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日蓮大聖人・池田大作

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豊島、台東、墨田、目黒区合同総会 真の人間組織こそ宗教の基盤

1987.12.12 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

前後
2  人間の「生」と「死」は、一つのドラマである。
 過日、草創以来の功労者で、静岡の圏副指導長の片平繁一さんが亡くなった。片平さんは、昭和二十九年(一九五四年)に入会。三十一年には、清水で初の男子部・隊長に就くなど、地域広布の発展に見事な足跡を残された。私にとっても忘れられない同志の一人である。
 草創期に、青年部として、ともに活躍された大勢の方々を、私は今もって覚えている。仮に名前は思い出せなくとも、会えば即座に″一緒に戦ったあの人だ″と、脳裏によみがえってくる。片平さんの訃報ふほうに接した時も、″あっ、あのまじめな方が……″と、瞬間的に思い起こした。子息は、確か、市議会議員をされていたと思う。
 片平さんは、昭和五十七年、肝硬変で倒れた。手術で脾臓も摘出し、医師からは「あと一年もてば、幸運です」といわれたという。その後、九回もの入退院を繰り返すが、とうてい、それから五年も生きるとは、想像できなかったようだ。
 そうしたなか、片平さんは、退院すると、必ず、座談会などの会合に出席し、個人指導にも足繁く通った。入院中は「元気になりたい。座談会に出たい。退院して個人指導に当たりたい。眠っている人を奮い起こしたい」というのが、口ぐせだったという。
 ″眠っている人″とは、単に睡眠をとっている人ではない。信心が休みになっている人のことである。
3  つねづね申し上げていることだが、人は、年とともに老い、徐々に、病を患うようにもなる。若いうちに、また健康なうちに、思う存分、広布のために働き、永遠の福徳を築けることほど幸せはない。青春を無為に過ごし、あとで悔やみ、苦しむのは、自分自身である。
 尊い一生である。未来に悔いを残し、後悔するような人生であっては、決してならないと申し上げておきたい。
4  片平さんの死去は、去る五日のことであった。その前日、長男の博文さんを枕もとに呼び、「これだけは、言い残しておきたい」と、次のように遺言した。
 「(池田)先生に伝言をたのむ。こんど生まれてくる時は、各国語をマスターして、広宣流布に役立つ人間として生まれてきます。先生、三十三年間、ありがとうございました」
 ――そう語ると、眠るように目を閉じ、深夜、夫人に見守られ、従容しょうようと息をひきとったという。享年六十四歳であった。
 まことに立派な人生のドラマである。いかなる高位高官、また著名人であれ、このような安らかな臨終を迎えられるかどうか――ここに、人生の最重要な課題が残されている。
 この「生死」の問題に光を当て、解明しきった大法が妙法である。片平さんの安祥たる死の姿こそ、真実の信仰をたもったあかしとはいえまいか。
 私は訃報を聞き、衷心から追善の唱題をするとともに、和歌をみ、贈らせていただいた。また、先ほどスピーチに先立ち、唱題したのも、改めて学会本部で追善したいとの思いからであった。
5  同志は成長と創造への「善知識」
 さて、本日は、若き諸君が二十一世紀の立派な指導者と育ちゆくために、広布の「組織」について、種々、論じておきたい。
 皆さま方は、私のスピーチというと、すぐナポレオンやソクラテスといった話を期待するかもしれない。しかし、将来のためには、たとえ地味であっても、信心の確実な軌道について、きちっと話しておくことも不可欠である。話は、少々難しくなるかもしれない。眠たい方は眠っていただいても結構である。が、私は、後世のために、いうべきことを、きちんと話し、残しておきたいと思う。
6  まず「組織」の字義について、確認しておきたい。(以下、主に『大漢和辞典』『広辞苑』等を参照)
 「組織」の「組」の字は、元々は、糸をより合わせて作ったくみひもを意味したようだ。その原義から、「ひもをくむ、組みあわせる」「組み立て、組織する」「仲間を作る」こと、また「ひとそろい」「仲間」等々の意味に派生していく。
