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日蓮大聖人・池田大作

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学生部結成30周年記念総会 指導者は「生命の尊厳」を第一義に

1987.6.28 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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1  チリの教会の大惨事の教訓
 本日の総会には、ペルー、ベネズエラ、ベリーズなど中南米の友も参加しておられる。今や中南米の各国においても、広布の友の活躍は目覚ましく、大いなる妙法興隆の時を迎えている。
 そこで本日は、少々話題を変えて、今から約百二十年前、南米チリの教会で現実に起こった大惨事を通して、感じる所を述べておきたい。
 この出来事については、かつて私は創価学園の鳳雛達に、「誤った思想、宗教の恐ろしさ」「指導者の責任」「人間を大事にする一念」「いざという時の勇気ある行動」などを含めて、その概略を語ったことがある。
2  学生部の諸君は、未来に生きゆく人達であり、これからの時代を担いゆく人材である。諸君の一人一人の成長は、社会の中に、どれほどの価値を生みだしていくか、計り知れない。しかし、勉強もせず、成長も考えず、低次元の存在にとどまっていては、自身も小さな境涯の世界に終始してしまうし、社会への貢献もできえない。
 また、広宣流布は「生命の尊厳」を第一義として推進していく運動である。諸君はその後継者であり、内外のあらゆる分野のリーダーになっていくべき立場の人である。そうした意味から、本日申し上げる話を通して、今後の活動と成長への一助となる何かを感じとっていただければ、幸いである。
3  一八六三年、南米チリの首都サンチアゴにあるラ・コンパニア教会が火災に見舞われ、二千人もの若き女性達が焼死するという大惨事があった。当時、日本は幕末の開国の時代であり、アメリカでは南北戦争のさなかであった。その惨事は、翌年の『イギリス年鑑』(『Annual Register』1864)にも克明に記録されているほどであった。
 それによれば――。
 十七世紀末に建てられたこのラ・コンパニア教会で、十二月の八日の夕刻から盛大な祭典が挙行された。集まった人は三千人を越え、その大半は、サンチアゴの上流階級をいろどる若く美しい人たちであった。この祭典は「聖母マリアの無原罪懐胎かいたい」という教義を祝すもので、この日は一カ月にわたる祭典の最終日にあたっていた。
 チリのラ・コンパニア教会でも″聖母マリアは、その母の胎内に宿った瞬間から、原罪を免れていた″という教義が説かれて以来、多くの女性達の祈りの場となっていた。
 しかし、それでも飽き足らない、このラ・コンパニア教会のウガルテという司祭は、手紙に供物をそえて教会に預け出れば、聖母マリアとつながることができる――そんなふれこみで「天国の郵便局」なるものを考え出している。そのうえ宗教的な″富くじ″まで始めていた。これらは、カトリックの教義から明らかに逸脱しており、信仰者とは思えない名利におぼれ、堕落しきった姿といわざるをえない。
 こうした状況をとらえて、当時の現地の新聞には″この数年来、サンチアゴの人々、特に女性の心からは理性が追い払われたようだ″と記されている。
4  とかく人間は、歓心を買うような言動や、巧みなうまい話にごまかされ易いものだ。そして、いったんそれらにとらわれてしまうと、いつしか理性を失い、深みに陥ってしまう。いつの世も、こうした甘言でよそわれた偽善はあるものだ。ゆえに、その本質を鋭くとらえ、惑わされない自分自身をつくりあげておかねばならない。
 とくに最近は、社会的風潮として、あまりにも有名や利得、華やかさなどに流されがちになっている。そして、多くの若い人達が、確固たる生命観、人生観、世界観をもたないままに、一時のはなばなしい流行現象に、青春のエネルギーを浪費していることは、非常に残念であるし、悲しいことである。
