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日蓮大聖人・池田大作

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第1回全国婦人部幹部会 生命本源の「自由」を勝ちとれ

1988.4.27 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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1  ″広布の母″婦人部に敬意と感謝
 本日は、「第一回」と銘打っての婦人部幹部会を心からお祝い申し上げたい。坂口婦人部長、高橋書記長のもと、婦人部の新しい船出を、私は「万歳!」と叫ぶような思いで祝福したい。
 ともあれ、家庭においても主婦が一家の太陽のごとき存在であるように、学会にあっても婦人部の存在が大きな「土台」となっている。婦人部が健在であれば、学会は健在である。
 その意味からも、さらに盤石な婦人部の建設を目指して、互いに支え合い、守り合いながら明るく、仲良く前進をお願いしたい。
 なお、きょうは「白ゆり合唱団」の美しい歌声を聴くことが楽しみであった。「心」は声に表れ、動作に表れるといわれるが、さすがに実力ある合唱に感銘を深くした次第である。
 さらに、本日は、「婦人部白ゆり大学校」「ヤング白ゆり大学校」が結成された。若いメンバーが、皆で研さんしあうことは、素晴らしいし、大事なことである。若き″広布の母″達の成長と未来の婦人部を担いゆく活躍に心から期待したい。
2  本日は、婦人部の新たな出発のときでもあり、何点か提案をしておきたい。まず、創価学会の「母の日」を設けてはどうかということである。
 日本やアメリカなどはご存じの通り五月の第二日曜日が「母の日」である。フランスの「母の日」は五月の最終日曜日となっている。フランスでは、カーネーションの花を贈る風習はないが、家族が真心の贈り物をもって、感謝の心を表すという伝統があるとうかがった。
 この「母」の恩に感謝を捧(ささ)げる″祝日″は、世界的な広がりをもって実施されている。まことに素晴らしいことである。
 そこで、学会で最も大切な記念日である「五月三日」を「創価学会母の日」としたい。そして、六月十日の「婦人部の日」とともに″広布の母″である婦人部の皆さまを最大にたたえ、その労を顕彰する日としてはどうかと思うが、いかがであろうか。
 ご主人や子供のために日夜尽くし、家庭を守り、さらに「法」のため、世界平和のために健気けなげ奮闘ふんとうされている皆さまである。五月は、世間で行う第二日曜日の「母の日」に加えて、学会の「母の日」を設け、婦人部の皆さまを二重に祝福する月としたい。
 この日は、例えば男性は皆、婦人部に真心の贈り物をするとか、最大に感謝を捧げる日としたいと思う。
3  次は、新時代の婦人部にふさわしい「新婦人部旗」を作製してはどうかということである。
 例えばフランスの国旗は青、白、赤の三色旗であるが、「自由・平等・友愛」を表すことはよく知られている。この「自由・平等・友愛」は、フランス革命のさいの革命運動の標語であった。つまりフランス国旗は、フランスの民衆の「勝利」と「栄光」の象徴ともいえよう。
 これは私の一案であるが、新しい婦人部旗のデザインを例えば「赤、黄、青」の三色旗にする。そして、それぞれの色に「和楽(赤)、求道(黄)、福運(青)」、あるいは「勝利、栄光、平和」、「太陽、知性、広宣流布」の意義を象徴させるというように、広布への″心″を込めたデザインにする。また、婦人部のシンボルの花ともいえる「白ゆり」を配してもよいのではないだろうか。
 ともあれ、執行部を中心に皆さまでよく検討していただければ、と思う。時代感覚にマッチした、明るい、鮮やかな色とデザインの旗を、まず婦人部から作ってはどうかと、申し上げておきたい。
4  フランス革命の底流に「自由」の精神
 さて、フランス革命の始まりから、明年で、ちょうど二百年になる。昨年一月、私は「フランス革命・人権宣言二百年記念委員会」のミシェル・バロワン会長と東京で会談した。
