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日蓮大聖人・池田大作

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神奈川文化総会 人生の精髄は「知恩」の行動に

1987.9.6 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

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2  この五月三日の会合のあと、晴れ晴れとした気持ちで私が真っ先に訪れた地――それが神奈川である。以前から私は、神奈川の重要性を深く銘記していた。
 国土世間にも、個人と同じく、必ずそれぞれ使命があり、何らかの重大な意義があると言ってよい。
 東京は広布の決戦場である。その東京も、神奈川が発展し、躍動してこそ、支えられ、力を発揮する。その意味で、神奈川の地域は首都圏の″かなめ″である。また同様に、埼玉、千葉が発展しなければならない。
 関西においては兵庫、神戸がホシである。兵庫が盤石であれば、関西の安定も、限りなき前進もある。ゆえに兵庫、神戸には、これからいよいよ力を入れ、応援していきたいと思っている。
 ともあれ、何事にも、はずしてはならないポイントがある。広布の指揮も、単に御本尊に祈っているから自然にうまくいくといった安易なものでは絶対にない。自分の浅はかな考えを頼りに、勝手に進んでいけばよいのでもない。指導者は、深い信心の上にも正しき道理に基づき、ホシをはずさず、緻密に手を打っていかねばならない。
 この意味から、私も、大切な神奈川にたびたびうかがった。また第二東京にも、立川文化会館を中心に、幾たびとなく訪れた。そのことによって、障魔の攪乱を厳として防いだ。早くこの地に手を打っておかなければ、数多くの犠牲が出ることを私は察知していたからである。
 みな当時は、そのことが、なかなかわからなかった。いざ大難が起こると、ハラがきまらず、うろたえる人間が多かった。そうしたなか、私は一人、苦難を乗り越え、先手を打ちながら、現在の発展と勝利の礎を、営々として築いてきたつもりである。
3  「師弟の道」は「知恩の道」に
 さて、本年は恩師戸田先生が歴史的な「原水爆禁止宣言」をされて三十周年を迎える。神奈川の三ツ沢競技場で行われたあのときの光景は今もって忘れることはできない。
 そのとき戸田先生は「いやしくも私の弟子ならば、私のきょうの声明を継いで全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」といわれた。私どもにとって戸田先生は人生の師であった。その人生の師の遺志を継いで私どもは、日本中に、また全世界へと「広布」と「平和」のために走り、戦ったのである。
 なぜ創価学会の平和運動が世界的な広がりをもち、永続的な展開をすることができたか。その一つの理由をある識者が論じていた。
 「仏法という平和理念を基調として、人生の師弟という美しい絆がそうさせたにちがいない。師の遺訓をそのまま受け継いでの実践があったからであろう」と。
 他の平和運動の多くが、政治的に偏向して、分裂をした。あるいは利害と売名の運動に陥ったりした。その中で創価学会は、これだけの一大平和勢力を築き、歴史的な成果を後世に残すことができた。これも恩師の遺訓を受け継いで、利害でも売名でもなく、″師弟の道″をまっしぐらに進んできたからである。
4  何事にあっても、大切なことは師弟の道を貫くことである。学問の世界においても立派な研究、業績を成し遂げている人は、必ずといってよいほど学問の師をもっている。また、世界にはさまざまな次元の師弟の関係はあるが、深き″人生″の師弟というものは少ない。
 師をもたない慢心の人は、常に心が定まらない。自己中心的であるがゆえに、時に応じ状況に応じて、常に心が動き散漫となり、深い常住の境涯を得ることができない。
 それぞれの道にあって「師」という明確なる依怙依託の存在に心と心を定めた人は、いかなることがあっても、右顧左眄うこさべんすることはない。その人の心は、限りなく尊く、美しい。「慢」の人の心は、常に醜く、ずるく、暗い。
