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日蓮大聖人・池田大作

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船橋幹部大会 金剛の美しき″生命の光″を幾重にも

1987.7.13 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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2  これは、決して、単なる感傷や観念で申し上げているのではない。正法は、感傷でも、センチメンタリズムでもない。つまり大法は、あくまで現実の中に生かされてこそ、そのあかしがある。生活の根本であり、現実の生き方に反映されていくものである。
 かつて、ある財界人と懇談した折、次のような話をしていた。
 ある日、帰宅すると、息子が友人の学生と対話をしている。隣で聞くともなしに聞いていると、宗教について話している。学生の説く宗教は、今まで考えていた宗教観とは全く違う。現実のなかに根づき、生きるための原動力となっている。しかも、実社会、実生活に深く関与しながら、その宗教をたもつことで、その学生は、まことに美しい″心″をきらめかせていた。その点に感銘し、息子ともども、入信した――と伺った。
3  ところで現代人の心は、余りに″美しさ″を見失ってはいないだろうか。
 次のような文章にふれた時、私は、心がやすらぎ、共感を抱くのである。
 「細いみちの両側にすすきの穂がのびて、秋草が咲いていた。雑木林の上に空がひろがり、青い空の奥に小さな白い雲が動く。風はなく、どこからも音はこえて来ない。信州の追分の村の外れで、高い空と秋草の径は、そのとき私に限りなく美しく見えた。たとえ私の生涯にそれ以外の何もないとしても、この美しい時間のあるかぎり、ただそのためににだけでも生きてゆきたい」――。(『ミセス』一九七九年一月号)
 これは、加藤周一氏のエッセー「美しい時間」の一節である。太平洋戦争が始まったころ、いつまで生き延びられるか分からないと思う日々のなかで、今も意識に残っている″美しい時間″であるという。
 「美しく見えた」ということは、それは、ある意味で見る者の″心″の反映でもあろう。貧しい心や、余裕のない人には、本当の″美しさ″は感じられない。たとえば、借金地獄に呻吟しんぎんする人は、どんな光景にも″美″を感ずることはないだろう。
 御書には、「餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり」と仰せである。
 つまり、生命の境涯によって、見える世界が、まったく異なる。豊かな自然に触れても、「美しい」と胸をはずませる人もいれば、何も感じない人もいる。すべて、生命の境涯の大きさ、広さによるのである。
4  皆さま方は、人が人を押しのけるような熾烈しれつな競争社会にあって、社会の発展と地域の繁栄のために、また人々のために日々行動されている。郷土を愛し、同志を愛しながら、尊い広宣流布の運動に邁進されている。
 これほど、人間として美しい姿はないし、そうした方々の集まりである創価学会こそ真実の人間共和の美しき世界であると、私は確信したい。
 この船橋の地が、さらに妙法を唱えゆく人の華、即ち美しき「人華にんげ」の咲き薫る、理想の国土であるよう、念願してやまない。
5  また船橋といえば、新生年としての興隆とともに競馬や競艇でも有名であるが、それはそれとして、この地は、作家・太宰治が、こよなく愛した土地でもある。彼は、病気療養のため、一時期(昭和十年七月から十一年十月)、船橋に住んでいた。
 後年、郷里の青森で書いた『十五年間』という作品のなかで、彼は船橋への愛着を、次のように述べている。
 「以上あげた二十五箇所(=転居先のこと)の中で、私には千葉船橋町の家が最も愛着が深かった」「どうしてもその家から引き上げなければならなくなった日に、私は、たのむ! もう一晩この家に寝かせて下さい、玄関の夾竹桃きょうちくとうも僕が植えたのだ、庭の青桐も僕が植えたのだ、と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れていない」(岩波文庫『ヴィヨンの妻・桜桃』所収)
 私は、彼の気持ちがよく分かる。それほど船橋は素晴らしい天地であるからだ。
6  正法弘通に「三類の強敵」
 さて、私の入信は昭和二十二年(一九四七年)八月二十四日。間もなく、満四十年を迎える。入信して一年四カ月後、私は戸田先生の経営する出版社・日本正学館に勤務することになった。初出勤は、昭和二十四年の一月三日、二十一歳の誕生日の翌日であった。