 バロワン会長は、残念なことに飛行機事故で亡くなられた。しかし、その折、語り合った内容は、氏の温厚な風貌ふうぼうとともに、今も鮮明に覚えている。
 なかでも、この「自由・平等・友愛」について、バロワン氏は、こう述べられた。
 「人間は本来、『平等』であり、『尊厳』と『自由』の存在です。そうした人間の徳が尊ばれる社会の実現のためには、『友愛』こそ大切です。そして『友愛』の実現のためには、『連帯』が必要だと思います」と。
 私は心から共感した。氏の言葉には、明快な論理とともに、借りものではない、強い信念の響きがあった。そして仏法にも通ずる、深い人間性への洞察があった。
 仏法においても、徹底して、一切の生命の「平等」を説く。差別など全くない。また生命の「尊厳」こそ仏法の根本思想である。
 さらに「友愛」は、仏法の慈悲に通じる。「平等」「尊厳」といっても、現実には慈悲の精神が社会の基調となってこそ、実現しうる。
 私どもの立場でいえば、その友愛ないし慈悲の働きを、より具体化して、友と友が互いに守り合い、励ましあっていくのが広布の組織である。この「連帯」のきずなの重要性を指摘したバロワン氏の識見は、さすがであると思う。
5  このように、フランス革命の理想は、人間にとって、まことに重要な基本を追求したものであった。本日は、このうち「自由」について、少々、触れておきたい。
 難解な部分もあるかと思うが、今日は二つの″白ゆり大学校″も結成され、大勢の優秀なメンバーが参加されていると聞く。それが事実かどうかは別にして、″大学″と名乗るからには、覚悟を決めて、幅広い勉強に挑戦していただきたい。
 また、そのメンバーでない方も、豊かな教養は一つの重要な力であるし、新しい時代のリーダーにとって大切な課題であると思う。
 自由とは何か。どうすれば人間は自由を楽しみきっていけるのか。古来から無数の賢人、哲学者らが、このテーマを追い求めてきた。
 いな、そうした理屈以前に、人間は誰しも自由にあこがれる。不自由や束縛そくばくをい、自由に生きたいと願うのは、人間本来の欲求である。「自由とは何か」を知らなくとも、自由が幸福のために無くてはならない条件であることは、誰もが知っているといってよい。
 そして、あらゆる人が自由を求めながら、真実の自由を獲得する人は余りにも少ない――。フランス革命もまた、その底流には、圧制のくさりち切ろうとの、自由を求める民衆の叫びがあった。
 こうした民衆の自覚を高め、革命へのエネルギーを用意するに当たって、大きな貢献こうけんをしたのは、革命に先立つ啓蒙けいもう思想家達の活躍であった。
 「思想」の力は巨大である。思想は人間を動かし、世界を動かす。広宣流布もまた一面、大思想運動である。民衆自身が、仏法の思想を正しく学び、実践していく――。その「学び」の波動を、いよいよ社会へ、世界へと広げていかなければならない。その意味でも本日の″大学校″の発足は意義が深いとたたえたい。
 啓蒙とは誤った偏見や迷妄めいもうを打ち破って、正しいものの見方、考え方を、多くの人々に分かりやすく説き、広めていくことである。
 私も今、本格的に思想を語り、人々の心に根づかせ、のこしていく作業に日夜、全力をあげている。すべて、万年の未来を見つめての、真実の宗教革命のためである。
 フランス革命は政治革命を中心とする社会の劇的な変革であった。その評価は評価として、時代の病はもはや、政治や経済、教育その他、社会の一分野の変革のみで決して救うことはできない。病根が深いほど、治療も根本的とならざるを得ないのが道理である。
 人類にとって、もっとも根本的な課題、それは人間自身の変革であり、生命そのものの解決である。それを実現するのが正しき仏法による「宗教革命」である。そして皆さま方こそ、その尊き先駆者であられる。
6  人生を自在に開く知恵と力を
 さて啓蒙思想家の代表といえば、やはりルソーとボルテールの名をはずすわけにはいかない。
 ルソーの思想の影響は、まことに多大であった。革命前に広く読まれた著作の一つに、これまでも何度か触れた「エミール」がある。
 そのなかで彼は述べている。「自由はどんな統治形態のうちにもない。それは自由な人間の心のなかにある」と。