5  学会は、大聖人の御遺命のままに広布に進んできた。多くの人々に大御本尊の偉大さを教えてくれたのも学会である。大聖人の正しい仏法を教えてくれたのも学会である。正しい信心を、正しい勤行を、正しい教学を教えてくれたのも学会である。価値ある人生の生き方を教えてくれたのも、社会に貢献するいき方を学んだのも、みな学会である。
 社会に不幸な人を見れば、正法を教えたいと走り抜いていく姿。病気になったり、事故にあった時は、親族も及ばぬ祈りと、誠意ある行為。それらの行動は、数限りなく、朝な夕なにわたっている。
 これほど、人のため、社会のために尽くしている尊い信仰者は少ない。つまり、広宣流布のために、尽くしゆく姿は、最高善の姿なのである。
6  また学会は社会のあらゆる分野に多くの人材を輩出した。芸術家もいれば、医者や教育者もいる。法律家も科学者もたくさんいる。また政治家もいる。皆あらゆる舞台で活躍している。
 戸田先生は、第二次大戦後の荒廃した社会にあって「楽土日本を」と青年たちに呼びかけられたが、一応その通りになった。学会の広宣流布の活動の進展と符節を合わせるように、平和にして繁栄の日本が築かれてきた。これも「立正安国」の大きな実証の一次元と見たい。
7  仏法には「恩」を説いている。いわゆる「四恩」、すなわち「父母の恩」「一切衆生の恩」「国王の恩」「三宝(仏・法・僧)の恩」である。
 ある学者の言葉に、世界史の悲劇は、この「恩」ということを忘れ、深く教えていなかったことに由来する、とあった。
 さらに、畜生すら恩を知る、いわんや人間の世界にあって、それなりの道理にかなった恩を知らしめていかなければ、永遠に人類の歴史は、残酷と悲惨の歩みを繰り返す以外にないと。
 仏法流布の人類史的意義の一つもここにある。人間同士が、意義ある恩を知り合っていくならば、つまらぬ戦争も、殺し合いも避けられるにちがいない。この「四恩」を根幹として、さらに私は、創価学会の恩を忘れてはならないと申し上げたい。
8  広布に生きる婦人こそ″幸福の女王″
 大聖人の御書に「尼」という言葉がよく使われる。これは出家した人たちだけを指すとは言いきれない。未亡人になって剃髪ていはつした場合にも使われていたようである。大聖人門下の中には、日妙聖人や南条時光の母のように、夫を亡くした婦人の方々がおられた。それらの方々に御本仏の大慈悲は深く照らされていたことを身逃してはならない。
 次元は違うが、学会でも夫を早くなくしても子供を立派に育てながら、広宣流布にけなげに戦っている婦人が数多くおられる。私たち夫妻は、そうした方々をとくに大切に見守っていくよう心掛けてきたつもりである。それが本当の信仰の精神であり、学会精神であると思っているからだ。
 世の中の婦人には、安穏な家庭に恵まれ、マイホーム主義に安住している人も多い。しかし、そういう幸せは永続するものではない。厳しい人生模様の風波に見舞われることも多いし、やがては愛する夫を失うこともある。そのとき、平穏な家庭や人生に甘えてきた人こそ、人に倍する苦悩に陥ることになるものだ。幸せそうに見えれば見えるほど、その時は、深い悲しみと苦しみを味わわねばならないともいえよう。
 ともあれ、だれもが、やがては愛別離苦があるにちがいない。その時に、早くも一切の苦難の道を乗り切った人は、″慈愛の女王″″幸福の女王″″信仰の女王″として、後輩の人達を温かく包んでいくにちがいない。
9  私は、神奈川の国土が大好きである。これほど多彩な人材が整然とそろい、何ともいえぬ品格をたたえた地域は、ほかにはなかなかないであろう。広布史においても、時代を画する幾多の足跡を刻んできた神奈川である。その地で活躍する皆さま方は、そのことを誇りとし、またみずからの幸せともしながら、全世界の模範ともなる″素晴らしき神奈川″の構築へ前進していっていただきたい。
 最後に、神奈川の全同志の皆さま、また二十一世紀を担いゆく、本日の若き出演者の方々の、ご長寿とご多幸、成長と健闘を祈り、私のスピーチとさせていただく。

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