 入信から戸田先生のもとで働くことを決意するまで、私は自分の進んでいくであろう道について考えていた。そのときの心境は「私の履歴書」にも、次のように書いた。
 「それまでの期間、私は私なりにひたすら今後の生き方と仏法について思索した。私にもし、いくばくかの逡巡しゅんじゅんがあったとするならば、それは仏法の信条のままに生き抜くならば、多くの苦難の道が待っているであろう、と常に感じていたことによる。それは最終のふんぎりといってよかった」と。
 大聖人の仏法を信奉すれば必ず難がある。これは大変なことだな、どうしようか。難を乗り切っていけるようであるなら、信心をやりきろう。もしそれができないような自分であれば、はじめからやめようと、逡巡した。そして″難は覚悟のうえだ、やり切ろう″と、心を決めて、私は戸田先生のもとに馳せ参じた。
7  「法華行者逢難事」は、日蓮大聖人が、留難の佐渡の地から、富木常忍をはじめ門下一同に与えられた御抄である。あて名には、富木常忍とともに河野辺殿とも記されている。河野辺殿の詳細は不明であるが、一説によれば、富木常忍の家臣であったとの伝承もあり、船橋の地に非常に関係の深い人であったとされている。
 佐渡の地から、門下のことを御心配されて与えられた御抄にも何度となく仰せであるが、同抄で大聖人は「設い身命に及ぶとも退転すること莫れ」と記されている。″たとえ大難を受けて、それが命に及ぶようなものであっても、決して退転してはいけない″と。
 そして「富木・三郎左衛門の尉・河野辺・大和阿闍梨等・殿原・御房達各各互に読聞けまいらせさせ給え、かかる濁世には互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」――つまり、おのおの互いに、この御抄を読み、聞かせてさしあげなさい。このような濁世には、常に話しあい、ひまもなく後世を願うようにしなさい。皆で団結して前進していきなさいと、烈々たる気迫で、激励なされている。
8  また「如説修行抄」に「其の上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり、されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし況滅度後の大難の三類甚しかるべしと、しかるに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしかども大小の難来る時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ、兼て申さざりけるか」と仰せである。
 ――真実の法華経(三大秘法の大御本尊)を、仏の説のごとく修行していく行者である日蓮の弟子檀那となる以上は、三類の敵人が出現することは必定である。だからこそ、この大法を聞き、信心を始めた日から、末法では釈尊在世以上に激しい三類の敵人が現れるのであると、覚悟を定めるべきである。しかし、わが弟子檀那の中には、かねて、そうは聞いていても、いざ大小の難が来てみると、今はじめて聞いたかのように驚き肝をつぶして、退転してしまったものがいる。難が起こるとは、かねてから何度も言っておいたことではなかったか――と。
9  ここで正法の行者を迫害する「三類の敵人」とは「三類の強敵」ともいい、法華経勧持品第十三の「二十行の偈」に示されたものである。
 釈尊は、勧持品第十三に先立って大衆に対し、滅後の弘教をくり返しすすめ、命じる。即ち、見宝塔品第十一においては「三鳳詔ほうしょう」が説かれる。
 きょうは暑いし、本年は教学試験もないので、忘れても結構だと思うが、この「三箇の鳳詔」とは、釈尊が大衆に対して、滅後における法華経の弘教を、三回にわたって勧め命じたことである。三回ともそれぞれ特別の意味をもち、第一は「付嘱有在」第二は「令法久住」そして第三では、法華経をたもつことの難しさを「六難九易」のたとえで示している。
 続いて提婆達多品第十二では、「二箇の諌暁」が述べられている。「二箇の諌暁」とは、釈尊の弘教と提婆達多の成道、文殊師利の弘教と竜女の作仏のことをいう。釈尊は提婆達多(悪人)と竜女(女人)の成仏によって法華経の功力を示し、大衆に対して滅後の弘教をするよう諌暁するのである。
 この「三箇の鳳詔」と「二箇の諌暁」を合わせて「五箇の鳳詔」ともいう。
