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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄広布35周年開幕記念総会 ″永遠の大法″で永遠の幸福を

1988.2.18 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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2  私は「沖縄健児の歌」が大好きである。詩・曲ともに深い感動をさそう、名曲と思う。これまでも、何度か、青年達がこの歌を高らかに歌う姿を目にした。そのたびに私は感動し、心で泣いた。沖縄広布三十五周年を記念する意義から、これに加えてもう一曲、愛唱歌を作ってはどうだろうか。新時代を開くにふさわしい、すがすがしい曲を、皆さま方の手で生み出していただければと思う。
 私がアジア訪問の第一歩をしるしたのは、一九六一年(昭和三十六年)の一月。総本山第六十六世日達上人をご案内し、インド等へと旅立った。
 その月、沖縄支部の友は、千二百世帯余という、全国第一の弘教を実らせ、私を歓送してくださった。東洋広布への歴史的な″第一歩″に、見事な開拓の実証で呼応してくださったのである。この時の沖縄の皆さまのご厚情を、私は今も忘れられない。
 二十七年後の今日、香港からの帰路に、真っ先に沖縄に寄せていただいたのも、その時の皆さまの「心」に、わずかでも謝意を表したいとの思いがあったからである。このことを、申し添えておきたい。
3  ここ沖縄は「万国の津梁しんりょう(=懸け橋)」と呼ばれるごとく、地理的にも、歴史的にも「国際交流」の要地であった。過去に、いくたびか悲惨な宿命の嵐はあったが、世界の交流と友好を進めゆく不思議なる″使命の天地″であり、その重要性は、将来、一段と増していくに違いないと、私は確信する。
 広布の歴史においても、沖縄は、東南アジアなど各国への″信心の発信地″となり、仏法流布の大切な″中継地″となってきた。
 また、来年からは、ここで冬季研修等を行い、全国、いな世界の友が集い、信心を磨きあっていくことも、検討されている。沖縄は、いやまして″広布の要地″へと発展しようとしている。郷土の発展と繁栄のために最も苦労されてきた皆さまの功徳は絶大であるし、すべての労苦は、一人一人の永遠の福徳となって輝いていくと強く申し上げておきたい。
4  浦島説話が伝える「竜宮」の地
 ところで、きょうは少々、「浦島太郎」について話してみたい。その話に出てくる「竜宮城」は、沖縄がモデルであるとの説がある。「琉球」と「竜宮」との語音の近似も、その一因であろうか。
 実は、沖縄に到着するまで、私に同行していた青年達が、この説の真偽について、何時間も論議していた。私も詳しく徹底して資料を調べ、真実を究めるよう、お願いした。何事もあいまいであったり中途半端であっては、立派な指導者にはなれない。また、そうした研さんが未来への良き訓練になっていくからだ。
 が、結論としては、竜宮城伝説は各地にあり、多少の違いはあっても、浦島太郎の昔話は全国で語り継がれており、竜宮城が沖縄に特定できるとの確証はないようだ。
 しかし、私は、ここ沖縄こそ真実の″竜宮城″であったとみたい。学問的な裏づけがあるわけではないが、素直な心で考えて、美しき沖縄こそ、まさしく″竜宮城″にふさわしい天地と思えてならないからである。そうした思いもあり、少々、浦島太郎について話しておきたいと思う。
5  皆さまのなかでも、まさかきょう、浦島太郎の話が聞けると思った方は、一人もいなかったのではないか。しかし、身近で、意外な話題というものは、たやすく人の心に入り、印象深く脳裏に刻まれていくものだ。
 それにしても、何人かの幹部の話は、紋切り型で、同じような話であることがあまりに多い。
 時代は刻々と変化し、移り変わっている。十年、二十年前と同じような話では、民衆の心をつかむことはできない。リーダーは、つねに研さんし、心を砕いて、人の心をつかみ、納得させていく、新鮮な話を心掛けなければいけない。そのための真剣な労作業を決して惜しんではならない。だが、人を魅了するような話は、そう簡単にできるものではない。題目をあげにあげて、深き使命感と慈愛の心に徹して初めて、心を打つ指導・激励が可能となる。広宣流布への透徹した責任感こそ、何より重要なのである。