 「組」の字の″つくり″にあたる「且」は、「かつ、その上、さらに」の意をもつように、「積み重ねる」という意味をもつともいわれる。また「組」の古い形には、「手」の字が添えられており、こうしたことから「組」の字には″手作りの作業を積み重ねて、何事かを作りあげていく″との意味あいもあるように感じられる。
 一方、「織」は「はたおり」のことであり、ひいては「組みあわせ、組み立てる」ことを意味している。
 こうした元来の字義から「組織」とは、「糸を組み、はたを織ること」の意味をもつが、現在ではそれに加え、「順を追って次第に立派に作りあげること」「秩序をつけて組み立て、作ること」「団体または社会を構成する各要素が、統合して有機的な働きを有する統一体となること。また、その構成の仕方」などの意味がある。
 今述べたなかで「有機的」とは、「多くの部分が強く結びついて全体を形作り、お互いが密接に関連しあって働く様子」をさす。たとえば、動植物など生命体の働きは、まさしく「有機的」である。
 「組織」は、英語では「オーガニゼーション」というが、その動詞「オーガナイズ」も元来は「有機的構造を与える」「生命体化する」の意味である。そこから「組織化する」「系統だてる」「整然とまとめる」「気持ちを整える」等の意が生まれた。
7  さらに「組織」について、現代的な意味あいも含めて、次のように解説しているものもある。
 「企業体、学校、労働組合などのように、二人以上の人々が共通の目標達成をめざしながら分化した役割を担い、統一的な意志のもとに継続している協働行為の体系と定義することができる。すなわち、分化した機能をもつ複数の要素が、一定の原理や秩序のもとに一つの有意義な全体となっているものの意であるから、広義には、動物や植物の場合にもひとつひとつの細胞が集まって成り立つ場合、細胞組織とか人体組織というように用いられる。組織は個人なしには存在しえず、単なる個人の総和以上のものである」(『世界大百科事典16』平凡社)と。
 未来の広布の組織を担う青年達に、何らかの示唆ともなれば、と思い、「組織」について、いくつかの角度から紹介させていただいた。どうかご了解願いたい。
8  日蓮大聖人の御在世当時には、信心の大きな組織は、なかったと思われる。信徒の数も限られており、本格的な意味での「組織」は必要なかったのであろう。
 しかし、大聖人は、今日の組織のありかた、意義等を照らし出すような御文を、随所で述べられている。
 たとえば「寺泊御書」には、「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」との有名な一節がある。――妙法を信じ、広宣流布への″志″をいだいて進む人達は、一処に集まって、法義を聴聞しなさい――と。
 広布への尊い″志″も、なかなか一人で堅持していくことは難しい。そこで、皆で集まって、仏法を研鑽し、励ましあうことが大切となる。きょうもこうして、妙法流布を目指す使命の人々が″一処″に集い、互いに信心の決意を固め合っている。大聖人が仰せの通りの正しい姿であると確信してやまない。
9  学会の組織は、どこまでも広宣流布の推進のためにある。また一人一人の信心の″成長″と″成仏″への軌道を支え、守り合っていくためにある。その意味で、広布の組織とは数限りない「善知識」の集いであるといってよい。
 大聖人は「三三蔵祈雨事さんさんぞうきうのこと」で、冒頭から「善知識」の必要性を強調しておられる。
 「夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ」――。木を植えた場合、たとえ大風が吹いたとしても、強い支柱で介添かいぞえすれば倒れない。反対に、もともとえている木であっても、根が弱いものは倒れてしまう――。
 「甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ」――人間においても同じである。力弱くふがいない者であっても助ける者が強ければ倒れない。逆に、少々壮健なものでも独りであれば、悪い道には倒れていまう――。
 これらは道理である。誰びとも異論はないにちがいない。仏法の教えは常に、こうした万人が納得せざるを得ない″道理″の延長線上に説かれている。このことを改めて確認しておきたい。
 すなわち成仏の道においても、たとえ最初は信心弱き者であっても、強い支えを得れば倒れない。反対に、なまじっか自分は信心が強いと思っていても、三障四魔の吹き荒れる悪路を独りで歩み通すことは容易ではない。そのために、どうしても同志が必要である。善知識が必要であり、信心の組織が必要となる。
