Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第7回未来会総会 汝自身の″内なる完成″を

1987.6.27 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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1  信心と広布の英雄の誇りを
 本日の未来会の総会に出席し、諸君に会えることを、私も心から楽しみにしてきた。こうして、今、諸君の若々しい成長の姿を目の当たりにし、本当にうれしく思う。
 やはり人生も信心も、過去を追憶して生きるような、いわば″過去会″の人のようであってはいけない。諸君は、あくまで未来を志向し、生きゆく、文字通り「未来会」の一人一人であってほしい。
 過日、四年ぶりに訪仏した折、フランス青年部が、立派に成長している姿を見て、驚きもし、感銘もした。日本の青年達も、フランスの青年に勝るとも劣らず、凛々りりしく成長していただきたいと、まず申し上げておきたい。
2  そこで、本日は、フランスの生んだ著名な哲学者であり科学者であったデカルトの思想を通し、少々、所感を述べておきたい。
 十七世紀前半の西洋世界にあって、それまでの哲学の在り方を問い直し、近代の「知」の地平を開いたデカルト。いわば彼は、未知の闇のなかに確かな光源を探り、近代西洋文明の新たな時代を切り開いた、ヘーゲルのいう「思想の英雄」であった。
 近代哲学の祖といわれたデカルトが「思想の英雄」とすれば、末法万年尽未来際にわたる生命の大哲理を持ち、新時代のを開いている諸君は、人類の幸福のために奔走する若獅子であり「信心の英雄」といえよう。
 どうか、これからも「信心の英雄」「広布の英雄」の誇りも高く、力強い信心の実践にまい進していただきたい。
3  デカルトは、青春時代、「世間という大きい書物」と「自分自身」の研究こそ大切であると決め、求道の旅に出発する。その足跡は、オランダ、ドイツ、イタリア、スウェーデン、デンマーク、オーストリア、ハンガリー、ボヘミア地方等々、ヨーロッパ各地にわたっている。その意味で、″彼ほど理想的なヨーロッパ人はいなかった″ともいわれる。
 彼が生まれたのは、一五九六年三月三十一日、フランス中部・トゥーレヌ州の小さな町ラ・エーである。父は、高等法院の評定官(裁判官)で、デカルトは、その次男として生まれた。しかし母は、彼を出産して数日後に他界。一説によれば、翌年ともされるが、ともあれ、彼は、幼くして母を失った。
4  古今東西、幼くして、母親を亡くした偉人は、多い。トロイ遺跡の発掘で有名なシュリーマンは、九歳で母を失った。また、主著『種の起源』で十九世紀の科学界に大変革をもたらしたダーウィンは八歳、さらに、リンカーンは九歳、キュリー夫人は十一歳、イギリスの哲学者で平和運動家でもあったラッセルは二歳で、それぞれ母親を亡くしている。
 このほか、父を早く亡くしながら、偉人となった人も少なくない。こうした人々は、親の死が人生の重大な転機となり、大成への発条ばねとなったにちがいない。
 諸君のなかにも、幼くして父母を亡くした人がいるかもしれない。が、決して感傷的であってはいけない。たくましい人生の前進であっていただきたい。
5  デカルトの探求した絶対的確実性
 さて、デカルトが、若き日から求め続けたものは、何であったか。それは「絶対的確実性」であった。いいかえれば「いかに疑わんとしても疑いえないような、いかに否定しようとしても否定しようのないような原理」を、彼は探究しぬいた。
 偉大な人であればあるほど、深遠な哲学と高邁こうまいな目的を求めているものだ。反対に、人間的に凡庸な人は、求めるものも低く、それなりの人生で終わってしまうことが多い。
 世間には、財の富や出世を、目標としている人もいる。また、マスコミでの″有名″を価値とする人もいる。しかし、それらは一断面の価値でしかない。やはり、宇宙と生命の本源に肉薄しゆく生き方に、人間としての確かなるあかしが薫っていくのである。
 私どもは、「妙法」という究極にして尊極の法を求めて、日々、信心の活動に励んでいる。妙法こそ、大宇宙を貫く根源の法であり、いかに疑おうとも疑えず、いかに否定しようとも否定しえない根本中の根本の法則である。これ以上の「絶対的確実性」はない。ゆえに、それを求め、それにのっとった私どもの人生も、最高に偉大にして、幸に輝く生涯となりゆくことを確信していただきたい。
 「絶対的確実性」について、デカルトは、それをまず数学の世界に求めた。彼は、十九歳のときに、パリの騒音を離れ、数学の研究に没頭。約二年間を、その研究に専念する。
