Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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香港広布27周年記念総会 アジアに万年の平和の夜明け

1988.1.30 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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2  ″東洋へ妙法流布を″とは、御本仏・日蓮大聖人の御心である。その御遺命のままに、末法の広宣流布に私どもは立ったのである。
 東洋広布の原点の地・香港は、今ここに「二十七周年」の佳節を迎えた。次元は異なるが、「二十七年」という歳月は、仏法上まことに深き意義がある。すなわち大聖人は次のように仰せである。
 「余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」――私(日蓮大聖人)は、立宗より二十七年にして、出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊を建立するに至った。その間に受けた大難は、すでにおのおのがよくご存じの通りである――と。
 末法の全世界の民衆のために、「平和」と「幸福」への根本法である大御本尊を御建立してくださるための大聖人の御法戦、それは、まさに「大難四たび」「小難数知れず」の「二十七年」の歳月にわたられた。
3  大聖人は、御自身に随って、ともに難を乗り越えてきた門下に対して、あるとき次のように語りかけておられる。
 「各仏法を見ほどかせ給わぬが何程か日蓮に付いてくやしと・おぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候はひとえに只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば感涙押え難し
 ――仏法を十分に理解されていない方々が難にあって、どれほどか日蓮に付き従ったことを後悔されているかと思うと、まことに心苦しかったのです。しかし案に相違して、日蓮よりも強盛な信心であるとうかがいましたが、これは全く、ただごとではありません。教主釈尊があなた方の心に入り代わられたのではないかと思えて、感涙を抑えることができません――と。
 この御文には、苦楽をともにして広宣流布に邁進まいしんしてきた門下に対する、大聖人の限りなき大慈大悲の御心が尽くされている。健気けなげなる香港の方々の広布の活躍もこの御言葉のように、大聖人は必ずや御照覧くださっていると私は拝察する。
 この二十七年間、アジアの広布のために皆さま方は大聖人のお使いとして、さまざまな困難を乗り越え、道なき道を歩み続けてこられた。そして、今日、この香港の地に、このような素晴らしい盤石なる広布の基盤を築きあげられた。その尊き仏子の皆さま方を、御本仏・日蓮大聖人が、どれほど賛嘆してくださるかは、この御文を拝するとき明白であると確信する。
 この香港の同志の二十七年の歩みは、末法万年にわたる世界広布の歴史に、永遠に顕彰されゆく壮挙である。とともに、大聖人が立宗二十七年にして、いよいよの御法戦をなされた御姿を拝しつつ、奇しくも香港広布四十周年となる二〇〇一年、すなわち二十一世紀の新たな幕開けを目指して、今再びの晴れやかな前進をお願いしたい。
4  妙法で「安穏」「自在」の境界を
 世界史をひもとくとき、日蓮大聖人が御出現された十三世紀は、「ジンギス・カン」や「十字軍」の遠征など、アジアにおいても、またヨーロッパにおいても、戦乱の絶え間ない時代であった。この香港周辺も、元(モンゴル)に攻められた南宋王朝の「亡命」・「滅亡」の地として、大聖人御在世当時の歴史に刻まれている。
 元の軍に追われ、この香港の地に逃れてきた南宋の皇帝は、わずか十一歳で病没。ついで即位した九歳の弟も、やがてマカオの西、厓山がいざんの海に消えたという悲劇の歴史があった。その南宋の終焉しゅうえんは一二七九年(弘安二年)であった。この年の十月十二日、日蓮大聖人が一閻浮提総与の大御本尊を御建立されたことは、皆さま方のよくご存じの通りである。
 七百年後の今日、「東洋広布・原点の地」としての香港の大いなる使命に思いをせるとき、そうした歴史上の″時″の符合ふごうも、私には強く胸に迫ってくる。
 もとより当時は、現代と違って詳細な国際情勢が、ニュースとして届くすべはなかった。しかし、大聖人は、この南宋の衰亡をはじめアジアの動向、そして民衆の苦悩を深く深く思いやられておられたにちがいない。
5  有名な「撰時抄」には、次のように仰せである。
 「伝え聞く漢土は三百六十箇国・二百六十余州はすでに蒙古国に打ちやぶられぬ
 ――伝え聞くところによれば中国の三百六十カ国・二百六十余州はすでに蒙古の軍勢に打ち破られている――と。そして、このような戦乱の打ち続く今こそ、広宣流布の「時」であると、大聖人は宣言しておられる。
 それは激動の世にあって、何のよるべもなく流離さすらう民衆に、真実の「幸福」と絶対の「安穏」を、永遠に与えゆかんとなされた師子吼ししくであり、その根本法が「妙法」なのである。
