Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第六回全国青年部幹部会 広布の太陽へ青年よ走れ

1988.7.10 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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2  確かな哲学、指針を失った現代社会は、ますます混迷を深めているように思えてならない。刹那せつな的な楽しみ、瞬間的な面白おもしろさは追い求めても、人生の根本課題については考えようとしない。そうした、自身の生き方も、思想も哲学も何もない青年が増えていると痛感する。
 何のための人生か。何のための青春か──こうした真摯しんしな問いかけを忘れた生き方は、所詮しょせん浅薄せんぱくとなり、何の実りもないまま、青春を浪費し、うつろな人生となってしまう。
 過日も、中学生が両親と祖母を殺すという、衝撃しょうげき的な事件があったが、あまりにも痛ましい現実の姿といわざるをえない。多かれ少なかれ、こうした衝動性は、現代青年に共通したものといえよう。
 それだけに、とくに青年に対しては、確かな人生の哲学を語っておきたい。多少、難しい話になっても、なすべき話は、きちんとしておかねばならないと、私は強く決意している。それが、真の指導者の責務である。
 我が創価学会には、確かな人生があり、哲学がある。同志の連帯があり、生命の歓喜がある。先日、ある婦人が会合に参加し、驚嘆していたという話を聞いた。御書を学び、「平和」と「文化」を語り合う姿を見て、学会の婦人は、こんなにも高尚こうしょうで、難しいことを毎日、研さんしているのか、と。
 それが、どれだけすごいことかを、当の本人が気がついていない場合があるが、真剣に「人生」を求め、「社会」に貢献していく姿は、学会には数限りなくある。
 ところで、東京富士美術館で開催されていた「黄金の17世紀フランドル絵画展」が、六月末、好評のうちに幕を閉じた。本来なら私自身がベルギーに行って作品をお返しし、関係者に御礼を申し上げたい気持ちであったが、多忙のため、代理として同美術館の高倉達夫副館長に、私の親書を託し訪問してもらった。
 その高倉副館長が、ブリュッセルで、ベルギーのドフレーニュ国家顧問、ドワール・フラマン連邦政府文化大臣らと会見した。その席で、ドフレーニュ国家顧問が私にぜひ伝えてもらいたい、と次のように語っていたという。
 「池田SGI会長の平和への行動については、よく知っています。だから、名誉会長を中傷する声には耳を傾けませんでした。偉大な活動には波浪がつきものです。私はSGI会長の平和・文化への貢献に心から賛辞を送らせていただきます」と。
 過分の称賛であるが、この席をお借りし、ドフレーニュ国家顧問の温かなご理解とご厚情に衷心ちゅうしんより感謝申し上げたい。
 また同国家顧問は、政治家である自己の信条として(1)つねに働き続けること(2)人には穏やかに、自分には怒りを持つほどに厳しく(3)きょうしかないという精神を持って、きょうの仕事はきょう片づける(4)いつも五十年先を思い続け、長期の展望と未来への希望を持ち仕事をする、との諸点を語っておられたという。
 やはり、一流の政治家は、一つ一つの言葉が、まことに含蓄がんちく深い。私は感銘した。
 このように素晴らしき方々のご協力を得て″フランドル展″が実現したことは、創立者として大いなる誇りである。
3  同志に贈る真心の詩は永遠に
 さて、私は過日、神奈川の友に一詩を贈らせていただいた。それに対し、神奈川のある詩人の方が私のために返礼の詩をみ、ご自身の詩集とともに早速届けてくださった。それは、このほど私が「国連栄誉表彰」を受け、またアメリカ連邦議会の「青年平和国際賞」を受けることを喜んでくださっての、祝福の詩でもあった。
