Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第九回SGI総会 全世界に妙法の慈悲の光彩

1988.9.22 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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2  本日は、ご存じのように、地球のお隣の火星が、約五千九百万キロの近くまで大接近している。したがって、このSGI総会には、″火星くん″も来賓らいひんとして、あいにくの曇天どんてんを見おろしながら、天空にひときわ赤く輝きつつ、参加してくれているといってよい。
 ともあれ、私は、できることならば、地涌の友である皆さま方、お一人お一人と、熱い握手を交わしたい。しかし、大勢でもあり、「心」と「心」で固く、そして強く握手させていただく思いで、私は「本当にご苦労さま。ようこそ、いらっしゃいました。さぞかし、大変だったでしょう」と、深く、その労をねぎらわせていただきたい。また感謝申し上げたい。
 この皆さま方の尊き仏道修行の姿を、御本仏・日蓮大聖人は、限りなき大慈悲で見守り、賛嘆してくださっているにちがいない。
 求道のはるかなる旅──。それは、まさに無量の「福運」を我が生命に積みゆく旅であると確信していただきたい。
 大聖人は、その一例として、釈尊の十大弟子の一人である目連尊者のエピソードを通して、教えてくださっている。
 目連は「神通第一」とたたえられるように、四天下してんげ(全世界)をも、瞬時に駆けめぐることができるほど、自在の「力」の持ち主であったといわれている。
 それでは、なぜそうした素晴らしい力を持ち得たのか──。大聖人は、御書に次のように仰せである。
 「せんしやう先生に千里ありしところを・かよいて仏法を聴聞せしゆへなり」──過去世において、千里もの道のりをかよって、仏法を聴聞したゆえである──と。
 今日では、飛行機という便利な交通手段はあるが、皆さま方も、まさに千里の道のりを、求道の心で来日されたわけである。その功徳と福運は、はかりしれないものがあると申し上げたい。
 仏法の世界には、いささかたりとも無駄はない。「法」のため、「広布」のため、行動し、実践したことは、そのまま、生々世々にわたって、壮大なる境涯を開き飾りゆく、原動力となることを確信されたい。
3  それとともに、私は、皆さま方を日本に送り出し、留守るすを守っていらっしゃるご家族や、同志の方々のことも、忘れることができない。その方たちのことを思うと私は、やはり、大聖人の御言葉を拝し、申し上げずにはいられない。
 大聖人御在世当時、佐渡の阿仏房が、高齢にもかかわらず、身延の大聖人のもとへ、三度もおとずれたことは、皆さま方も知っておられる通りである。が、夫人の千日尼は、佐渡の地にあって、夫の留守を守った。彼女自身、どれだけ大聖人をお慕い申し上げ、御目通りを願っていたことか──。
 そうした心を、大聖人は、すべてご存じであられたにちがいない。ある折、千日尼に対し、次のように激励されている。
 「佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に女人の御身として法華経を志しましますによりて年年に夫を御使として御訪いあり定めて法華経釈迦多宝十方の諸仏・其の御心をしろしめすらん
 ──佐渡の国から、この国(身延)までは、山や海を隔てて千里に及ぶのに、女性の御身として、法華経を信仰していらっしゃるゆえに、年々に夫をお使いとしておたずねくださっている。必ずや、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏が、あなた(千日尼)のお心を、よくご存じのことでしょう──。
 さらに「たとえば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し」と。
 ──たとえば、天の月は四万由旬も離れている(一由旬は、古代インドの単位で、当時の帝王が一日で行軍する距離をいう)が、その影を大地の池に即座に浮かべる。また、中国の雷門にあった太鼓は、千万里の遠くにあっても、打てば即座に聞こえたという。それと同じように、あなたは佐渡の国にいらっしゃるけれども、心はこの国に来ておられる。仏になる道も、このようなものである──。
 大聖人は、たとえ「身」は遠くにあろうと、その「志」は身延の大聖人にまで確かに通じていると仰せになり、求道の「心」強き千日尼が、成仏という無上の幸福道を歩みゆくことは間違いないと励まされている。妙法流布への純真な「志」が厚ければ、いずこの地にあっても、また、いかなる陰の立場にあろうと、御本仏はすべて御照覧なのである。
 ともあれ、皆さまが帰国されたならば、どうか我が同志のお一人お一人に、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
