しかも、渓谷けいこくから尾根へと登る道は、至るところ、思わず息をのむような断崖だんがい絶壁に面した危険な道のりである。
 石ころだらけの悪路を、車の天井に頭をぶつけながら走る。途中には″おいはぎ″も出る。川にかかった橋も板がくぎでとめてなく、車が落ちないように渡る難行苦行の旅である。今回は、シマ君にとっても初めての訪問という。
 目指すタウカ村は、標高三三六六メートルの高山にあり、平地から訪れた人は、酸欠による高山病と闘わねばならない。高山病の苦痛は、なみたいていではない。村には、四百世帯、二千人が、農業、牧畜を中心に、生活を営んでいる。電気はまだ通じていない。
 日本からみれば、地球の反対側の、そんな山奥にも、妙法の友が活躍し、仏子が題目を唱えている。そして、その同志を激励するために、文字どおり体を張って行動している、シマ君ら妙法の丈夫ますらおがいる。
 それに比べれば、日本の私どもは、新幹線で快適な旅もできる。道路も整備されている。会館にも冷暖房がきき、食事も十分すぎるほどである。これほど不自由のない、恵まれた環境の中で仏道修行できる身でありながら、少々のことで愚痴を言うようであれば、人間としてあまりにも情けない。そうした環境にいることが、本当に信心を深め、人間的成長をもたらすことになるのかどうか、とさえ考えてしまう場合もある。
 むしろ、恵まれているからこそ、より大きな理想と目標に向かって自らを鍛え、錬磨しながら、強き信心のしんを築いていくべきである。また、広布の推進力となる力を養ってもらいたいと私は思う。
 ウサギとカメの競走のたとえ話ではないが、一生成仏への長くけわしい道を、最後まで登り切れるかどうか、みずからの使命の道をまっとうできるかどうかが、信心である。
 二十年の信心を続けながら歩みを止めてしまう人もいる。功徳を受けながら初心を忘れ、信心が惰性に流される人もいる。また青年時代にそれなりの立場になり、華々はなばなしく活躍しているようで、成長が止まってしまう人もいる。それでは、走るのは速いが、途中でやめてしまったウサギのようなものである。
 組織のうえのうわべの姿のみで信心は決してわからない。信心だけは、地道に見えても最後まで貫き通した人が、結局は勝利を得る。ゆえに、信心の「心」こそ大切なのである。
5  さて、シマ理事長を迎えてのタウカ村の座談会には、五十人ほどのメンバーが喜々として集った。といっても、この村で御本尊を受持しているのはまだ二世帯。ペルーでは、勤行ができるようになるまでは、御本尊の授与はされないことになっている。
 この村の妙法の一粒種となったのはナルシサ・デ・ラ・クルースさん(五十七歳)という婦人である。「聖教新聞」(一九八三年八月二八日付)などでくわしく紹介されているので、ここでは簡単に申し上げておきたい。
 彼女が、妙法と出あったのは、今から十八、九年前。私のペルー初訪問から数年後のことになる。当時、彼女は九人もの幼い子供を抱えながら、夫に先立たれて間もないころであった。生計の道といえば、わずかに一枚の畑しかなかった。加えて、少女のころから、耐えがたい頭痛に襲われるという持病があった。
 だが、信仰の功徳は歴然とあらわれた。あれほど苦しめられた持病がまったくなくなったのである。学校に十分行かせてもらえなかった彼女は、読み書きができず経文が読めなかったため、自分が折伏した人から読み方を教えてもらった。
 六年越しでようやく勤行を覚え、御本尊を受持できるようになったころには、たった一枚だった畑は、二十二枚に増え、最近ではリマに二軒のアパートを持つなど福運に包まれた境涯となっている。御本尊の功力くりきは厳然である。
 しかし、なにぶん旧習の深い山村である。土着の習俗も根深い。カトリック教の影響力も大きい。無理解と誤解による、さまざまな圧迫が打ち続いた。小さな村中に聞こえる村役場のスピーカーを通して、さんざん悪口を言われたりしたことも、一度や二度ではなかった。だが彼女は、どんな役人や村人の前でも仏法の正義を言いきった。