 真心の詩を贈り、また詩を贈られる──殺伐さつばつとした世相にあって、こうした美しき「心」と「心」の世界を私は大切にしていきたいと思っている。
 イギリスの大劇作家にして詩人でもあったシェークスピアのソネット(十四行の短詩)に、次のような一節がある。
4   大理石も王侯の金の記念碑も
  この力ある詩より長くは残らない
  不潔な時によごれたちりにまみれた石の中より
  君はこの詩の中でもっと輝くのだ
  (西脇順三郎訳、筑摩書房「世界文学全集」66所収)
5  ──いかなる権力者が建造させた豪華な記念碑も、決して無常をまぬかれることはない。時とともに、いずれはちはて、消滅していく。それに対し、高貴にうたいあげた優れた詩は、時の風化を超え、はるかな未来へとうたい継がれ、伝えられていく。
 物体は、所詮、時間の経過とともに消えさる運命にあるが、うるわしき「心の世界」は、永遠に変わることなく、心の美の旋律をかなでていく。
 詩が永遠であれば、その詩にうたわれた人生、人間、歴史も、みな永遠であろう。
 私はこれまで、各国、また日本の各県、各方面に寄せた詩をみ、各地の友に贈ってきた。つたないものではあるが、これからも、さらに真心の詩作を続け、我が同志に贈りたいと思っている。それは、愛する友の健気けなげなる広宣の歴史を、確かに後世に伝え、顕彰けんしょうしていきたいとの思いからにほかならない。それこそ、民衆とともに歩む″妙法の桂冠詩人″の使命と、確信してやまない。
6  さて、神奈川のこの詩人は、平林敏彦氏。今年の八月で六十四歳になられる。
 平林氏は、知る人ぞ知る、″戦後詩の若き旗手″とうたわれた「青春の詩人」である。昭和二十年代、氏が発表した二冊の詩集『廃墟はいきょ』『種子と破片』は、戦後を象徴する作品といわれ、文学史に鮮烈な光彩を放っている。私も若き日にひもといた思い出がある。
 しかし、その後、氏は詩集を発刊されず、ノンフィクション(事実にもとづいた作品)を中心にした文筆活動を続けられ、多くの著作を残してこられた。人間への温かな「まなざし」に貫かれた、それらの作品の幾つかは映画化されてもいる。「べイカロスのつばさ」とか「菩提樹(ピパル)の丘」などである。
 ただ氏の積年のファンからは、詩作の発表を待望する声が少なくなかった。このほど、そうした期待にこたえ、実に三十四年ぶりに発刊されたのが詩集『水辺の光 一九八七年冬』である。私も一読させていただいた。
 平林氏の久しぶりの詩集の発刊は、大きな注目を集め、新聞でも取り上げられた。氏は、折にふれ、「詩人」として三十四年ぶりに復活した背景には「妙法との出あい」があり、学会員になった喜びがあることを、語られているという。
 妙法の偉大さ、また学会の真実を、自らの立場で、自分らしく実証していく。そして自身の確信を堂々と、率直に訴えきっていく。そうした姿は、まことに、すがすがしく、尊い。
 ともあれ、妙法の″青春の詩人″としてのご活躍を、私は心から祝福させていただいている。
7  「民衆の大地」で自身の歴史築け
 平林氏の入信は八年前ごろと聞いたことがある。また五年間にわたり、自ら聖教新聞の配達もされ、「守る会」の一員として、城の整備にも一生懸命、汗を流された。氏は庶民の第一線にあって、学会の同志と苦楽をともにし、堅実に信仰の道を歩み抜いておられるようである。
 だれにせよ、陰の労苦に、いとわず取り組んでいけるかどうか。人目につかないところで真剣に信仰に励んでいるかどうか。その一点に、本物かいなかの試金石がある。表面の目につく活躍のみでは、わからない場合があまりにも多い。
8  氏は現在、支部壮年長として、また以前、静岡に住んでおられた関係から、静岡県文芸部長としても活躍しておられる、という。有名であるだけで、どういうわけか、自分は特別扱いされるのが当然だと思っている人がいる。学会は信心の世界である。別に名声をきそう場ではない。そういう人は、たとえていえば、柔道の世界に入って、自分は絵がうまいんだから大事にしてくれ、頭がいいんだから、お手やわらかに等といっているようなものである。
