Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十回本部幹部会 日々新たに また日々新たに

1988.10.19 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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1  第一線の労苦の友を守れ
 本日は、全国の最高リーダーが参集しての本部幹部会である。いわば、広布の指導者の集いといってよい。一方、各地でも喜び勇んで多くの同志の方々がそれぞれの会場に集ってこられている。その全国の代表である皆さま方は、みずみずしい信心で意気軒高に生き生きと毎月の幹部会に集い合っていただきたい。
 さきほど、女子部合唱団第一期生ならびに白ゆり合唱団の見事なコーラスがあった。まことに素晴らしく、胸打つハーモニーであった。これも第一線の友が健気けなげに練習を重ね、成果を披露してくださった。心から「ありがとう。ご苦労さま」と感謝申し上げたい。
 こうした合唱団や、鼓笛隊、音楽隊、また創価班、城会、白グループ等々、現実に広宣流布の陰の推進力となり運営にたずさわっているのは、第一線の同志の方々である。また地域、社会の最前線で、日夜戦っておられるのも、そうした皆さま方である。
 第一線の友の真剣な活躍があってこそ広宣流布は前進する。指導者は、この一点を絶対に忘れてはならない。
 ともすると、幹部になるにつれて惰性となって、純粋な求道心を失い、信心の歓喜も情熱も新鮮さも失っていく人がいる。そうした人に限って、増上慢になったり、″われえらし″と錯覚し後輩に対しいばったり、懸命にカゲで働いている友を見下すようになる。これほど恐ろしいことはない。本人が結局苦しむのみならず、多くの後輩の成長をさまたげてしまうからだ。
 後進の青年が、自分の何倍、何十倍も活躍し、成長できるよう、道なき道を開き、模範を示していくことこそ、先輩の責務である。
 役職だけでもない。財産や名声のためでもない。生涯、「青年」の気概で、すがすがしく、広布のため、友の幸せのために走り、戦い抜くことこそ、信仰者のほまれであり、あかしである。
 学会の庭に″えらい人″は必要ない。ただ、純真に、真剣に、広布へ邁進まいしんしゆく人こそ大切であり、尊いのである。
2  先日、国際社会の趨勢すうせいとして「現実主義の台頭」「大衆・民主革命の伸展」とともに「女性の役割の増大」について申し上げた。さまざまな分野で、近来の女性の進出はまことに目覚ましい。広布の世界にあっても、女性の声を尊重し、女性の力を重んじていくことが、ますます重要となろう。
 そうした意味から、ある婦人部のリーダーの方々が、男性幹部に要望したいこととして話されていたことを紹介させていただく。
 (1)ユーモアはよいが、″ふざけ″はやめてもらいたい。
 (2)誇張こちょうしたオーバーな話より、筋道の通った正しい話がほしい。
 (3)確信に満ちていながら、温かい話であってほしい。
 (4)大声であるより、誠実な話し方がよい。
 (5)飛躍的な話より、現実性に基づいた、御書の御聖訓を拝しての話がほしい。
 (6)長時間の滔々とうとうたる話より、簡潔にして心に響く、納得性と感銘の深い話であってほしい。
 いずれも正しい指摘ではなかろうか。以上の点を、幹部の方々は、くれぐれも心していかれるよう、お願いしたい。
3  団結こそ限りなき前進の「力」
 さて、全国各地で第十一回の支部総会が活発に開催されている。これまで、どの総会も大成功で終了し、新支部結成十周年を見事に飾ることができたとの報告を受け、まことに、うれしい限りである。
 思えば、昭和二十六年四月、戸田先生の会長就任を前に、十二支部が誕生した。それが、今日では、千倍以上もの陣容を誇るにいたっている。戸田先生も、どれほどお喜びのことか。