 彼女には揺るぎない確信があった。――これまでの人生にあって、この仏法の世界以外に、本当に自分を幸せにしてくれたものは何ひとつなかった。私に信心をやめさせようとするその人が、私を幸せにしてくれるとでもいうのか。私には、妙法の信仰によって、最高の幸福を勝ち取る権利がある――と。
 ″不幸にさいなまれてきた私に、つねに勇気と希望を与えてくれたものは妙法である。信心こそ幸福の源泉であった″との彼女の確信に満ち満ちた言動が、次第にかたくなな人々の心をとかし、開かせていった。
 確信に満ち、希望に燃えている人は強い。確信と勇気と希望に満ちているかぎり、いかなる非難、悪口も、それに勝つことはできない。
 さらに彼女の偉大なところは、信心に反対されても、懸命に村のために尽くしていることである。
 村が豊かになって、電灯がつけられるようにと、植林事業の中心となって活躍。また村の共有財産である八百頭もの牛が、悪徳の役人によって不当に横取りされているという事件があった時は、彼女は、自分たちの牛を取り返すために、先頭に立って横暴な役人と戦っている。
 彼女は、信心に反対されているからといっても、決して地域社会と断絶はしなかった。むしろ、地域の人々に貢献するために、自らすすんで行動している。言葉だけではない。この、人々のためにとの行動が、環境を大きく変えていったのである。
 今では、若き村長までが、彼女のことを「村一番の協力者」といって、信頼を寄せているという。村長の母親も入信している。多くの村民から信頼、尊敬されている彼女は、青年村長を励まし、勇気づけながら、村の発展へとリードしていくような存在となったわけである。
 彼女は語る。「私たちの村の名前″タウカ″というのは、ケチュア語(スペイン語とともにペルーの公用語)で″集まり″、団結を意味している。仏法によって仲良く団結した幸せの集まりのようなふるさとにする、それが私の願いなのよ」と。
 素朴といえばまことに素朴である。しかし、心清く、心気高き「一人」の力と信仰の精華を私は感じる。そこには、何ものにも屈しない「立正安国」へのロマンと情熱がある。
 信仰とは屈しないことである。社会の平和と繁栄、人々の幸福のための活動を、いかなることがあっても貫き通す。ここに信仰者の精髄がある。
 ともあれ、はるかなるアンデスの美しき山村で、今日も懸命に活躍しておられるナルシサさんらタウカの友の、ご多幸とご健勝を心から祈りたい。先ほど唱題した折にも、御本尊に深くご祈念申し上げた。
6  アンデスに偉大なる広布の姿
 ペルーという名の語源については諸説があるが、一般には「南の豊かな大地」との意義を込めた言葉とされている。ジャガイモ、トウモロコシ、トマトなど、なじみの深い多くの作物は、この「南の豊かな大地」ペルーのアンデス地方が原産といわれている。
 シマ理事長が語っていた話であるが、この地を原産とするジャガイモは、十六世紀にヨーロッパに伝えられた当初、「聖書に名前が出ていない」などの理由から、「人間の食べ物ではない」とか「あらゆる病気はジャガイモのせいだ」とかと、かなり毛嫌いされた、という歴史があったようだ。
 しかし今日では、ジャガイモは各種のイモのなかで最も幅広く、また大量に世界の各地で栽培されており、世界の重要な食品となっていることはご存じの通りである。
 このことを通してシマ君は「次元は異なりますが、私どもが、仏法にまったく縁のなかった地で弘教するさいに出くわすさまざまな誤解や無理解も同じ方程式と思っております」と笑顔で話していた。
 新しい文化への「無知」や「偏見」というものは、大なり小なり人間の生活、歴史につきまとうものである。いわんや大聖人の仏法という未聞の大法をひろめるうえで、さまざまな誤解や無理解があるのは当然であろう。
 ゆえに、たとえ一時はどんなに誤解されようとも、人々のため後世のために耐え忍びながら、先駆の誇りを胸に、粘り強く妙法を説き、教えきっていく以外にないではないか――これが彼の持論であり、ペルーの同志の変わらざる信条なのである。