 しかし、いかに数学が確実ではあっても、彼はその世界に満足はできなかった。自らの学問と、現実に生きていくことと、どう関連していくのか。そうした迷いが、心中に渦巻いていたに相違ない。
 そこで彼は、「ある確実な根拠にもとづいて自己の生を正しく導くこと」つまり「人間的知恵」を求めたいとの心情に至る。
 彼は、代表作『方法叙説』に次にように述べている。
 「これからはもう私自身のなかか、それとも世間(世界)という大きな本のなかか、どちらかにもしかすると見つかるかもしれない学問よりほかの学問は探すまいと心に決めて、青春時代の残りを次のことに使ったのです。つまり、旅をする、あちこちの宮廷や軍隊を見る、気質も身分もさまざまな人々と付き合う、さまざまな経験を積む、運命の巡り合わせをいいことにして自分自身を試す、そしてどこと限らず目の前に現われてくるものごとについて反省を加えて、何か利益を引き出せるようにすることです」(三宅徳嘉・小池健男共訳、『方法叙説・省察』〈イデー選書〉一九九二年再版所収、白水社)
 まさに、デカルトの内面への″心の旅″が始まったといってよい。この″心の旅″″内面への旅″が、近代哲学史の一大モニュメントとして知られる「我思う、ゆえに我在り」にいきついたことは、周知の事実である。
6  ところで、デカルトが、最も確かなるものとして、自身の内に見いだされるもの、また世間という現実社会に見いだされるものに、探究の目を向けていったことは、彼の思考の的確さを示しているといえる。
 仏法においても「仏法即社会」「信心即生活」とのとらえ方があるが、自身の人生、現実の生活と社会を離れて仏法はありえない。言い方を換えれば、社会における行動や生活実践のなかにのみ、仏法を証明していくことが出来るのである。これが大聖人の教えであり、学会の伝統精神でもある。
7  「高慢の心」でなく「高邁な心」の人に
 さて、デカルトは『宇宙論』をはじめ世界全体を理性の力で、科学的に解明しようとした先駆者であった。
 とともに、彼は一切の根本である人間それ自身の「心」というテーマに、生涯、取り組み続けたのである。彼の青春の魂は一生を貫いて、確かなる人間完成への道を求めてやまなかったといってよい。
 この点について、デカルトの最後の著作であり、死の直前に出版された『情念論』を通しながら、少々、ふれておきたい。この著作は、その題名の通り、人間の感情、すなわち「心」それ自体をテーマとしたものであった。
8  デカルトは「情念論」の中で、人間の心の両極にあたるともいえる「高邁こうまいの心」と「高慢の心」を対比して論じている。
 彼によれば「高邁の心」とは、われわれ自身の内なる価値、即ち強く気高き精神によって立つことである。一方、これに対して「高慢の心」とは、自分の内面の価値以外の才能とか美とか富とか名誉といったものによって、自らを高しとする卑しい感情である、と。
 人間としての価値ある生き方は、さまざまに考えることができよう。その中で、やはり内なる価値、強く気高き精神に生きることが大事となる。
 だが、人は往々にして才能とか美、富(財)、名誉といったものに価値を置いて生きようとする。しかし、それは、「高邁な人間」への道をふさぎ、いつしか、恥ずべき「高慢な心の人間」をつくってしまう。
 諸君は、これからの人であり、最も期待する大切な広布の人材でもある。ゆえに、何を心にいだき、何を目指していくべきかを、申し上げておきたいのである。
9  さらに「高邁な心の人」は、自身が最善とするすべてを実現せんとの確固不変の決意に立っており、その意志をどのような場合にも決して捨てないと。その意味から、この高邁の心とは、信念に生きゆく心ともいえよう。
 また、高邁な心の人は、その特性として「欲望」や「執着」また「うらやみ」「憎しみ」「恐れ」「怒り」といった感情に決して動かされないとも述べている。
 信念に生きゆく高邁な心の人は、欲望とか、執着、憎しみといった低次元の感情に支配されるものではない。
 また、信念の人は、心なき非難や陥れの言動に見舞われることがあるかもしれない。しかし、決して、それらに紛動されてはならない。むしろ、日蓮大聖人が「賢聖は罵詈して試みるなるべし」と仰せのごとく、そうした苦難、逆境を、自らの人間を深めゆく発条ばねともしていっていただきたい。
10  一方「高慢な心」に陥ってしまった者は、他の人々を卑しめることに躍起になっている。また自分の「欲望」の奴隷となって絶えず「憎しみ」「羨み」「執着」「怒り」によってかきたてられている、とデカルトはいう。
 鋭い人間洞察である。ここで指摘されている点は、ともすれば陥りやすい人生の道でもある。多くの退転者や反逆者の姿も、この傾向性によっているようである。信仰者として生きる諸君は、決して、こうした卑しい心の高慢の人となってはならない。つねに、自分を磨き、深めながら、高邁なる人格の形成に努力していただきたい。それが仏法のいき方である。