 ともあれ、総会開催にあたっての、お一人お一人のご健闘、とくに支部長、支部婦人部長の皆さま方のご苦労に、私は深く敬意を表し、心からたたえたい。
 私も、わずかでも皆さま方の励ましになればとの思いから、寸暇すんかを惜しんで「支部証」の揮毫きごうをさせていただいている。一枚一枚、唱題しながら、心血を注ぎ、成長への願いを託し、したためているつもりである。皆さまのさらなる前進への機縁となれば、これ以上うれしいことはない。
 かつて戸田先生は″班長(今でいえばブロック長)が地区部長を、地区部長が支部長をもりたてている地区・支部は立派に前進している″と話されたことがある。
 やはり、中心者を軸に結束し、団結した組織は、強い。だが、その団結を築くためのリーダーの労苦は、なみたいてのものではない。なかんずく、支部長、支部婦人部長の皆さまのご苦労には、ひとかたならぬものがあると思う。
 上からは、さまざまな″打ち出し″がおりてくる。現場からは、文句や不平の″突き上げ″がくる。上には、いばった幹部が多く、下には、いうことなどきかぬ″強者つわもの″ばかり。これでは、まったくやりきれない。
 先日も、ある婦人部の方がいっていた。「支部婦人部長になって張り切っているのですが、風邪ひとつひけません。皆さんから″婦人部長なのに、だらしがない″といわれるので」。また、なかには″婦人部長なのに、どうして子供さんの成績が思わしくないのでしょうか″という、おせっかいな人もいるらしい。
 ともあれ、広布の最前線ですべてが集中する大変な立場が、支部長、支部婦人部長である。第一線に密着し、連動しているゆえに人一倍苦労も大きい。ともすれば、上の幹部は、そうした苦労があることを忘れがちである。このかけがえのない大切な存在である支部長、支部婦人部長を、役職が上の人であれ、下の人であれ、それぞれの立場で、守り、精いっぱいに支えていただきたい。第一線の指導者を中軸に、人と人の歯車が確かにかみ合っていくところに、地域広布の最も着実にして安定した伸展があると確信するからだ。
 その意味からも、とくに本部幹部以上の方々は、「責務」や「目標」ばかりを課すのではなく、「きょうぐらいは、ゆっくりしてください」「たまには温泉でも行かれたらどうですか」とか、たとえそれができなくても、そういう気持ちだけでももって、うるおいと思いやりのある言葉で、ねぎらい、激励していくよう、心からお願いしたい。
4  支部長、支部婦人部長のご苦労は、よく知っているつもりである。
 私も、戸田先生のもと、蒲田支部幹事、文京支部長代理等として、草創の支部建設に全魂で取り組んだ。
 蒲田支部幹事に任命になったのは二十四歳。私は、当時の小泉支部長(現・参議会議長)を懸命に支え、戦った。その結果、画期的な月二百一世帯の弘教を達成し、本格的な弘法大行進の口火を切った。
 また、文京支部長代理となったのは、翌年、二十五歳である。弘教の最下位の支部であったが、またたくまに蒲田に次ぐ成果を出す支部となった。
 どこへ行っても、私は命がけで走り、戦った。勝利と栄光と発展の歴史を築いてきた。それは大聖人の御遺命のもと、戸田先生が、「私は折伏の師である」といわれたことを証明せんがためであった。どんな状況にあっても、結果を出し、師の正義を証明し、宣揚していくところに、弟子の道がある。私は、この誉れの道を、まっしぐらに進んできたつもりである。
5  ″心の砂漠″うるおす良心の文化を
 最近、ある女子大卒業生の同窓会で語り合われたなかに、次のような話があった。
 ――テレビでも雑誌でも、あまりにふざけた笑いが多すぎる。それはそれで仕方のないことかもしれないが、本当に人生をより良く、深く生きていくために、もっと私たちが納得でき、向上を図っていけるようなものであってほしい。このことはテレビや婦人雑誌だけに限らず、社会全般に通じていえることである。そうでなければ、自分の娘や息子たちが、将来どうなってしまうのか。人生の最終章を迎えた時に、どれほどつらく、わびしい思いをするか分からない――と。
