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日蓮大聖人・池田大作

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第1回和歌山県記念総会 「常楽我浄」と人生飾れ

1988.3.24 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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2  和歌山は、海も、山も、自然そのものが「和歌」であり、美しき詩歌しいかの天地である。
 私にとっても、この地は、青春時代からのあこがれの地であった。若き日の日記に、私は「あこがれの和歌山」との一言をしるした。
 また、次のようにつづった日記もある。
 「秋晴れの、大海原に、太陽の光。
 神々こうごうしき、金波、銀波の絶景に、しばしみとれる。
 海岸線に沿って、一船かりて、一周する。皆も、本当に楽しそうだった。われもうれし。(中略)……田辺にて、七時より、質問会。千数百名結集とのこと。只今臨終の思いで──全力を傾注して指導を」
 この詩情薫る天地で、私は草創の同志と数々の金の思い出を刻んだ。記念のカメラにも納まり、また未来に思いをせ、ともに語り合った。
 二十八歳、二十九歳と、和歌山市と白浜を訪れて以来、私の訪問も、すでに約二十回。この間、苦も楽もともにしながら、黄金の日記をつづることができたことを、私は生涯、忘れないであろう。
3  この素晴らしき「紀の国」の国土を、いにしえよりどれほど多くの詩人達がうたい、讃えてきたことか。
 『万葉集』(巻六)にも、山部赤人やまべのあかひとが「和歌の浦」と鶴を詠(よ)んだ一首──「若の浦に 潮満ちくればかたみ あしべをさして 鶴(たづ)鳴き渡る」をはじめ、紀州に関する歌が百五十首にも及ぶ。なかでも、ここ「紀の湯」(白浜・湯崎温泉)へ向かう海辺の道で、「紀の海」をうたったものが多いようだ。
 俳聖・松尾芭蕉ばしょうも、次の名句を残している。
 「行春いくはるに わかの浦にて 追付(おいつい)たり」
 旧暦三月末の晩春のことである。芭蕉は、奈良の吉野から紀州路へ入り、和歌の浦を訪ねた。そこでようやく、去りゆかんとする春に″追いつき″、春の風情を堪能たんのうすることができた、というのである。
 さすがに、心憎いまでに巧みな表現である。山あいの道から、眼前に洋々と開けゆく紀の海。光さんたる大自然のなかで、「春」を心ゆくまで味わう芭蕉の心が、生き生きと伝わってくる。
 先日、私は、白浜へ向かうため、大阪・天王寺駅から列車に乗った。大阪の街には、冷たい雨が降り注いでいた。が、「くろしお」号が、南へ、南へと足を延ばすにつれ、空は徐々に光彩を増し、雲は晴れ、陽光に輝く山と海の眺望ちょうぼうが開けてきた。何たる絶景であろうか。車窓から私は、あらためて紀の国の美しさに感銘を深めた。そして、春夏秋冬、この光に満ちた和歌山で暮らせる皆さま方を、心からうらやましく思った。
4  広々と深き境涯を妙法で
 この研修道場も、和歌山の同志ともの尊い真心で、新装され、見事に生まれ変わった。信心錬磨の場にふさわしく、一段と荘厳にしてすがすがしい道場となった。
 その光景を目にし、私はふと、「聖愚問答抄」の一節を思い浮かべた。
 「一つの巌窟に至るに後には青山峨峨として松風・常楽我浄を奏し前には碧水湯湯として岸うつ波・四徳波羅蜜を響かす深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕し広野に綻ぶる梅も界如三千の薫を添ふ
 同抄では「聖人」と「愚人」の対話という形で、問答が進められ、法華経の最勝たるゆえんが述べられていく。ここは、真実の成仏の法を求め、さまよう「愚人」が、法華経を読誦どくじゅする「聖人」の住処にたどりつき、その国土の様子がつづられたところである。