11  御書に「浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」と仰せである。つまり、浅い小法を捨てて、深い大法につくことが、丈夫の心である。
 私どもの立場でいえば、広布に進みゆく地涌の勇者といえよう。妙法に生きる、信心に生き抜くこと以上の、深い生き方はない。ゆえに、諸君は逡巡しゅんじゅんすることなく、広宣流布に徹しゆく人生であっていただきたい。
 憶病になったり、出世や名誉、世間体によって自分の信念をゆるがせにする弱い生き方ではいけない。人生は長いようで短い。あっという間に過ぎていく。だからこそ、若い時に、存分に活躍できるときに、悔いなく、自分でできるだけのことはやり抜いていただきたい。
 デカルトは『情念論』の結論として″人生の善と悪とのすべては、ただ情念のみに依る″と述べている。そして彼は、知恵の持つ力を強調する。即ち、知恵の力によって、自ら情念をコントロールしていくことができる。それのみならず、さらには、情念がもたらすさまざまな悪から、逆に「喜び」を引きだすことさえできる力が「知恵」にはある、というのである。
 ここに″哲学とは知恵を研究すること″と主張してきたデカルトが、生涯をかけて到達した一つの結論があるともいえよう。
 ここで「情念」とは、仏法で説く「煩悩」の範疇の一分といえる。つまり妙法による知恵によって「煩悩」を即「菩提」へと転じていけるのである。その意味で、デカルトの結論は、「煩悩即菩提」の法理に通じるものであり、仏法の序分ともなるものである。
 デカルトの哲学的探究は、現実の泥沼の中で、その真実の知恵を万人が涌現していける実践の方途を、後世の私どもに夢みつつ託したともいうことができよう。
 今日、創価学会の活動によって、世界の多くの人々が、御本尊への信心という、人生の根本の知恵を涌現する方途を知ることができたわけである。
 時代は違っても、生命、人間、宇宙の根源への探究を進めてきた哲人達は、結局は大聖人の仏法を志向するものとなっている。ここに世界の宗教・思想の王としての大聖人の仏法の偉大さがある。
12  「運命」と「生死」の解決は仏法に
 最後にデカルトの限界にふれておきたい。これまで述べてきたように、彼はヨーロッパにおける近代的理性の象徴というべき人物であった。その存在は歴史上に大きく光彩を放っている。それと同時に、彼自身の中に、その近代的理性そのものの悲劇が、影を落としていたことも見逃せない。
 すなわち、森有正氏によれば、デカルトは「人意をもっていかんともすべからざる運命への諦念ていねん(『叙説』第三部、『省察』第四)、密かに忍びよるかそけき死の影への戦慄せんりつ(『情念論』八十九)、かれの全生活、全体系に淡く影を映す人間存在の有限性への慎み深い自覚、かれはこれらの、かれの根源的意欲に対して否定的に働く現実に対して、かれとしての深い対決を行わなかった」(『デカルトとパスカル』筑摩書房)というのである。
 デカルトは近代における最高の知性を持っていた一人である。しかし、その彼にして、「運命・宿命の転換」と「死の解決」という課題の前には、なすすべがなかった。かつて故トインビー博士も、こうしたデカルト的理性の在り方について、鋭く批判されていた。彼の限界が、そのまま西洋近代哲学の限界となり、死との対決を回避してきた、と。
 しかも、この二つの課題は誰人にとっても、例外なく最も切実である。また高齢化社会の到来などによって、死の問題は、いよいよ深刻化している。ここにデカルトを超えて、生命の全体像を洞察した仏法の英知を求めゆく必然性がある。
13  現代の迷妄の一つは「知恵」と「知識」の混同である。知識はイコール幸福ではない。むしろ幸福に対しては諸刃もろはの剣である。幸福を生むのは知恵である。知識はその知恵に至る門であり、手段にすぎない。
 また「やまい」と「死」の混同も大きい混乱の一因である。病気イコール死ではない。と同じく病気の解決イコール死の解決ではない。
 知識人をはじめとして現代世界に浸透している、こうした迷妄を破っていくことも、また私どもの大きな課題である。
14  さて、いわゆる「理性」によっては所詮、生命の部分観しか得られない。これに対し、仏法の英知は、法華経の寿量品に「如来如実知見。三界之相(如来は如実に、三界の相を知見す)」(開結四九九㌻)とあるように、宇宙と生命の全体を、あるがままに知見したものである。ゆえに仏法の真髄である妙法を受持することによって、理性をも最高に輝かせつつ、「宿命」と「死」を克服していける。