 妙法の若き英知の諸君は、浮草のごとき社会の風潮にけっして流されたり、惑わされてはならない。むしろ、時流の本質を鋭くとらえながら、仏法を根本として新時代創造の活動にまい進しゆく一人一人であらねばならない。
5  民衆守る責任感こそ広布の精神
 さて、ラ・コンパニア教会での祭典は、オーケストラ、合唱、かぐわしい香料や派手な飾りつけ等々、ぜいたくの限りをつくしていたという。司祭ウガルテは、ローマの有名教会をもしのぐ飾りつけを自慢したかったにちがいない。
 そこにつぎこんだ莫大な費用の捻出のため、彼は高価な指定席券さえ売り出したのである。教会内には絢爛豪華な掛け布が高い天井から床まで垂れ下がり、祭壇のまわりには二千本のロウソクが並べられたという。
 しかし、こうした豪華な飾りつけの一方で、安全上の配慮は何一つされていなかった。
 運命の十二月八日午後六時四十五分、教会はすでに超満員、それにもかかわらず、なお中に入ろうとする群衆が扉をめざして押し寄せるなか、ミサは始まった。荘重なオルガンの調べ、たちこめる香料の甘い香り、荘厳な雰囲気に包まれて、侍祭じさいの人たちが祭壇を登り、二千本ものロウソクに次々と火をともしていった。
 その直後、ある侍者が不注意にも手もとを狂わせ、近くの布にも火がついてしまった。炎はみるみる大きく立ちのぼり、とばりを伝って天上のうす絹にも燃え広がる。宙づりにされていた数千のパラフィン油ランプにも引火し、淑女たちに火花となって降りかかっていった。炎はうなりをあげて燃えさかり、人々の耳をつんざくような悲鳴が教会の円天井にこだました。
6  ところで、火災が発生した当初の約一分間、人々は身動きをしなかった。それはなぜか。イギリスのイギリス年鑑はこう記している。
 「群衆には慈悲深い神が大火災を止めてくれるだろうという期待があった」
 一般的にいって、往々にして信仰者は、こうした心情を抱くものかもしれない。しかし、現実の出来事に対して、何ら具体的な対応をしない受動的ないき方は、真実の信仰の在り方ではない。
 仏法は道理である。私達の信心にあっても″信心をしているから″また″御本尊の加護があるから″と安易に考えて、目前の問題がたやすく解決すると期待したり、事故防止への配慮を怠っては絶対にならない。
 むしろ、信心しているからこそ、事故には細心の配慮と対策を講ずる。また悩みに直面しても、なんとか苦難を乗り越えよう、希望の道を切り開こう、と積極的な工夫と取り組みを行っていくような前向きの姿勢こそ信心なのである。苦難を前に手をこまぬき、ただ″利益りやく″を待っているような受動的な態度は、決して仏法のいき方ではない。
 創価学会が、今日の隆盛を見るに至ったのは、御本尊の無量の功力によることはもとより、「仏法即社会」「信心即生活」の法理に立って、現実の″生活″と社会の″道理″に直結した活動を貫いてきたからである。
 また、一人一人の″人間″を大切にし、庶民とつながっているがゆえである。ここに学会の強さがあり、こうした人生を前向きに生きていく学会員の姿が、多くの人々の心をとらえ、共感を得てきたのである。
7  ラ・コンパニア教会には、人々の生命の安全性に対する配慮が全くといってよいほど欠けていた。その要点を挙げると(1)教会は建造後約百五十年たっており、しかも木造で、火の回りが早かった(2)出入り口が少なく、また小さいうえに飾り幕にさえぎられていた(3)定員以上の入場券を売ったため、中に入りきれなかった女性達が、出入り口付近を占領して避難の妨げとなった――などである。
 その上、教会の中に残された妻や娘を助けようとする男性達が殺到した。そのため、中から逃げようとする女性達は、逆に押し返され、将棋倒しになって出口はすっかりふさがれてしまった。
 すなわち、この大惨事は、″不注意″と″油断″と″無理″などが重なった人災であった。ロウソクへの点火の際の不注意、避難に対する建物の構造上の不備、過剰な入場者、初期消火や適切な避難誘導をしなかったことなど、大惨事になるべくしてなったと思わせる状況である。
