Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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文京、北、板橋区記念支部長会 日々健康、無事故で

1988.11.11 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

前後
19  戸田先生は、牧口先生の法難について、この薬王品を拝されながら次のように述べられている。
 「薬王菩薩本事品に、薬王菩薩が仏および法華経に、身を焼いて供養したてまつったのをほめていわく、
 『かくごとき等の種種の諸物をって供養すとも、及ぶことあたわざる所なり。仮使たとい国城妻子をもって布施すとも、また及ばざる所なり。善男子、れを第一のと名づく。諸の施の中にいて、最尊最上なり』(妙法華経並開結五九三㌻)と。(中略)
 先生は、法華経のために身命をなげうったお方である。法華経に命をささげた、ご難の見本である。先生の死こそ、薬王菩薩の供養でなくて、なんの供養でありましょう。先生こそ、仏に『諸の施の中に於いて、最尊最上』の供養をささげた善男子なり、とおほめにあずかるべき資格者である。愚人にほめらるるは智者の恥ずるところとの大聖人のおことばを、つねに引用せられた先生は、ついに最上の大智者にこそほめられたのである」と。
 さらに、戸田先生は、薬王品の「命終みょうじゅうの後に、また日月浄明徳仏の国の中に生じて、浄徳王の家にいて、結跏趺坐けっかふざ(足の表裏を結んで座す)して忽然こつねん(たちまち)に化生けしょう(生まれる)」(妙法華経並開結五九三㌻)の文を引き、牧口先生について次のように言われている。
 「法華経は一切現象界の鏡と、日蓮大聖人はおおせあそばされている。大聖人は妄語もうごの人にあらず、実語のお方である。ゆえに凡下ぼんげの身、ただ大聖人のおことばを信じて、この鏡に照らしてみるならば、(牧口)先生は法華経流布の国の中の、もっとも徳清らかな王家に、王子として再誕せらるべきこと、堅く信じられるべきで、先生の死後の幸福は、吾人ごじんに何千、何万倍のことか、ただただ、おしあわせをことほぐばかりである」
 つまり、法華経の文、大聖人の御言葉を確信すれば、薬王菩薩の焼身焼臂の供養にも比せられる殉教の牧口先生は、王家の王子として、生まれてきておられるにちがいないと述べているわけである。
 同じ原理から、牧口先生とともに弘教の道に連なる妙法の同志は、生々世々、福運の″長者″として、功徳を受け、自らの願うところに生まれていくことができるといえよう。
 この三世にわたる妙法の長者の連鎖があるかぎり、世界の広宣流布は、着実に広がり、必ずや成就していくと確信してやまない。
 最後に、大切な広布の指導者である皆さま方の、ご健康とご多幸、ご長寿を心からお祈りし、私のスピーチとさせていただく。

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