 戦後、この宿命転換の大法を社会に弘め、人々に希望を与えぬいた方が戸田先生である。また仏法の三世永遠の生命観を、わかりやすく現代的に表現し、教えられたのも戸田先生である。ここに戸田先生の歴史を画す大偉業があった。その偉大さは、冷徹に論じ、鋭く客観的に探究すればするほど、鮮明に浮き彫りになることは間違いない。諸君も、決して、戸田先生という指導者を安易に考えてはならない。
15  仏法こそ人格完成の道
 ここで当体義抄の一節を拝読しておきたい。
 「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり」と仰せである。
 有名な御文であり、甚深の法理が述べられている。本日は時間の都合もあり、要点のみにふれておきたい。
 まず「正直に方便を捨て」うんぬんとは、正直に方便の仮の教えを捨てることである。法華経すなわち御本尊以外に全宇宙の実相を明かされた法はない。方便の哲学・思想では、真実の如実知見の知恵も得られず、宿命転換もでき得ない。妙法は太陽が世界をくまなく照らすように、生命の全体像を明瞭に照らし出す。
 そして御本尊につながった信心の一念は、そのまま全宇宙にあまねく広がっていく。たとえていえば、テレビ電波が衛星を通して、地球上のあらゆる場所に遍く届いていく原理に似ている。妙法は、それ以上に壮大にして、厳密なる生命の法理なのである。
16  次の「煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて」とは、やさしく言えば、まず「煩悩」とは欲望等、心身を煩わし悩ませる種々の精神作用、「業」とは煩悩から起こる身口意のすべての振る舞い、「苦」とは煩悩と業によって招いた苦しみである。いかなる人間にも、この迷いの三道がある。これは誰人にも避けられない人生の「現実」である。この現実を解決したのが仏法である。
 すなわち、妙法によって、この三道が仏の三徳と転ずる。このうち煩悩は、「般若」となる。般若とは人々の幸福を実現しゆく仏の智である。また業は「解脱」と転じる。解脱とは生死しょうじばくにとらわれない。自由にして清新な振る舞いである。さらに苦は「法身」となる。法身とは仏の清浄なる生命それ自体であり、絶対的幸福に躍動する生命である。
 煩悩・業・苦の三道を何ら断じることなく、そのまま、法身・般若・解脱へと転じ、最高の人間完成を実現していけるのが妙法の大力用なのである。
17  また「三観・三諦・即一心に顕われ」とは、宇宙の実相を空・仮・中の三つの面から示した「三諦」(三つの真理のこと。諦は真理の意)も、その真理を観ずる智慧である「三観」も、信心の一心にあらわれることである。
 生命の真如実相を客観的な対境として示したのが「三諦」、主観的智慧に即して述べたのが「三観」である。すなわち三諦とは大宇宙の妙法、三観は妙法と人法一箇であられる御本仏・日蓮大聖人の御智慧である。
 結論して、この御文では強盛なる信心によって、仏の無量無辺の智慧を我が胸中に涌現し、自然のうちに、大宇宙の根本のリズムにかなった自在の人生を歩んでいけることを教えられている。まことに、ありがたき妙法である。
18  そして「其の人の所住の処は常寂光土なり」と仰せのように、依正不二の原理で、自身の住むところを崩れざる永遠の寂光土と変じていける。これは立正安国論の原理でもある。
 すなわち、個人の境涯に即していえば、御本尊に唱題しゆく時には、一歩も動かずして、大宇宙の生命の最高の輝きを瞬間、瞬間、我が胸中に感じていける。美しき山河も、清らかな星のまたたきも、月光も日光も、すべて一念に包み、観じていける。また、その境涯の輝きを周囲に広げていけるのである。
19  ともあれ、この素晴らしき大法こそ、これまで無数の大哲学者、大思想家、大科学者等々の先人が求めに求めぬいてきた究極の真理の法である。彼らは、妙法を志向しつつ、懸命に努力し、苦しみ、研究を重ねた。
 諸君は、この大法を、若くして「無上宝聚ほうじゅ 不求自得」(無上の宝聚、求めざるにおのずから得たり)で受持した人々である。
 なかには、信心するつもりはなかったという人もいるかもしれない。しかし事実として、この大法の存在を知った以上、諸君には、人類に対し大きな責任と使命がある。この法の流布以外に、人類の万年の夜明けはないからだ。
 この尊き責任と使命を″自覚″すれば、一切の労苦は歓びに変わる。″義務″と感じれば、すべてが苦痛になってしまうかもしれない。
 ゆえに私は、「君たちよ、広宣流布という我が使命に生きゆけ。ためらわず、勇んで、この素晴らしき大偉業を目指しゆけ」と申し上げたい。そして、自分らしき大満足の人生と、気高き人格とを築きつつ、一生涯を飾っていただきたいとお願いし、本日の祝福のスピーチとさせていただく。

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