 そしてその席では、信仰の必要性、また質の高い婦人雑誌や文化講座の普及の大切さなどが話し合われた、ということである。
6  つい先日、婦人誌「主婦の友」から新年号のインタビューを受けた。また同様に、「主婦と生活」からも原稿の依頼があり、こころよく受けさせていただいた。
 いずれの雑誌とも、約二十年にわたるお付き合いで、その間、ほとんど毎年のように新年号を中心に寄稿させていただいてきた。
 とくに「主婦の友」は、創刊(大正六年)以来、七十一年の歴史をもっており、先代の社長とは、かつて親しく懇談したこともあった。今はすでに亡くなられ、ご子息が後を継がれているが、その懇談のさいに語っておられた言葉は、今でも鮮明に心に残っている。
 それは――時代がどんなに変わろうと、何か家庭文化の向上、主婦の意識向上のためになるものを残したい――ということであった。その時、私は、どこまでも自分たちの決めた理念を貫こうとされる前社長の真摯しんしな姿勢に強い感銘を覚えた。
 「主婦の友社」は、″女性の向上、家庭の幸福を願う″という、創業者の精神を基本理念として貫かれているという。また「主婦と生活社」は、″女性の地位の向上をねがい、豊かな生活を目指す″をモットーにされているとうかがった。
 現代のような風潮のなかでは、両社のような婦人誌の草分け的存在であっても、″基本的理念は決して崩したくない。けれども売れなくては成り立たない″という現実もあるであろう。基本理念を堅持し続けることのむずかしさ、つらさは、私も指導的立場にある一人として、よく理解できるつもりである。
 次元は異なるが、学会も、権威に迎合したり、安易に時流と妥協して、「広宣流布」と「信心」という基本を失ってしまえば、もはや何の存在意義もなくなってしまう。
7  さきの「主婦の友」のインタビューで受けた質問のうちの一つは、「子供にどういう本を読ませたらよいか」ということであった。
 これについて、私は簡潔に答えた。私の思いを多少広げてみれば、次のようになる。
 まず一つは、親しみやすさという点から、太宰治の『走れメロス』であろう。短編だから、まずお母さんが読んで聞かせてあげてほしいと思う。
 友を信ずること、そして自らも友の信頼にこたえようとすること――その「友情」のドラマは、必ず子供たちの心の琴線きんせんに美しく響き、素晴らしき何かを呼びさます力になるはずである。
 また成長期の彼らにとって、「友情」について考えることは、″わがまま″な自己を超えて、自分という「人間」の変革に挑戦しようとする初めての経験といえる。その出発にあたって、この一書を贈ってあげたい。
 さらに、そこにみなぎる、はずむような青春の「正義」と「情熱」は、利害や競争の観念を超えた、もっと大きな世界を、彼らに開き示してくれるにちがいない。
 そのほか、ユゴーの『レ・ミゼラブル』も、と思ったが、これは子供たちにとってはかなり長い作品でもあり、あえて挙げなかった。
 さらに私は、「自然」と接する機会が少なくなっている子供たちに、ファーブルの『昆虫記』をすすめたい、と答えた。これは大人が読んでも面白い本であるが、少年向きの読みやすいものも出版されていると思う。私も若き日に、この″昆虫詩人″の詩的な一書と出あった鮮烈な思い出がある。
 同書では、冒頭の「聖たまこがね虫」の″団子だんご作り″から始まって、自然の織りなす多彩なドラマが生き生きと描き出されている。
 最近では、デパートで買ってきた虫が死んだとき「電池が切れた」といった子供がいた、という笑えない話もある。現代では、それほど子供たちが自然から遠ざかっているということだろう。
 子供に限らず、自然から切り離された人々の「心」は、次第に殺伐さつばつとなってきているようだ。「心の荒廃」「心の滅亡」は、やがて人類全体の荒廃、滅亡に通じかねない。それほど「心」の動きというものは、人間にとって決定的な力をもつ。ゆえに指導者というものは、人々の「心の動き」を誰よりも見てとれるようでなくてはならない。
