Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

杉並、品川区記念合同幹部会 自らの胸中と地域に広布の城を

1987.12.28 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

前後
2  宇宙の一切は、一瞬の静止も停滞もなく、変転していく。
 わが地球も、二十四時間のリズムで自転しながら、太陽から約一億五千万キロの距離の軌道の上を、毎秒約三十キロのスピードで公転し、三百六十五日で一回転する。
 ご承知のように、自転の周期は正確には二十三時間五十六分四・〇九〇五秒。公転の周期は三百六十五日と六時間九分十二・九六秒であり、この誤差は四年に一度、うるう年を設けて調整している。
 まことに厳然たる宇宙の運行である。この妙なるリズムに、あらためて思いをはせるにふさわしいのが、″正月″といえるかもしれない。
3  ところで最近の医学の研究によると、人間の脳には、この地球の公転と一致する″一年周期″の変化がみられるという。
 時間の関係もあり、詳しくは略させていただくが、これは東京医科歯科大学の角田忠信教授の説である。(以下、「脳のスイッチ」―『サイエンス・日本版』一九八五年八月号掲載、日経サイエンス―を参照)
 同教授によると――人の脳には、さまざまな音を左右どちらかの耳でとらえるが、左右どちらかが優位性をもって聴覚情報をつかまえ、かつ右脳と左脳に振り分けて聴くための精密なスイッチ機構があることがわかったという。このスイッチは、たとえば二十二歳の人は二十二ヘルツの音で、右耳と左耳の働きが逆転する。同じく四十五歳の人は四十五ヘルツの音で逆転するというように、満年齢による規則的な違いがある。一ヘルツとは一秒間に一回の振動数である。
 しかも、その人の誕生日の前後で、正確に変化していく。また各人のこうした″年齢周波数″の整数倍の周波数でも、同様の現象が起きた――という。まことに興味深い研究である。
 同教授は、これを「宇宙環境に周期する小宇宙である脳の変動」として、「脳の年輪系」と表現している。そして、低音域におけるこのシステムは「すべての生物に共通する、より根源的な未知の世界を垣間みせているのかも知れない」と述べている。
 一個の人間の生命が、いかに大宇宙との深き連関性を持って、活動しているか、その一端を示唆しているともいえよう。
4  恩師・戸田先生は「宇宙」と「生命」について、よく次のように話してくださった。
 「地球が宇宙の惑星の一つなら、われわれ人間も、おなじだ。人間の活動といったところで、宇宙のリズムある法則からまぬかれることは、絶対にできない。そのような法則を、生命という次元から、根本的に、事実として説かれているのが、大聖人の仏法である。これがわかってしまえば″我即宇宙″であり″宇宙即我″ということになる」
 小説『人間革命』にも、大要しるしたことだが、この簡潔にして本質を言い尽くした先生の言葉は、今も脳裏から離れることがない。
5  大宇宙を貫く絶対普遍の「法」――それは、同時に、我が生命を貫く「法」でもある。その「大法」を、現実のうえから説ききったのが大聖人の仏法にほかならない。
 宇宙のリズムは絶対にして無窮むきゅうである。ゆえに、我が生命の「法」も、永遠にして悠久ゆうきゅうであり、だれ人も、この「法」から免れることはできない。
 要するに、この「法」にのっとった正しき人生を生きるか、それとも、この生命の軌道を外れた″迷走″の生涯となるか。ここに価値ある人生か否かの根本の″岐路″がある。
6  妙法という、宇宙を貫く生命の「法」に則って生きゆく時、最大に価値ある人生を築くことができる。一年一年、正しき生命のリズムを刻み、素晴らしき人生の″年輪″を重ねていくことができる。
 反対に、この絶対の「軌道」を外れてしまえば、いかなる人生も、創造と前進のリズムを失い、空転と迷走を繰り返すことになる。それでは、宇宙のリズムに則った最高に価値ある人生を歩みゆくことはできない。
 たとえば、どのような精巧な機械も、ひとたびどこかに″狂い″が生じ、正常な動きのリズムを失えば、その機械は使いものにはならず、無価値となる。
 人間も、人生も、また同じである。一度、″狂い″を生じたものは、なかなか、正常に戻すことはできないものだ。
 夫婦や親子の関係でも、一度生まれた″狂い″や″まさつ″が、なかなかもとに戻らないことは、皆さま方が、よくご存じの通りである。
 ともあれ、「正法」への信心という一点だけは、いかなる″狂い″も生じてはならないことを申し上げておきたい。
7  信心の正常なリズムに則って生きゆくために、毎年、一年の出発にあたって、自身を深く省みることは、大切なことであろう。