 もちろん成仏は一人一人の修行であり、努力による。他の誰をも頼らず一人立って歩みきる覚悟が必要である。組織や同志は、その個人の修行を励まし、啓発しあうという意義を持つ。あくまでも個人の成仏の完成を助ける補助の役割である。そしてまさに、この補助の役割であるがゆえに重要なのである。
 さらに「されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせち大切なり」――ゆえに仏になる道は善知識にまさるものはない。我が智が何の役に立とうか。ただ暑さと寒さを知るだけの智だけでもあるならば、善知識に求め近づくことが大切である――と。
 仏の道は甚深であり、その智慧ははかりがたい。それに比べれば、どんなに賢く見えても凡夫の智慧など、わずかなものである。ゆえに成仏する道は正しき善知識につく以外にない。そうすれば、善知識の力で、誤りなき成仏への軌道を進んでいけるのである。
 大聖人が「わが智慧なにかせん」と仰せのごとく、いかなる大学者であっても、仏法のことは仏法者に学ぶ以外にない。どんな大科学者、大医学者も、自分の生命、人生を解決できる智慧があるわけでない。また、大政治家、大富豪であるといっても、絶対的な幸福への法則を知っているわけではない。
 にもかかわらず、皆わずかばかりの「わが智慧」をたのみ、謙虚な求道の心を見失う。ここに不幸の因がある。
 知識イコール幸福ではなく、富イコール幸福でもない。また地位や名声イコール幸福でもない。分かりきっているように見えて、この厳粛な事実に深く鋭く目をこらす人は少ない。しかし、この一点にこそ、人間の幸福の精髄を明かした仏法を、真摯しんしに求めていかねばならない重要なゆえんがある。
 そして仏法を求めるとは、具体的には正しい善知識を求めることともいえよう。大聖人が「仏になるみちは善知識にはすぎず」と断じておられるとおりである。
10  「善知識」とは、本来、人を仏道に導き入れる″善因縁の知識″をいう。知識とは知人、友人の意味である。仏、菩薩、二乗、人天等を問わず、人を善に導き、仏道修行を行わせる、正直にして偽りなき「有徳」の者が善知識である。当然、人界の私どももまた、立派な善知識の働きとなる。
 善知識の働きには、修行者を守って安穏に修行させ(外護)、また互いに切磋琢磨せっさたくましあい(同行)、さらに仏法の正義を教えて善行へ向かわせる(教授)などがある。
 すなわち「勤行をしましょう」「会合に行きましょう」「御書を拝読しましょう」等々、広宣流布の方へ、御本尊の方へ、妙法と成仏の方へと″指し導く″指導者の皆さま方こそ、尊き「有徳」の善知識なのである。
 その反対が「悪知識」である。本日はそのくわしい意義は略させていただくが、一つだけ申し上げれば、たとえ信心している幹部であっても悪知識となる場合がある。
 つまり、指導者が仏子を見下していばったり、ふざけ半分であったり、責任感がなく、いいかげんであったり、成長が止まっていたりしたら、そのもとにある人々の信心の成長をも邪魔してしまう。純粋な後輩が伸び伸びと活躍し成長できない。それでは、あまりに無慈悲であり、かわいそうである。
 こういう指導者の本質として、たとえ言葉は巧みであり、表面を飾ろうとも、心は保身と驕慢きょうまんである。その魂胆は、人々に自分を尊敬させ、人々の心を自分へと向かわせるところにある。
 すなわち善知識が、友を「妙法」の方向へ向かわせるのとは対照的に、黒く卑しき心の悪知識は「自分」へと向かわしめるだけなのである。「法」が中心ではなく、自分のずるがしこい「エゴ」が中心となる。この一点を鋭く見極めていかねばならない。悪知識に紛動されれば悪道へとおもむかざるをえないからだ。
 また、こうした″虚飾の仮面″をかぶった信心なきリーダーは、時とともに、いつか広布の大道から逸脱し、姿を消していくものだ。これが大聖人在世の時代以来、変わらざる方程式であり、私の四十年間の経験的事実でもある。
11  たがいに尊敬し仲良く前進
 戸田先生はつねづね、「創価学会の組織は戸田のいのちよりも大事だ」とまで言われていた。学会は善知識の集いである。信行を増進し、広布を伸展させる団体である。世界の民衆を正法に導き、成仏への道を歩ませる重要な使命がある。