 何の分野であれ、その世界に入れば、その世界の指導と訓練を受けるのが当然である。この、やさしい道理もわからないで、信心の指導を素直に聞けなくなり、退転していく人がいる。
 また、はじめから要領よく学会を利用していこうといういやしい心根の人間もいる。そして、うまくいかなくなると、正体を現して″反逆″したりする。これは久遠元初以来の方程式だから、けようがないし、達観し、見下ろしていくしかない。
9  氏からは何回かお手紙を頂戴ちょうだいした。その中に、こういう一節があった。私信ではあるが、氏の了承を得て、諸君の何らかの参考になればと思い、紹介させていただく。
 「……人は人、私は信心の『大地』でつちかわれた情熱を、いつまでも忘れず、ひたすら慢心をいましめて、広布のために戦う覚悟です」と。
 慢心という人間が最もおちいりやすい堕落への「急所」を押さえた自戒である。
 「信心の『大地』でつちかわれた情熱」──氏は、鋭き詩人の感性で、多くの「人生」と「人間」を見つめ、描いてこられた。それだけに妙法という「生命の大地」、また学会という「民衆の大地」に根を張った生き方が、どれほど崇高すうこうか、どれほど深く、正しいか、どれほど力強い人生となるかということを、心の奥底から実感してこられたにちがいないと私は思う。
 世間には、華やかに見えて実際には「根なし草」のように流されていくのみの″虚像の人生″も多い。また、自分は、それなりの信念に生きているといっても、「死」という根本問題の前には、あまりにも無力である。政治家も芸術家も、科学者も、自分の知識や力のみで「宿命」という課題を解決できるわけではない。
 「三世」「永遠」という次元に根ざして、その生命の深みから、人生の生きゆく力を限りなくくみ出していく。それには妙法という「生命の大法」による以外に絶対にない。
 正しき人生を真剣に探求した人ほど、その偉大さがわかる。苦労した人ほど、妙法の世界、学会の世界のありがたさが身にしみて理解できる。これ以上の充実した人生は、他の社会には、ありえないことを知っているからだ。
 ともあれ、氏は″青春の詩人″として、妙法によってよみがえった青春の清らかな強き炎を、そのまま生涯の総仕上げへの原動力にしようと決意されていると推察する。
10  かけがえのない、この人生。この一生を、何を「大地」として生きていくか。これこそ人間にとって、最重要ともいうべき課題である。
 「御義口伝おんぎくでん」を、私は入信以来、繰り返し、そらんじるほど拝読した。一文一文の内容を、また他の御書との関連も徹底して学び、信心の「心」に刻みつけてきた。この大哲理を奉じた以上、私は何ものも恐れない。
 その御義口伝の一節に、次のようにある。
 「自身法性の大地を生死生死とぐり行くなり」と。
 妙法を修行する私どもは、自らの「法性」「仏界」を「大地」としている。この生命最高の境界は、絶対に崩れない。私どもは、この「不壊ふえの大地」の上を、永遠に常楽我浄じょうらくがじょうの「生」と「死」を繰り返しながら、素晴らしき最高の″生命の旅″を満喫していくことができる。
 生まれても楽しい、死んでも楽しいという境涯で、悠々ゆうゆうたる王者のごとき三世の旅を続けていけるというのが日蓮大聖人の絶対の御約束なのである。
 反対に、この信心を破ることが、いかに恐ろしいか。
 提婆達多だいばだったは、破和合僧はわごうそうなどの三逆罪のために、生きながらにして「大地破れて地獄に入りぬ」と説かれている。
 大地が割れるという現証が史実としてあったかどうかはともかく、提婆の「法性の大地」が完全に破れてしまったことは、まちがいない。その象徴的表現とも拝される。
 また「大地は厚けれども不孝の者をば載せず」──大地は厚いけれども、不孝の者を大地の上にのせておくことはない──という厳しき御文もある。