 が一方で、話ばかりうまくても、慢心から退転したり、本質である信心を失っていくオッチョコチョイもいるから、くれぐれも注意されたい。
6  浦島太郎のストーリーは、大体、次のような内容である。
 浦島太郎が、助けた亀に案内され、竜宮城へ行く。そこで乙姫様に手厚いもてなしを受けるが、やがて故郷にもどると、とても長い年月がたっている。そして「絶対に開けるな」と注意されたおみやげの玉手箱を開くと、白煙が立ちのぼり、一瞬にして白髪の老人となる――。
 この話は、だれでも知っている。私の周りの″新人類″達に聞いても、一人残らず知っていた。
 また、浦島太郎といえば、次の歌が有名である。
  昔々浦島は
  助けた亀に連れられて
  竜宮城へ来てみれば
  絵にもかけない美しさ
  (二番略)
  遊びにあきて気がついて
  おいとまごいもそこそこに
  帰る途中の楽しみは
  みやげにもらった玉手箱
  (四番略)
  心細さにふたとれば
  あけて悔しや玉手箱
  中からぱっと白けむり
  たちまち太郎はおじいさん  (作詞者不祥)
 浦島太郎伝説の起源は古い。早くは「万葉集」や「日本書紀」でも、この題材が取り上げられている。
 日蓮大聖人も、安房の国(千葉県南端部)の一婦人にあてた御手紙のなかで「うらしま浦島が子のはこなれや・あけてくやしきものかな」――浦島が子の玉手箱のように、あなたからのお手紙をあけたことが悔やまれるのである――と仰せになっている。
 懐かしい古里に住む一婦人から手紙をいただき、喜んで開いて読んだ。しかし、それは、その婦人が最愛の息子に先立たれたという悲しい知らせであった。本当に残念で残念でならない。亡くなった一婦人の子息をいたむ大聖人の御心情が、しみじみと伝わってくる御言葉である。御本仏の大慈大悲、また寄るべない婦人に対するこまやかな心遣いに、深い感動の思いを禁じえない。
 こうした透徹した人間性の発露に真実の信心の結実があることを、私は痛感する。
7  浦島説話と同型の物語は、中国をはじめ東アジア、東南アジア地域にも、広く分布している。牧口先生とも親交のあった民俗学者・柳田国男氏は、各地の浦島説話の連関性等を通じ、″海上の道″の存在を跡づけている。
 電話やテレビ等の通信機器など皆無の時代である。その時に、はるかなる″海上の道″を通り、人々が盛んに移動し、交流していた。悠久なる歴史のロマンを、私は感ずる。
 その″海上の道″マリンロードの一大拠点が、この沖縄であった。
 再び申し上げるが、亀が恩返しに浦島太郎を案内した夢の楽園・竜宮城のイメージは、私には、この美しき沖縄と二重写しに思えてならない。
 この説話の童謡の一つに「からもん(唐門)」や「さんご」が歌われているが、それは、まさに沖縄のイメージと重なる。また、沖縄は「守礼のくに」といわれるように、恩義を重んじ、人を心から大切にする礼節の国土である。それに加えて、女性も、乙姫様を思わせるように、まことに美しい。
 かつて、この地に漂流した漁師などが、心優しき人々の手厚いもてなしを受け、時の経過を忘れるほどの安らぎをえたことは、少なくなかったであろう。
 沖縄の方々は、本当に心が純粋で、きれいである。その温かな人情と歓待を受けて、今でも来県した人々が″今様いまよう浦島太郎″となってしまう場合があるようだ。
 また、沖縄は、全国でトップの長寿県である。これもまた、現代における″楽園″の象徴となっている。
 ともあれ、沖縄には美しく豊かな「光」がある。「海」がある。そして「心」がある。一人一人が着実に「力」を養いながら、素晴らしき二十一世紀の「平和の楽園」として、ますます発展していくよう念願してやまない。
8  人生最終章のゴールを飾れ
 「立正安国論」に「国は法に依つて昌え法は人に因つて貴し」と仰せである。
 妙法は、社会と国土を繁栄させゆく無量の福運の源泉である。そして、この大法の偉大さを証明していくのは、妙法を受持し実践する「人」にほかならない。
 ゆえに、郷土の発展には、そこに住む一人一人の向上、活躍こそ根本である。その意味からも、どうか、沖縄の永遠の発展のために、また世界一の理想郷を創造しゆくために、まず皆さま方が広布への使命と自覚を一段と深め、沖縄の天地に、見事なる″福運城″を築きあげていただきたい。そのために、私も陰ながら力を尽くしていく所存である。
9  ところで、浦島太郎が竜宮城で過ごした期間は一説には三年間といわれる。しかし、竜宮城での三年間は、地上の七百年間にあたっていた、という話は、時間の不思議さを、よく象徴している。