 本年四月、総本山の御霊宝虫払大法会ごれいほうむしばらいだいほうえの折、日顕法主は、「信心の血脈」について述べている。
 その際、「信解抜群にして宗祖二祖の信心の血脈を疑わず、勇猛精進するところ」に広くその信心の血脈を伝えつつ、衆生を利益りやくすることができるとし、「その一大実証は、近年、正法の日本ないし世界広布の礎を開かれた、創価学会における初代、二代、三代等の会長の方々における信心の血脈の伝承であります」と話している。これは皆さまがご承知の通りである。
 日蓮大聖人から日興上人へと相伝された「生死一大事の血脈」は、総じて信心の一念によって学会には厳として流れ、脈打っているとの断言している。
12  私どもは互いに善知識である。また、そうあらねばならない。そのために、重要なことの一つは、相手を大きく包容していく広々とした心である。
 「陰徳陽報御書」には「又此の法門の一行いかなる本意なき事ありとも・みずきかず・いわずして・むつばせ給へ、大人には・いのりなしまいらせ候べし」との一節がある。
 この御書が全体のごく一部しか残っていないので、断定はできないが、″この法門の人々とは、たとえどんな不本意なことがあっても、見ず、聞かず、言わずして、仲良くしていきなさい。おだやかにして、祈っていきなさい″との仰せと拝する。
 当然、根本である信心の大綱は、きちんと指導していかなれければならない。その上で、私的なことについては、いちいち細かく指摘したり、非難しあったりすることは賢明ではない。人それぞれに個性があり、生き方がある。生活環境も違う。互いに尊重しあい、仲良くしていくことこそが大事である。
 互いに、凡夫の集いである。当然、不本意で、気にいらないこともあるにちがいない。疲れて休んでいる時に、夜中に電話で起こされる。せっかく部屋の片付けも終わり、ゆっくりしようかと思ったとたん、突然、ドカドカと押しかけてきて、ぜひうかがいたいことがあると、相談にくる。そのほか、決して常識豊かな人ばかりとはいえないのも一つの現実である。
 これは少々、飛躍するが、御書には「日蓮は此の法門を申し候へば他人にはず多くの人に見て候へども・いとをしと申す人は千人に一人もありがたし」とある。
 ″この法門を弘めるゆえに、他の人とはくらべられないほど多くの人々に会った″――広宣流布のために、多くの人々に会ったと述べられている。私もじつに大勢の方々にお会いした。皆さまもまた広布の活動ゆえに多くの人々と会われている。
 ″しかし、その中で真に、いとおしいと思った人は、千人に一人もなかった″――大聖人が、一切衆生への大慈大悲に立たれていることはいうまでもない、との言と拝せよう。
 この御述懐も、私どもの立場からも、まことにその通りであると納得できる。みな未完成の人間である。当然、一人一人がそれぞれ自分を立派に完成させていかなければならないが、その途上にあっては、さまざまな欠点もある。また人間同士、ある程度、好き嫌いがあることも、いたしかたない面もあろう。
 かといって、自分の気にそまぬことをいちいち指摘しあったり、互いのあら探しばかりしていたのでは、裁判所ではあるまいし、とてもやりきれない。まして、そうした低次元のいさかいから、感情的なもつれができ、もっとも大切な信心まで破るにいたっては、本末転倒である。
 ゆえに、たとえ不本意なことがあっても、広々とした心で、忍耐強く、大きく包容し、より強盛な信心に立てるよう激励していくことである。また大きな立場から、成長を祈ってあげることである。そうしていけば、本人の信心の深化とともに、次第に人間的にも成長を目指していくにちがいない。
 人類五十億。私どもは、その先覚者である。妙法を広め、すべての人々の善知識となって救済していかねばならない。その意味において、現在の学会員は一人一人が、限りなく尊き使命の人である。ゆえに互いに尊敬しあい、励ましあって、仲の良い前進をお願いしたい。
13  組織は硬直した死せる機械ではない。生きた有機体であり、一つの生命体である。ゆえに時代とともに、時代を呼吸しながら、成長し、進歩し、発展していくのが正しいありかたである。
 そのカギは組織を構成する一人一人の成長にある。なかんずく、指導者自身の時代を先取りした先見と、みずからのカラを破り続ける成長いかんが組織の消長を決定する。