 ──一つの巌窟に行きついたところ、後ろには青山が高くそびえ立ち、松風は「常楽我浄」をかなで、また前には青く澄んだ水が、ゆったりと岸に波打ち、「常楽我浄」の四徳波羅蜜を響かせている。深き谷に一面に開いた花も中道実相の色をあらわし、広野にほころぶ梅も一念三千の薫りを添えている──と。
 後ろには風そよぐ青山。前方には寄せ返す波のつづみ。また、「中道実相の色」とは、花がその特質を発揮し咲ききった、生命本来の鮮やかな色彩を表していると拝されよう。この道場の花々も、明るい光のなかで、幸を謳うかのように誇らしく咲き薫っている。
 妙法は、私どもの生命を清め、限りなく境涯を深めゆく大法である。大聖人門下として真剣に唱題し、行学の実践に真摯しんしに励んでいく時、御本尊の力用により、「常楽我浄」という、生命の最高境涯を築き、満喫まんきつすることができる。
 松風や波の響きにも、妙法の歓喜の鼓動を感じる。また一輪の花の色にも、梅の香りにも、妙法の幸の色彩や馥郁ふくいくたる芳香を楽しむ。
 このように、森羅万象のことごとくが、妙なる音楽となり、名画となって、生命に感じ刻まれていく。自然とも、また人間とも、自在に対話し、魂の交流を深めゆく清浄なる生命。この尊く、豊かな生命境涯をつくるものこそ、仏法にほかならない。
5  幸、不幸を決する一念の作用
 さて「心というものは、それ自身一つの独自の世界なのだ、――地獄を天国に変え、天国を地獄に変えうるものなのだ」(『失楽園』平井正穂、岩波文庫)とは、ジョン・ミルトン(一六〇八年〜七四年)の言葉である。ミルトンはシェークスピアと並び称される、十七世紀イギリスの大詩人であった。
 彼は、青年時代から一流の詩人を目指して研さんを重ねていた。その若き日の詩には、『快活な人』『沈思の人』などの著名な作品がある。
 当時のイギリスにおいて、彼は宗教改革の精神に立ち、国王を頂点とするイギリス国教会に対抗したピューリタン革命に身を投じる。が、やがて起こった王政復古のために追放されてしまう。加えて、妻に先立たれ、また自身も失明するという悲運が重なる。だが、いくつもの人生の険難を乗り越えたその晩年に、彼は、イギリス最高の叙事詩とたたえられる『失楽園』を書き残す。
 自らの心が、「地獄」を「天国」に、また「天国」を「地獄」に変えることができる──このミルトンの言葉は、仏法の一念三千論にも、一分通じる、彼の深い思索の一つの到達といってよい。
6  世界がどう見えるか。また人生がどのように感じられるか。それは、ひとえに一人一人の境界きょうがい世界によって決まる。
 御書には、「餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり」と仰せである。
 同じ恒河(ガンジス川)の水でも、餓鬼道の者には火と見え、人間には水、そして天人には甘露と見える。見る者の果報によって、全く見え方がちがうのである。
 果報とは、過去の業因によってもたらされた、現在の生命境涯である。その生命のあり方そのものが、外界の世界の見え方、感じ方を決めていく。
 同じ境遇でも、幸福を満喫する人がいる。また耐えがたい不幸を感じる人もいる。同じ国土にいても、素晴らしき天地として我が地域をこよなく愛する人もいれば、現在の住処を嫌い、他土ばかりに目を向ける人もいる。
 仏法はその自身の境界世界を高めながら、確かなる幸福と社会の繁栄を築いていくための″法″である。さらに国土自体をも、「常寂光土」へと転換していける「事の一念三千」の″大法″なのである。
 しかも、常住の大法にのっとった福徳、喜びは、決して一時的なものではない。樹木が年々、着実に年輪を増していくように、その福運は生命に蓄積され、三世に薫りを放っていく。反対に、世間的な富や名声、また快楽というものは、一時的には、いかに華々しくとも、はかない、刹那せつなのものである。
