Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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練馬区、村山圏合同記念幹部会 全民衆のために広宣流布を

1988.7.5 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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2  世界広布といえば、アジアやアメリカ、ヨーロッパ等の話は、よく耳にする。しかし、比較的、アフリカのことになると少ないように思う。これは不公平ではないか──先日、このような声があった。私も同感である。
 悠久ゆうきゅうの歴史と、無限の未来性をあわせもったアフリカ。その広大な天地にも、広宣の松明たいまつは着々とともされている。ガーナでは、今や五千人の友が妙法を唱え、アフリカ大陸の五十一カ国中、二十一カ国で、メンバーが活動している。
 むろん、まだまだ、わずかな人数である。だが、妙法の種子は、確かにアフリカの大地にかれ、着実に根を張り始めている。百年、二百年後の将来、これがどれだけ大きく広がるかは、計り知れないであろう。
 ともあれ、仏法は「一閻浮提いちえんぶだい」、すなわち全世界の民衆のための「大法」である。その大法をたもち、広宣流布に進まれているアフリカの友もまた、まぎれもない地涌の勇者の方々である。
 我が同志の大いなる活躍と、アフリカの限りない繁栄と発展を、私は心から祈っている。また私自身、そのために全力で行動し、働いていく所存である。
 アフリカのさまざまな大学、政府関係者等から招へいもいただいており、また同志の皆さまからも、ぜひ訪問をとの真心のお手紙をいただいている。将来、必ず訪問し、日本との一層の交流、そしてアフリカの繁栄へ何らかの貢献ができればと、私は念願している。
3  アフリカには、その限りない未来を開きゆく優秀なリーダーが、数多くいる。
 先日も、アフリカのある大使と会談した。種々語り合うなかで、豊かな見識を備えたすばらしいリーダーであると直感した。
 大使は、SGIの運動、理念についても深い理解を示され、また後日、ご厚情あふれるお手紙を送ってくださいた。
 本来、私信は他人に見せるものではないが、友好の深さという意味を込めて、ご紹介させいてただくと、そこには、私との出会いの印象として「ソロモンの知恵、偉大なるブッダの本質、ギリシャの偉大な哲学者であるソクラテスの謙虚さ、アーサー王の勇気、シェークスピアの知性、リンカーンの清廉せいれんそして、マーチン・ルーサー・キングの夢と信念」「詩人キップリングが『IF(もしも)』という詩の中でいみじくも表現した『国王らと共に歩みながらも、庶民的なものを失わない』その人」に相通じるものを感じたと記してあった。恐縮の限りであり、私への励ましの手紙と思っている。
 ともあれ、アフリカは、まさしく「二十一世紀の大陸」である。日本の青年部からも、さらにこの希望の大地で乱舞する俊逸しゅんいつが出ることを私は期待する。
4  大難の歴史にきざむ歴代会長の系譜
 さて、七月の三日は、ご存じの通り、戸田先生が出獄された日であり、また私が入獄した日でもある。師弟とは、まことに不思議なものだ。
 そして七月六日は、昭和十八年、牧口先生、戸田先生が逮捕たいほ、入獄された日である。本年、それから、ちょうど四十五年に当たる。
 また私の出獄は七月十七日。七月は、権力との戦いの歴史を刻んだ月である──。
 出獄と入獄の、このほまれの歴史こそ、初代から第二代、そして第三代という学会の厳たる系譜がある。そこに真実の学会精神は脈々と生き、流れている。これは、だれびとも否定できない確たる事実である。なお七月六日といえば、昭和四十四年、私が村山圏を訪問した日でもある。以来、村山圏では、七月六日を″常勝の原点″の日として、十九周年の今日まで、りりしく前進してくださった。