 なお「アンデス」とは、一説によれば「段々畑」を意味する″アンデネス″という言葉に由来するとされている。この言葉の通りアンデス地方には、至るところに、山の斜面に幾重にも切り開かれた段々畑が広がっている。
 ちなみに、彼の故郷である奥能登(石川県)にも「千枚田せんまいだ」という段々の水田の風景が見られる。それゆえ彼は、アンデスの段々畑の中を荷物を背負って歩む婦人の姿などを見ると、かつて故郷で見た、風呂敷包みを背負った婦人の姿とそのまま二重写しになり、心から懐かしさと親しみを覚えるそうである。″ああ、自分の故郷と同じだ。妙法の力で、この人々を救っていこう″と――。
7  ところでペルー共和国は、南アメリカ大陸西海岸(太平洋岸)の中央部にあり、北はエクアドル、コロンビア、東はブラジル、ボリビア、南はチリに接している。
 人口は約二千二十一万(一九八六年推計)。十二世紀前半から十六世紀にかけて栄えた「インカ帝国」の中心地としても有名である。このペルーは一八二四年、シモン・ボリバル(一七八三年〜一八三〇年)らの活躍によって完全独立を達成している。
 これまでも何度か紹介したが、シモン・ボリバルは″ラテン・アメリカ解放の父″として知られる、南米独立運動の指導者である。
 彼は三世紀にわたる植民地支配の苦渋くじゅうからラテン・アメリカを解放したいと、二十二歳の時に誓いを立てた。以来、十九世紀開幕の約三十年間を、若き力で戦いに戦った英雄であり、文字どおり「解放者」の称号が冠せられている。
 彼は言う。「エネルギーのない所に功績は光らない。強さのない所に徳はなく、勇気のない所に栄光はない」(ホセ・ルイス・サルセド=バスタルド『シモン・ボリーバル』水野一監訳、春秋社)と――。この彼の不屈の闘志は、敗戦のたびごとに確固たるものになっていったといわれる。
 彼はこの思いを自身に強く刻み、また人々に熱く訴えながら、幾多の障壁を乗り越え、一歩また一歩と、勝利への軌跡を刻んでいったにちがいない。
 私は妙法広布にかける青年部の諸君にも、人生の凱歌がいかへの一つの道標として、このボリバルの言葉を紹介しておきたい。
 自身の全エネルギーを傾けた懸命な「行動」のないところ、輝かしき「功績」はない。不屈の「強さ」のないところに、真の「徳」の開花もありえない。どこまでもみずからの意志と力で希望の道を切り開いていく「勇気」。ここに広布と人生の勝利と栄光がある。
 どうか、若き諸君は一切の責任を担って立ち、学会の先頭を切って広布の大道を開拓していっていただきたい。一人一人が壮年部や婦人部からも安心し信頼される″広布の英雄″へと成長されんことを、私は心から念願してやまない。
8  ″あす″ではなく″きょう″に全魂
 シマ君が「聖教新聞」の特派員として、私のもとよりペルーの天地へ飛び立って、この一月でちょうど十五年になる。
 一九七四年(昭和四十九年)の正月二日、私は出発を前にした彼とともに総本山に参詣し、大御本尊に彼の大成を真剣に祈った。当時、彼は三十四歳――。凛々りりしい青春の気概にみなぎっていた。大きな地球儀を前に世界広布の不思議な使命を語り合い、ともに記念撮影した。
 ――先生、何があっても私はやってきます。ご安心ください――そう語る彼の決意のひとみを私は生涯、永遠に忘れない。
 私は彼のご両親も、よく存じあげている。今は亡き父親の島久男さんは、『忘れ得ぬ同志』にもしるしたように、日本海の波に洗われる北陸・奥能登の大功労者である。
 シマ君は金沢大学に学ぶ学生時代、私の「御義口伝」の講義に、はるばる金沢から東京へ駆けつけていた。大変であったと思う。私も真剣に薫陶くんとうした。私が手づくりで育ててきた門下生の一人といってよい。
 男子部時代は、中部の地で後輩思いの部隊長、本部長として、記者の仕事で多忙ななか、地道に活動に励んだ。また世界雄飛の日を深く心に期し、時間をつくりだしては語学の勉強も欠かさなかった。私は、その姿をじっと見つめていた。