 天文学などでも、アインシュタインの「相対性理論」によって、観測者の速度が違うと、同じ現象でも、時間の経過が違うということが考えられた。つまり、宇宙旅行では、光速に近いスピードの宇宙船に乗っている人間の方が、地球にいる人間より時間の経過が遅く年をとらないなどといわれ、この時間の遅れを、浦島太郎の物語になぞらえて「ウラシマ効果」とも呼ばれている。
 時間の相対的なとらえ方は、身近な生活の中でもよく実感していることだ。たとえば、苦しくつらいときの時間は、重く、長い。しかし、楽しいときは軽やかで、短い。また、寝ているときは時間の経過を感じない。これらのいわば″生命時間″は、分刻みの時計で計るような定まった時間の経過ではない。「時間」の問題も、一念三千の生命論と関連づければ、非常に興味のあるとらえ方となる。
10  それはそれとして、いわゆるハッピーエンドではなくして″悲劇″で幕を閉じるこの浦島太郎の物語は、人の世の楽しみがいかにはかないものかを、説得力豊かに語りかけている。
 そこには、一面、現代の「飽食の時代」「欲望開放型の社会」にも通じる示唆が含まれているように思われる。どれほど快楽のきわみを尽くしたとしても、誰人も厳粛なる時の経過から逃れることはできない。時間の経過はすべての人にとって平等なのである。
 十界論でいえば、竜宮城での喜びは「天界」に位置づけることができよう。そして、御書にも「天上に生れて五衰をうく」と仰せのように、天界での楽しい時間はたちまちのうちに過ぎ去り、また必ず崩れてしまう。ゆえに、いたずらに天界の喜びにおぼれてしまえば、我に返ったとき取り返しのつかない悔いが残るばかりである。
 人生は、最終章の幸福をどう築くかである。途中の喜びや幸せで人生が決まるものではない。「ウサギとカメの物語」ではないが、人生のマラソンレースでは、たとえレースの途中の姿がどうであろうとも、確実に幸せのゴールに到着することが大事である。
 いかに華やかな、順風満帆まんぱんの出発であっても、挫折ざせつや不幸の出来事で人生を終える人は多い。その宿命の具縛ぐばくの人生を転換し、崩れざる「歓喜」と「幸福」のゴールの人生を開くために、仏法があり、私どもの信心がある。
11  大聖人は「開目抄」に次のように仰せである。
 「輪回六趣の間・人天の大王と生れて万民をなびかす事・大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず」――六道輪廻の間、ある時は人界・天界の大王と生まれて、万民をなびかすことは、大風が小木の枝を吹きゆるがすようであった時にも、成仏はできなかった――と。
 この御文は、大聖人御自身の過去世の御姿を、凡夫としての御立場から述べられたものであるが、広くいえば人間生命の実相を説かれたものと拝することができよう。
 つまり、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天と「六道」の生命の境界をめぐっていくのが、人生のいつわらざる姿である。そのなかには、人天の世界を統治する大王のように栄華を極め、絶大な力をもった境界を得たこともあった。しかし、どのような「富」と「力」で築いた栄華であっても、「仏界」という全宇宙にも広がり、三世永遠に通じる大境界からみれば、それは一時の幻のごときものにすぎないといってよい。
 崩れざる絶対的幸福境涯は「成仏」という二字で、我が生命を染めぬく以外にない。果てしなき生命の流転の旅路にあって、私どもは、今、一生成仏すなわち真実の永遠なる幸福を、自らの胸中に開きゆく絶好のチャンスを得ることができた。
 ゆえに、いかなることがあっても決して退転してはならないと、大聖人は繰り返し仰せくださっているのである。
 永遠からみれば、一年や二年の苦難の人生は一瞬である。絶対に負けてはならない。大聖人の仰せ通りの信心を貫いていくならば、必ずや生命の″幸の竜宮″を自分のものとしていけることを確信されたい。
12  御義口伝には「常住とは法華経の行者の住処なり」と仰せである。
 「法華経の行者」とは、別しては、末法の御本仏・日蓮大聖人であられる。総じては妙法を信受し、広宣流布に進みゆく地涌の友である。
 つまり、総じていえば妙法受持の人の世界は、もはや無常や悲哀に閉ざされた世界では決してない。娑婆しゃば世界である、この苦悩に満ちた人生、社会、国土を「常住」の「寂光楽土」へと転じていくことができる。
 その意味で、この沖縄の地で妙法流布に励んでおられる皆さま方は、永遠の「平和」と「繁栄」の楽土沖縄を建設しゆく誉れの先駆者なのである。