 現在でも世界で、飛行機や船舶などの大事故や惨事が引き起こされているが、それらの原因を追及していくと、必ずといってよいほど、陰にちょっとした不注意や油断がある。その意味で、人災と考えられる大惨事があまりにも多い。
 諸君は、どうか、生涯、自分の小さな過ちから、大きな事故を引き起こさないためにも、このラ・コンパニア教会の大惨事を一つの教訓としていただきたい。
8  日々無事故に「信心即生活」の軌道
 いうまでもなく、「生命の尊厳」こそ仏法の根本思想である。
 御書には「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、遍満三千界無有直身命とかれて三千大千世界にてて候財も・いのちには・かへぬ事に候なり」という有名な一節がある。
 ――三千大千世界という全宇宙に充満する、あらゆる財宝よりも、一つの「生命」が尊い。生命以上に尊厳なものは何一つない――との御指南である。ここに大聖人の仏法の重要な精髄がある。
 この「生命の尊厳」の思想を広め、人類社会に実現していくのが広宣流布の聖業である。「生命の尊厳」といっても、口先のみで実現できるものではない。広布のリーダーは最大の責任感と細心の配慮をもって、日夜、心をくだていく立場にある。生命を最大に大切にする仏法の実践者として、現実の、こまかな点に深く留意していかねばならない。
9  学会にあっても、各地に会館のない時代には、一般の家庭をお借りして会合を行うことがほとんどであった。そして多人数が集まったために床が落ちて、けがをした人が出たことも何度かあった。私は、その度に、本当に胸の痛む思いをしたものである。
 戸田先生も、やがて堅牢けんろうな会館をつくり、そこで安心して勤行・唱題し、存分に人材の錬磨と広布の進展を図っていけるようにしたいな、と言っておられたことを、私は忘れることができない。
 今日では、会員の方々のおかげで、各地に会館も建設され、大きな会合などができるようになったことは本当にうれしいことである。また年月が経て老朽化した会館を、どんどん建て直しているのも、こうした安全への配慮からであることをご了承いただきたい。
 多くの尊い生命が集い、生命錬磨の修行を進めている学会である。それぞれの会館にあっては、万が一にも、尊い生命を傷つけるような事故を絶対に起こしてはならない。幹部の方々は、そうした事故が起こらぬよう細心にして万全な配慮を永久にお願いしたい。とくに会合では、会場の定員を絶対に厳守していただきたい。
 また、各家庭にあっても、勤行・唱題のさいのロウソクの火の消し忘れや、仏壇の側に置かれたマッチやライターの、子供達による不用意の使用にも気をつけていただきたい。ロウソクの近くには燃えやすいものを置かないとか、煙草の吸い殻とかにも十分な注意をお願いしたい。こまかい事を言うようであるが、小事が大事である。災難は小さな不注意から起こることを、よくよく銘記すべきである。
10  真の勇気とは正義を貫く行動
 さて、火災の混乱の極みにあっても、勇敢なる英雄的行為を示した人々がいる。
 まず教会の入り口では、懸命に救出作業を続けた男性の一群があった。彼らの力によって、放っておけば圧死していたであろう女性が二百人ほども助かった。
 またアメリカ大使ネルソンの話は、とりわけ感動的である。ネルソン大使は、偶然近くを通りかかって、教会の火事を知った。彼は直ちに現場に向かい、救助に加わった。まさに一幅の名画の如き、素早く美しい行動である。その勇敢な尊き姿に心動かされ、救出作業を始める者もいた。必死の″一人″が立ち上がった時、必ず後に続く人が現れるものだ。
 こうしてネルソンは五十人の女性の生命を救った。しかもなお、天井が崩れ落ちてくるまで踏みとどまって、救出にあたっていた。彼自身も、あわや火だるまになるかと思われた、かろうじて他の人の手で運び出された。彼の全身の毛髪はすっかり焼けこげるほどであった。