 そして、いよいよペルーへ特派員として出発。私は案ずる思いもあったが、獅子の子は、獅子の子らしく走らせる以外にない。また大聖人が「一閻浮提広宣流布」を仰せになっている以上、世界のどの地にも使命の翼(つばさ)を広げる以外にない。そういう思いで、旅立たせた。
 その、我が門下の門出に、私は、つたないが真心の一首を贈った。
 「いつの日か 君をたたえん 時ありと 今日のペルーに命ささげば」
 ――″あす″ではない、″きょう″である。きょうという日に、命をささげてペルーの友のために戦おう、と。そうすれば、いつの日か君をたたえる時が来るにちがいないとの心であった。そして今、その時が来た。
 ″只今臨終″の一念に仏法実践の精髄がある。″いつかやろう″ではなく、″いま戦う″、これが真実の信心の行動である。
 彼は、この歌を心の奥深く刻んで、″かけがえのないきょうという日を、ペルーの友のために、命の限りを尽くして働かせてもらおう″――一日また一日、そういう思いで十五年間を走ってきたという。
 信心の「心」で、まっすぐに、また深く、彼は私の「心」を受けとめてくれた。
9  先ほども申し上げたように、ペルーの地で活動する困難は、恵まれた日本では想像もできないにちがいない。経済状況の厳しさ、文化の違いも当然、大きな課題である。加えて気候のカベがある。
 ペルーの国土は日本の約三・五倍。そこでの気候の特徴は、大きく三つの地域に分かれる。アンデスのような酸素不足の高山地帯。年間を通じて二七度から三六、七度という熱帯雨林のアマゾン地帯。そして湿気の多い海岸地帯である。
 私も二度目の訪問の時、ひどい湿気のなか、飲みものにあたって腹痛に苦しんだ経験がある。この天地を駆けめぐる苦労は、なみたいていのものではない。まして彼は、学生時代に腎臓疾患(ネフローゼ)で、いったんは医師からも、二十数歳までもてば、といわれた体である。
 私は心配であったが、同じ一生であれば、世界広布に永遠の金字塔を残す人生にまさるものはないとの思いであった。彼はペルーに赴任以来、ジョッギングを続け、体を鍛えながら、友の激励に奔走している。
10  彼は決して派手ではない。どこまでも着実である。現代では、テレビ時代の影響だろうか、表面の華やかさに目を奪われる傾向が強くなっているようだ。しかし、そうした姿と本当の信心、また人間性とは、まったく無関係である。
 シマ君は、陰の人知れぬところで、スペイン語をはじめ、コツコツと力を養いながら、男らしい行動力と、冷静な判断力で指揮をとっている。
 国情も違う。どうすればメンバーを守ることができるか。どう広布の道を切り開いていくか。少しも気を抜くことのできない日々であるにちがいない。ある海外の友が言っていた。日本の盤石な組織にあって、上手に泳いでいるのみの一部の人々の姿は、法戦の名にあたいしない、ある意味で遊戯(ゆうぎ)のようなものに見える──と。
 シマ君の、ペルーの友からの人望は抜群である。
 彼の出発に際し、私は一言、「よき兄さんの存在に」と語った。人を怒っては失敗する。忍耐強く、皆に愛される人に──と。
 彼は、その通り、友にしたわれ、敬愛されている。どんなことでも、気さくに相談にのってくれる。どんなところでも、すぐに飛んできてくれる。現場主義である。そして、どんな時にも決していばらないし、怒らない。彼が来てくれると、だれもがホッと安心する――私もペルーに行って、そうした雰囲気を、実際に感じ取ることができた。
 妻の弘子さんも、小柄で、どちらかといえば華奢きゃしゃな体にもかかわらず、たくましき広布の母とし妻として、理事長のシマ君を陰で支えてこられた。
 弘子さんは毎日、会館に行き、メンバーと接しながら、言葉と習慣を体で覚えていった。また車の免許をとり、自分で車を運転し、ペルーの町々を駆けている。
 また三人のお子さんたちは、ペルーの生活に早く溶け込ませるため、日本人学校には入れず、現地の人々の学校に通わせた。一家あげて、広布という最も深き目的に徹した、尊き信心の姿である。