 ともあれ、この″虫の世界への冒険の書″には、小さな生きものへの限りない「愛情」が満ち、自然界の絶妙なリズムへの新鮮な「感動」が込められている。また、飼育に必要な「忍耐」や「配慮」も読みとれるだろう。さらに、かのダーウィンはファーブルの″比類なき観察眼″を絶賛しているが、少年の「科学の眼」を開く格好の入門書にもなると思う。
 また、いきなり長編小説といっても、″軽薄短小″の時流の中では、なかなか難しいかもしれない。その意味で、「伝記」は、読書の入り口として入りやすいのではないだろうか。はじめは、やさしい短いものでよいと思う。そこには様々な時代、様々な国への旅があるし、何よりも「人間」のドラマがある。「心」の世界との出あいがある。
 ニュー・フロンティア精神で人々に希望を与えたジョン・F・ケネディ米大統領、小児マヒというハンディを克服し大統領になったフランクリン・D・ルーズベルト、貧しい人民とともに故国のために立ち上がった周恩来、赤貧洗う生活から身を起こし大統領に就任したリンカーン、そして劣等生といわれたが、必死の努力でばん回し、イギリスの首相になったチャーチル……。過去の偉人たちとの対話は、自分という人間を照らす″光源″となるだろう。
 あのナポレオンも、今でいえば小学六年生から中学一年生のころに読んだ『プルターク英雄伝』や『アレクサンダー大王伝』が、その一生の大きなバネになったといわれている。「伝記」は、″自分もこんなふうになりたい″″こういう生き方が素晴らしい″という思いをはぐくみながら、人生の「道」を限りなく開いていく契機になると思う。
8  また「主婦と生活」誌からも、ぜひにとの依頼があり、新年号にエッセーを寄稿させていただいた。タイトルは「詩心にうるお明日あしたを」。本年二月、タイ王国を訪れた際、メナム河(チャオプラヤ河)のほとりにたたずんでの思いに寄せて、所感をつづった。
 ″心の砂漠化″が深刻化している現代。その乾いた心の大地を、みずみずしい詩心で、豊かなる大河のごとく潤し、蘇生させてほしいとの願いを込めた。
 そして″川は悠久でありながら、しかも常に新しい。瞬間瞬間、新たに生まれ、走り続ける。いな、よどむことがないからこそ、川は永遠なのだ″との思いから、人間も一日一日を丁寧(ていねい)に生き、日々、新しい価値を生み出していきたい。そこに永遠へと通じる生き方もある。また、そうした新鮮な感動の一日一日を生み出す源泉の一つが″詩心″であると記した。
 とくに熟年じゅくねんの世代は、とかく、少々くたびれはじめる。その時こそ、新たな青春の息吹で自分を再生させ、これまでの経験の上に、大きく自己を花開かせてほしい。そう呼びかけて、副題は「熟年は人生ルネサンス(再生)の時代」とした。
 ――これは余談であるが″白虎隊びゃっこたい″の少年が学んだので有名な福島県・会津の藩校は、名前を「日新館にっしんかん」といった。これには「苟日新、日日新、又日新(まことに日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり)」(『大学』)の精神がこめられている。
 エッセーでは、その″日々、新た″の積み重ねの上に、「人生ルネサンス」「自分ルネサンス」があることを、様々な例を挙げてつづった。
9  真剣の指導者のもと青年は育つ
 本当に今の社会には、″詩心″が少なくなった。詩心が消えれば、潤いや感動がなくなり、心は枯渇こかつしていく。それでは″詩心″どころではない、″死の心″になってしまう。
 広布のリーダーも、決して自身の心を死なせてはならない。会合に出ても、感動もなく、「ああ、また幹部会か」、「きょうは何時に終わるかな」、「帰りにヤキソバでも食べていこうかな」――こんな惰性で臨んでいたのでは、″心の死″といわざるを得ない。それでは自身があまりにも、みじめである。また伸びようとしている、これからの若い人たちの芽をつんでしまう。恐ろしいことである。