 大聖人は御書に「此の法門出現せば正法・像法に論師・人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光(中略)但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候、各各はかかる法門にちぎり有る人なれば・たのもしと・をぼすべし」とおっしゃっている。
 つまり――この大聖人の第三・文底下種の法門が出現するならば、正法時代や像法時代に論師や人師が説いた法門は、みな太陽が出たのちの星の光のようにかすんでしまう。(中略)ただこの大法だけが全世界に流布するであろう――と説かれている。――あなた方は、このような法門に宿縁ある人なのだから、頼もしく思われるがよい――と。
 まさに、太陽が昇りゆくがごとく、大聖人の仏法が赫々かっかくと全世界を照らし、流布していくとの御断言である。そして、えにし深くして、この大法に出あうことのできた人は、いかなることがあろうとも、「絶対に幸福になれる」との大確信に立って、泰然たいぜんとまた悠々ゆうゆうと生ききっていきなさいとの仰せと拝する。
 香港の皆さま方は、この大聖人の仰せ通りの、仏縁深き方々であり、妙法流布の尊い使命に生き抜いてこられた仏子である。ゆえに、仮に激動の時があったとしても、絶対に希望の道が開けないわけがない。必ずや「平和」と「安穏」の楽土が築かれ、「幸福」の人生を輝かせていくことができるのである。どうか、大聖人が仰せのごとく「たのもし」との大確信で、堂々と朗らかに、広布と信心の大道を歩み抜いていただきたい。
6  私の恩師・戸田先生は常にアジアのことを真剣に考えておられた。その行く末を胸中深く憂いもし、注目もしておられた。この香港の地にも、是非、訪問したいと念願されていたことを私はよく知っている。
 そのアジアへの先生の心を体して、私は今こうして、先生の名代みょうだいのつもりで、香港を訪れている。不二の弟子として、アジアの幸福を祈る一念は、毛筋ほども変わらない。
 戸田先生は、ある時、私どもが御本尊を受持する目的を、分かりやすく次のように教えてくださった。
 「人間の力というものは弱いものだ。自己自身に生きていると、いくら力んでみても、他人に支配され、対境に支配されやすいものである(中略)そこで、自己自身の生命が、もっとも強く、もっとも輝かしく、もっとも幸福であるためには、十界互具、一念三千の仏法に生きる以外にないと吾人は信ずるものである。
 これこそ七百余年前に、日蓮大聖人が大宇宙に対して呼号なされた大哲理である。われらを幼稚ようちなる者と呼ばれ、一念三千のたまを授けて、幸福境涯を獲得せしめると仰せられたのは、このゆえで、その一念三千の珠とは、弘安二年十月十二日に御図顕の大御本尊であらせられる」と。
 御自身の深き体験の上から、また理論の上から、この御本尊を信受する以外に真実の幸福はない。ゆえに大確信をもって迷わず信心に生き抜いていくべきである。そして一人一人が、所願満足の大安穏の人生を送っていきなさいと教えられたのである。
7  妙法の信心に生きゆく限り、一切に少しも無駄がない。すべてが「幸福」の方向へ、「成仏」の方向へと最大に生かされていく。
 良きにつけ題目、悪しきにつけ題目を唱えに唱えきっていく。自己の使命に生きながら、南無妙法蓮華経を自らも唱え、他にもすすめ、修行しきっていった時には、自身の生命の「我」は妙法に染めぬかれて、三世永遠に大宇宙の「仏界」と一体になっていく。こうなればもう絶対に「安穏」であり、「自在」の境界である。
 その途中においては、様々な悩みや障害があるのは、やむを得ない。それを乗り越えるからこそ、″修行″なのである。いな、むしろ悩みがあった方が題目もあがる。いつも健康で、あっという間に大富豪になり、家庭の中もいうことはない。病気も、何の悩みもない。あんまり早々はやばやとそうなってしまっては、凡夫は、とうてい真剣に信心に励めるものではない。それでは一生成仏もありえない。
 末法の功徳は「冥益みょうやく」が表であり、長い間に少しずつ、着実によくなっていく。福徳の大木が盤石に育っていく。その「成長」と「宿命転換」の事実の姿を示すことによって、周囲の人々にも妙法の偉大な力用を教えてあげることができる。初めから何もかも完璧であっては、何が信心の功徳かだれもわからないにちがいない。
 さらに、三世の生命観と信心の眼からみれば、じつは私どもは、みずから願って今の姿に生まれてきたのである。御本仏の久遠以来の本眷属けんぞくとして、妙法を証明し、広宣流布するために、願って、この時に、この国土に、この姿で生まれてきた。
 その誓願を、すっかり忘れてしまって、自分で決めた自分の境遇なのに、文句ばっかり言っている人もいる。
 この意味から言えば、どんな悩みも、所は自分が選んだ悩みである。妙法を実証するための悩みである。このことが本当にハラに入れば、悩みを恐れる必要は全くない。信心で、勇んで乗り越えていけばよい。また信心で乗り越えられない難や悩みなど絶対にない。
8  ″使命の人生″を″使命の天地で″
 その、最も大切な「信心」の軌道からはずれないように一人一人を守ってくれているのが、広布の組織である。まことにありがたい存在なのである。そのことは、目に見える身近な例だけでも、思いあたることがたくさんあるにちがいない。