13  世界結ぶ「心」と「心」の懸け橋
 話は変わるが、私は世界に多くの友人をもっている。そして、そのなかの何人かの人達に詩を贈っている。たとえば、隣国の中国では、鄧穎超とうえいちょう女史、趙樸初ちょうぼくしょ氏、常書鴻じょうしょこう氏などであり、他の国ではアメリカのキッシンジャー博士、インドのラジブ・ガンジー首相などである。これも、友情の交換や文化の交流は、国境を超え、海を超えて、心と心をつなぐけ橋となると思うからである。
 かつて、私どもの進めてきた平和・文化・教育交流に対して、広宣流布には何の関係もないと無認識の非難をしてきた人達がいた。しかし、政治体制や国情の異なる世界各国にあっては、まず心と心のつながりこそが大事である。その心と心の懸け橋があって、さまざまな交流が深まり、また仏縁も結んでいけるからである。
 私どもの日常にあっても、信心の有無にかかわらず友人は大切にしなくてはならない。多くの人々と深い友情の絆を結んでいくことを決しておろそかにしてはならないと、私は強く申し上げておきたい。
14  また私は、万代にわたる日中友好のために、また友誼ゆうぎの証を後世にとどめゆく真心の発露として、中国の友人に詩を贈ってきた。
 過去の歴史をひもとくとき、美しき″友誼の月″が日中両国の人々の心を、幾度となく照らしていることを知り、本当にうれしく思ったし、これからも何はともあれ、友誼の交流は、深く、強く通わせていかねばならないと心に誓った次第である。
 なかでも今から千二百年以上前、日本の奈良時代の文人で、遣唐けんとう留学生・阿倍仲麻呂あべのなかまろと、中国の唐の大詩人・王維おうい李白りはくらとの美しくも温かき交友はよく知られている。その海を超えた友誼ゆうぎの確かなるあかしを、今日私達は歴史にとどめられた彼らの詩からみとることができる。
 すなわち「詩中に画あり、画中に詩あり」といわれた詩人であり、画人でもある王維は、阿倍仲麻呂が「滄海そうかいの東」の日本へ帰国する際に、無事を祈って真心こもる一詩を贈っている。
 この詩には長文の序文があり、仲麻呂の祖国・日本を、また仲麻呂が中国の学問を深くおさめたことをたたえている。さらに、その帰朝が日本にもたらすべき文化流伝の深き意義を説いている。それは「理解」と「励まし」と「友情」の薫る名文である。
 また、仲麻呂は不幸にも、帰国の途次、暴風雨にあって安南(今のベトナム方面)に漂着する。そのとき暴風雨で死去したとの誤りの報を聞いた李白は、仲麻呂をいたむ深き友情の一詩を詠んでいる。
 これまでも、日本から中国への非礼の発言は何度かあった。そうした発言を耳にするにつけ、仲麻呂と王維や李白らにみられたような、「心」と「心」の次元での、「理解」と「友情」を深めゆくことが、世界各国間において、いかに大切かを痛感せざるをえない。
15  妙法の慈光に包まれた生死
 次に、私が今回訪問した東南アジアや、またキリスト教の国などでは、死者のとむらい方として土葬が一般的であり、ここ沖縄でも土葬があるとうかがっている。
 火葬が多くなっている現在、土葬についてどう考えればよいかとの質問も、さまざまな人から寄せられている。この席を借りて、私なりの考えを申し上げれば、あえて土葬の風習を否定する必要はない、と思う。どのような葬法によるかはその土地の風習、慣習だからである。さらに、その土地のさまざまな次元の要素もあるので、その時々で考え、判断していけばよい。
 ただ、土葬をはじめ、各地でのさまざまな葬法の背景となっている死生観、生命観を考えていくとき、仏法の深い、卓越した生命観に思いを新たにするのである。
 たとえばキリスト教の地域で土葬が主となっている理由の一つも、一言でいえば、人間は「霊魂」と「肉体」という別々のものからなるとする生命観、そして「死」とは霊魂と肉体とが分離することと、とらえる死生観にあるといえよう。すなわち、霊魂が復活し宿るための肉体を保存しておきたいとの願いもあり、土葬が伝統的風習として定着したといってよいだろう。
 一方、そうした考え方に納得できず、「死」によって一切は「無」に帰すとの、唯物的な見方もある。唯物論に立てば死体は、単なる物質にすぎなくなる。しかし、そうした唯物的な死生観もまた、現実に「死」に対して不安をいだく人々の心に、何らの解答も安心感も与えてくれるものではない。
 そこでは、フランスの歴史学者のフィリップ・アリエスが指摘するように「現代人は死を直視せず、タブーとして遠ざけようとする」のも、無理もないことといえよう。