 ペルー広布先駆の父・故キシモト前理事長は、しみじみ述懐していた。「ペルーSGIにとって、最大最高の福運は、先生がシマさんのような人をペルーに送ってくださったことです」と。
11  ペルーの発展はいちじるしい。学会への理解も大きく広がっている。
 南米最古の歴史と伝統をもつ国立サンマルコス大学と、創価大学との交流も始まっている。私も同大の「名誉教授」の称号もいただいている。
 また首都リマ市からは数少ない「特別名誉市民」の称号を、また妻には「名誉市民」の称号を贈られている。さらに五年前には「ペルー太陽大十字勲章」を贈られた。少しでもメンバーが喜んでくださるならばとの思いで受賞させていただいた。
 何より、いずこの国にあっても私は、その地の庶民と触れ合い、また接した一人一人を大切にし、友人となることに努めている。
 三回目のペルー訪問(一九八四年)の折のことである。大統領府のご好意で、四人の警護官がついてくださった。その中で、アンヘラ・テーベスさんという若い女性の方が妻とともに動いてくださった。アンヘラさんは私どものことが印象に深く残ったようである。
 約一年ほど前、シマ理事長を通して彼女から突然、連絡があった。
 「このたび結婚することになりました。ぜひ池田先生ご夫妻に仲人なこうど(パトリーノ)になっていただけませんでしょうか」との依頼であった。仲人となれば、ペルーに行かねばならないかと心配したが、″名誉仲人″でもよいから、ぜひお願いしたいとの趣旨であった。
 私どもは、お世話になったお礼に、快(こころよ)くお受けし、ささやかなお祝いを贈った。
 アンヘラさんは現在、警察で秘書の仕事をしているとのことだが、私どもがふたたびペルーを訪問したさいには、ぜひまた警護の任につきたいと話しておられるという。
 誕生した娘さんのお祝も妻から贈らせていただいた。誰であれ、真心の人には真心で、誠意の人には誠意でおこたえし、末永く交際していくことが私ども夫婦の信条である。
 あとの三人の男性警護官も同様であった。また、ある警察関係者も、ペルー青年部の姿に接し、「ペルーも青少年問題は重大です。ペルーの青年を池田先生が、ここまで育ててくださったことに、心から感謝したい」と述べておられた。ともあれ、アンデスのビデオを見、ペルーの友の輪に飛び込んでいくシマ君の元気な笑顔を、まのあたりにして、私は本当にうれしかった。
 彼は今年五十歳──。じつにいい笑顔になった。以前にもまして、すがすがしく、清らかな、そして確信に満ちた、深みのある笑顔である。
 私は思った。シマ君との今世の使命のきずなを総仕上げしていく時が来た──と。
 尊き仏子をいつくしみ、守りながら、何の迷いも悔いもなく、我が誓願に生ききっている地涌の勇者。快男児シマ君の笑みを見つめながら、私はいよいよの健康と活躍をと深く強く心に念じた。
12  大宇宙へと妙法は遍満
 昨年の一年間、私は世界の「知性」と「良識」の方々と対話・交流を重ねてきた。その一人、イギリスの世界的天文学者・ウィックラマシンゲ博士とは、「宇宙」と「生命」の「永遠」をめぐって語らった。
 そのさい、博士は「宇宙には生命が遍満へんまんしている」「広大な宇宙に人間型の知的生物がいることは確実である」、また「生命は死後も存続し、何らかの因果の法則に貫かれていると考えたほうが論理的であり説得力がある」等と述べながら、「仏教は、科学的真理に対して最も″開かれた″姿勢をもっている」と、仏法の生命観に深い共感を示しておられた。
 さらに、博士は「平和への「新しい世界観」を必要としている現代にあって、名誉会長の行動と運動こそ″人類の希望″である」と、私どもの実践に限りない期待を寄せてくださった。
 これが、世界の知性の″目″である。学会のことをいろいろに言う人はいるかもしれないが、どの言葉を、どの目を信じるのか──そこに迷ってしまっては、あまりにもおろかといわざるをえない。