 そして、その意味を語って「自由な人間はいたるところで自由もっている。卑しい人間はいたるところで隷属れいぞくしている。卑しい人間は<共和国>ジュネーヴにいても奴隷どれいであり、自由な人間は<専制君主国の首都>パリにいても自由でいる」と続けている。
 また「金持ちであっても、貧乏になっても、わたしはいつでも自由でいる。ただ、あの国、あるいはこの国で自由でいるというのではなく、地上のあらゆるところで自由でいるだろう」とも記している。
 これらの文からも、ルソーが根底において追求したのは、社会変革の原理であるとともに、それ以上に人間変革の理想であったことが見てとれる。
 環境も大事である。しかし環境がすべてであり、絶対なのではない。戸田先生は、牢獄ろうごくという、この世で最も不自由な環境の中で、永遠の自由の境涯を獲得された。
 皆さま方のなかにも、おしゅうとめさんにしばられ、子供にまとわりつかれ、ご主人や家事、仕事……すべてが、にっくき鉄の鎖に見えてくる経験をお持ちの方も少なくないと思う。
 また広布の活動についても、いつしか手足をしばられているような、重苦しい心になることもあるかもしれない。
 ″ああ、何て私は不自由なのか″。″私は夫や子供の奴隷ではない″等々――。
 しかし、他の気楽そうに見える人をうらやみ、そうしたところに行っても、真の自由はない。そのことをルソーは、ここで述べている。
 またボルテールは、フランスの社会制度を激しく攻撃し、革命のムードを大いに盛り上げた思想家である。彼は言う。
 「この自由という言葉で、人の欲する所をなす力と解する。
 これ以外の自由はない、又あり得ない」
 これは″自由とは力なり″といったイギリスのジョン・ロックの思想を踏まえた言葉である。自分がしたいと思うことを実行できる。自分の願いを実現する。その自分自身の持つ″力″にしか、本当の自由はないと。
 やはり、その人間自身に備(そな)わる個々の境涯に注目した思想であるといえよう。
 この思想を徹底しゆく時、″生命の変革による自由″を完ぺきに説き明かした仏法に通じていく。
 ″心の中の自由″――それは決して、「ものは考えよう」等といった観念的次元にとどまるものであってはならない。
7  御義口伝には「我等が一念の妄心の外に仏心無し九界の生死が真如なれば即ち自在なり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉る即ち自在なり」と仰せである。
 われわれ凡夫の迷いの生命を離れて、他のどこにも仏の生命はない。煩悩や宿業、苦悩にしばられた九界の生死も、妙法に照らされる時、本来ありのままの真実の姿をあらわし、「自在」の生死となる。すなわち南無妙法蓮華経と唱え奉ることによって、自由自在の生命活動となる――との御聖訓である。
 不自由に見える九界の現実の生活を離れて、どこか別世界に自由があるのではない。現実から逃避しても、他のどこにも真の自由はない。
 逃げ出すといっても、宇宙から逃げ出すわけにはいかない。何より自分の生命の外へ逃げ出すことは不可能である。
 その自分の生命が、宿命に縛られ、自身の弱さにとらわれ、苦しみに負け、誤った思想につなぎとめられているとしたら、いずこにいっても自由はない。
 大聖人は「今度生死の縛を切つて」と仰せである。生命を縛りつける迷いの″ばく″を断ち切るつるぎこそ、妙法の実践である。
 仏界の境界にこそ、真実の自由がある。三世にわたって最高に自在の境界がある。我が信心の一念通りに、自在に人生を開きゆく「力」と「智」に満ちてくる。妙法こそ事実の上に、真の「自由」を実現する無上の大法なのである。
 ルソーの他の重要な著作に「社会契約論」がある。
 「人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人々以上にドレイなのだ」――この冒頭の言葉は、人間の本来的自由の宣言として、歴史上、余りに有名である。
 社会的地位や権力をもって、自分を「他人の主人」とうぬぼれている人間を指して、実はだれよりも不自由な奴隷であるとしたところにルソーの真骨頂しんこっちょうがある。そうした人間は、自分自身の″慢心のドレイ″であり、″偏見と欲望のドレイ″であると見抜いていたのであろうか。