11  いざという時に人間の真価はわかる。広布の前進においても、大難の時にこそ敢然と戦い、たとえ一人であろうとも、正義を叫びきっていく人が偉大である。その人こそ″信仰の勇者″であり、″広布の英雄″である。私も、幾多の嵐の中、一貫してその決心できたつもりである。
 ネルソンの英雄的行為。それは誰が頼んだものでもない。一時の虚栄によるものでもなかった。誰が見ていようと、見ていまいと、胸中の強き信念を発条ばねに、自らすすんでなした菩薩のごとき行動であった。時を経ても、その名は今に、ゆかしく薫っている。
 諸君も、いわば″妙法のネルソン″として、勇んで気高き信念を貫き、行動する正義の人格者であってほしい。
12  やがて教会の焼け跡から死体の収容が始められた。その作業は延々と続き、翌日の夕暮れまでかかって運び出された死体は、なんと荷馬車百六十台分にものぼった。
 公式の記録では死者の数は約二千人。その大部分が十五歳から二十歳までの、うら若き女性であった。まさに、わずか一時間のうちに、サンチアゴの「花」と「美」、若さと誇りの象徴が、はかなく犠牲となってしまった。
 この二千人という犠牲者がいかに大きいか、あらためて言うまでもない。ちなみに先日お話しした、イタリアのベスビオ火山噴火による″ポンペイの悲劇″の死者も約二千人。英国船タイタニック号の犠牲者は約千五百人。また昭和六十年(一九八五年)における日本全国の建物火災による死者は約千二百人である。
13  ネルソンらの勇気ある行動に対し、司祭のウガルテらの振る舞いは対照的であった。彼らは火事の最中に、こっそり聖器保管室の裏側から逃げ出してしまった。そのまま行方をくらまし、その後の動静は誰にもわからなかった。しかも祭壇にあつた高価な聖具や教会の家具だけは、侍者たちの手で運び出された。何とずるく、卑しい姿であろうか。
 本来、人々を救済することを天職とし、まっ先に人命を助けるべき聖職者である。その彼らの信じ難き醜い振る舞い。民衆は激しく弾劾だんがいの声をあげた。″家具などを運ぶ前に、なぜ何よりも先に崇高なる人命を救わなかったのか″と。当然の怒りである。民衆の憤激によって、チリ大統領もついに教会廃止の布告を発令している。
14  民衆の正義の怒りほど強いものはない。強大に見える時の権力をも動かし、社会と時代を進歩させていく。ゆえに青年は悪に鈍感であってはならない。卑劣なる指導者と戦う覇気を無くしてはならない。社会悪に対し、陰で愚痴を言っているのみであっては、あまりにも後進的な、封建社会の如き姿と言わざるを得ない。青年は、正義のために、断固、民衆の先駆となって、勇んで立ち上がるべきである。
 ともあれ、大切なのは指導者である。利己主義の指導者を持った民衆は不幸である。司祭ウガルテは、責任者であるにもかかわらず、自分達だけ、まっ先に逃亡してしまった。頼るべき中心者を失った信者たちは、ただ右往左往する以外なかった。
 かりに事故が起こったとしても、その後の冷静な判断と的確な指示があれば、大惨事は防げたであろう。直ちに消火を始めること、順番に静かに出口から外へ向かうこと等、明快な指示を与えるとともに、落ち着いて行動するよう激励するなど、できることは幾らもあったに違いない。その責任を放棄した罪は大きい。あまりにも無慈悲であり、残酷である。
15  御書にみる指導者の重要性
 ここで、指導者の重要性について御書を拝読しておきたい。
 大聖人は「一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ」と仰せである。
 一つの船に乗り合わせた以上、船頭という指導者がカジ取りを間違えれば、乗っている人々もみな遭難してしまう。これは道理である。他の乗り物にせよ、また、あらゆる団体、組織、社会も同様に、中心となる指導者いかんで方向が大きく決定づけられてしまう。指導者の責任の重要性は、いかに強調してもし過ぎではない。
 また大聖人は、日本の一切衆生の謗法の罪について、「女人よりも男子の科はををく・男子よりも尼のとがは重し・尼よりも僧の科はををく・破戒の僧よりも持戒の法師のとがは重し、持戒の僧よりも智者の科はをもかるべし」と御教示されている。