7  先ほども述べた通り、この和歌山は、美しい自然に恵まれた、憧れの天地である。そこに住む皆さま方は、本当に幸せである。またそうなっていかねば不幸であり、損である。そのための信心である。
 ともあれ、愛する和歌山の皆さま方は、自然を、人生を、生活を楽しみきっていける、大詩人も及ばぬ大境涯の人となっていただきたい。そして、一人一人が「常楽我浄」の薫風を放ちながら、この素晴らしき天地に偉大なる″幸の王国″を築かれんことを心から念願する。
8  高遠な目的観と生への意欲を
 話は変わるが、日興上人が弟子の了性房に与えられた御手紙の中に、次のような一節がある。
 「いをとりやまいものにはそうろうて、いのちけて仏法ひろめ給へ」(『日蓮宗宗学全書 第二巻』日蓮宗学全書刊行会)
 ──魚肉でも、鳥肉でも、病人の養生になるものならば、遠慮なく食べさせてあげなさい。そして健康体に回復して、はつらつたる生命で仏法を弘めていきなさい──と。
 この御文は、日亨上人が詳しく講義されている。当時、若き門下に何人か闘病中の人がいた。日興上人は、そうした未来ある青年僧の養生法について、ことこまかに心をくだかれていた。そして、当時の仏教界で一般的であった僧侶の肉食禁止を病人にまで押しつける必要はない。むしろ栄養をつけて、早く元気になって「大法弘通」のために働きなさい、と仰せになっている。
 医学も未発達であった当時、栄養をつけることがせめてもの養生であったろう。病気で苦しむ人には、そうしたできる限りの看護をしてあげなさい、との日興上人の温かい御言葉である。
 今日では、肉のとり過ぎは要注意とされ、逆に野菜などバランスのとれた食事が要望されている。時代の違いといえば違いである。
9  ここで申し上げたいことは、大聖人の仏法は人間を束縛そくばくし、苦しめる権威や形式とは無縁である。どこまでも人間を大切にし、悩める人々の一人一人に即して発想し、展開されていくということである。病気の若き門下に対して、健康のために肉を食べることをすすめられた日興上人の温かな励ましも、そうであった。
 病気で悩んでいる人には、その状況に応じた激励を、また、家庭不和や人間関係で苦しんでいる人には、それぞれに即した指導やアドバイスが大事となる。″金欠病″には″金欠病″らしい対応が必要である。こうした生活次元、社会的次元において、融通無礙ゆうずうむげなのが大聖人の仏法である。
 生身の人間であるし、信心をしていても病気になる場合も当然あるだろう。宿命による場合もある。また幹部で病気になったからといって必ずしも信心が弱いということにはならない。決して恥ずかしく思う必要も、卑屈になる必要もない。
 車でも、どんな機械でも、長く使えば次第に故障が出てくる。人間だけが永遠に″鉄人″みたいに病気ひとつしないというわけにはいかない。その時には、十分に静養し、最善の治療をすべきである。仏法は道理である。信心しているからこそ、すべてに価値的な生き方が大切なのである。
 また、私も対談したこともあるノーマン・カズンズ氏は次のように言う。
 「創造力と長寿について、またその両者の結合について考え始めたのは、もっとも重要な点で瓜二つの人物、すなわちパブロ・カザルスとアルバート・シュヴァイツァーという二人の実例を見たからであった。
 わたしが初対面の時、二人ともすでに八十代の老人であった。しかし二人ともはち切れんばかりの創造力に満ちあふれていた。二人とも世の中の人に役立つ自分の事業を持ち、それに打ちこんでいた」(講談社刊「500分の1の奇蹟」松田銑訳)と。
 カザルスとシュヴァイツァーの二人は、まさに感嘆すべき創造力と長寿の人であった。いうならば、人は価値の創造に生きるとき、驚くほど高齢であっても、充実の人生を送ることができる。