4  SGI運動は「人間」のshくは角大地
 さて、昨年十月十七日の第八回SGI総会から約一年──SGIは皆さま方のお力によって、かつてない大前進をとげることができた。この間、広布と文化の「シャトー(城)」ともいうべき会館も、世界各地に誕生している。
 すなわち中南米では「チリ文化会館」、アルゼンチン「コルドバ会館」が、また欧州ではイギリス「タプロー・コート」、デンマーク「北欧文化会館」、アジアでは「香港文化会館」「マレーシア文化会館」「フィリピン文化会館」「インド文化会館」、そして北米・アメリカでは、デンバー、ニューヨーク、アリゾナ、コロラドスプリングス、ツーソンの各会館と、合わせて十三会館の誕生をみている。
 さらにブラジルでも「NSB研修道場」が建設中であり、カナダにも研修道場が予定されている。
5  私もSGIの代表者として、本年初頭、香港並びにタイ、マレーシア、シンガポールの東南アジア諸国を歴訪させていただいた。その折、タイのプーミポン国王、マレーシアのマハティール首相、シンガポールのリー首相とお会いした。
 また、この一年間、私は日本で、ベネズエラのルシンチ大統領、キッシンジャー博士、フォール元フランス首相、ブルガリアのヨルダノフ文化・科学・教育大臣、アメリカのダイマリー下院議員、ソ連のアダミシン外務次官とコワレンコ国際部副部長、さらに、中国の孫平化中日友好協会会長らと会談した。
 そして各国大使としては、ペルーのマキアベリョ大使、ブラジルのブエーノ大使、ソ連のソロビヨフ大使、インドのマーダバン大使、ベルギーのドパス大使、ユーゴスラビアのアヤノビッチ大使、ナイジェリアのドゴン=ヤロ大使、タイのピーラポン大使、ビチエン前大使、中国の楊振亜大使、コロンビアのドゥケ大使、ブルガリアのバシカロフ大使、バングラデシュのハック大使ともお会いした。
 これらの私の対話と行動は、すべて、「平和」と「友好」のためであり、各国で活躍されている皆さま方の活動への「理解」のためでもあることを申し上げておきたい。
 教育関係においても、ソ連・モスクワ大学のログノフ総長、タイ・チュラロンコン大学のカセム総長、香港大学の王□武(おうこうぶ)副学長、マレーシア・マラヤ大学のアジズ副総長、シンガポール大学のファン副学長、中国・北京大学の張学書副学長、同・武漢大学の劉道玉学長、英国・オックスフォード大学ボードリアン図書館のベイジー館長、カナダ・マッギル大学のスミス教育学部長ら、そして、ルーマニアの詩人アレクサンドル博士、アルゼンチン・タンゴの巨匠マリアーノ・モーレス氏、イギリスの世界的天文学者ウィックラマシンゲ博士、中国・敦煌研究院の常書鴻名誉院長、段文傑院長等々の方々と、「平和」と「文化」と「教育」、そして「人生」と「哲学」を語り合ってきた。
 また出版物については、インドで英語版″カラン・シン対談″が発刊されたほか、ドイツ語版″デルボラフ対談″、ロシア語版″ログノフ対談″が出版され、多くの反響の声をいただいた。さらに、″トインビー対談″が英語(インド)・マレーシア語で、″ペッチェイ対談″がタイ・マレーシア・中国語で、″ウィルソン対談″がタイ語で、小説「人間革命」がフランス語で、新たに翻訳され出版された。
 その他、ブラジルでポルトガル語の「私の釈尊観」「私の仏教観」、インドネシア語の「仏教──生きている哲学」、中国語の私の「選集」、英語の「生命と仏法を語る」「平和講演選集」(第二巻)ならびに詩集「人間勝利の賛歌」、タイ語とマレーシア語の「ガラスの子供たち」なども、この一年間で出版されている。そして日本でも私の「全集」の第一巻、「私の人間学(上・下)」等が発刊され、好評をいただいているむね、うかがっている。ともかく私は、広宣流布の前進という一点のために、″一年を十年分に″との思いで、全力を注いできたつもりである。
6  次に東京富士美術館では、昨年十月から十二月にかけて「フランス革命とロマン主義展」を、本年四月から六月まで「黄金の十七世紀フランドル絵画展」を開催。
 また、美術史家ルネ・ユイグ氏の深き友情によるお力ぞえで、本年五月から八月にかけ、フランスで「永遠の日本の名宝展」と私の「写真展」を行うことができた。
 一方、香港においても本年七月、「自然と平和との対話」の写真展が、もよおされている。
 そして本年六月には第三回国連軍縮特別総会にSGIとして代表団を派遣するとともに、同総会に寄せて「軍縮提言」を発表させていただいたことは、皆さま方もご存じの通りである。私どもはかねてより、「対話」と「協調」の大切さを訴えてきたが、「平和」への国際世論の高まりの中で、米ソ首脳会談によってINF(中距離核戦力)全廃条約の締結をみることができた。また、私どもが支援する国連が基軸となり、イラン・イラク戦争の停戦が実現した。
 まだ楽観は許されないものの、今、世界には確かな「平和の光」がきざし始めたといえよう。この時代の潮流の中で、「平和」「文化」「教育」の推進を担うSGIの存在と活動が、ますます重要となっていると確信している。