 またルソーは、「自分の自由の放棄、それは人間たる資格、人類の権利ならびに義務をさえ放棄することである」「意志から自由を全くうばい去ることは、おこないから道徳性を全くうばい去ることである」と書いている。
 自由は権利であるばかりか、人間の「義務」でさえあるというのである。自由なき奴隷には何の権利もなく責任もない。ゆえに自らの行為に責任をもつという道徳性も要求することはできない――と。
 自由なきところに、人間性の発現もない。自由こそ人間のあかしである。ルソーのこの叫びは、民衆の胸奥にこだまし、反響に反響を広げていった。
8  妙法こそ真の「自由」の大法
 ルソーの「自由」に対する思想に触れて、欠かすことができないのは、彼が自由とは″より大いなる全体″と一体になっていくことであると考えていた点である。
 彼は、それを「一般意志」ともよび「自然と秩序の永遠のおきて」とも呼んだ。
 「自然と秩序の永遠の掟が存在する。賢い者にとってはそれが書かれた法に代わるものとなる。それは良心と理性とによって心の底に記されている。その掟にこそ、自由になるために、賢い者は従わなければならない」と「エミール」で述べている。
 ルソーは、この自然と宇宙を貫く永遠の″法″を志向していたといえよう。賢者にとっては、それこそ、「書かれた法」すなわち人間が作った法律以上のものである。また、それは我が心と生命の奥底に、本来、しっかりと刻みこまれている。自由とは、この大いなる″法″に従うところにある。決して、むやみな放縦ほうしょうにあるのではない。それは自分の愚かな欲望のドレイとなることに過ぎない――。
 わかりやすく要約すると、このようにもなろうか。いずれにしても、深い英知の光は仏法の智に通じていくことを、あらためて実感させる言葉である。
9  再び御義口伝を拝せば「無作の三身も如来の寿も分別功徳も随喜も我が身の上の事なり、然らば父母所生の六根は清浄にして自在無碍なり」と仰せになっておられる。
 ――寿量品第十六で説かれた無作の三身も、如来の永遠の寿命も、また分別功徳品第十七で説かれた分別功徳(十界それぞれの煩悩を即妙法の功徳と分別すること)も、さらに随喜功徳品第十八の妙法の功徳への随喜も、すべて、ほかならぬ我が身の上のことである――と。
 仏法は一言一句すべて現実の生命、生活を離れることはない。決して抽象論、観念論ではない。
 そして――したがって(いま法師功徳品第十九で六根清浄が説かれている元意をいえば)父母から受けついだ現実の色心に備わる六根(眼・耳・鼻・舌・身・意の)は、本来、清浄であり、自由自在にして碍(さわ)りがない――との御断言である。
 この御聖訓のごとく、現実の人生で「自在無碍」の境界を開ききっていくための信心であり、仏道修行である。「妙法」に生き、「妙法」にのっとり、「妙法」を勇んで、唱え弘めていくところにこそ、真実にして永遠の自由はある。
 目覚めた「自由なる人間」となり、広々とさわりなき「自由なる生命」と輝き、無上の幸福と歓喜を心ゆくまで満喫まんきつしゆく「自由なる人生」の軌道へと入っていける。ゆえに何があろうとも、絶対に退転だけはしてはならない。
 ――フランス革命は、社会的自由への民衆解放の戦いであった。私どもの宗教革命は生命の永遠の自由への人間解放、民衆解放の戦いである。
 自由は座して待つものではない。戦い、勝ち取らなければならない。そのために、まず自らの胸中を制覇せいはする、お一人お一人であっていただきたい。自分自身に勝利した、その信心の「一念」を″本″として、一切が本末究竟ほんまつくきょうし、自在なる幸福境涯の生活をつくっていくからである。
10  一切は″祈り″から出発
 先日行われた文京の記念総会には、所用でどうしても出席できず、文京の皆さまには大変申しわけなく思っている。実は、その折にと予定していた話であるが、私が文京支部長代理として派遣されたときの戦いについて、少々、お話をしておきたい。
 私が文京支部長代理に任命になったのは、三十五年前の昭和二十八年四月二十日、二十五歳のときであった。