 パブロ・カザルスは、スペインのチェロ演奏家であり、指揮者でもあった。彼が結成した「カザルス・トリオ」は、今世紀最高のピアノ三重奏団として、高く評価されている。彼は昭和三十六年に来日したことがあり、多くの人々の称賛を受けた。その後、彼は実に九十歳にいたっても、指揮をとり続けている。
 また、アルバート・シュヴァイツァーは、皆さまもご存じと思うが、哲学者、神学者、また音楽家、医師と、多方面にわたって活躍した人物であり、ノーベル平和賞を受賞している。
 カズンズ氏はさらに「わたしの学んだのは、高遠な目的と生への意欲とが人間存在の主要原料であるということであった。わたしは、その原料こそ人間が達成できるもっとも強力な力を示すものだと確信するようになった」と述べている。
 高遠な目的観、また使命感に立ち、生きて生き抜こうとするその意欲こそが、人生の根本の原料なのである。
 ともかく、広布に生きゆく私どもも「長寿」でありたい。それも、単に長生きをしているというのではなく、いつまでも価値ある仕事をし″あの人は素晴らしい″″あのような人生の晩年でありたい″と言われるような、輝いた長寿の人生を生きたいものである。
10  「心の病」の解明は生命次元に
 「心」の問題は、現世の長寿にかかわるだけではない。一歩深く、三世にわたる生命の幸・不幸をも方向づけていく――。
 御書に「身の病をいやして心の歎きをめざるが如し」――身体の病気をいやしても心の苦悩をいやさないようなものである――と仰せである。
 これは今世の幸福のみを説いて、永遠の幸福を示さない外道の教えの限界を、たとえをもって指摘された御文である。
 身体の健康は、当然、重要である。しかし、いくら健康でも幸せとは限らない。心が嘆きに満ち、苦悩に満ちていれば、幸福とは絶対にいえない。心もまたすこやかで、生きる喜びに輝いていてこそ幸福がある。
 病気の時には、元気にさえなれば万事、幸せだと誰もが考えがちである。その心情は当然だともいえる。しかし現実には、元気すぎて、人をなぐって逮捕たいほされるような人もいる。「心の病」から非行に走ったり、わがままな行動で家族や周囲を苦しめたり、ひいては犯罪を犯すケースさえ少なくない。また、自分自身の心が暗く、悩みやむなしさにさいなまれている人生も余りにも多い。
 この「心の苦悩」「心の病」をどう解決していくのか。これは誰人も避けられない根本的課題である。
 さらに現代医学でも、近年急速に注目されているように、「心の病」が「身の病」に深く影響を与えているという事実がある。そこから、心身を一体としてとらえ、総合的見地から治療にアプローチしようとする研究も、様々な面で進んでいる。
 何より、「心の病」は、もっと奥深く、その人の生命の傾向性、悪しき宿命という根本問題に直接にかかわっている。この次元になれば、もはや現代の医学も諸科学も手が届かない。政治の分野、経済、言論等の分野も、解決の方途を持っていないことは同様である。
 ここに、「生老病死」の実相を洞察した仏法の英知に、どうしても謙虚に耳を傾けざるを得ない現実があるといってよい。
11  一般的にも、大病をした人は深い人生の味を知るという。仏法では「病」も、至高の目的である「成仏」への契機としていけると位置づける。苦しい病気という不幸が、そのまま永遠にわたる絶対的幸福へのステップ台となっていく──。
 御書の有名な一節に「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり」と仰せである。
 夫が病気になった婦人に対して、「この病気は、仏の御はからいでしょうか。なぜなら浄名経や涅槃経には″病がある人は仏になる″と説かれています。病によって、仏道を求める心は起こるものです」と温かく激励しておられる。自在な、また大きな、大聖人の智慧と慈愛が胸に迫ってくる御指導である。