 ゆえにリーダーは決して時代に鈍感であってはならない。現状に満足し停滞してはならない。あらゆる勉強をし、人とも会い、鋭敏に社会の変化、人々の心の要求を感じ取っていく努力が必要である。特に青年部の諸君には、このことを強く申し上げておきたい。
 学会のこれまでの発展も、その陰には、常に時代の変化に先がけて、先手、先手を打ち続けてきた戦いがあった。
 現在の私は、日々、青年をはじめとする多様な人々と語り、手紙に託された多くの声に耳を傾け、社会のあらゆる情報にアンテナを張りめぐらしながら、それらを分析し、総合しつつ、いかに誤りなき広布のカジを取るか、ひとり思索し、格闘している。そこに指導者としての厳しい使命と責任があるからだ。
14  社会は「心」のネットワークを志向
 さて近年における社会の変貌の一側面として、従来のいわゆる「大衆社会」の崩壊が指摘されている。つまり、均質的・画一的な「大衆」が姿を消して、より個性的で多様な志向性を持つ個別の集団が生まれてきた。
15  こうした現象をいちはやく「分割された大衆」すなわち「分衆」ととらえて話題を呼んだのが『「分衆」の誕生』(博報堂生活総合研究所編、日本経済新聞社)である。同じような意味で、大衆ならぬ「少衆」、さらには「微衆」「超微衆」「孤衆」なる言葉まで生みだされている。これらは、主として商品市場への企業戦略の立場から考案された用語であり、主に商品のニーズ(需要)に基準をおいた分析であるゆえに、社会の全体を総合的にとらえたものではないことも事実である。
 それはともかく、人々の「心」の動向をしることは、組織というものを考えるうえでも大切な点であろう。
 ちなみにこの本では、「分衆」の背景として、戦後社会の人々の志向が、復興期の「量的満足の志向」から、高度成長期の「質的満足の志向」へ、そして現在の「感性満足の志向」へと変化してきたとみている。
 これを「人並み」志向から「自分並み」志向への変化として、他の人と共通の価値観に従うよりも、自分の感性、あるいは、我が家の感性にあった暮らし方をしたいと願う人々が増加しているというわけである。
 このように、大衆社会が「バラバラなった生き方、暮らし方を志向し始めている」一方で、組織への「帰属意識の希薄化」が進んでおり、組織に所属はしていても、構成員としての自覚は、きわめて薄いのである。積極的に何かをしようということも少ない。特に青年層にその特徴が強く見られる。したがって、号令や、人々の帰属意識に訴えるかたちで、多数の人を動員することは、多くの組織においてもはや困難になってきている。これは先進諸国を中心とした世界的傾向であり、そうした組織のありかたの変化は、象徴的に、ピラミッド型の「ヒエラルキー(上下の秩序)」から、横のつながりを中心とする「ネットワーク」への変動にあらわれているとも指摘されている。
16  それではどうするか。これが問題である。ともすると、自由な創造性を抑圧しがちであった上意下達のピラミッド型の組織にかわって、おたがいの打ち合いのなかで、各人が創造性を発揮していけるような小集団が、職場や地域で重視されるのも、その一つのあらわれである。大学では、気軽な同好会が人気の主流となってきているという。また、他のさまざまな人材のグループと幅広く交流し、人格を磨いていこうとする動きもある。
 「ネットワーク」をはじめ、「創造性」「小グループ」「交流」と続くと、なんだか聞きなれた言葉ばかりである。まさに私どもがかねてより主張し、実践してきた組織の方向性が、どれほど時代を先取りしているかの一例といえよう。言い換えれば、いよいよ私どもの時代であり、たくわえた力を大きく社会に輝かせていく時代に入ったと申し上げておきたい。
17  そのうえで私は、もっとも大切な一つは「対話」であると申し上げておきたい。もはや命令や、″ねばならぬ″式の訴えで人が動く時代ではない。
 心から納得しなければ誰も行動しない時代である。また逆に、自分が納得すれば、思いもよらぬ素晴らしい力を発揮する可能性も大きい。ゆえに充実した「協議会」が、いよいよ大切であり、一対一の「対話」が限りなく重要となる。
 かつての大組織の多くが停滞と行き詰まりに苦しむなかで、学会が青年をはじめ多くの人々をひきつけ、発展している一因がここにある。また、この実践は未来も変わらず重要な原則である。
 「分衆」「少衆」といった分析は、当然、恒久的なものではない。今後も、刻々と変化していくにちがいない。言に、現代社会はむしろ管理化が進行し、価値観そのものも物質中心のものに、ますます画一化してきているとする論者もいる。