10  そして勧持品十三では、宝塔品の三箇の鳳詔によって、菩薩や阿羅漢、学無学の者、比丘尼達が、弘教を誓願する。しかし、黙視する釈尊。そこで八十万億那由佗の菩薩達は、十方世界の弘通を誓い、釈尊の守護をう。とともに偈文を説いて、如来滅後の三類の強敵はあるけれども、衣・座・室の弘教の三軌によって「我不愛身命がふあいしんみょう(我れ身命を愛せず)、但惜無上道たんじゃくむじょうどう(ただ無上道を惜しむ)」(開結四四三㌻)の誓願をおこす。つまり、ここで滅後末法には、法華経弘通の行者に三類の強敵が競い起こることが示されるのである。
 日蓮大聖人は身・口・意の三業をもってこの勧持品を読まれ、法華経身読の末法の御本仏としての御確信に立たれたのである。
 「三類の強敵」については、勧持品の「二十行の偈」の内容から、妙楽大師が「法華文句記」の中で分類したもので、俗衆増上慢、道門増上慢、僣聖せんしょう増上慢をいう。
 俗衆増上慢とは、法華経の行者を悪口罵詈めりしたり、刀杖とうじょうを加えたりして迫害する、仏法に無智の一般大衆をいう。
 道門増上慢とは、邪智、諂曲てんごくで慢心をいだき、法華経の行者を迫害する僧侶をさす。
 僣聖増上慢とは、表面は聖者のごとくよそおって社会の尊敬を集め、内面では利欲に執して悪心をいだき、権力者を動かして法華経の行者を迫害するものをいうのである。
11  「開目抄」に「仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓・同時なるがごとし、法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし」と。
 ――仏と大悪の提婆とは身と影のごとく生々世々に離れることがない。聖徳太子と、太子に敵対する守屋とは、華の花と菓が同時になるがごとき関係にあった。これと同じく法華経の行者があるならば、かならず三類の怨敵があるのである――。
 法華経の行者とは別しては日蓮大聖人、総じては私ども門下である。つまり、仏と魔とは、常に身と影のように存在している。そして、信心に励み、広宣流布に進みゆく人に対して、この魔は三類の強敵となって現れてくるのである。
 また開目抄には、勧持品の次の文を引かれている。
 「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖くふ有らん悪鬼その身に入って我を罵詈めり毀辱きにくせん」(開結四四二㌻)――濁りに満ちたこの悪世末法は、多くの恐ろしいことがあるだろう。悪鬼がその身に入ってわれら正法の行者をののしり、毀(そし)り、はずかしめるであろう――と。
 信心は、仏と魔との戦いである。つねに宇宙にへん満する魔の働きが、生命に入ってこようとする。ゆえに、信心を深め、磨きながら、忍辱のよろいを身につけて進んでいかねばならない。
12  実践なき誹謗に真実なし
 正法の行者と迫害者と、その正邪の相違は明白である。にもかかわらず、多くの人々が悪の言に惑い、正道を見失う。正義ぶった巧みな仮面の陰にある、おごれる魔の本性を見抜けない。
 この点に関して、日淳上人は昭和六年、「悪口と折伏」と題して、次のように書いておられる。
 「罵詈讒謗めりざんぼうと折伏とは混同されやすいが、自ら正法を持ち正行を行ずるものが他の過悪を責むるは折伏である。自ら正法を持つことなく又正行を行ずることなくしてかえって他を言ふは悪口罵詈あっくめりである」(『日淳上人全集 上巻』。以下、カッコ部分は同書から引用)と。
 すなわち正義の人への″ののしり・そしり″と、″折伏″とは往々にして似ているように思われ、混同されやすい。しかし両者は全く正反対のものである。二つを明確に区別する基準は何か。
 それは正法の正しき″実践″の有無にある。自らが正法を持ち、広宣流布を目指して自行化他の「正行」をなしているか否か。そこに決定的相違がある。
 日淳上人はさらに、折伏は「うちに正あって他の邪に迷ふを見て慈悲の念あたはず彼がために悪を除かむとする親の情により」、悪口は「自らの及ばざるに怨嫉おんしつもといとして卑劣なる情によって起る」と言われている。
 自らに「正あって」すなわち正行の上に、友への「慈悲の念」から正道に導くのが折伏である。これとは全く逆に、自らより優れた存在への怨嫉(うらみ・ねたみ)に基づいた「卑劣な情」から起こるのが悪口である。
 近年の私どもへの周囲の悪口雑言。その本質は、この御文で明瞭、明確である。
13  また「此の両者は結果においては区別しがたいがその原因に於ては千里の逕庭けいてい(=へだたり)がある」と。
 自らの弱さと邪心から広布の和合僧を離れ、退転・反逆の道を歩んだ哀れな存在がいる。彼らも、その言は、まことに立派である。言葉のみを聞けば「結果に於ては区別し難い」場合もあるかもしれない。しかし、その「原因」、一念の本質においては「千里の逕庭けいてい」がある。その本質を鋭く見抜かねばならない。だまされては断じてならない。