 たしかに、ふだんはともかく、病気で苦しければ、誰しも一生懸命、題目をあげ始めるにちがいない。また、そうした苦難の時にこそ、いやまして信心の炎を燃やさねばならない。大切なことは、病気を不幸への出発点とするか、より大いなる幸福の軌道へのスタートとするかである。
 「身の病」を機縁にした発心ほっしんであっても、仏法の実践は同時に「心の病」をもいやしていく。唱題の力は、病を克服する強き生命力をもたらすのみならず、生命の奥の宿業をも転換していく。生命の″我″を仏界へと上昇させ、崩れざる絶対的幸福の境涯へと、無量の福運を開いていく。
 いわば病気というマイナスを、もとの健康体というゼロに戻すにとどまらず、より大きなプラスの方向へ、幸福の方向へと見事に転じていくことができる。その力用を引き出すものこそ、苦難をも勇んで飛躍のバネにする「不屈の信心」である。
12  さて、人間は、いつかは「死」を迎える。私だけは何とか、かんべんしてほしいと思っても、これだけはどうしようもない。
 第一、誰も死ななくなったら、地球上に住むところが無くなってしまう。そうなったら、ただでさえ日本は土地が高いのだから、大変だ。周りを見回しても、みんな体がガタガタで、「病」と「老」に苦しんでいるのでは幸福とはいえない。
 だから、いったんお引き取り願って、新しい、はつらつたる生命と体になって、また生まれてくる。法華経の寿量品には、「若退若出にゃくたいにゃくしゅつ」とある。ある時は、死として宇宙へ″退しりぞき″、ある時は、生として現世に″出″ていく。その生死しょうじ、生死の繰り返しが生命の実相である。
 そして、生死を繰り返す主体は、自身の″我″であり、その″我″を仏界の大我と一体にするために仏道修行がある。
 結論的にいえば信心さえ確かなら、最も良き時に″若退″となり、また最も良き時に″若出″となって生まれてくることができる。凡夫には、それがなかなか分からないだけであると説く。
13  どんな病状でも、信心によって、すぐに治癒ちゆするか──といえば、一概にそうとは言い切れない。その人の宿命の問題もあるし、信心の強弱もある。また、凡智には分からぬ様々な深い意味がある場合もあろう。
 しかし、信心さえ強盛であれば、必ずや「健康」の方向へ、「幸福」の方向へ、「成仏」の方向へと転じていくことだけは絶対に間違いない。
 いずれにせよ、三世の生命から見れば、我が生命は、最もよい方向へ、最も幸福な方向へと変化しているのである。
 「生」も楽しく、「死」もまた楽しい──これこそ仏法で説く生死不二の常楽の境涯である。何ものも恐れる必要はないし、死を不安に思う理由もない。ここに「心の病」に苦しみ、「生死」に迷う現代世界の闇を照らす光源がある。
 私どもは生ある限り、妙法を唱えに唱えきりながら、「広宣流布へ」「広宣流布へ」という情熱の一念を、あかあかと燃やし続けていきたい。
 その鍛えあげられた強き強き信心の「心」こそ、「生死」の苦をも悠然と乗り越えていける唯一の原動力だからである。
14  民衆の幸福こそ指導者の責務
 ここで、指導者の責任の重さについて、一言申し上げておきたい。
 大聖人は「守護国家論」の冒頭で「悪趣に堕つるの縁・一に非ず」──人間が地獄・餓鬼・畜生の三悪趣に堕ちてしまう縁は、一つだけではなく幾つもある──と述べられている。
 そして、その一つとして「国主と成つて民衆の歎きを知らざるに依り」と厳然と指摘されている。すなわち──「国主」という、一国の民衆に対して重大な責任ある立場にありながら、″民衆の歎き″を知らない。また知ろうともしないゆえに──と。
 そのような無責任で無慈悲な権力者、傲慢な指導者の罪は、はなはだ重いと。生命の厳しき因果律に照らして、必ず悪道に堕ち、ほかならぬ自分自身が大変な苦しみを受ける──との御断言である。短い御言葉ながら、重大な原則を教えてくださっている。いわば全世界の指導的立場にある人への警告とも拝せよう。