 まさしく提婆は仏という「民衆の親」への大不孝の者であった。
 このように、破和合僧の徒は、もはや妙法の「大地」にとどまることはできない。生命の底知れぬ奈落へと墜落ついらくし続けていくほかない。そのことが、あまりにもかわいそうであるゆえに、大聖人の仰せのままに、厳しく指導せざるを得ない。
 列車にも軌道がある。軌道をはずれたら大惨事となる。ロケットにも軌道がある。少しでもそれると宇宙をさまようほかない。目には見えないが、空をわたる鳥にも飛ぶ軌道があり、魚にも泳ぐ軌道がある。星々にも厳たる運行の道がある。
 生命にも正しき「軌道」がある。この軌道に完全にのっとっていくための妙法の信仰である。
 この確たる軌道から、はずれてしまったならば、永遠に苦悩の境涯にさまよう以外にない。逆に軌道に合致した人は、我が信心の一念のままに縦横無尽じゅうおうむじんに、自在の人生を闊歩かっぽしていくことができる。
11  正義の証明は諸君
 ところで、平林氏が私に贈ってくださったのは、「青春」と題する長編詩である。この詩は同氏の了解を得て、近々、「創価新報」紙上に掲載される予定となっている。″詩など自分には関係ない″という表情の方もおられるようだが、時には美しい詩情に心をゆだねてみるのも大切なことではないかと思う。
 私自身のことになり恐縮ではあるが、平林氏の真心への感謝を込めて、ここで詩の一部を紹介させていただく。氏は次のようにうたわれている。
12   「そこに平和を希求する熱血の志士がいる
  なにものをも恐れぬ獅子がいる
  妙法に生き抜く桂冠詩人がいる
  その眼光は時代を透徹し 邪悪を砕き
  あるべき世界の明日を凝視みつめて」
  「名もなき大衆のたてとなり
  不屈な信仰のとりでを守り抜いて
  日々臨終の信念に生きる詩人は叫ぶ」
  「われら惑い多き人生の途上で
  い難き仏法に縁する福運に恵まれ
  民衆の血と涙で築かれた創価学会に
  卑小な身を置く幸いをいかに謝すべきか
  今 粛然しゅくぜんえりを正し
  さらなる共戦と報恩の誓いを胸に/先生の若き日をしのぶ」
  「われら何をもって
  この桂冠詩人の生きざまに応え得るか
  先生の『青春の火』を守り抜けるか」と。
13  平林氏は、戸田先生のもとで生ききった私の「青春」をうたってくださった。その燃え上がる「青春の火」が、今日の学会の原動力であるとたたえてくださっている。ありがたい真心の言葉である。
 これまで私は、広布のために「青春の心」のままに走り抜いてきた。民衆の「盾」となり、「屋根」となる覚悟で、何ものをも恐れず、広布の大道を進んできた。そこには一点の悔いもない。
 人生の価値は、どこまでも「青春の火」を燃やし続け、不撓ふとうの信念を貫いたか否かで決まる──。いわんや広宣流布は人生の最高の道である。
 いかにとりつくろっても、信心の世界を離れ、退転していった人々は、青春の炎を自らの手で消してしまったみじめな敗北の姿でしかない。
 青年部諸君は、若き日に誓った正義の道を一歩も退しりぞいてはならない。ひとたびともした「青春の火」を消すようなことがあっては断じてならないと、強く申し上げておきたい。
14  苦闘のなかにこそ大発展の因
 昭和二十六年五月三日、晴れやかな戸田先生の会長就任式──。この日を出発として、広宣の炎は燎原りょうげんの火のごとく燃え広がった。
 しかし、その夜明け前には、戸田先生と私の、二人だけの壮絶な苦闘があった。それは言語に絶する苦闘であった。当時、私は戸田先生の後を継ぎ世界の広宣流布への指揮をる、重大な責務を自覚していた。また戸田先生も、そのために全魂を注ぎ私を薫陶してくださった。
 嵐の中の青春にあって、私は毎週日曜日、さらには毎朝のごとく戸田先生から直接、御書講義をしていただき、御書の一節一節を生命に刻みつけていった。
15  その中に、「撰時抄」の次の一節がある。