 私は、これまで数回おじゃましたが、昔は、たいへんに自然の豊かな、それ以外なにもないような、すばらしいところだった。どうやら最近は、皆さまのおかげか、住宅等も増えたらしい。ともあれ私は、緑すがしき村山の地が大好きである。
5  この意義ある七月という月にちなんで、紹介しておきたいのは、日亨にちこう上人の、次のようなお言葉である。
 日亨上人は、門下の七百年間の法難史をまとめられるにあたり、戦時中の創価学会への弾圧を″昭和の法難″として明確に記録にとどめ、後世に残してくださった。その中で、こう記されている(カッコ内は編集部注)。
 「昭和のはじめよりおこりし牧口常三郎、戸田城聖の創価学会が、にわか法運ほううん(=正法流布の勢い)を回復せしが、かえって非時(非常時)の国憲こっけん(=国家の基本法。この場合は治安維持法)に触れ、同十八年の法難を惹起じゃっきせし悲惨事ありしも、宗祖(日蓮大聖人)開山(日興上人)の聖代にかえれる信行両全りょうぜん(=ふたつとも完全であること)の現状をおもへば、広布の大願成就じょうじゅに近づくが如きおもひがく」と。
 つまり、牧口先生、戸田先生によって、正法流布が進んだが、国家権力による法難をうけてしまった。しかし戦後の今、「信」「行」の完璧かんぺきな実践がなされていることは、あたかも大聖人、日興上人が御在世の聖なる時代にかえったようであり、広宣流布の大願が実現することも近い気がする、との御言葉である。
 さらに戦後の様子に触れられている。
 「学会の復興もたちまちに成り、意気中天ちゅうてんに達し、全国到るところに新真なる会員が道場に充満し、幸福平和の新天地をひらければ、一時の劣等れっとうまた最勝国と成るべきか」と。
 すなわち再建された学会の意気は天をき、全国津々浦々まで新しく純真な会員が増え、幸福と平和の新天地を開拓している。この学会の前進によって、敗戦のために一時は世界の劣等国にした日本が、また最もすぐれた国になるにちがいないとの御断言である。
 学会の発展こそ、日本の宿命を転換し、繁栄させゆく原動力となるとの御予見であり、今や眼前の事実として、証明されていると、私は信ずる。
 次いで「法滅ほうめつ(=釈尊の仏法の功力が消滅すること)の末法たちまちに変じて正法広布の浄界と成り、広宣流布の大願成就近きに在り」と。
 日亨上人は、大聖人、日興上人の御精神を、そのまま現代に実践した牧口先生、戸田先生の生命をかけた戦いが因となって、学会の大発展があった。そして悪世末法のやみも、学会によって、広布の浄界に変じるにちがいないと称賛しておられる。
 学会は、まことに不思議なる仏意仏勅ぶっちょくの団体なのである。
6  さて、ご存じのように、牧口先生、戸田先生が不当にも官憲に逮捕されたとき、当時の学会の幹部たちは、憶病おくびょうにも、ほとんどが退転してしまった。
 それまで牧口先生、戸田先生をしたっていながら、ひとたび弾圧の手が伸びるや、逆に″あの牧口が″″戸田のやつが″と、口ぎたなくののしる者まで出た。そればかりか、御本尊を御不敬してしまう者さえいた。どうしてそこまで変わってしまうのか──人間の心とは恐ろしいものである。
 しかし、戸田先生は、厳としてただ一人、必ず牧口先生の遺志を継いでみせる、と固く、深く決意されていた。
 昭和二十九年十一月十八日、牧口先生の祥月しょうつき命日の法要の折、戸田先生は次のように語られる。
 「(牧口先生の逝去の報を聞き)あれほど悲しいことは、私の一生涯になかった。そのとき、私は『よし、いまにみよ!……もし自分が別名を使ったなら、巌窟王がんくつおうの名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう』と決心した……かならずや一生を通して、先生の行動が正しいか正しくないか、その証明をする覚悟です」と。
 「巌窟王の名を使って」とは、″悪の勢力は絶対に許さない。必ずあだを討ってみせる″との戸田先生の強い決意そのものであった。
 たった一人であっても、″本物″が残れば、再びそこから立ち上がることができる──戸田先生はこの原理を事実の姿で証明された。これこそ、師弟の「あかし」であり、私どもの永遠の精神でなければならない。