 この年には、日本ではご存じのように、吉田首相の″バカヤロー解散″があった。先日お話をしたユーゴスラビアのチトー大統領の就任もこの年である。また、アメリカではアイゼンハワー大統領の就任、ソ連のスターリンの死去、米英仏三巨頭のバーミューダ会談、朝鮮戦争の休戦協定成立など、日本も世界も、一つの大きな変動期にあった。
 戸田先生に師事して以来、先生は私を徹底して訓練し育ててくださった。私も、深き因縁を感じ、先生のもとで青春を戦い抜いた。
 事業の挫折ざせつで、非難の集中砲火を浴びられる先生を、お守りするために、身を粉にして戦った。戸田先生は「大作さえいれば」といわれていた。私も「先生、ご安心ください。必ず私がやりとげますから」と深く心に誓っていた。
 その後も先生は「いつ倒れても、大作がいれば大丈夫だ」といわれていたが、先生と私の、人知れぬ苦闘の中から、今日の学会の大発展の道が開かれてきたと確信している。
11  先生は、「時」が来るまで、私を表に出そうとはされなかった。組織でも決して高い役職にはつけられなかった。「そろそろ出そうかな。いや、まだだな」と、思案されていた先生の心を私はそばにいてよく知っていた。
 その先生が、ついに「懐刀ふところがたなの大作をいよいよ広布の第一線にだそう」と決断される。そして昭和二十八年、男子第一部隊長に任命され、さらに文京支部長代理として私を派遣された。
 いよいよ″巣立ち″である。″さあ、広布の大空へ舞いゆかん″と私は、法戦の陣頭じんとうに立った。そのときは青年部の参謀さんぼうも兼任、さらに戸田先生の会社の営業部長もしており、いくつもの重責を担いながらの法戦であった。
 それから半年後の日記には「たたかえ、されば魔は退散せん。進め、されば、雲を破り、仏界の朝日は、必ず出でなん」と記している。
 また文京支部の同志への思いを、次のようにつづっている。
 「皆、元気である。
 うれしい。ただ、各自の生活のことが心配でならぬ。しかし、皆、功徳に輝いた顔である。よく成長したものだ。よく自分と一緒に戦ってくれた。感謝にたえぬ。その顔、その人、その功績をば、妙法は、永久に照らすことだろう。
 私も一生涯、決して忘れない」。
 共に戦った文京の同志のことは、生涯忘れることはできない。いつまでも「幸せ」で「ご長寿」であれと今でも題目を送っている。
12  文京支部長代理に就いたとき、文京は最下位の低迷した支部であった。折伏も月八十世帯がやっとであった。しかし、支部に人材がいないわけではない。力のないわけではない。私は、一人一人に自信と勇気、希望を与えながら支部内を駆けめぐり指揮をとった。
 ギアのはまった車輪は、いかに大きく重いものでも、必ず回転をはじめる。信心のギアの固くかみあった文京支部は、生まれ変わったように前進をはじめた。当初、支部の人々が夢のように考えていた月二百世帯の折伏も、わずか五カ月後には達成。この年の十二月には、だれも想像しなかった四百世帯を超えた。
 喜びは喜びを呼び、前進につぐ前進の文京支部であった。その波動は全国へと及び、戸田先生は大変に喜んでくださった。やがて、文京は全国一の弘教を成し遂げ、第一級の支部へと発展していく。
13  昭和二十七年、蒲田支部での活動も広布の発展への一大″原動力″となった。
 当時、各支部の弘教は遅々として進まない。先輩の最高幹部もそれぞれの支部で戦っていた。だが、戸田先生は、思い通りに進まない弘教に、やきもきされていた。「これじゃ広宣流布といっても、一億年はかかる」とさえ、言われていた。
 この年の一月、戸田先生は、私を蒲田支部幹事として派遣された。当時、第一級の支部でも月百世帯前後が折伏の限界であった。それを蒲田は二月に、二百一世帯の弘教を成し遂げた。他の支部では目を見張り、驚いた。それが起爆剤となって、各支部の活発な活動へと連動していった。後に学会の伝統となった「二月闘争」は、このときの戦いが淵源えんげんとなっている。
 文京が歓喜と前進の中で迎えた第二回支部総会(昭和二十八年十一月一日)で、戸田先生は次のように指導された。
 「牧口先生が倒れても、先生の後、私は広宣流布に身命を捨てている。感心せずについてこなければだめです。きみらがついてこようとこまいと、私はやっていく」と。
 私には、このときの戸田先生の姿が、昨日のことのようにありありと思い浮かぶ。肺腑はいふをえぐるようなこの言葉を、決して忘れることはできないし、現在の私の心境も全く同じである。
