Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第六章 労苦が培った人生の知恵
「太陽と大地開拓の曲」児玉良一(池田大作全集第61巻)
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夢の自宅を購入
池田
そこで家も落ち着いて。
児玉
最初の七、八カ月は賃借りしてました。自分の家を持ちたいと思ったけれど、知人から「町に住む以上は借金しちゃだめだよ」と言われてね。まあ、少しずつは怠らずに貯金もしてました。仕事に一生懸命、頑張った。
それでサンパウロの土地を売って、この土地に来てやっと初めて、自分の家を買うことができました。二十年ぐらいかかりましたけどね。
だからブラジルの中でも、サンパウロと、このプレジデンテ・プルデンテは苦労がしみこんでる。(笑い)
池田
まさに、第二、第三の故郷ですね。移ったころ、お子さんはおいくつでしたか。
児玉
まだ小さかったですよ。末の子がまだ六カ月でしたから。
運搬業者には日本人が結構いたんですよ。仲よく心を合わせてね、みんなにいろいろ教えてもらって。初めての仕事なもんだからね。何でも第一に人と知りあうことですね。
一時ひどい不景気になって、仕事がなくなってね。サンパウロ州全体が不景気で、仲間が集まっても皆、仕事がない。辛い毎日でした。それで私ともう一人が仕事を探しに出たんです。お金もないですから、行きは歩き。帰りだけバスでした。
池田
児玉さんにとって、忘れ得ぬ時代の、忘れ得ぬ人々ですね。
児玉
はい。でも、みんな亡くなって、今では私一人になってしまった。ちょっと寂しい気持ちです。
それでなんですね、家では子どもは小さいし、末の子のために牛乳を買ってあげなければいけないし、それで、仕方なくヤギを飼ってね。その子にヤギのお乳を飲ませて育てました。
池田
ヤギのお乳を。
児玉
ええ。友だちの子どももやっぱり小さかったから、私はそのヤギの乳をしぼってね。それを送って飲ませてあげたこともあった。
だいぶ経ってから、その子どもさんが大きくなって、「子どものころにヤギのお乳をもらったんだよねえ」という話が出たこともありましたね。(笑い)
池田
いいお話ですね。困ったとき、庶民のほうが助けあいますよね。偉い人は格好がよくて、口はうまいけど何もしてくれない。(笑い)
児玉
そんなころ、たまたま市から八十キロくらいのところで、ある人のトラックが壊れましてね。その主人が交渉に来て「八十キロ先にトラックが壊れているけれど、お前、行ってくれるかい」と言ってきた。私は喜んで「ああ、すぐ行きます」と(笑い)、道具を借りてとんでいったんです。それで修理がすんで届けたところが、その主人が喜んで、ぜひともパラナ州のほうへ仕事に行ってくれと言うんで、やっと仕事が手に入ったわけです。
そうやって、一生懸命にやっているうちに、独立して始めた運搬業も、だんだん調子に乗ってきた。
池田
人生が開けるときは、必ず陰の努力がありますね。自分も苦しいときにヤギの乳をほかの家に分けてあげたり、困った人のところへすぐ駆けつけていったり――。児玉さんのお話を聞いて、仏典のある一節を思い出しました。
「夜、人のために火を点せば、人だけでなくわが身も明るくなる」(御書一五九八㌻。趣意)――同じように、人の色つやを増せばわが色つやも増し、人の力を増せばわが力もまさり、人の命を長らえさせればわが命も長らえる――。
人の生命を守ることは、自分の生命を守ることにもなる。人への思いやりの心が人一倍強かった児玉さんが長生きをされ、今もかくしゃくとされている。私は人生の一つの味わいを感じるんです。
児玉
当時はだれもが生きるのに懸命でしたからねえ。助けあうことの大切さも感じましたよね。
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