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日蓮大聖人・池田大作

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神奈川広布37周年記念本部長会 強靱な心、美しい心を

1988.4.16 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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16  ところで、女史の母・楊振徳ようしんとくさんについて、月刊誌「人民中国」(一九八七年十一月号)に紹介されているいくつかのエピソードを話しておきたい。
 ――当時、中国は革命のさなかにあり、女史も若いころ(十代半ば)から革命運動に参加していた。そのため母と娘が一緒にいられる時間はほんのわずかであった。しかし、母娘二人は、絶対の信頼と深い愛情で結ばれていた。
 若き周恩来総理との結婚話がもちあがった時も、母は娘に全幅の信頼をおき、すべてを任せている。このこと自体、結婚相手は親が決めるものとされていた当時にあって、大変に珍しいことであった。
 これについて母親の楊さんは、「結婚については、自由のない苦痛を娘には味わわせたくなかったからであり、肩を並べて戦うなかで生まれた二人の深い愛情は、時代の流れの試練に負けることはないと信じていたからである」といっている。
 推測するに、楊さんは――周恩来、あなたも革命児である。それから娘よ、あなたも革命児である。同じ革命に生きる人間として、ともに民衆のために立派に戦い、ともに試練にぶつかっていきなさい――という思いではなかっただろうか。いずれにせよ、″母は偉し″の感を強くせざるをえない。
 また、楊さんは逝去の前年、長年の過労のため病に倒れる。何日も高熱が続くが、「それでも、一キロほど離れたところにいる娘には知らせなかった。娘もからだをこわし、しかも仕事が忙しいことをよく知っていたからである」と伝えられている。
 なんと麗しい、母と娘の絆であろうか。「民衆のため」という大目的に身も心も投じていくいさぎよい生き方――そのなかに本物の人生の輝きもある。また親が子をいつくしみ、子が親をしたう思いも、すべてが、その歩みのなかで、より大きな価値へと昇華しょうかされていくにちがいない。
 大聖人が私どもにお示しくださっているのは、「広宣流布」という大目的に向かって「不惜」の実践を貫いていく決定けつじょうした信心である。ここにこそ、人間性の真髄もあるといってよい。
 女史の母の最後の言葉は、「わたしは普通の人、構うことはありません」というひとことだったという。まさに、「平凡」にして「偉大」なる彼女の生涯を如実に表す、胸に迫る言葉である。
 ともあれ、皆さま方は、末法の真実の仏道修行であり、成仏への直道である折伏行に、日々、たゆみなく励んでおられる。
 その地涌の菩薩の眷属として、ひたすら広宣流布にまい進されている皆さま方の永遠なる「栄光」と「幸福」と「大福運」を心より祈り、本日のスピーチとさせていただく。

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