 これもまた別の観点から、社会の一面をとらえているといえよう。そうした強まる管理社会の圧迫のなかから、「分衆」等が誕生してきた一背景を見ることもできるかもしれない。
 見逃してならないことは、社会を分散化・個性化と見るにせよ、管理化・画一化と見るにせよ、どちらの観点からも求められているのは、個性豊かな「人間中心の社会」であり、創造性を存分に発揮できる「人間中心の組織」にあるという一点である
 。
 かつて故トインビー博士と対談した折も、現代における「組織」のありかたが話題になった。
 私は、組織の時代といわれる現代にあって、問題の核心は″組織が主であって、人は従である″という観念にあると主張した。そして「常に組織は個人から出発し、個人に帰着する。そして個人を守るという原点に立ち戻ることだ」「(組織は)高度な有機的生命体とみるべきである」「個人は組織の部分でありながら、組織全体よりも尊い。個は全体のなかにあり、全体は個のなかにおさまる」と述べたものである。
 トインビー博士が、″イエス、イエス″と大きくうなずいておられた姿が忘れられない。とりわけ、組織の変革というより、人間の心の内面からの精神革命による以外に、現代社会の病根、社会的病弊は治せない、と型っておられたことが心に残る。
 ともあれ、この対談もまた、未来のために、未来を見すえて行ったものであったが、そこで論じた「一人を徹底して大切にする人間組織」の方向性を求めて、時代は刻々と動いていると確信する。また、そうした方向へとリードしていくことが、私どもの使命である。その先駆の存在こそ学会の広布の組織であり、なかでも、とりわけ模範となる組織を我が地域に見事に築ききっていただきたい。
18  納得、対話の「和合」の絆を
 また、仏法には「和合僧」という言葉がある。この「和合僧」、また「僧」については、多くの海外の会員や知識階層の方々から深い関心が寄せられている。いつの日か、詳細に論じさせていただくつもりであるが、本日は「組織」に関連して、少々、ふれておきたい。
 「和合僧」とは、「和合衆」ともいい、出家して仏道修行に励む比丘及び比丘尼の集まりのことをいう。
 もともと「僧」は、「僧伽そうぎゃ(サンガ)」の略で、「衆」「和合衆」等と漢訳され、それ自体、団体を意味している。後世、中国や日本では、仏門に入った個々の人をいうようになったが、本来は、四人以上(三人または五人以上との説もある)の比丘が一緒に集って修行する団体のことをいったのである。
 竜樹はその著『大智度論』で「僧伽」について次のように述べている。
 「たとえば大樹の叢聚そうじゅするに、これを名づけて林とす。一一の樹を名づけて林と為さず。一一の樹、除いてはまた林無きがごとし。かくの如く、一一の比丘、名づけて僧とは為さず。一一の比丘、除いてもまた僧なし。もろもろの比丘、和合するの故に、僧の名は生ず」
 すなわち、たとえていえば大樹が群生していれば、林とよんでいる。一本一本の木のみでは林とは呼ばない。ただし、一本一本の木を除いてしまうと、林として成立しない。同様に、一人一人の比丘は僧とは呼ばない。また、一人一人の比丘を除いても僧は存在しえない。多勢の比丘が集まり、和合しているがゆえに僧の名が生じるのである。
19  これに関連して日亨上人は「一人を僧といはず、四人巳上いじょうの共行集団を僧といひ和合を僧といふ定義なれば、その共心同行の団体中に自ら異議を唱えて退くも不可なり、いわんや他を教唆きょうさして同心共行を破するにいてをや、提婆達多だいばだったが釈迦牟尼仏に反抗するために・仏弟子の一部を誘拐ゆうかいして新教団を組織したるは・提婆の破和合僧罪とて・その罪のもっともなるものなり、現代に於いては破和合僧又破和合講に通用すべし」(富要一巻)と述べている。
 ――一人を僧といわないで四人以上の行をともにする集団を僧といい、和合を僧というのが定義であるから、その心をともにして行を同じくする団体の中にあって、自分勝手に異義を唱え、退転することは許されない。ましてや、他の人をそそのかして、同心共行(同じ心で行をともにすること)を破ることはあってはならない。提婆達多が釈尊に反抗するために、仏弟子の一部を誘して、新教団を組織したことは、破和合僧罪のもっとも大なるものである。現代においては、「破和合僧」、また「破和合講」も、その罪にあたるといえよう――と。