 ゆえに、トインビー博士も述べていたように、そこからは、人生の根本的解決も見いだしえないし、本当の意味での「安穏」も「平和」も築けないのである。
16  キリスト教的な生命観、唯物的な生命観が部分観にすぎないのに対して、仏法では永遠の生命観に立って、「色心不二」の全体的な生命観を説き明かしている。
 たとえば、日寛上人の「三重秘伝抄」に「五陰ごおん仮に和合するを名づけて衆生と曰(い)うなり」と仰せのごとく、人間生命そのものを「精神」と「肉体」の両面から「五陰仮和合けわごう」として説く。「五陰」とは衆生の生命を構成する五つの要素のことで、「色」・「受」・「想」・「行」・「識」をいう。「色陰」とは身体の物質的側面をいい、「受陰」とは六つの感覚器官を通して外界にあるものを受け入れる心の作用のこと。「想陰」とは受け入れたものを知覚し心に想(おも)い浮かべる作用。「行陰」とは想陰に基づいて起こった意識や行動の善悪に対する心の作用。「識陰」とは認識作用、また受・想・行の作用を起こす根本の意識をいう。
 人間存在それ自体を「五陰」つまり精神と肉体の両面にわたるさまざまな生命活動が″仮に和合″し、ともに連関しあいながら瞬間瞬間、変化していくものであると極めてダイナミックなとらえ方となっている。それは霊魂(精神)と肉体を分離してとらえる固定的な見方をも止揚し、現代科学が知見した精神と肉体との相互作用まで包み込んだ生命観となっている。
 しかもそれは単なる理論にとどまらない。「おん」が「積聚しゃくじゅ(積もり集まる)」ともとらえられているように、瞬間瞬間の生命の変化を、「生死重沓しょうじじゅうとう(生死の苦しみが積み重なっていくこと)」という宿命的な流転から「常楽重沓じょうらくじゅうとう(常楽が集まり、積まれていくこと)」へと転換しゆく根本の実践法を説き明かしたものとなっている。
 「常楽重沓」とは、大聖人が「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せのごとく、信心、唱題を重ねていくことによって「常楽我浄」の真実の幸福の人生へと向かっていくことである。
 反対に、先ほども述べたように「天上界」の喜びだけにとらわれ、善の行為を怠っていく。これでは「生死重沓」で生死の苦しみを重ねることになり、苦悩の人生から脱することはできないのである。結局、我々の人生はこの「常楽重沓」か、「生死重沓」のどちらかを、歩んでいくものといえよう。
17  生命は永遠である。宇宙も永遠である。生命は永遠なる大宇宙と一体である。一体のまま、「生」と「死」を無限に繰り返していく。生命のその壮大なる実相を説き明かしたのが、法華経なかんずく末法の法華経たる大聖人の御法門である。
 大宇宙より生起しょうきし、また大宇宙に帰していく生死のドラマ――。実は、法華経それ自体が、全体として、この「生死の二法」を表示する構成となっている。
 ご承知のように、法華経二十八品の第一は序品である。その最初の文字は「如是我聞にょぜがもん」(かくの如きを我聞きき)の″如″の字である。最後の品は普賢品ふげんぼん第二十八。その最後の文字は「作礼而去さらいにこ」(礼をなして去りにき)の″去″の字である。
 このように法華経は″如″の字で始まり、″去″で終わる。このことについて大聖人は御義口伝で「如去の二字は生死の二法なり」と仰せである。″如″は生を、″去″は死を表す。
 すなわち「法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり」と。
 法界つまり大宇宙を、一心に凝縮し、一個の生命体を形成していく。これが「生」であり、″如″の義である。如とは「等しい」「ありのまま」等の意味である。一つの生命体も全宇宙そのままに、等しく万法を備えていることを示している。
 これに対し、「死」とは何か。それは「一心」が大宇宙へと開き、融合していくことにほかならない。一個の生命体としての活動をひとまず終えて、″去″っていく。そして空の状態で、再び宇宙と一体になっていく。「法界に開くは去の義なり」とは、この意味である。
 大聖人は「去は開の義如は合の義なり」とも仰せである。
 宇宙を一個の″我″に縮め、万法を一心に合する「生」。一心を宇宙へと開いていく「死」――この生死の二法は、生命の一念に本来そなわっている。
 法華経は、この生死生死とめぐりゆく生命の実相を、大宇宙との関連の上から、明快に説ききっているわけである。その壮大なる生命観、宇宙観、生死の哲理には、まことに瞠目どうもくすべき深遠さと鮮烈さがある。