14  ところで、文京支部の日本一への大前進は、一体どこに出発点があったか。
 それは「祈り」である。まず幹部が題目三唱の「祈り」の呼吸を合わせることから始めたのである。この点は、小説「人間革命」にも記したが、私はいかなる戦いにおいても、御本尊への強く深い祈りから出発した。そこに不可能を可能とする道が豁然かつぜんと、開かれていくからである。
 リーダーは、この「祈り」を忘れてはならない。個人にあっても、一家にあっても「祈り」が大事である。「祈り」こそ一切の打開と勝利への源泉である。また魔と戦い、魔を打ち破っていくとの強い「祈り」の一念があるかどうか、ここに信心の精髄せいずいがある。
 医師は、身体の異常の有無をみる。だが、心の世界がどうか、奥底の一念がどうかをみていくのが、仏法なのである。そして、すべてはこの目に見えない奥底の一念の変革から出発する。
15  正法守り弘める人に諸天の加護
 妙法を唱え、行ずる地涌の勇者を、一切の仏・菩薩・二乗・諸天善神が守護することは、法華経の会座えざにおける絶対の約束である。そして、末法の行者を守らんとするその誓いは、苛烈かれつなまでに峻厳しゅんげんなものであった。
 それは、むろん、法華経を説き、衆生を得道に導いた仏の大恩に必ずや報わんとの、切なる心情からであった。とともに、諸天等の報恩の誓いが、「法華経のかたき」に対する烈々たる闘争の気概にみなぎっていたことを見逃してはならない。
16  日蓮大聖人は、その点について、「祈祷抄」に次のように仰せである。
 「かかるなげきの庭にても法華経の敵をば舌を・きるべきよし・座につらなるまじきよしののしりはべりき、迦葉童子菩薩は法華経の敵の国には霜雹となるべしと誓い給いき、爾の時仏は臥よりをきて・よろこばせ給いて善哉善哉と讃め給いき
 釈尊が入滅を前にした時のことを述べられた御文である。
 ――そうした嘆きのなかにあっても、その場に集った人々は、「法華経の敵の舌を切るべきである」「法華経の敵とは一座に連なるべきではない」などと大声で言い立てた。迦葉童子菩薩は「法華経の敵の国には霜やひょうとなって責めましょう」と誓った。その時に仏は、わざわざ起きて喜ばれ、「きかな善きかな」とほめられた――。
 釈尊は、八年にわたり法華経を説いたあと、自らの入滅を予言する。その報はまたたく間に広がり、人々の心は大きく動揺し、悲しみに染まった。
 そうしたなかにあって、門下は、ますます「法華経の敵」に対する闘争心を燃やし、果敢な法戦を誓った。釈尊は、その決意を聞き、ことのほか喜んだという。
 御文は続く。
 「諸菩薩は仏の御心を推して法華経の敵をうたんと申さば、しばらくも・き給いなんと思いて一一の誓は・なせしなり
 ――この姿に諸菩薩は、仏の心を推し量って「法華経の敵を討とうと申し上げれば、釈尊は喜ばれて、少しでも長生きしてくださるだろう」と思い、一人一人、誓いを立てた――。
 何という美しき師弟の姿であろうか。一日でも長く師に生きていただきたい。わずかでも喜んでいただきたい。そのためには、どのような正法の敵対者とも、勇気をもって戦っていきましょう――そうした弟子達の健気けなげな心づかいが、痛いように伝わってくる。また、「師弟」という最も崇高すうこうにしてうるわしい人間の絆を、ここに見る思いがする。
17  そして、大聖人は、諸天等が末法の行者を必ずや守るであろう理由として、次のように結論されている。
 「されば諸菩薩・諸天人等は法華経の敵の出来せよかし仏前の御誓はたして・釈迦尊並びに多宝仏・諸仏・如来にも・げに仏前にして誓いしが如く、法華経の御ためには名をも身命をも惜まざりけりと思はれまいらせんと・こそ・おぼすらめ
 ――それゆえ諸菩薩・天人等は「法華経の敵よ、いで来たれ。仏前のお誓いを果たそう。そして釈尊、ならびに多宝仏、諸仏、如来から″実に仏前の誓い通りに、法華経の御ためには名をも身命をも惜しまなかった天晴(あっぱ)れの者である″と思われたい」と心中に期していたのであろう――。
 ゆえに、末法において、広布のために障魔と戦う人を、諸天が守護することは絶対に間違いないと、大聖人は御指南されている。