 それはともかく、博士が語っていた「宇宙には生命が遍満している」との言葉は、大変に深い意味をもっていると思う。ある科学者によると、地球や太陽を含む「銀河系」には、文明社会をもつ可能性のある星が一千万個も存在するとのことであるが、宇宙の広大さは私たちの想像をはるかに超えているといえよう。なお、博士とは、これからも対話を続けていくことを約し合っている。(=『「宇宙」と「人間」を語る』として、一九九二年に毎日新聞社から発刊)
 仏法では、十方世界、すなわち全宇宙に、仏国土が遍在へんざいしていると説いている。たとえば、竜樹の著とされる「十住毘婆沙論じゅうじゅうびばしゃろん」によれば、十方(東・西・南・北の四方と、東北・東南・西北・西南の四維しい、さらに上・下を合わせたもの)のそれぞれに、理想的な世界がある。
 はるか彼方の、東方には、その名も「無憂むう(憂いがない)」という世界があり、南方には「歓喜」、東北には「安穏」といった、素晴らしい名前の世界があるという。
 むろん、さきほどの科学者の言とは次元は異なるが、星空の果てに、理想の仏国土がいくつも存在するとは、想像するだけでも、夢とロマンが美しく広がる思いがする。
 ひるがえって、私たちの、この地球の人間社会はどうだろうか。
 皆さまもご存知の通り、私たちの暮らす世界は、仏法で説く「娑婆しゃば世界」である。残念ながら「無憂」でもなければ、「歓喜」でも「安穏」でもない。それは、「堪忍かんにん世界」であり、さまざまな苦難に「」え「しの」ばねばならない、苦渋くじゅうと試練に満ちた世界なのである。
 御書には「此の娑婆世界は十方世界の中の最下の処」──この娑婆世界は十方世界(全宇宙)のなかでも最低の場所である──と仰せである。
 なかでも、正法を誹謗ひぼうする日本については「十方世界の五逆の者を一処に集めたるが如し」──たとえていえば、十方世界のなかで、五逆罪(破和合僧をはじめ五種の最も重い罪)を犯した者を一カ所に集めたような──国土と御指南されている。
 いわば、他のあらゆる国土から″手にえない″と追い出されたような、宇宙でも最も性悪しょうわるの衆生が集められたのが、この地球であり、とくにこの日本との仰せなのである。
 そうであれば、正法をひろめ、実践する私どもを、ありとあらゆる方法でおとしいれようとする人間がいるのも、しごく当然のことである。何も驚いたり、右往左往する必要はない。正法の勢力を誹謗する心の本質を、仏法は鋭くとらえているのである。
13  それにしても、この広大な大宇宙のなかで、よりによって大変な所に生まれてきてしまったと、皆さま方は思うかもしれない。しかし、この泥沼のごとき娑婆世界に生まれてきたのは、決して偶然ではない。
 法華経法師品ほっしほん第十には「大願を成就して、衆生をあわれむが故に、此の人間に生ずるなり」(妙法華経並開結三八六四㌻)、「衆生をあわれむが故に、悪世に生まれて、広く此の経をぶるなり」(同三八六㌻)と説かれている。つまり、過去世において大願を成就し、成仏したとしても、自ら願って娑婆世界に生まれ、正法を弘め、悪世に苦しむ衆生を救いゆくところに、仏法の深い精神がある。
 日蓮大聖人は「御義口伝」で、この「大願」とは「法華弘通」であり、あわれむべき衆生とは「日本国の一切衆生」である。そして「悪世に生まれて」の人とは「日蓮等のたぐいなり」と仰せくださっている。
 大聖人門下として広布に邁進まいしんする私どもは、あえて願い求めて五濁悪世に生まれ、それぞれ使命の国土に躍り出てきた。ゆえに、今いる天地こそ、全宇宙のなかでも、一人一人にとって、最高の使命の舞台である。またそう自覚した時、生命は欣喜雀躍きんきじゃくやくし、最大の生きがいを燃やすことができる。
14  獅子王の人生を使命の大地で
 日淳にちじゅん上人は、かつて次のような趣旨の講演をしてくださった。
 ──霊山会りょうぜんえに集った地涌の勇者たちを、戸田先生が末法に先達せんだつとなって呼び出したのが創価学会である──と。
 まことに感銘深いお言葉である。確かに仏法、法華経はお伽噺とぎばなしではない。今ある現実に即してみるならば、日淳上人の仰せのごとくになるのであろうか。ともあれ、このご指導には、甚深じんじんの意義があった。