 「此の二つの文の中に亦於現世・得其福報の八字・当於今世・得現果報の八字・已上十六字の文むなしくして日蓮今生に大果報なくば如来の金言は提婆が虚言に同じく多宝の証明は倶伽利が妄語に異ならじ
 つまり──法華経普賢菩薩勧発品ふげんぼさつかんぼっぽん第二十八の二つの経文の中に「亦於現世・得其福報(また現世においてその福報を得ん)」の八文字と、「当於今世・得現果報(まさに今世において現の果報を得べし)」の八文字がある。この十六字の経文がむなしくなり、日蓮が今生に大果報を得ることができなければ、如来(釈尊)の金言は提婆達多の虚言きょげん(=うそ)と同じになってしまう。多宝如来が法華経の真実を証明したことも、提婆の弟子・倶伽利くぎゃり妄語もうごと変わらなくなってしまう──と。
 そして「謗法の一切衆生も阿鼻地獄に堕つべからず、三世の諸仏もましまさざるか、されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ」──それでは、謗法の一切衆生も阿鼻地獄にはおちないし、三世の諸仏もいないことになってしまう。そんなことは絶対にありえない。それゆえ我が弟子等は、こころみに法華経に説かれている通り、身命も惜しまず修行して、このたび仏法が真実であるかないかを試みてみなさい──と。
 大聖人の仏法は、漠然ばくぜんと死後の救済を説く″夢物語″のような教えではない。この一生のうちに、必ず「成仏」という最高の果報を自分で実感することができる。また厳たる勝利のあかしを人生と社会に示しきっていくことができる。その約束をしてくださっている絶対の「大法」なのである。
 ゆえに大聖人は″身命を惜しまず、この仏法に生ききりなさい。そして自分自身で証明してごらんなさい″と仰せである。
 私もこの御聖訓のままに、妙法流布のために戦い抜いてきたつもりである。その結果、四十年後の現在、いかに感謝してもしきれない「福徳」と「果報」の人生となった。
16  この「撰時抄」に仰せの「日蓮今生に大果報」云々の御文について、日寛上人は、同抄の文段に次のように記されている。
 「既にこれ閻浮えんぶ第一の法華経の行者なり。既にこれ閻浮第一の智人なり。既にこれ閻浮第一の聖人なり。既に末法下種の教主とあらわれ給えり。あに大果報に非ずや」
 すなわち、日蓮大聖人は、すでに一閻浮提(=世界)第一の「法華経の行者」であられる。また、すでに一閻浮提第一の「智人」であり「聖人」であられる。さらに、「末法下種の教主」とあらわれておられる。この、一閻浮提第一の大聖人の御境界それ自体が、大聖人におかれての「今生の大果報」なのであると日寛上人は述べられている。
 釈尊にあっても、また天台にあっても、難は絶えなかった。いわんや、大聖人は、それとは比較にならない大難の連続の御生涯であられた。しかし、そのただなかに御本仏としての大果報を示された──。私どもの信心のうえでの本当の果報も社会的地位や、名誉、また財産などの外面の姿のみでは分からない。その人自身の生命の内実がどうか、つまり、境涯そのものにある。
17  壮大なる境涯、大果報の人生を
 戸田先生は、戦後の学会再建のさなか、ご自身の事業の挫折ざせつから、最大の苦境におちいられたことがある。
 多くの人が先生のもとを去っていった。非難の嵐のなかで、私は「先生、私がおります。ご安心ください」と申し上げた。そして先生のもとで全魂を込めて戦った。
 その渦中で先生は私に何度となくいわれた。
 「大作、仏法は勝負だ。男らしく命のあるかぎり、戦いきってみようよ。生命は永遠だ。その証拠が、必ずなにかの形で今世に現れるだろう」と。
 この先生の言葉はまさしく、「撰時抄」の「身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ」との御精神に通じる、胸奥からの叫びであった。
 また、先生の弟子である私の心にも、いささかの″愚痴ぐち″も″不満″もなかった。