 日淳上人は、かつて「十字むしもち御書」を拝し、次のように述べられている。(『日淳上人全集 下巻』)
 「人生においては、常に旧套きゅうとう(=旧態のこと)を脱し、より一層意義ある生活をいたすべきであります。然るに、大概はこの旧套を脱しきれず、つまらないとか、悪いとかということを思いながら、そのままズルズルと暮らしてしまうのであります。これに対して正月はまったくよい機会でありまして、世間も人も皆新しく立ち帰るべき跳躍台であります」
 まったく、仰せの通りであると、私は思う。
 日淳上人は、引き続き、次のように話されている。
 「しかし、凡夫の悲しさ、年々歳々そう思うても正月の過ぎるについてまた戻って了うのであります。そこで凡夫に対し仏が妙法を授け給い日々夜々にこの事が出来るようにあそばされておるのであります。即ち久遠元初の妙法を授け給い信力によって境智冥合を期せよと仰せられるのであります。久遠元初の妙法とは久遠元初の本有の実相であります。この境地に住しこれより自己を照し来るとき真の自己に徹することができるのであります。人生の意義は此処にはじめて豁然かつぜんと開けるのであります」
 つまり、私どもは、正月に限らず、御本尊に日々、唱題することにより、妙法の当体である御本尊と境智冥合し、自己を宇宙の絶対のリズムと合わせていくことができる。これほど尊く、素晴らしいことはない。
8  同じような意味になるが、私は『生命と仏法を語る』の対談のさい、次のように述べた。
 「御文に『法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり』とある。これは身体が『不老不死』ということではない。
 ともかく人生は限りがある。この限りある一生を瞬間、瞬間、いかに楽しみながら、いかに価値あるものにしゆくか……。
 さらに、その瞬間、瞬間の中に、永遠をもはらみゆく自分自身を覚知しながら、この人生を満喫していくことができるのが『妙法』なのである」と。
 これほど価値があり、満足と充実に満ちた人生はない。それが、「妙法」そして「信心」に生きゆく私どもの人生なのである。
9  御本尊を拝むことが本当の哲学
 次に、「人生哲学」の側面から、仏法の生き方についてふれておきたい。青年部の方々には、その方が分かりやすい面があろうと思うからである。
 戸田先生は、昭和二十八年(一九五三年)十一月に開催された第二回文京支部総会に出席された。この年の四月から、私は文京支部長代理として、同支部で指揮をとった。本日この席には、当時、文京支部長であった田中都伎子さんも参加されているが、私は全力を尽くして戦い、弱体の文京支部を第一級の支部につくりあげたことも、今は懐かしい。
 さて、戸田先生はその講演のなかで、「哲学」について、じつに分かりやすく話をしてくださった。高度な内容のものでも、先生は、一つ一つ庶民に理解しやすく教えてくださった。まさに″天才的″ともいえる指導者であった。こうしたすばらしい指導者を″人生の師″にもったことは、私どもの最大の誇りである。
 そのさい戸田先生は、次のように話をされた。
 「いちばんやさしい哲学は、水戸光圀みつくに(黄門)の漫遊記があるが、その中に、いなかでおばあさんに水をくれといって、米俵に腰をかけたら、おばあさんが、これは水戸様に出す米だといって怒った。光圀は頭をさげてあやまった。聞けば、こっけいな話であるが、おばあさんには、自分の作った米を領主様にさしあげること、このことが哲学である。
 『だれがなんといっても、これだけはどうしようもない』、これが哲学である。(中略)
 日蓮大聖人様は、いかにすれば人類が幸せになるかを考えられた。デカルトやカントの哲学をやったから、などとくらべてもだめだ。最高の幸福を与える御本尊様を示された、大聖人様の哲学に、われわれが従いきったときに、われわれが絶対幸福になれる最高の哲学があるのです。(中略)
 いまの私の哲学は、御本尊様を拝むこと以外にない。これをのぞいて、ほんとうの哲学はどこにあるか」(『戸田城聖全集 第四巻』)と。
 まさに、その通りだと思う。信心は哲学のための哲学でもなければ、理のみの哲学でもない。だれ人たりとも幸福になれるのが信心である。皆さま方は、その絶対的幸福を築くための、実践の大哲学者であることを、深く確信されたい。
10  本日は東南アジアの方々も参加されているので、東南アジアに関連したお話をさせていただきたい。というのも、明年(一九八八年)、初めてマレーシアを訪問する予定になっており、現在、その準備を進めている。また招待状もいただいている。
 十一月に、このマレーシアのマラヤ大学のウンク・A・アジズ副総長と会談したが、ある時アジズ副総長は次のように語られていたという。