 そして「即ち正法受持の自覚があると否と、しこうして受持するところはたして正法なると否とによるのである」と。
 正法流布に不惜身命に戦う地涌の勇者の自覚が一念に燃えているか否か――。
 また受持する法が邪法であれば、これは論外である。自ら正法をきちんと受持せずして、他の批判にやっきになる心根の卑しさは、あらためて言うまでもない。
 日淳上人は「他の過悪を挙ぐることはやすい、その非を鳴らすことも容易である。けれども自ら正法を受持し正見に住することは至難である。今の世悪口罵詈あっくめり讒謗毀訾ざんぼうきしは多いが真の折伏は少い」と御指摘である。
 まことに批判は易く、実践はかたい。現代にも、困難を避け、行動せずして他をあげつらうのみの下劣な人間が余りにも多い。また広宣流布への組織の中にあって、自分は何もせず、言葉巧みに組織を利用し、人々を攬乱かくらんするのは、これまた恐ろしき魔力であることを見ぬいていかねばならない。
 ともあれ皆さま方は、日々、純粋に正法を信じ、至難の弘教に励んでおられる。くる日も、くる日も、真面目に、こつこつと一人一人の友の幸のために行動しておられる。これ以上、尊き現実はない。
14  このように「悪口」と「折伏」は対極にある。ゆえに「悪口罵詈は如何いかたくみなりとも一顧いっこだにも価しないが、折伏は如何なりとも耳を傾けなければならぬ」と、日淳上人は言われている。
 悪口の人は言葉巧みである。″悪知恵″が働く。耳に入りやすく、また見せかけの権威を利用する。しかし、どんなに言葉を飾っても、正法の地道な実践なき人は信用してはならない。具体的には、勤行もせず、また学会活動もせぬ人の、ためにする批判を聞く必要はない。まして、いささかでも紛動されることは、余りにも愚かである。それらは「悪口」であり、「一顧だにも価しない」と断じられている。
 これに対し、「折伏」の人の言は、あるいは素朴かもしれない。言葉はうまくないかもしれない。しかし、その真実の言には、必ず耳を傾けねばならぬと。仏種を植え、永遠の幸へと導いてくれるからである。
 日淳上人は最後に、こう述べておられる。
 「近時自ら正法に住せずして巧に他を言ふものがある。徒らに奇言をろうして衆目を惑はさんとするものの如くであるが、聞くところ見るところによればことごと所謂いわゆる悪口に過ぎない。自らの智解ちげの及ばざるを知らず浅見を以て他を論ずるが如くである」と。
 広宣流布への身を削る辛苦も労苦も要領よく避け、一部マスコミの商業主義等に乗じて、はでに″奇言をもてあそび、多くの人々の目を惑わせようとする″――。また社会的地位や、権威、見せかけの功績等に酔って、あわれにも慢心し、自らの智解の低きを知らず、浅見と邪見をもって他の批判に終始する――。これらの姿は、皆さま方もよくご存じの通りである。
15  そして日淳上人は「衆人づ悪口か折伏かを批判してしかるのちにその言をかむことが肝要である」と結論づけておられる。
 賢明にならねばならない。嫉妬ゆえの巧言か、真心からの弘法ぐほうか。名聞名利の野心家か、真実の広布の実践者か。それを見極めて聴くことが肝要であると。
 ともあれ、広布の組織の第一線で活躍する皆さま方こそ、いかなる著名人よりも、権威の人よりも、尊貴なる人である。戸田先生もつねづね、語っておられた。″一番こわいのは信心のある人だ。一番こわくないのは、いばっている人間だ″と。慢心し、他を見下して、いばっている人間ほど、内実が空虚で、心が動き易く、不安定なものなのである。
16  ここで正法流布の「実践者」について述べられた御書の一節を拝したい。
 「御義口伝に云く無上道とは南無妙法蓮華経是なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を惜む事は命根よりも惜き事なり
 すなわち「この上無き道」とは南無妙法蓮華経であり、日蓮大聖人および門下の私どもは、南無妙法蓮華経を自分の命以上に大切にするのである――と。
 妙法は我が生命よりも大切であり、その妙法流布を推進していく組織は、また、どれほど重要なものであるかは、お分かりいただけると思う。つまり、この広布への組織がなければ、無上道の妙法を世界に流布することは現実には不可能だからだ。私どもはいかなる苦難があっても、いささかも退することはできない。
 御義口伝には続けて「之に依つて結ぶ処に仏自知我心と説かれたり法華経の行者の心中をば教主釈尊の御存知有る可きなり」と。勧持品の二十行のの最後には「仏自ら我が心を知しめせ」(開結四四四㌻)すなわち、「仏よ、われわれの心を知りたまえ」とある。当然、仏は弘教者の心を知るのであり、法華経の行者の心の中を、末法の御本仏である日蓮大聖人が必ず知っている、と仰せである。