 指導者である以上、指導は真剣勝負でなければならない。せっかく剣道を習いに行ったのに、指導者が、だらけて″勝手にやっておきなさい″等と言っていたのでは、伸びるわけがない。かえって、やる気を失う。書道でも、ピアノでも、どの道でも同じである。
 いわんや広布の世界にあっては、仏法を求めてきた人に、指導者は生き生きと、全魂でこたえねばならない。その懸命な責任感を失うと、自身の心が衰え、心の死へと向かっていく。そうであっては絶対にならない。川が源流から海へと流れ続けるように、日々新たに原点から出発し、一生成仏という完成に向かって成長し続けなければ、本当の仏道修行とはいえない。
10  エッセーの結びとして私は映画王チャップリンのエピソードを引いておいた。
 彼は晩年にいたるまで、「あなたの最高傑作は?」と問われると、いつも「ネクスト・ワン(次の作品さ)」と答えた。きのうまでの作品ではない。これからが本格的な創造である。
 仏法も「現当二世」が、根本精神である。良きにせよ悪しきにせよ、過去にとらわれない。毎日が出発であり、いつも新たな始まりでなければならない。
 ここに徹するところに、人生も広布の世界も、限りなく開けていく。それこそ″価値創造″という創価の精神の骨髄である。
 皆さま方も、充実した今日一日を生き、そのうえで、自分らしく、さらに素晴らしき「明日」を目指して、生きぬいていっていただきたい。
11  門下の育成に心血をそそがれた日目上人
 さて一閻浮提いちえんぶだい御座主おんざすであられる第三祖日目上人の御振る舞いを拝する時、常に後継の青年の訓育に全力であたっておられた。
 次元は異なるが、私も学会の第三代として、広布の流れを永遠たらしめる責任を自覚していた。ゆえに青年の育成に徹しぬいた。私には、懸命に弟子を育てんとされる日目上人の御心が、強く深く胸に迫ってくる思いがする。
 御遷化ごせんげの一年前、日目上人は、御手紙の中で次のように記されている。
 「今年も四月より九月廿日はつかころまで闕日けつじつなく御書談じ候いおわんぬ」――今年も四月から九月二十日ごろまで、一日も欠かすことなく、御書を講義いたしました――と。
 この時、実に、日目上人は七十三歳であられた。それに比べ、私どもは、まだまだ若い。戦わなければならない。いな、日目上人の御姿を拝して、一生涯、若々しく、広布に進んでまいりたい。
 また、別の御手紙の中でも、こう述べられている。
 「越中公如法にょほう慇懃おんごん太公望たいこうぼうになりて候。春はしてわたらせたまい候へ。学問せさせ候へく候」と。
 すなわち、あなたの後輩にあたる越中公は、法にのっとって正しく、また一生懸命に修行しており、将来有望である、と期待され、「春には一緒に、こちらに連れていらっしゃい。しっかり学問させましょう」と配慮された御言葉である。
 若き門下の一人一人を、日目上人が、どれほどよく御覧になっておられたか。その成長に、どれほど力をつくしておられたか。この御精神を深く拝さねばならない。
 指導者は、後輩を自分以上の人材に育てようとする、その心がかなめである。その一念なくして、後輩をうまく使い、利用するのみの先輩であっては、いかに言葉たくみに指導しようとも、仏法の世界のリーダーではない。
 後輩に対し、どれだけ、こまやかに面倒をみたか。ある意味で、自分が倒れるような思いで、心をくだきにくだいてこそ、はじめて次が育つ。そこに「令法久住りょうぼうくじゅう」「広宣流布」の道が開ける。また、この、法のための不惜の一念にこそ、日目上人の御精神があると拝される。
12  無二の「信心の道」をともどもに
 先般も、多くの海外の同志が来日した。そのさい、ある人から質問があった。
 「私たちの国にも、もっと会館がほしい。妙法の流布も思うように進まない。どうしたらよいか」と。
 こうしたことは、日本の各地にも大なり小なり、あることと思う。
 私は「広宣流布は難事の中の難事である。そんなに容易に進むものではない。決して焦る必要はないし、未来をみつめて着実に日々、一歩また一歩と前進していけばよい」と申し上げた。