7  練馬区も村山圏も、地道な健闘を続けてこられた。どちらも、かつての″タテ線″支部の華々しい伝統を受け継いでいるわけではない。しかし、それだけに、″自分たちの手で、自分たちの力で、一歩また一歩の前進をしていこう″という、みずみずしい気概にあふれている。そして、それぞれ、″堅実″にして″誠実″なリーダーを中心に着実に広布の基盤を築かれてきた。
8  各地域で「信仰の勇者」「人生の王者」に
 ところで大聖人御在世当時には、門下の占める割合はどれくらいであったのか。そのころは、まだ統監部の方々は活躍されていなかったであろうし、はっきりした記録は残されていない。
 ただ弘安二年(一二七九年)十一月の大聖人の御手紙に次のように仰せになっている。
 「はじめは日蓮只一人・唱へ候いしほどに、見る人値う人聞く人・耳をふさぎ・眼をいからかし・口をひそめ・手をにぎり・をかみ・父母・兄弟・師匠ぜんう善友も・かたきとなる、後には所の地頭・領家かたきとなる・後には一国さはぎ・後には万民をどろく
 つまり、はじめは日蓮大聖人御一人が題目を唱えられていた。そうしたとき、見る人、会う人、聞く人は、いずれも耳をふさぎ、眼をいからし、あるいは、口をゆがめ、手を握りしめ、歯をかみ、父母、兄弟、師匠、善友等、近しい人たちまでもが敵対した。後には、故郷の地頭や領主も大聖人に敵対し、ついには国をあげて騒ぎ、万人が驚くありさまとなった。
 そして「或は人の口まねをして南無妙法蓮華経ととなへ・或は悪口のためにとなへ・或は信ずるに似て唱へ・或はそしるに似て唱へなんどする程に、すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経」と。
 大聖人が南無妙法蓮華経を唱えられるや、日本国中の人々が、さわぎ驚くこととなった。だが、そうした中で、人の口まねをして題目を唱えたり、悪口のために唱える者も出てきた。また、信ずるかのような姿をとって唱える人もいた──本心から信心をしようというのではなく、義理や、何かとの交換条件で題目を唱えるようになった人も、これに当たるだろう。また、誹謗ひぼうに似て唱える人も出てきた。
 この御文を拝するとき、当時の人々が、さまざまな動機をもち、いろいろな形をとりながらも、次第に南無妙法蓮華経に縁していった様子が、彷彿ほうふつとしてくる。
 こうして、すでに日本の民衆の十分の一は、ひたすら南無妙法蓮華経と唱えるようになった、と仰せなのである。
 しかし「のこりの九分は或は両方・或はうたがひ・或は一向念仏者なる者は・父母のかたき主君のかたき・宿世のかたきのやうにのしる、村主・郷主・国主等は謀叛の者のごとくあだまれたり」と。
 ──残りの十分の九のうちには、あるいは念仏と南無妙法蓮華経の両方を唱え、あるいはどちらにつくべきか迷う者もいる。あるいは、もっぱら念仏を唱える者は、日をまるで父母のかたき、主君のかたき、宿世のかたきでもあるかのようにののしる。さらに、村主、郷主、国主等の権力者らは、日を謀人のようにあだんでいる──。
 大聖人は「すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経」と仰せである。まさしく立宗以来、日本国の一割が、妙法を唱えるようになった、との重大な御言葉である。ここに、大聖人御在世当時の「題目の流布」の一端を拝することができる。
 以来、七百余年──。戸田先生は大聖人の御遺命のままに「御本尊の流布」に立ち上がられた。皆さま方もご存じのように、すでに、南無妙法蓮華経の題目は知られていた。いわば「題目の流布」はなされていたといってよい。しかし、南無妙法蓮華経の正しき法体、つまり御本尊を受持している人はいまだ少なかった。
 戸田先生は、当時、予想もできなかった七十五万世帯の折伏を宣言され、″もし、これができなければ、遺骸いがいを品川の沖に捨てよ″とまで厳然といわれた。まさに、生命をしての法戦であった。そして、大聖人へのお誓い通り、見事にその願業を実現されたわけである。
 戸田先生のあとを継いだ私は、それを超えること十倍以上の折伏・弘教の指揮をとり、全世界へと広げた。それが、師に対する当然の報恩の道であった。