 正義の人の心は、正義の人のみが知る。苦労している人の心は、自ら苦に徹した人のみが知る。私どもが″仏の使い″として広布に励む、その心は御本仏がすべて知っておられ、見守ってくださっている。みょう照覧しょうらんを信ずるゆえに、誰人が何を言おうと、動ずることも、寂しく思う必要もない。御本仏に見守られた人生。これ以上、誇り高く、盤石な人生はない。
17  難は金剛の一念をつくる
 最後に、なぜ私どもが「難」を忍ばねばならないかにふれておきたい。
 言うまでもなく、信心の目的は成仏である。成仏とは絶対的幸福である。幸福のために信心したのに、どうして難を超えなければならないのか。結論から申し上げれば、それは、我が胸中に、仏界という金剛不壊こんごうふえの生命の「我」を打ち固めるためには、難という試練が必要だからである。
 たとえばダイヤモンドという宝石の王者がある。鉱物の中で最高の硬度と光沢を持つ。清浄無垢を象徴し、立宗宣言の月・四月の誕生石でもある。その名も「征服されないもの」「無敵のもの」という意味のギリシャ語に由来する。
 このダイヤモンド、すなわち金剛石は、どのようにしてできあがるか。私は科学者ではないが、常識的観点からいえば、もともとダイヤの化学組成は炭素で、黒鉛と同じである。それが地下の深い所で、何らかの触媒とともに、極度の高温高圧のもとにダイヤの結晶へと構造を変化させる、と考えられている。
 また人工ダイヤの製法にも種々ある。たとえば(1)ニッケル、鉄、コバルトなどを溶媒・触媒として炭素とともに高圧容器に入れ、約五万気圧以上の圧力と二千度前後の高熱を加え合成する(2)黒鉛の結晶に、さらに高圧高温(約六万気圧、約二千二百度)を黒鉛の結晶に加える(3)火薬の爆発等によって衝撃波(百万分の一秒間に約三十万気圧)を黒鉛の結晶に加える――等である。
 いずれにしても炭素や黒鉛が、極めて高い圧力と熱にさらされ、その過程でダイヤへと変化し結晶していく。
18  私どもの生命も同じである。「難」という凝縮した圧力と厳しい苦難の熱に鍛えられてこそ、ダイヤモンドのごとき金剛不壊の仏界の生命へと、我が「一念」「我」が結晶していくと私はみたい。
 すなわち難があってこそ、我が色心も仏身という「金剛身」を得、金剛石のごとく堅固で、いかなる苦悩や迷いにも壊されない、絶対の光り輝く幸福境涯となる。何の苦難もない平穏無事のみの修行では、生命を真実に磨ききることはできない。最大の難を乗り越え、最高の熱と圧力を乗り切ってこそ、最高のダイヤのごとき″生命の王者″と輝くことができる。
 その生命は、「純粋無垢」にして、美しき不滅の光を放っている。いかなる社会の荒波にも、邪悪な障害にも厳然として不動であり壊れない。南無妙法蓮華経に徹し、広宣流布に徹した生命である。三世にわたって、永遠に妙法と一体であり、自在に広布に活躍していける。そして御本尊を正しく受持しきっていくことによって、生々世々、仏界という、この最高の生命の自身となっていける。その受持即持戒の功徳は、永遠に壊れない。ゆえにダイヤモンドの宝器にたとえて、これを「金剛宝器戒」という。
19  皆さま方は″金剛不壊の人生″と輝いていただきたい。ダイヤモンドのごとき、心美しく輝く″幸福″の結晶の自身となっていただきたい。そのためには難を恐れてはならない。悪口等に負けてはならない。むしろ、それらはすべて、我が生命を磨いてくれる、ありがたい存在であるからだ。
 戸田先生は、かつて当体義抄の文段を拝して、″信心強盛なる者は、もったいなくも日蓮大聖人の御血が、我が生命にわいてくるのだ。清浄な、たくましき、人を救おうとする慈悲が、そして、人生を悠々と生ききっていける力がわいてくるのである″と教えてくださった。
 難があればあるほど、信心の大確信を強盛に発揮して、喜々として仏道修行していく人の人生こそ、金剛石のごとき王者の人生である。
20  この大切な一生を、″美しい信心″と″美しい同志愛″で立派に飾っていただきたい。この船橋という″美しい地域″を、皆さま方お一人お一人の″美しい人生″で荘厳し輝かせていただきたい。そして人類五十億の時代にあって、誉れある先駆者として、金剛の″美しき生命″の光を幾重にも広げ、正法正義を証明しきって、生涯を全うしていただきたい。
 皆さま方お一人お一人、また、本日お目にかかれなかった方々お一人お一人のご多幸を心より念願し、記念のスピーチとさせていただく。

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