 この御文は、釈尊の最期の入涅槃にゅうねはんと、その時の説法をしるした「涅槃ねはん経」にもとづいての仰せである。入滅という最も厳粛な場において、「法華経の敵」を厳しく見定められた甚深たる慈悲をしのぶ思いがする。
 仏法は、現実社会から遊離した空理空論ではない。「仏法は勝負」であることを、どこまでも銘記しなければならない。
18  奥底の一念が現実を決する
 大聖人が繰り返し仰せの通り、妙法受持の私どもには、三障四魔が紛然と競い起こる。このたゆみなき闘争にあって、魔の軍勢と戦い、克服していくべきは、信仰者として、避けられぬ使命であり、責任である。
 まさに「法華経の敵」と戦うことを願い求めた諸天は、この決定けつじょうした一念の人にこそ応じ、その力用を全面的に発動していくにちがいない。妙法の無量無辺の功徳と福運は、この厳然たる「師子王の心」の人に薫り、永遠の″生命のにしき″として輝いていくのである。
 大聖人は、「十八円満抄」のなかで次のように仰せである。
 「予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮しょせん時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし
 ――我が弟子達は、私と同じように正法を修行しなさい。智者や学匠の身となっても、地獄におちてしまっては、何になるだろうか。結局は、時時念念に南無妙法蓮華経と唱えなさい――と。
 たとえ有名人となり、社会的評価を得ても、地獄におちたならば、何にもならない。ゆえに信心こそ大事なのである。
 目に見えざる世界を確信していくのが信心である。目に見える世界のみを追う人は、往々にして功をあせり、虚栄と形式に流される。
 奥底の一念は見えない。しかし、その一念は三千羅列(られつ)の目に見える姿として厳然と現れ、人生の「勝敗」を明らかにしていく。これが仏法の厳しき因果である。それをどこまでも確信しきった人が、最後の、しかも永遠の勝利者となるにちがいない。
19  ″永遠の幸福″のための信心
 戸田先生は、昭和二十七年三月二日、杉並支部の第一回総会の席上で次のように指導されている。
 「……いろいろ事件が起こる。このときこそ大切なときなのである。
 兄弟抄に、『魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云』とある。
 この魔に負けたら、成仏できないのである。
 四魔のなかで、天子てんじ魔というのは、信仰をやめなければならぬようにするのである。このときが、大利益を得るか、いなかのせとぎわなのである」
 魔が競い起こる時とは、まさに大利益、大功徳を受けられるかどうかのさかいなのである。
 戦後の学会再建期にあって、戸田先生は、さまざまな難にあわれた。だが、私は、断じて先生を守ろう、と決意した。広布のためゆえの難である。広布に一生をかけて生き抜こうとするならば、難は必ず乗り越えられると確信していた。
 私もまた、これまで幾度も難にあった。しかし、信心ですべてを乗り切ってきたがゆえに、大功徳を受け、広布の大道を悠々と歩んでいける。
 戸田先生はさらに続けて「このことは、ふだんこうして話しているときはわかるが、いざ、自分が問題につき当たったときには、忘れてしまう。
 成仏というのは、すごい境涯である。その証拠として、死ぬ前に、ほんとうの歓喜の生活が送れるのである。……いま幸福をつかまなくて、いつ、そのときがあるのか。ますます信心を強盛にして、永遠の幸福をつかまれんことを」といわれている。
 皆さまにも、さまざまな苦難のときがあるだろう。しかし、そのときこそ、宿命を転換し、大功徳を受けるときと確信して、師子王のごとき信心を貫き通していただきたい。
 最後に、皆さまは正法を信じ、正法を行じ、弘め、正法の功徳に包まれながら、尊き人生を楽しく生きゆくお一人お一人であっていただきたい。
 そして、婦人部の皆さまが、一人ももれなく幸福であり、安穏であり、健康であり、長寿であられんことを心からお祈りし、私のスピーチを終わらせていただく。

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