Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 日伯友好の先駆の道  

「太陽と大地開拓の曲」児玉良一(池田大作全集第61巻)

前後
6  なにしろ、船賃や途中の宿賃、手数料など、当時のお金で百五十円くらいしましたから、たいへんな額です。サンパウロ州政府からも船賃として多少の補助金はもらったのですが。
 池田 たしか当時は、小学校の先生の初任給が十数円という時代でしたね。旅費の工面も容易ではなかったことでしょう。お父さんも、やはり寂しいお気持ちだったでしょうね。
 児玉 そうですね。ただ、二、三年経ったら私が帰ってくると考えていたようでしたから、それほどでもなかったかもしれません。もっとも私は、二年や三年で帰ってこようなどとは思ってもいませんでしたが……。(笑い)
 池田 では最初から永住する決心だった。
 児玉 そう。それだけ深く決めてましたからね。帰るという考えは毛頭ありませんでしたね。私は変わったところに行くことが楽しみだったんです。そして、早く自分で働いて稼ぎたいという思いだけだった。
 池田 日本を旅立つ時、ご両親は。
 児玉 父は広島まで見送ってくれました。別れる時、無言でした。同級生たちも一緒に来てくれました。
 母と姉は、広島に向けて出る川船の乗船場まで来てくれました。母はたいへん悲しがってましてね。姉も黙っていたけれど心配そうな様子でした。けれども、私はただただうれしくて、胸をわくわくさせていました。
 池田 ご両親の胸中は言葉には表せないものだったでしょう。かわいい息子を外国に旅立たせる辛さ、心細さは、いかばかりだったかと思います。
 しかし、お父さんは、一個の人格として、児玉さんの生き方を尊重し、信じた。
 児玉 そう。おじいさんも親戚の者も皆して、父に「お前は長男を家からよく考えて出せよ」と言ってました。
 でも私は、そんなことはもう耳に入らなかった。(笑い)

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