 この未曽有みぞうの聖業に、ともに進んでくださった皆さま方の功徳は、永遠に輝いていくにちがいないし、三世の仏・菩薩、諸天の称賛はいかばかりかと喜びにたえない。
9  大地に厳然と根を張った大樹は、いかなる嵐にもらぐことはない。反対に立派そうな木であっても、根が弱ければたやすく倒れてしまう。
 信心も同じである。仏界という「生命の大地」に深く根差した確固たる信心の人は、いかなる悪縁にも紛動されない。ましてや退転などありえない。いくら先輩や幹部であっても、縁に紛動されたり、退転するのは、信心の根がしっかりと張っていなかった証拠である。
 皆さま方は、決してそうであってはならない。それぞれの地域における信仰の「勇者」となり、人生の「王者」となっていただきたい。わが胸中の尊極の「生命の大地」に深く、また強く根をおろしつつ、正法流布の誓願にどこまでも邁進まいしんしぬく人生であっていただきたい。
10  さきほど、大聖人御在世当時における御指南について申し上げた。もとより、日本の「十分の一」という確固たる正法の陣列が整えられたとしても、それで広宣流布の戦いが終わるわけでもない。
 それどころか、先ほどの御書に仰せのごとく正法に敵対する「憎悪ぞうお」と「悪口」はいよいよ増し、その包囲の度を強めてくる。さらには、権力を背景とした策謀も、次々とおそいかかってくる。大聖人御一人が開始された法戦は苛烈かれつであり、まさに「今に至るまで軍やむ事なし」なのである。
 広布の「法戦」である以上、ただ順調で何も障害もない戦いなどありえない。妨害があることは必然である。私どもは、どこまでもこの覚悟の信心でなければならない。山や谷があるからこそ、それを乗り越える楽しみや喜びがある。苦難の嵐を乗り越えてこそ、信心の醍醐味だいごみも知ることができる。
 気候にも寒暖があり、一日にも朝と夜があるように、すべては変化の連続である。自分自身も環境も、何の変化もないなどということはありえない。いわんや広宣流布途上のさまざまな障害は私どもの信心の正しさの証左である。
 どうか皆さま方は、大いなる広布の道が洋々と開かれていることを確信し、それぞれの地域にあって胸張り、堂々と使命の道を進んでいただきたい。
 最後に、皆さま方の今後のご健康とご活躍を、そして、お一人お一人の人生に栄光あれ、と心より念願しつつ、本日のスピーチを終わらせていただく
11  [1]ソロモンの知恵=紀元前九五〇年ごろのイスラエルの王。ソロモンは知恵にすぐれ、公明正大で、偉大な天賦てんぷの才を持つ王と伝えられ、イスラエル王国の隆盛期を築いた。
 [2]ソクラテスの謙虚さ=紀元前五世紀のギリシャの哲学者。当時、知者といわれた人たちが、自分の知識を誇示することに執着していたのに対し″人間は本来、何も知らない「無知」な存在である。その事を知る事、つまり「無知の知」こそ最高の知恵である″とした。
 [3]アーサー王の勇気=中世ヨーロッパ文学に登場する伝説的英雄。アーサー王は、サクソン人と戦い、しばしばこれを打ち負かした勇気ある王とされている。後世、数々の伝説が加えられ、膨大ぼうだいなアーサー王伝説となった。
 [4]シェークスピアの知性=十六世紀のイギリスの劇作家、詩人。世界演劇史上、最大の劇作家といわれる。有名な作品は、四大悲劇といわれる「ハムレット」「オセロ」「リア王」「マクベス」、また「ロミオとジュリエット」などがある。
 [5]リンカーンの清廉=アメリカ第十六代大統領。奴隷どれい解放、アメリカ民主主義の推進に信念をもって取り組み、最もすぐれた大統領の一人とされる。「人民の、人民による、人民のための政治」などの言葉が有名。
 [6]マーチン・ルーサー・キングの夢と信念=アメリカの黒人解放運動最大の指導者。激動の一九六〇年代にあって、「平等」の理想の実現に力を尽くした。ノーベル平和賞受賞。三十九歳でたたかいの半ばに暗殺される。
 [7]キップリング=十九世紀後半に生まれたイギリスの詩人、小説家。インドを題材にした作品が多く、人気を博す。イギリス人として初のノーベル文学賞を受賞。

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