 日有にちう上人は次のように述べられている。
 「堂社僧坊は仏法にあらず。又智才覚も仏法に非ず。多人数も仏法に非ず。(中略)信心無二にして、筋目すじめたがへず、仏法修行するを仏道修行、広宣流布とはふなり」
 つまり、堂塔伽藍がらんが仏法なのではない。また才覚が仏法なのでもない。人数が多いことが仏法なのでもない。正法を信心無二に「筋目すじめ」をたがえず、修行していくことを、仏道修行・広宣流布というのである、との言と拝する。
 広宣流布にとって、何が一番大事なのか。それはとりもなおさず「信心」の二字である。いかに大きな権威の建物があっても、そこに仏法があるわけではない。いかに才知にすぐれ、いかに教学があるからといっても、信心が弱ければ意味がない。
 また、いくら人数が増えたとしても、一人一人の信心が強盛でなければ、将来の発展は望むべくもない。
 たとえ、今は、人数的には小さな存在であっても、正しき「信心の道」、仏法の正しき「筋目」ともいうべき「師弟の道」を、厳然と貫いていく――その姿それ自体に「広宣流布」がある。つまり、正しき「信心の道」を一分の狂いもなく歩んでいる、その中にこそ「因果倶時いんがぐじ」で、大いなる未来の発展という「果」がはらまれている。
 ゆえに、やがて時とともに、妙法の力用りきゆうによって、想像もできなかった広布の発展がなされることは、絶対に間違いない。現に、日本における、六十星霜に及ぶ学会の発展の歴史がそれを如実に証明している。
 この方程式は、いかなる時代、いかなる地域や国にあっても同じである。それゆえに私どもは、信心にだけは妥協も、安逸あんいつもなく進んできたわけである。
 逆に、いかに表面的に立派そうにみえても、正しき信心の大道を踏みはずしてしまえば、もはや正法の世界ではない。
13  分断から調和へ――広布は人類貢献の大運動
 先日、ソ連の著名な文学者・アイトマートフ氏とお会いした。本日帰国されたが、帰国に当たって、私にぜひ伝えてほしいと、次のように語っておられたという報告があった。
 「これからは新しい世界宗教、または新しい宗教的文化的教えが必要となる。これまで人類の長い歴史の中で、人間はその精神、心をバラバラに分断されてしまった。それをひとつの調和へ糾合きゅうごうしなければならない。それを今しないと、人類は滅んでしまう。その調和へのスタートを私は今回みた。
 私は日本に来るまでは、ヨーロッパ精神に基づいた思想を持っていたが、今回、東洋の思想に教えられた。それは創価学会によってである。
 この調和への努力は、今の世代で完成しなければ、次の世代が受け継いでくれるにちがいない。この考えは、名誉会長との対談、また名誉会長の著作を読む中で生まれた結論です」と。
 そして「もし時間があり、希望があれば、私たちのイシクル会議(知識人による会議)に、ぜひ名誉会長をご招待したい」と。
 ここにも述べられている通り、世界の人々の心は、さまざまな形で「分断」されてきたし、一方で、経済的、物質的豊かさの中で精神の荒廃を深めている。
 こうした人間精神の「蘇生」と、「調和」、「糾合」のために戦ってきたのが、私どもの活動であった。
 それが善なる運動であるがゆえに、悪の勢力のさまざまな反動はあった。しかし、人類と世界のための私どもの活動は、心ある多くの人たちの理解と称賛をうけている。仏法を基調とした、私どもの平和・文化・教育の運動こそ、まさに人類の希望を担ったものであることを強く確信していただきたい。
 どうか、ますますの勇猛心をもって、自らの「人生」と「広布」に生き抜いていただきたい。それがとりもなおさず、自分自身はもとより世界の人々の幸福と繁栄のための、大いなる貢献となっていくのである。
 最後に、尊く、大切な皆さま方の、ますますのご健勝とご活躍、そしてご長寿を心から祈り、私のスピーチを終わらせていただく。

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