Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 新天地に夢を馳せて  

「太陽と大地開拓の曲」児玉良一(池田大作全集第61巻)

前後
4  ところで、笠戸丸の乗船者のなかでは、児玉さんや山田さんの息子さんが、いちばん若かったのでしょうか。
 児玉 私が十三歳、山田君が十二歳で、まだほかに十二歳の子が何人かいました。当時は、世間的にも「十二歳で一人前」という考え方があったんです。サンパウロ州の補助金も、十二歳以上で一〇ポンドという話でした。
 池田 ブラジルへは、長い船旅でしたが、船の中の生活はどうでしたか。
 児玉 そうですね。とにかく、船員さんや同じ移住者の人たちにかわいがってもらいましたよ。なかでも矢崎節男さんという方と知りあって、本当にお世話になったんです。この方は長野出身の自費移民で、まだ二十代くらいの方でしたが、のちに現地で、家庭奉公の口を紹介していただいたり、いろいろと私の面倒をみてくれてね。
 池田 船の上では何か楽しみはありましたか。(笑い)
 児玉 船が日本を発つと、私は毎日、神戸の港で買ったオモチャで遊ぶのが日課になりました。小鳥やら、猫やら、犬やら、小さいオモチャでしたね。
 夜になると、ほかの子はお姉さんとか両親がいましたから部屋に帰っていくのですが、私は一人きりで遅くまで甲板で遊んでいました。その姿を見てふびんに思ったのか、矢崎さんが声をかけてくださり、毎晩、話を交わすようになったのです。矢崎さんはいつも私を呼んで、いろいろ話を聞いてくれたり、面白い話をしてくれました。その矢崎さんも、今はもう亡き人ですが……。
 池田 皆さんの関係は、同船者から、もっと緊張感に満ちた“運命共同体”となり、いわば「家族」のようであり「同志」のような関係に近くなっていった……。
 児玉 まあ、どうしても、そうなってしまいますよね。
 池田 苦難を共にすればこそ、人と人との心の絆は深く結ばれていく。立場は違いますが、私にも一緒に険しい人生の航路を越えてきた多くの友人がいます。その尊い方々がいればこそ、私自身も、一歩も退かずに人生を前へ前へと進むことができたと、深く感謝しています。平坦な人生は恵まれているようで、深い心の結びあいも、人生の味わいも芽ばえない。
 児玉 私も今、こうして自分がいるのも、大勢の人たちのおかげと、ありがたく思っているんです。
 船員さんにくっついて広い船内を歩きまわったり、監視室に入ったり、船員さんにかついでもらって遠い景色を眺めたり。みんな気さくで優しい人たちでした。とにかく、何から何までめずらしくてしようがありませんでした。(笑い)

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