 「民衆の歎き」を知る、「民衆の声」を聞く、「民衆の幸福」のために尽くしに尽くしていく。それが指導者の使命である。どこまでも民衆が根本である。
 指導者は民衆のためにこそ存在する。当然のようでありながら、この真実の″民主″の原理原則に生きぬく指導者は少ない。民衆に仕えていくのではなく、自身のエゴに仕えていく指導者が余りにも多い。
 因果の理法の裁きは厳しい。民衆に支えられてこそ得た自分の立場を利用し、どんな名声や財産や勲章で華やかに表面を飾ろうとも、その内実は、むなしい。いな飾れば飾るほど、民衆を忘れた堕落の生命は、悪道への因を一日また一日と刻んでいる。
 大聖人は、この厳たる生命内奥の事実を教えられることによって、真実の指導者の姿を示唆されていると拝される。心して「民衆の歎き」を知れ! そして、その幸福のために、すべてをなげうって戦え! ここに指導者の根本要件があると。
15  世間の指導者に寄せて仰せになった、この御言葉はまた仏法の世界にも通じる。
 それどころか、仏法の世界で、人を救い、正しく導くべき立場にありながら、その責任を果たそうとしない罪は、比較にならぬほど重い。まして、守るべき仏子を軽侮けいぶし、利用し、いじめる者にいたっては、その罪は言葉で言い尽くすこともできない。
 反対に、皆さま方は日夜、広布のリーダーとして、懸命に民衆の嘆きに耳を傾け、その幸福を祈り、行動されている。仏法の眼、生命の因果の眼から見る時、いかなる栄誉の指導者よりも尊き、存在であられる。その無償にして、信念の行動に対して、御本仏の御称嘆はもとより、全宇宙の諸天善神が、皆さま方を守りに守っていくことは間違いない。
 私も戦う。指導者として、休みたくとも休むわけにはいかない。止まりたくとも、走るのを止めるわけにはいかない。その、広布への渾身こんしんの実践にこそ、大聖人の仏法の生きた脈動が、また魂があると信ずるからだ。
16  峻厳な臨終に正しい信心の証
 このように、重要なのは「永遠」の生命観である。その高き次元から見わたす時、はじめて人生と社会の真実も、鮮やかに見えてくる。
 「生死」の現実から目をそらし、「生」の表面にのみとらわれた見方では、結局、「生」それ自体もつかめない。一生のすべての行動も、到着点である「死」という、いわば最終の山頂から見下ろす時、その意義がはっきりと全貌(ぜんぼう)を現してくる。
 人生における「死」の瞬間の重要性──そのことを繰り返し説いた哲学者の一人に、フランスのモンテーニュがいる。彼の『随想録(エセー)』は、若き日の座右ざゆうの一書であった。戦争中、十代の私は貧しいなか、懸命に書物をもとめ、むさぼるように読書した。そのなかの一書である。そのころの書物は、防空ごうに避難させたりして、今も若干数、残っている。
 『随想録』について、忘れられないのは、以前もお話ししたことがあるが、ある映画のことである。出征した一学徒がいた。その少ない荷物の中には、このモンテーニュの書があった。よほど愛読していたのであろう。私にも、その気持ちはよく分かり、共感を覚えた。また、隠していたその本を上官に見つかり、殴られたり、どなられたりする場面もあり、傲慢ごうまんな指導者への怒りがこみ上げたのを今でも鮮烈に記憶している。
17  さて「随想録」のなかに、「我々の幸不幸は死んでから後でなければ断定すまじきこと」という一章がある。その中でモンテーニュは、こう書いている。
 「この最後の瞬間においてこそ、我々の一生のあらゆる他の行為はこころみためされなければならないのである。それは大切な日である。他のすべての日々を裁く日である。それは、古人の言うように、過去のすべての年月を裁くべき日である。私は私の勉強の成果の試験を死にゆだねる。その時になれば、わたしの言葉が口先だけのものか、心の奥底から出たものかがわかるであろう」(『エセー』原二郎訳)と。