 「私は戦争中、日本に留学した。早稲田大学で経済学を勉強した。その時、大隈重信、福沢諭吉の伝記を読んだ。彼らから学んだことは、あせってはならないということだ。地道に粘り強くやり抜くことを学んだ」と。
 さらに次のようにも述べられていた。
 「アラビア語に『サバー』という言葉がある。これには二つの意味があり、一つは『待ちなさい』『がまんしなさい』という意味です。もう一つは『一生懸命やらなくてはいけない』『あきらめてはいけない』という意味です。あせってはならないが、あきらめずにやり抜く――これが大切だと思う」と。
 これは私どもにもあてはまる道理といってよい。
 また、マレーシアの今の文部大臣について語っていたが、同大臣は大学を卒業したあと、すぐに政府の役人にはならずに、青年運動家の指導者として戦った。そして逮捕され、二年間、投獄された。
 これは治安法によっての逮捕であった。逮捕の名目は牧口先生、戸田先生と同じである。牢獄を出てから政府の役人になり、今は文部大臣となったが「政治家にとって政治犯で逮捕されることは勲章のようなものだ」と語られたという。
 ましてや最高の仏法の広宣流布を遂行しようとしている私どもが受ける難や迫害は、人生の、そして人間としての最高に輝く勲章である――この点を明確に私は言い残しておきたい。
 妙法流布に進むなかでの難は乗り越えられるかどうか。そこに、世法に流された人になるか、仏法の永遠性の勲章を持つ資格のある人になるか、人生の分かれ道があることを知らねばならない。
11  胸中に「妙法の宮殿」の「城」を築け
 かってアメリカの若き大統領・ケネディが、パリを訪問した折、次のように語ったといわれる。
 「誰でも二つの心のふるさとを持つ。それは自分の生まれた国とフランスである」(萩野弘巳・二見道雄『フランスあらかると』三修社)
 世界の人々は、自分の故郷とともに、フランスという憧憬しょうけいの地を胸中にもっているといいたかったのであろう。
 また、かつてフランスの作家サン・テグジュペリはこう言っている。
 「城砦じょうさいよ。わたしはおまえを人間の心のなかに築くだろう」(『城砦』山崎庸一郎訳、『サン・テグジュペリ著作集6』所収、みすず書房)――と。
 短い表現であるが、含蓄のある言葉である。
 「城」といえば、さまざまに表現できようが、戸田先生も「城聖」という名前であった。また「人は石垣 人は城」との「城」もある。
 いかなる「城」を築くかが、私どもの戦いである。それは、生命の「宮殿」であり、広布の牙城の「城」なのである。
12  戸田先生は次のような和歌をんでおられる。
 「君強し 妙法のとりでの ぬしとなり 功徳の雨を 友にふらせよ」
 (以下、和歌は『戸田城聖全集 第一巻』から引用)
 この歌は昭和二十六年(一九五一年)十一月十八日の学会創立記念日に詠まれたものである。
 ここで戸田先生は、君は信心強盛である。どうか妙法の砦、城のあるじとなって、広布の友に、功徳の雨をたくさん降らせていってほしい、と願われている。
 また、「妙法の 道に生きぬく 学会の 砦はかたし 永久とわの命に」と。この歌を拝すると、ひとこと、ひとことにじつに深い人生の哲理が含まれていると思えてならない。
 その意味において、私は「妙法」という最極の道を歩んでいかれる皆さま方お一人お一人の胸中に、輝きわたる″妙法の宮殿″の「城」を築いていっていただきたいのである。とともに、品川には品川の広宣流布の「城」を、杉並には杉並の広宣流布の「城」を、さらに大田の地にも、新宿の地にも、さらにすべての皆さま方の地域にあっても確固たる広宣流布の見事な「城」を築いていっていただきたい。
 みなさまの胸中にも、またそれぞれの地域にも「城」が築かれてこそ「依正不二」の法理の偉大なる証明にもなっていくのではないだろうか。
13  次に、有名な「妙法の 広布の旅は 遠けれど 共に励まし 共々に征かなむ」との先生の歌がある。
 この歌はご承知の通り、戸田先生の私どもに対する遺言である。広宣流布という崇高な道をともどもに励ましあいながら進んでいきなさい、との永遠の指針でもある。
 広布の歩みは、困難の多き長き旅路である。しかし、この誉れの道を進みゆく私どもは、広宣流布成就のその日まで、妙法の同志として、どこまでも、ともどもに励ましあい、前進をしていきたい。
 最後に、秋谷会長をはじめ、全学会員の皆さまが、すばらしき幸福に満ち満ちた人生の日々でありますとともに、良いお正月を迎えられるよう、心からお祈り申し上げたい。また、本日、お会いできなかった皆さまにも、くれぐれもよろしくお伝えくださいと申し上げ、私の本年最後のスピーチとさせていただく。

1
2