Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第五章 日本人とブラジル人
「太陽と大地開拓の曲」児玉良一(池田大作全集第61巻)
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広大な自然との闘い
池田
一つの人生の転機でしたね。今度はどんな内容の仕事を。
児玉
そのイギリス人の耕地を運転して回るんですが、広いもんで、一回に行って帰るのが十五日ばかりかかる(笑い)。それで耕地で二、三日仕事して帰ってくる。時には二十日ほどかかるときもありました。
ガソリンスタンドもありませんから、途中でガソリンがなくなって、馬に乗って買いに行った(大笑い)、なんてこともありましたね。
池田
広大な自然との闘いのなか、ともかく必死で働いた。
児玉
ほんとです(笑い)。でも、サンパウロにいた時の機械工の技術がここで役に立ちました。
ある耕地を全部回った時ね、雨の多い月でよく降って、自動車が調子悪くなって、主人が「どうしたら、いいか」と。私が「なんとかします」と言ったら、「それじゃあ、してくれ」(笑い)と言うもんで、壊れた自動車を組み立ててペンキを塗り直して、ひじょうに喜ばれました。
池田
「なんとかします」。いいですね(笑い)。凛々しい青年に成長されていたんでしょう。太陽の下で、汗まみれになって奔走する児玉青年の姿が目に浮かんでくるようです。
私も大勢の人と会ってきましたが、試練をこえてきた人は、いい意味で楽天的ですよね。人からも自然と頼りにされる。
児玉
そうそう、この時分、夫婦そろってマラリアにかかってしまいまして。川沿いの街でしたし、マラリアがずいぶんはやったんです。子ども三人はかからなかったのが救いでした。
そんなこんなで、ピタンゲーラには七年間いましたね。子どもも、ここにいる間に六人できました。それでまた年子が続いたから、たいへんだった。(笑い)
池田
今もかくしゃくとされていますが、ほかに何かご病気の体験は。
児玉
だいたい私は、心臓とかの大病はしたことがなかったんですが、まだサンパウロにいるころ、一度リオ(リオデジャネイロ)に行った時に、帰ってきたら何か正体不明の病気にかかってしまいました。
そんなに長い間ではなかったんですが、寝こんで起きられなくて。ちょうど長男のハウーと長女が生まれたばかりの時で、この時ばかりは、「自分が死んだら子どもをどうするか」と、深く心配しましたよね。まだ運転手の仕事も安定してなかったですし、言葉も不安だった。
それで隣近所の人たちもたいへんに心配してくれて、医者を呼んでくれたりして、意外に早く回復しました。その時以来、人間が強くなって、少々のことでは驚かなくなりました(笑い)。一度死ぬ思いをすると強くなりますね。
池田
私も若い時に肺を患って、“三十歳までは生きられるかどうか”と言われた体でした。
児玉
そうだったんですか。
池田
いつも“死”と隣り合わせにいる思いがありました。その分、生きることのすばらしさ、生命の尊さに敏感になったのかもしれません。
児玉
私も生きるのが戦いで、いろんなことを勉強させてもらいました。それで、がまん強くなった。(笑い)
池田
ブラジルでは「がまんする」「忍耐強い」ということが美徳とされているとうかがったことがあります。日本人の忍耐強さを、それだけお国の人々は認めてくれたのかもしれませんね。
児玉
ブラジル人は「落ち着いて」「がまん、がまん」とよく言います。(笑い)
池田
青春時代に読んだ文豪ゲーテにこんな言葉がありました。
わたしは我慢ができなくなると
地球の辛抱づよさをかんがえる。
地球は毎日毎日くるくる廻り、
毎年毎年大廻りをしているそうな。
わたしにだってほかにどういう仕方がある?
(『ゲーテ詩集』手塚富雄訳、角川書店)
人間もまた「地球」と同じように、人生と社会の確かな軌道を倦まず弛まず、自分らしく歩みぬきたいものです。自分に勝つ人が真の勝利者になるのですから。
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