18  このあたりから、だんだん話が、ややこしくなってくる。やさしく話そうと努力しても、いかんせん仏法用語そのものが難しい。
 深遠すぎて、だんだん呼吸が苦しくなってくる方もいるかもしれない。しかし、根本は正しき信心と、唱題の実践である。無量義は、ことごとく題目に含まれている。ゆえに、たとえ全部理解できなくとも、成仏には全く関係がない。どうか安心していただきたい。ただ真剣に、謙虚に、より深く法門を学んでいこうという信心の「心」が大切なのである。また青年部諸君は、若い今のうちに徹底して御書を研さんしていただきたい。
 三諦論さんたいろん――と聞いただけで、頭が痛くなる人がいるかもしれない。しかし、これは決して、何か遠い世界のことを説いたものではない。
 それどころか、最も身近な、ほかならぬ自分自身の生命の″三つの真理″を教えている。「たい」とはあきらか、つまびらか、の意味で、真理のことを指す。我が生命の真実の相を三つの側面から説いたのが「三諦」である。
 いうまでもなく、三諦とは空諦くうたい仮諦けたい中諦ちゅうたいである。隔歴きゃくりゃくの三諦、円融えんゆうの三諦など、様々な法義があるが、時間の関係上、本日は省略させていただく。
 ここで申し上げたいことは、私どもの生命もまた「空」「仮」「中」の三諦によってこそ、正しく全体像がとらえられる。ゆえに、「永遠の生命観」も、はじめて、その確かな裏づけを得るということである。
 逆に言えば、この「くう」という法理、「」「ちゅう」という妙理が明確に説かれない限り、いかに「生命は永遠である」と説いてみても、厳密には、哲理的な基礎をもたない空想的論議といわざるをえない。
19  それでは「永遠の生命観」と「三諦」との関係は、具体的にはどうなのか。このことについて、「御義口伝」には、次のように仰せである。
 「無死退滅は空なり有生出在は仮なり如来如実は中道なり」と。
 「無死退滅」「有生出在」といっても、あまり聞きなれないかもしれない。これは「無と有」「死と生」「退と出」「滅後と在世」を、それぞれ片方ずつ、まとめた言葉である。
 生死の二法でいえば、前者が″死″、後者が″生″を表す。
 死は有無の二辺のうちでは″無″であり、現世の舞台から大宇宙へと″退しりぞく″ことである。また仏に即していえば″滅後″である。これらは三諦のうち「空諦くうたい」となる。宇宙に空の状態で冥伏みょうぶくしているからである。冥伏とは現代的に、わかりやすく言えば、溶けこみ潜在化していることである。
 しかし、その潜在化した空としての生命が、それぞれの因と縁によって、再び目に見える姿となって顕在化する。これが生であり、「仮諦けたい」である。
 「仮」とは、先ほど「五陰仮和合ごおんけわごう」のところで申し上げた通り、五陰が仮に和合して十界の衆生を形成しているからである。仮である以上、時々刻々と変化して、瞬時たりとも、とどまることがない。ゆえに自身の一念次第で、善悪どちらにも変わっていける。
20  この「空」と「仮」という生命の二つの真理は、決して別々のものではない。それぞれ、一つの妙理の両面である。その生命の妙理を全体として把握したのが「中諦ちゅうたい」である。ゆえに「如来如実は中道なり」と仰せである。如来が、この現実世界の相を″実の如く″、ありのままに知見したのが中道(中諦)なのである。すなわち「中」とは、仏の智の異名にほかならない。
 仏は「生(仮)」も「死(空)」も、生命に本来そなわった二法と見る。これが「本有ほんぬの生死」であり、生死を離れて生命はない。
 生命は途中から生まれたものではなく、途中でなくなるものでもない。また生死を超えた別次元に「永遠の生命」があるのでもない。生き、そして死んでいく、この現実の生命それ自体が、永遠なのである。
 総勘文抄には、無常と見える我が身が実は、永遠にして金剛不壊こんごうふえの生命であるとし、「是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり本覚の如来なり」と仰せである。
 つまり、我が生命は妙法華経という根源の一法によって、つくられている。我が身それ自体が南無妙法蓮華経である。
 特別な姿に変わるのではなく、人界なら人界という、ありのままの姿で仏であるゆえに「本有常住ほんぬじょうじゅう」の仏なのである。これをさとっているのが「本覚ほんがくの如来」である。
 このことを、妙法の修行によって自覚する時、生をうこともなく、死をいとうこともない。生を楽しみ、死を楽しみ、生死ともに最高に遊楽していける境界となる。
