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日蓮大聖人・池田大作

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伊豆広布四十周年記念幹部会 わが境涯を大海のごとく

1987.11.23 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

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20  戸田先生は、かつて「佐渡御書」の講義のなかで、こう述べられた。
 「私も第一回の王難にあいましたけれども、運がよければもう一回あいたいものだと思っている。運がよければです。運がなければ、これっきりです」
 「もう一回王難にあってみたいのです。運がなければ、あえない。王難というのは牢に入れられることです」
 戦中の二年間にわたる獄中生活。その苦しさは牢に入ったものでなければわからない。それなのに戸田先生は、もう一度、法華経ゆえに牢に行きたいといわれている。
 何と偉大な、男らしい信心の一念であられたか。他の誰が、そんな決心で信心を貫いたか。まことに希有けうにして不思議なる大信者の先生であった。これほどすばらしき人生の師匠を、私どもは持ったのである。これ程の誇りはないし、この厳たる事実を忘れてはならない。
 さらに続けて戸田先生は「それからピストルの弾の一発ぐらい、ぶつけられたい」ともおっしゃっている。ただし「なるべく死なないところにあててくれるといい」と。これは戸田先生一流のユーモアである。そして「だが、それくらいのことは覚悟しています。覚悟していなければやれません」と、死身弘法への決意を述べられている。
 ユーモアをまじえながらの話ではあるが、私には、戸田先生の真意が、すなわち死を決意しての広宣流布への並々ならぬ「心」が、強く鋭く胸に迫ってきてならない。
 ともあれ、この伊豆、伊東の地は、永遠に″歴史″と″名誉″と″栄光″に輝く大法有縁の国土である。その地にあって、未来万代にわたる広宣流布の大道を見事に切り開いてくれるであろう若き諸君の尊きかんばせを、私は心に楽しく思いうかべながら、本日の記念のスピーチを終えさせていただく。

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