 このお言葉の通り、広宣流布という最も崇高な大願に生きゆく人生を、現代の私たちに教えてくださったのは、戸田先生である。学会の強さも深さも、この人生の師弟の「きずな」があるからである。誰人がなんと言おうと、この峻厳しゅんげんなる道だけは、永遠にくずしてはならない。
 この「絆」があったがゆえに、私たちは正しき信仰を知ることができた。また、地涌の勇者としての使命を自覚することができた。
 少し妨害があると、それを忘れて、自分は上手に生きようとか、いい子になろうとして、結局は足をすくわれて、はかない波におぼれて、自分を破壊していくような愚かなことだけは、絶対にあってはならない。このことを諸君に強く申し上げておきたい。
15  遠く佐渡の地の千日尼にあてられた御手紙のなかで、大聖人は次のように仰せになっている。
 「法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり、十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故なり
 ──法華経を供養する人の功徳は、十方の仏、菩薩を供養する功徳と同じである。十方の諸仏は妙の一字から生まれたからである──。
 「法華経」とは、いうまでもなく末法今時においては、三大秘法の御本尊である。この御本尊こそ、三世十方の諸仏の根本・眼目であり、宇宙を貫く根源の法の当体なのである。
 ゆえに、御本尊に勤行・唱題し、広布の活動に邁進していくならば、まさに無量の福徳が輝き、かおっていく。私どもの日々の実践の舞台は、決して大きいものではないかもしれない。だが、信行学の真摯しんしな実践の功徳は、全宇宙へと通じ、三世に崩れぬ絶大な福徳となっていくことは間違いない。
 さらに大聖人は、こう仰せである。
 「たとえば一の師子に百子あり・彼の百子・諸の禽獣に犯さるるに・一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分に
 ──たとえば、一匹の師子に百匹の子がいる。その百匹の子が諸々の禽獣(鳥やけもの)に犯されようとするとき、一匹の師子王がえれば、百匹の子は力を得て、諸々の禽獣はみな、頭が七分にわれるのである──。
 「法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす、法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし
 ──法華経は師子王のようなものであり、一切の獣の頂点である。法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄、餓鬼、畜生等の百獣に恐れることはないのである──と。
 妙法こそ、諸経のなかの比類なき「師子王」である。「師子王」である妙法を持つ私どもは、次から次へとおそいかかってくる、現実の荒れ狂った「百獣」の姿にも、一つも恐れる必要はないし、いささかも動ずることもないのである。
 さらにいえば、真摯な広布の実践に励む私どもの真剣な叫びこそ、まさに百獣を従える王者の師子吼ししくに通ずるものであろう。その威風は、いかなる邪悪の風をも吹き払い、世界に、社会に、正義と真実の清風を吹き込まずにはおかない。師子王のごとく仏法の正義を堂々と叫び、訴えきっていくところに、広布の大道はいやまして開けゆくことを知らねばならない。
 最後に、重ねて、この一年を、「正しい信心」「正しい生活」「正しい人生」で、十年にも匹敵するような価値ある年としていただきたい。そして、朗らかに、また勇気をもって、「行学」の前進を期しゆく確かな成長の一年であっていただきたいと念願し、本日のスピーチとさせていただく。

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