 第一、ご主人が学会活動していれば、奥さま方も安心ではないだろうか。「どこかで一杯やってるんじゃないか」、「私に言えないようなところに、こっそり行ってるんじゃないか」等と、やきもきする必要もない。多くの人が行動を知っているから、ウソをついても、すぐに分かってしまう。ご主人のほうでも、毎日早くうちに帰って、奥さまの顔ばかり見ていては、だんだん新鮮味がなくなってしまう場合がある。
 お互いが、仏道修行のなかで生命を磨き、浄化して帰ってくれば、日々フレッシュな気持ちで出会える。愛情だって長続きするにちがいない。また、ご主人が信心されていない場合でも、奥さまが人間的にも成長し、ご主人の幸福を祈って唱題し、信心に励んでいかれること自体が、ご主人を最大に守っていくことになる。その祈りの心と行動こそ、最高の愛情であると私は信じる。
9  ともあれ、先ほど少し触れたように、信心の″大学″を立派に卒業すれば、すなわち自らの仏界の「」を盤石に鍛えあげた生命は、自分の未来を一念通りに自由自在に決めることができる。そして、生まれたい時に、生まれたいところに、生まれたい姿で誕生してくることができると、仏法では説かれている。
 この夫と、妻と、再び一緒に生まれて結婚しよう。そう決めれば、その通りになる。「今度は少し違う人がいい」――それもその通りになる。二人の意見がくい違ったら――。その時は、信心の強盛なほうの願い通りになるのではないか。
 日本ではかつて「天国に結ぶ恋」等といって、恋人同士の心中がはやったこともあった。しかし生命を傷つける罪は重い。また本当の自由の境界は妙法によるしかないことを知らねばならない。
10  もっとも不幸な人のところに、まっ先に駆けつける。それが真実の地涌の勇者である。自らの使命の舞台を選ぶ際も、その一念は変わらない。
 かつて日本は不幸のどん底の時代があった。そこに地涌の陣列が出現し、楽土日本へと方向づけていった。この方程式は、どこの地域にあっても同様である。
 今、皆さま方は、この香港の地で、自らも幸せになりながら、友に、また国土に真実の「平和」と「幸」の波動を広げておられる。お一人お一人が、この自ら決めた「使命の天地」で、「使命の人生」の尊き″ドラマ″を、立派に、思う存分、繰り広げていただきたい。
 香港――このロマンあふれる地名の由来については諸説あるようだ。なかに、かつてこの地が″香料を積み出した港″であったからという説がある。
 それが由来かどうかはともかく、この香港から、各地に素晴らしい″香″が送り出されていったことは事実のようである。この香は最高級の品質を誇っており、なかでもすぐれたものは、黄金にも匹敵するとされるほど珍重されたという。「香港」の名には、まことに馥郁ふくいくたる気品がかおっている。そのせいか、皆さま方もどこか品格かおる方々が多い。また現実の街も、近年の″クリーン・キャンペーン(美化運動)″等によって、いよいよ、その名にふさわしい街になってきているようだ。
11  ともあれ香港は、パリやハワイ等と並んで、世界中の多くの人々に愛されている都市である。この地への誇りと愛情を、信心の決意に昇華し、アジアの″かぐわしき港″を皆さまのお力で荘厳していただきたい。
 妙法こそ、生命を無上の馥郁たる香りで薫じゆく大法である。唱題の力は、その人を何ともいえぬ、ふくよかな香気で包んでいく。その、にじみ出る清浄な生命の芳香は、周囲の人々にも、さわやかな、そして明確な印象を与えずにはおかない。そのことは私の体験の上からも、また身近に妙法の友を知る各界の方々の話からも、間違いない事実である。
 御書には「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」と仰せである。
 もとより、これは別しては御本仏・日蓮大聖人の御ことであられる。ただ総じていえば、大聖人の仏法を信受した私どもも、この尊極の妙法の力用によって、我が生命を、最高に高貴ならしめることができる。そして我が国土をも、最高に尊く価値あらしめていける大法であると申し上げたい。
 皆さま方は、この「香しき港」――香港の地の現実の中で、自分の人生を、自分の人生らしく、立派に完成させていただきたい。そして、周囲の人々からも「ああ、すばらしい人だ」「あの人がいれば安心する」と信頼され、慕われながら、この地に、自分でなければならない自分自身の使命の歴史を、強く深く刻んでいただきたい。
 その名香しく、三世永遠に薫りゆく、素晴らしい人生行路の軌跡を描き残していってくださることが私の最大の念願である。
 皆さま方はアジアの「平和の夜明け」を開きゆく尊き先駆者であられる。その意味から、香港の妙法の友全員のお名前を、私が銅板に刻ませていただきたい。そして、このアジアの「平和の殿堂」ともいうべき香港文化会館に掲げ、後世に永遠に顕彰させていただきたいと考えている。
 最後に、本日お目にかかれなかった方々に、くれぐれもよろしくお伝えくださるようお願い申し上げ、私の祝福のスピーチとさせていただく。

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