 広くいえば、仏道修行に励み、妙法広布に進みゆく地涌の友の集いである学会も、「和合僧」の団体である。その団結を乱すことは「破和合僧」に通じるといえる。
 この破和合僧は、五逆罪、三逆罪の一つにあげられており、その罪はもっとも重く、深い。その因果は厳しく、必ず堕地獄となるのである。
20  時代を見通した戸田第二代会長の先見
 さて、現代では、良きにつけ、悪きにつけ、宗教も、政治的動向、また「組織化」と、無縁の存在ではありえなくなっている。それは現代のように、あらゆる面で政治化や組織化が進められている社会では、宗教にとっても、逃れることのできない、宿命的なものとなっている。
 少々、難しい話になって申しわけないが、特に将来の広布のリーダーである青年部の諸君は、政治的にも社会的にもさまざまな次元から広布の組織について思索し、知っておいていただきたいのである。
 その意味で、政治学者の丸山真男氏が、著書『現代政治の思想と行動』(未来社、以下同書より引用)の中で論じている″宗教の組織化″についての見解を紹介しておきたい。この点について、丸山氏は次のように述べている。
 「政治の本質的な契機は人間の人間に対する統制を組織化することである」。これに対して「人格的内面性を最も本来の棲家すみかとするのは、いうまでもなく宗教である」「現代のこうした圧倒的な政治化と集団的組織化傾向に対して、人間の内面性に座を占める学問や芸術や宗教の立場が、ほとんど反射的に警戒と反撥の身構えを示すのは理解できないことではない」と。
 そのうえで、丸山氏は「しかしながら同時にわれわれは古典的な近代国家におけるように私的内面的なものと公的外部的なものとを画然と分離しうる時代には既に生きていない」と指摘している。
 そして「従って今日は、内面性に依拠いきょする立場自体が、好ましからざる政治的組織化に対抗して、自主性を守り抜くがためには、必然にまた自己を政治的に組織化しなければならぬ、というパラドックスに当面している。その際政治的なものの範型――効果本位とか、対立の単純化(敵・味方の二分法)とかいったような――に、ある程度まではどうしても我が身をはめ込むことを余儀なくされる。もしこの煉獄を恐れて、あらゆる政治的動向から無差別に逃れようとすれば、却って最悪の政治的支配をみずからの頭上に招く結果となろう」と語っている。
 つまり宗教といっても、人間の心の次元のみに閉じこもっているわけにはいかない。もし、精神世界のみに閉ざされ、社会に無関心であれば、すべてをみずからの利益のための手段にしようとする権力に、たちまちにとり込まれてしまうだろう。ゆえに確固たる内面性をよりどころにしながら、あえて組織をつくり、自主性を守り抜くために戦っていかねばならないのである。
 戸田先生が、戦後再建にあたってつくられた学会の組織は、まさに、この趣旨をふまえたものであった。ここに、広宣流布の成就のために、時代と社会を見通されて組織づくりをされた戸田先生の偉大さがあった。
21  戸田先生は巻頭言「信仰と組織」のなかで、次のように述べられている。私は、この指導を暗記するぐらい読み、胸に刻んできた。
 「わが創価学会は、その信仰の中心に、絶対唯一の御本尊を有し、その組織の根源に七百年にわたる歴史を有して、これを現代化し、科学的にし、今日の立派な組織ができあがったのである。この力は、世の模範であるとともに、世の驚異である」と。
 これだけの学会の急激な発展は、現代の奇跡といってよい。これも戸田先生がつくられた組織があったがゆえである。ゆえに、絶対に邪な権力や悪しき心の者に利用されてもならないし、破壊されてもならない。もし、そうなれば、それは「広宣流布」と、平和、幸福への″希望″の破壊であり、消滅であるといっておきたい。
 さらに戸田先生は「さて、できあがった組織の発展力をしみじみ見るのに、この組織を運営し、活発化するものは、信心ある人によることはいうまでもない。これを簡明にいうならば、組織は人によって作られ、人によって運営され、人によって有終の美を納めるものである」と述べられている。
 結局、「組織」は「人」で決まる。「広布の組織」は、「信心のある人」によるのである。
 すぐれたパイロットが、多くの乗客を安全に、快適に目的地まで運ぶことができるように、広布の組織は信心の深き人によってこそ、幸福への航路を墜落も爆破もなく、正しく″飛行″できるのである。