 戸田先生の会長就任以降の、学会の発展は奇跡ともいうべきものであった。
 戸田先生の願業であり、当時だれびとも想像しえなかった七十五万世帯の達成も、その淵源えんげんは、最も学会が大変なこの時にあったのである。また、私の代での世界的発展の″因″も実は、この時にすでにつくられたと、私は確信している。
 同じ方程式のうえから、諸君も将来の大成のための″種子″を、現在の鍛錬、労苦の中で自身にしっかりと植えておいていただきたい。
18  創価学会の歴史も、難の連続であった。しかし、その中を、大聖人の御遺命のままに、広布に進んできたがゆえに、今日の大発展がある。
 今や、学会は、世界第一の大聖人の仏法を奉じる、世界的な「平和」と「文化」の民衆運動の王者となった。この事実の姿それ自体こそ、だれがなんと言おうと、現代における大聖人の仏法の「大果報」の証明にほかならないと確信する。また、そこには、正法とともに、学会とともに、広宣流布にまい進されてきた尊き妙法の同志であるお一人お一人にとっての大果報のあかしも、それぞれの人生に備わっていることはご存じの通りである。
 諸君は、これからの広宣流布の歴史の証明役を担っていく一人一人である。どうか、将来の学会の大いなる発展とともに、自身の人生における「大果報」の証明を果たしゆかれんことを念願してやまない。
19  また「撰時抄」に次の一節がある。
 「人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや」──ある人が人々のために路を作った。その路に迷うものがあるからといって、路を作る人のつみといえるだろうか、いやそうではない──と。
 この御文は、機根の悪い愚人ぐにんが大法を誹謗ひぼうして悪道にちてしまうならば、それは大法を説いた人の罪ではないか、という質問に対する答えである。
 それはそれとして、いつの世にも、先人が苦労して切り開いた道を、何の感謝もなく偉ぶって歩いていくだけの傲慢ごうまんな人間がいる。そうした人間に限って、自分のあやまちで道に迷ったのに、それを人のせいにしていくものである。
 そのような人生はあまりにも卑しい。愚劣な生き方であり、またむなしいものだ。諸君は、何かあると責任を人に転嫁てんかするような生き方だけは絶対にしてはならない。自らの使命と責任で、自分らしく「道」を開き、後世のために残しゆく一生であっていただきたい。
 ともあれ、大なり小なり苦労のない人生はない。苦労をさけたり、苦難から逃げるような弱々しい生き方であっては、人生に勝てない。諸君は、気の弱い、憶病な、神経質な青年ではあってもらいたくない。よい意味での「ても焼いても食えない」というか、″しぶとい″″骨太い″たくましい青年に、指導者に育っていただきたい。
20  先日もある国の要人と会見した。その人は、きれいな川でも、川底にいる魚が一匹でも動けば泥が舞いあがり、水をにごらす。今の批判も、そんなもので全くとるに足らないと言っていた。物事は内から見るより、外から見た方がよく見える場合があるものだ。
 低次元の妨害など悠々と見下ろしながら、全世界、そして宇宙をも見すえる大きい心で、雄渾ゆうこんの指揮をお願いしたい。
 御書に「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」──日蓮の弟子たちは憶病であってはならないのである──と。
 諸君は、「苦難」や「障害」の嵐があればあるほど、胸を張り、いやまして強盛なる信心で進んでいただきたい。どこまでも学会の中で生き、学会とともに戦い、学会の中で素晴らしい「大果報の人生」と「壮大なる境涯」を開きながら、尊い生涯を広布の炎のランナーとして走り抜いていただきたいと念願し、本日のスピーチとしたい。

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