21  成仏を遂げた人のこうした素晴らしき生死の姿を、大聖人はこう説いておられる。
 「三世の諸仏の御本意に相い叶い二聖・二天・十羅刹の擁護を蒙むり滞り無く上上品の寂光の往生を遂げ」――これは死の相である。
 すなわち一生成仏の信心を貫き通した人は、三世の諸仏の賛嘆をうけ、諸天善神の加護に包まれて、何のとどこおりも障害もなく、安穏と満足のなか、仏界の大歓喜輝く最高の死を迎える。
 そして「須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず」――これは生の相である。
 臨終の後には、人々への慈悲ゆえに、すぐさま再び、この娑婆世界に生まれ来て、宇宙大の境界に立脚しつつ、妙法の偉大なる慈悲の力を自在に発揮し、多くの人々を悠々と救済していく。そうした最高善の人生を歩んでいける、との仰せと拝する。まことに光彩陸離こうさいりくりたる無上の「生死」の姿である。これを実現できるのが、私どもの信仰なのである。
22  この御文のうち「身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて」云々の一節は、本覚の如来の宇宙大の力用りきゆうを表しておられる。
 同じく総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好そうこうと為す」としるされている。
 本覚の如来とは別しては日蓮大聖人であられる。大聖人は十方法界すなわち全宇宙を、そのまま我が身体(如是体にょぜたい)とし、我が心性(如是性にょぜしょう)とし、我が相好(如是相にょぜそう)とされている。
 御本仏の眷属けんぞくたる私ども門下もまた、妙法の宇宙大の力用を、信心によって、我が人生の上に無限に顕現し証明していける。「仏界」という、くめどもつきぬ大歓喜の境界に住しつつ、一念のままに、スケールの大きな自在の人生を開ききっていけるのである。
 ゆえに、この御本尊をたもった以上、何ものも恐れる必要はない。何ものを嘆く必要もない。要は、何があろうとも、妙法を信じ、妙法を唱え、″我が身が南無妙法蓮華経の当体である″との大確信を貫いていくことである。″我、仏子なり″との誇りを胸中に掲げきっていくことである。
 いわば人生の不幸は、この″汝自身″の素晴らしき生命の力を知らないところに生まれる。
 大聖人は「九界の衆生は一念の無明の眠の中に於て生死の夢に溺れて本覚の寤を忘れ夢の是非に執してくらきよりくらきに入る」と深く嘆いておられる。
 わが身の「仏界」を知らない九界の衆生は、″無明の眠り″の中で、生老病死の苦しき夢にうなされている。「仏界」は、悪夢からさめているようなものである。暗きから暗きに、さまよう人生であっては、あまりにも不幸である。
 大聖人は、それゆえに「此の度必ず必ず生死の夢を覚まし本覚の寤に還つて生死の紲しょうじのきづなを切る可し」と厳しく教えられている。
 今世の人生こそ、夢からさめ、長き生死の流転をとどめる、またとない機会としなさいと、「必ず必ず」と仰せられている御言葉に、何としても私ども衆生を救わんとの御本仏の深き大慈悲が胸に迫ってきてならない。
 さらに、そのために「今より已後は夢中の法門を心に懸く可からざるなり、三世の諸仏と一心と和合して妙法蓮華経を修行し障り無く開悟す可し」と。
 夢中の方便の教えを、いささかも心にとどめていてはならない。ただ妙法を修行し、すみやかに成仏していきなさいとの御指南である。
23  仏法は平和と繁栄の大原理
 このように、妙法は「永遠の幸福」への法である。しかも、我が身ばかりではない、先祖も子孫も、また国土をも永遠に栄えさせていける不可思議の大法である。他にも功徳を及ぼしていくその原理が「回向えこう」である。
 私は仏法者として、いずこの地にあっても、その地の人々の先祖代々の追善回向をさせていただいている。
 ここ沖縄でも毎日、皆さま方のご先祖はもちろんのこと、戦争の犠牲になった、すべての方々のために追善の題目を唱えている。戦禍にいた民衆も兵士も、また米軍の兵士も、すべて含めて、真剣に回向している。その人の立場に立てば、同じく、みな悲劇である。仏法者として誰びとも差別することはできない。
24  題目の光は、全宇宙にとどく。大聖人は、法華経序品の「下至阿鼻地獄げしあびじごく」の文について「御義口伝」で、こう仰せである。
 「今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向えこうの文此れより事起るなり」。