 死の瞬間において、どうであるか──。その一点が生涯の総決算となる。また、その瞬間が″本物″と″ニセ物″を明確に、また厳粛に峻別しゅんべつしてしまう。
 口先だけの信心であったのか。真実の地涌の勇者であったのか──。まさに「それは大切な日」である。
 さらに彼は「他人の一生を判断するに当たっては、いつもわたしはその終わりがどんな風であったかを見る」と述べている。
18  私も立場上、これまで多くの人々の死の姿を見てきた。その体験の上から、一つ一つの死が、それぞれ、その人の一生を厳粛なまでに象徴していることを痛切に感じる。また彼は続けて「私の障害の努力の主たる目的も、最後がよくあること、つまり、平和で静かであるということだ」としるしている。
19  苦痛もなく、安らかに眠るように死んでいきたい。そのような安穏にして荘厳な「死」で、我が生涯の完成を飾りたい。その見事な総仕上げのために、自分は一生をかけて哲学の研究をしてきた。その現実の証(あかし)がなくして、何の哲学であろうか──というのである。
 彼は、この後「哲学するのはいかに死すべきかを学ぶためであること」と題する一章を執筆している。
20  信心の重要な目的もまた、素晴らしき「死」を準備することにある。
 「大法」をまもる護法の功徳は無量無辺である。またその大法を世界に弘通している学会を支え、守ることは、大法を護ることに通じる。ゆえに功徳も大きい。
 まじめに、謙虚に、生涯、広布に生きぬいた人の死は、見事なまでに荘厳である。安らかであり苦痛もない。その事実は、皆さまも、よくご存じの通りである。そして、苦しみきって「死」を迎える人が余りにも多い現実を知っている人から見れば、まことに感嘆すべき妙法の偉大な実証なのである。
 私事になるが、我が池田家の一族についても、父も母も、また兄も次男も、みな本当に安らかな死を迎えている。だれ一人、苦しんだ者がいない。私は、この厳たる事実を、懸命な護法の実践による″与同利益よどうりやく″であると確信し、感謝している。
21  「妙法尼御前御返事」には「日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし・風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」。
 ──日蓮は幼少の時から仏法を学んできましたが、念願したことは「人の寿命は無常である。出る息は入る息を待つことがない。風の前の露というのはなお譬えとして足らない。賢い者も愚かな者も、老いた者も若い者も、いつどうなるか分からないのが世の常である。それゆえ、まず臨終のことを習って後に他のことを習おう」ということであった──と。
 また、日寛上人の「臨終用心抄」にも、「臨終の一念は多年の行功ぎょうこうに依ると申して、不断ふだん意懸こころがけに依るなり」としるされている。
 つまり、臨終のさいの一念は、生きてきた生涯の行為の結果として決まるのであり、信心の常日ごろの不断の心掛けによるといわれている。
 「臨終」こそは、まさに人生の集約点である。生きてきた人生のすべての総決算の時でもある。
 皆さま方は、広布のため、法のため、人々のために、日々、懸命に活躍されている。ゆえに一生成仏の軌道に入っていることは絶対に間違いないと確信していただきたい。
 どうか、お互いに福徳に満ちた健康にして長寿の人生を送りたい。そして、素晴らしく楽しく、素晴らしく有意義な、素晴らしく価値ある広宣流布のために、この一生を送っていただきたいと念願し、本日のスピーチとさせていただく。

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