 私どもは、人類の「幸福」と「繁栄」のために、仏法を基調としたSGIの永遠の大道を、晴れ晴れと力強く前進してまいりたい。
7  御書には、「たねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」──ものの種は一つであっても植えれば多数となる──との道理が説かれている。
 一人から始まる行動も、今はまだ大勢の人の目には見えないかもしれないが、やがて大きな実りをもたらしていく──。
 私は私の立場で、百年、二百年の単位で、はるかな未来を見つめながら広宣流布のために行動している。私どもは未来に「大樹」と育ち、「大輪の花」を咲かせゆくであろう「種子」をあらゆる分野に蒔き植えているのである。ゆえに目先の変化など問題ではない。
8  「仏法」と「平和」の若き人材
 SGIが一九七五年に発足して、本年で十三年──。ちょうど二〇〇一年への折り返し点を迎えた。各国の草創の″広布の英雄″である皆さま方の、道なき道を切り開く苦闘によって、今や揺るぎなき基盤──妙法流布の″点と線″は、完璧に出来上がったと申し上げたい。
 そして、いよいよ目前に迫った二十一世紀に照準を定め、後継の青年部の育成に、全魂を傾けていく段階に入ったといってよい。本年夏に行われた「第一回SGI世界青年研修登山会」は、その本格的なスタートであった。
9  御書には次のように仰せである。
 「一切の草木は地より出生せり、是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし」──一切の草木は大地から生ずる。このことから考えると、一切の仏法もまた人によって弘まるのである──と。
 私どもの次元に即して、この御文を拝すれば、すべては「人」で決まるということである。ものでもなければ建物でもない。「教育」はもとより「平和」と「文化」もまた、詮ずるところ、それを担い創造しゆく「人」をどれだけ育てたかによって決まるのである。
 恩師・戸田先生も、常に「要は『人間』をつくることだ」といわれていた。
 そして、「やがて創価学会は壮大なる『人間』触発の大地となる」と、先生と私はよく未来の展望を語り合ったものである。
 SGIの運動は、まさしく仏法という最高の哲理と慈愛をもって「人間」をつくり、育てゆく、未聞の大事業であるといってよい。組織だけではない。あくまでも「人間」をつくっていくことこそ肝要なのである。
 世界へと広がる妙法流布の前進も、その先駆を切りゆく「一人」を、どう育成していくかにかかっており、皆さま方こそ、その源となる誉れの「一人」であると申し上げておきたい。
10  ともあれ、私どもが今、なさんとしているのは、「末法万年」への壮大なる仕事である。しかも、妙法という無上の「法則」に基づいて、人類の「平和」と「幸福」の大道を開きゆく大偉業である。
 この「大法」は、世界中、いまだ他のだれびとも知らない。いかなる財宝をもっても購うこともできない。宇宙に唯一の「尊極の法」である。この法を根本にしてこそ、真実の「人類の夜明け」はある。これ以上の、素晴らしき事業はない。これ以上に深き意義ある人生もない。
 この遠征の前に、少々の困難や障害など、むしろ当然である。乗り越えるべき苦難があってこそ、成長もあるし、壮快なる楽しみもある。また、いさぎよき信心あるところ、苦難はすべて福徳の糧と変わる。未来をひときわ輝かせるためのバネとなる。
11  大聖人は「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」──寿命には限りがある。ゆえに(仏法のためには)生命を惜しんではならない。所詮、願うべきものは仏国である──と、私どもの人生の根本の軌道を教えてくださっている。
 人間、いかに生命を惜しんでも、惜しみきることはできない。必ず死を迎えなければならない。その死も、いつ我が身に訪れるか、自分ではわからない。
 突然のやまい、不慮の事故、予期せぬ災害。文字通り「一寸先はやみ」である。いずこに逃げようとも、いかなる策をろうしようとも、また遅かれ早かれ、死から逃げることは不可能である。
 ならば、願うべきは、仏界という絶対の幸福境界である。ゆえに、この限りある生命を、「広宣流布」のために、燃焼させていきなさい。永遠の楽土建設に捧げきっていきなさい──こう大聖人は仰せであると拝する。
 その我が身を惜しまぬ実践のなかにこそ、「成仏」への直道じきどうがある。限りある生命に、永遠の価値と光輝を与えゆく唯一の行動がある。皆さま方は、この無上の人生の「使命の旅」を、私とともに、堂々と、勇敢に、そして朗らかな上にも朗らかに、飾っていただきたい。
 私は、大切な大切な仏子である皆さま方の「ご多幸」と「ご活躍」と「ご長寿」を、毎日、懸命に祈っている。また一生涯、日夜、祈り続けていく。最後に、この熱き心情を申し上げ、本日の記念のスピーチを結びたい。

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