 決して優秀な学校を出たとか、組織の運営能力や弁舌が巧みであるからなどと、錯覚してはならない。すべての根本は中心者の信心の厚薄、浅深によることを、リーダーである皆さま方は、忘れないでいただきたい。
22  あたたかな春の慈愛で友をつつめ
 最後に話は変わるが、
  もういくつねると お正月
  お正月には たこあげて
  かまをまわして 遊びましょう
  はやく来い来い お正月(東 くめ作詞)
 これは楽しい正月を、指折り数えて待つ少年の心を、滝廉太郎・作曲のメロディーに乗せて歌った、懐かしい童謡である。
 次元はまったく異なるが、弘安三年(一二八〇年)「師走」の十二月、御年五十九歳の日蓮大聖人が、正月の待ち遠しさをつづられた御抄がある。それは、四条金吾の妻・日眼女にちげんにょに送られたお手紙で、その中で大聖人は次のようにふれられている。
 「歳もかたぶき候・又処は山の中・風はげしく庵室はかごの目の如し、うちしく物は草の葉・きたる物は・かみぎぬ紙衣身のゆる事は石の如し、食物は冰の如くに候へば此の御小袖給候て頓て身をあたたまらんと・をもへども・明年の一日と・かかれて候へば迦葉尊者の雞足けいそく山にこもりて慈尊の出世・五十六億七千万歳をまたるるも・かくや・ひさしかるらん
 ――今年も暮れとなり、押し詰まってきました。ここ身延は、山の中で風がはげしく、しかも庵室はすき間だらけなので、まるでカゴの目のように、風が吹きぬけていくのです。下に敷いているものは草の葉、着ているものは紙の衣、体は冷えきって石のようです。食べものも氷のように冷たい――。
 戸田先生は、この御文を拝されるたびに、厳冬の身延の大聖人の御生活をしのばれて、いつも涙しておられた。
 ――ですから、あなた(日眼女)からいただいたこの小袖(こそで)を、すぐにも身につけ体をあたためようと思ったのですが、あなたのお手紙には″これは明年の一日(元旦)に着てください″と書いてありました。この小袖を着れる元旦が本当に待ち遠しい。それはたとえば、迦葉尊者(釈尊の十大弟子の一人)が、雞足山という山に入って、弥勒菩薩の出現を、五十六億七千万歳もの間ずっと待たれたのも、今の私と同じように待ち遠しかったのではないかと思われるほどです――と。
23  このお手紙は日眼女が白小袖一枚と綿を御供養したことに対して、大聖人が御礼を述べられたものである。
 小袖とは、もともと肌着(下着)のことであったが、鎌倉時代のころから、次第に表着おもてぎとしても着用されるようになった。いわゆる「きもの(和服)」のルーツとなったものである。
 四条金吾夫人の日眼女は、女性らしい心づかいから、大聖人に正月(元朝)の晴れ着として、真新しい、そして純白な小袖を着ていただきたいと思ったのであろう、そのままの気持ちを添え書きして差し上げた。
 いささか皮肉な見方をすれば、添え書きに″ひとこと多かった″のかもしれない。婦人部の皆さま方も、ひとことでなくして、ふたこと、みこと多い場合があるかもしれない。厳寒の中におられる大聖人には、正月といわず、即座に身につけて温まっていただければよかったのである。
 しかし、大聖人は、一枚の白小袖に託して、新年をお祝いしようとする日眼女の精いっぱいの真心を、あますところなくくみ取っておられる。″あなたのいわれる通り、がまんして大切に取っておきますよ″″新しい小袖が着れるお正月が楽しみですよ″と感謝の思いを込めて「心」の琴線にふれる語りかけをされておられる。
 短い御文ではあるが、身延山中の厳寒が痛いほど身に迫ってくる。とともに、いかなる寒風も消すことのできない″心のぬくもり″が伝わってくる。
 大聖人が門下一人一人との「心」のふれ合いを、どれほど大切にしておられたか――数々の大難にも負けなかった大聖人一門の強さの源泉が、ここにもあったとうかがえるのである。
 大聖人の仏法は、厳冬に向かう富士のごとく峻厳である。とともに、春のようなあたたかな″慈愛″と″人間性″に満ちみちた世界である。それは冷たい権威に支配されたり、難解な論理だけに貫かれた世界でもない。また、要領や策で成長できる世界でもない。
 どうか、広布のリーダーである幹部の皆さま方は、″透徹した信心″と″温かき春の心″の光を放ったお一人お一人であっていただきたいと申し上げ、本日のスピーチとしたい。

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