 当時の日本社会においては、女性よりも男性の方が、おおむね指導的立場にあった。また仏法のことでは僧の方が在家の信者より責任があるのは当然である。ゆえに、そうした責任が大きい立場であればあるほど、誤った言動の罪は大きいとの仰せと拝する。
 とりわけ智者として多くの人々の尊崇を集めている指導者の罪は大きい。現代でいえば、世論に大きな影響を与える権威と信用を持った指導者が、誤れる言論等で正法正義を迫害することは、最大の罪となる。
16  大聖人御在世当時、そのように「智者」とあがめられながら、最も卑劣な方法で大聖人を迫害した聖職者がいた。有名な極楽寺良観である。大聖人は、その悪の本質を鋭く喝破かっぱされている。
 四条金吾への御返事である「王舎城事」には、極楽寺の火災にふれて、次のように仰せである。
 「名と申す事は体を顕し候に両火房と申す謗法の聖人・鎌倉中の上下の師なり、一火は身に留りて極楽寺焼て地獄寺となりぬ、又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候ぬ」と。
 すなわち、その火事は″極楽寺″を焼いて″地獄寺″へと変じさせたばかりか、御所をも焼いてしまった。二カ所を焼いたのだから、名は体をあらわすように、″良観房″ではなく″両火房″だと揶揄やゆされているのである。
 「謗法の聖人」「鎌倉中の上下の師」の仰せのように、彼は、あらゆる人々から聖人と思われながら、その実、大謗法の指導者であった。大聖人は、火災という一現象をとらえられながら、彼の隠れた悪の本質をえぐり出されているのである。
 ゆえに、次に「又一火は現世の国をやきぬる上に日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて阿鼻の炎にもえ候べき先表なり」と御指摘になられている。
 極楽寺の一火が現世の国を焼いたことは、死後、良観もその弟子である日本国の人々も、ともに無間地獄で大苦悩の炎に焼かれる前兆であると。誤れる指導者につけば、現世のみならず、三世にわたって、永遠に苦悩の境涯となってしまうとの仰せである。
17  ″生命の勝利者″の人生を開きゆけ
 最後に「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」の一節を拝しておきたい。金吾が、敵人の襲撃による生命の危難を無事、乗り越えたことを喜ばれた御文である。
 「前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし」と。
 金吾が生命を守れた理由は、一つには常日ごろの用心であった。二つにはいさぎよい勇気に満ちていた。三つには強盛なる信心があった。ゆえに難を越えて生命を永らえることができたとの仰せである。
18  諸君の将来は長い。これから、自身の決定した一念によって、いくらでも無限に素晴らしき人生を開いていける。何百年、何千年にも匹敵するような価値ある一生を築くこともできる諸君である。
 ゆえに、つまらない事故等で大切な未来を閉ざしてしまうことがあっては絶対にならない。四条金吾への仰せのごとく、強き信心の上に、人一倍、用心すべきは用心し、注意すべきは注意して、無事故の一日一日を重ねていってほしい。
 また、たとえ絶望的に思える出来事があっても、一時の不幸で自棄やけを起こし、人生全体を狂わしていくような弱き青年であってはならない。
 若くして仏法の真髄を持った諸君である。妙法の絶大な力を原動力に、一人残らず、人生と社会の大勝利者になっていただきたい。いな、生命は永遠であるゆえに、一時の幸不幸を超越して、″永遠の生命の勝利者″となっていただきたい。そして広布の歴史に永遠に輝きゆく名指導者として、悔いなき生涯を全うしていただきたい。
 このことを強く念願し、諸君に最大の期待と信頼の心を捧げつつ、本日の記念スピーチとさせていただく。

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