 ――いま日蓮大聖人および、その門下が、亡くなった人に対して、御本尊を信じて法華経を読誦し唱題して追善する時、題目の光が無間地獄に至って、即身成仏させることができる。回向の原理は、ここから起こったのである――と。
 妙法の力は、生前、信心に全く無縁であった先祖であっても同様に救っていくことができる。「法華不信の人は堕在無間なれども、題目の光を以て孝子法華の行者として訪わんにあに此の義に替わる可しや」と。
 ――法華不信の人は、無間地獄にちて苦しまなければならない。しかし、孝行の子供が妙法受持の信仰者として題目の光を送って供養していくならば、同じく回向の原理で「抜苦与楽ばっくよらく」できるのである、と。
 沖縄の地には、ある意味で、どの地よりも、苦しみぬいて亡くなった方々が多いといえる。生命は永遠である。その方々の死後の生命を断じて救ってあげなければならない。
 皆さま方がその方々のことを胸に浮かべて御本尊に唱題する時、「くう」の状態のまま苦悩する生命の地獄の「苦」を、どんどん抜いていける。そして、仏界の慈光であるゆえに、限りなく「楽」を与えていくことができる。
 その慈悲の回向は、題目による以外に絶対にない。私も祈る。皆さま方も祈ってあげていただきたい。
 沖縄の地に眠る、そうしたすべての方々を「抜苦与楽」していくことによって、この国土の福運をも増してゆく。いかなる国土も、妙法の光で包み込み、仏国土へと変えていける。これが法華経の「三変土田さんぺんどでん」に通ずる法理である。
 国土の宿命をも転換しゆく、この真実の「平和」と「繁栄」の大原理は、他の政治や科学や経済等の形而下けいじかの次元にはない。ただ妙法による以外にない。
 皆さま方は、この大法を行じ弘めつつ、愛する沖縄の「平和」と「繁栄」の金の″柱″の生涯であっていただきたい。
25  本日は女子部の方々も多く出席されておられる。青年部の皆さま方が、私は大事である。また、かけがえのない一生を悔いなく送ってほしいと、心の底から願い、祈らずにはおられない。
 その意味から、昭和二十八年の戸田先生の指導を紹介しておきたい。七月に行われた女子青年部結成二周年の記念総会の折であった。ちょうど三十五年前である。
 「きょうから、みんな出発するのです。三十五年後の姿を想像してごらんなさい。結婚して病気のために苦しい思いをする人や、あるいは夫のために、子どものために苦しむ人もありましょう」「どうあろうとも、いちおう宿命はきまっている」「しかし……絶対に御本尊様から離れないことである」「われわれの生命を動かすものが、信心である。ゆえに御本尊様を拝めば、宿命を転換することができる」――。
 すなわち、ある程度、根本の宿命は決まっている。努力次第で、すべてを変えられるわけではない。しかし、その宿命を動かし、生命を動かす力が信心にはあるとの戸田先生の叫びである。
 さらに「宿命は、それぞれみな違ったものをもっている。しかし、こうなりたい、ああなりたいと思う方向へいけるのが『妙法』なのであります。
 信心によって、自分のいきたい方向へ十分いけるのです。こう教えておきますから、六十のおばあさんとなったとき、右を見ても、左を見ても、恥ずかしくないように、人生、宿命と取り組んで、信心に励まれることを望みます」と。
 そして「みんないっしょに出発して、六十のおばあさんになった姿をくらべようではありませんか」と指導を結ばれている。
 私も、この戸田先生のお心と全く同じである。若き乙女は、これから長い一生である。目先のことで信心を見失い、御本尊から離れては絶対にならない。また広布へ進む、よき友と離れては人生の損失である。皆さま方お一人お一人の、晴れ晴れとした前途のご多幸を、何よりも、また誰よりも祈りつつ、本日の新たな出発の日に当たり、この戸田先生の指導を、はなむけとしたい。
 先ほど申し上げたように、私は「沖縄健児の歌」が大好きである。
 今、この歌、特に「打ちくだかれし うるま島 悪夢に目覚め 勇み立つ 伝統誇る 鉄拳てっけんは……」との歌詞を聞くたびに、若き妙法の友の信心の力によって、この沖縄の地も大いなる宿命転換を成し遂げ、無限に強き未来が開けていくように感じられてならない。沖縄健児の偉大な成長とともに、沖縄の前進、発展があり、未来は大きな希望に輝いていくにちがいないと確信し、私のスピーチとしたい。

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