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日蓮大聖人・池田大作

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「本部創友会」記念の集い 生涯、正しき信心で幸の人生を

1987.4.28 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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1  正しき信心で依処をもて
 皆さま方は、草創期の困難な時代に、本部職員として、厳しい労苦の日々を送られた方々である。当時は、今日のような広布の基盤も整っていないし、環境も恵まれていなかった。そのなかを朝早くから夜遅くまで、仕事に、そして広布の第一線での活動にと尽力してこられた。皆さま方の、こうした不眠不休の戦いによって、広布の盤石ないしずえが築かれてきた。
 さらに、結婚後も、子供を育て、和楽の家庭を築きながら、組織の″柱″の存在として、活躍されている。まことに尊い姿であるし、また、うれしく思う。
 これから、どんどん新しい人材、幹部が登場してくる。しかし、私は皆さまこそ最大の功労者と思っている。恵まれないなか、苦労して広布の道を開いてこられた皆さまである。何より、御本尊が御照覧であられる。その功徳は永遠に皆さまの人生を飾っていくし、子孫末代まで輝いていくことは間違いない。
2  「法によって人に依らざれ」とは、仏法の変わらぬ法則である。それは当然のこととして、成仏への正しい歩みのためには、適切な信心のアドバイスが不可欠である。ゆえに依怙依託となる信心の先輩が必要となる。正法にのっとった正しき信心の指導者につかなければ、法の会得えとくはありえないであろう。
 その意味で、付くべき人を間違うと自分の信心を狂わせてしまう。信心の狂いは、人生の根本の狂いであり、そこには幸せの道はない。環境に影響されやすいのが人間の常である。それだけに、信心の世界にあっても依処とすべき人を誤らないよう心していただきたい。
3  夫婦であれば、他の男性より夫をよく見てしまう。どうしても自分の夫を正当化し、それに引きずられがちである。しかし、世法と信心は違う。鋭い信心の目でみていかなくてはならない。それがなくして、夫を″師匠″とするようないき方は、夫婦ともども、信心の正しき軌道を狂わせてしまう。
 御書には「女人となる事は物に随つて物を随える身なり」と仰せである。何があっても強き信心と聡明な振る舞いで、夫を正法の軌道へと近づけていく賢婦人であってほしい。
4  同世代の信心の絆を大切に
 やがて皆さまは、五十、六十、七十歳と年齢を重ねていく。それにつれ両親も亡くなってしまう。夫と離別する場合もある。これも「成住壊空」の一つの姿であり、避けられぬ生命のリズムである。子供さえ、自立し、母親のもとから巣立ち、離れていく。年とともに、孤独になっていくことはまぬかれえない。
 そうした時に、何が、女性にとっての幸福となるか――それは、何でも話せる同世代の友人がいることである。苦楽ともに語り合える親しき友人をもつことほど幸せなことはない。
 皆さまには、すでに、信心の絆で結ばれた、素晴らしき友人が、たくさんいる。その意味でも、すでに幸福を約束された方々である。この尊い人生の最終章を、幸せの炎で明るく輝かしていける人達である。
 ともあれ、皆さまは、広布への偉大な足跡を刻んでこられた功労者である。「蔵のたから」や「身の財」という無常の富ではなく、信心という永遠の「心の財」を積んできた仏子である。信心の″富″こそ、宇宙大にも広がる無限の富である。皆さまは、それをすでに得ていることを確信していただきたい。
5  それだけに、人生の最終章まで、見事な信心で生涯を飾っていかれんことを、心から念願したい。
 戸田先生も、「最後の数年間が、とくに大切だ」と話されていた。
 これまでよかったから、これからもよいとはいえない。信心は「現当二世」である。また「一生成仏」のための信心である。まだまだ、皆さまの人生は長い。しかし、決して様々な障魔に、信心の軌道を狂わされることがあってはいけない。そうなれば、せっかくこれまで積み重ねてきた福徳をすべて無に帰してしまう。
 私の願いは、ただひとつ、最後まで強い信心、正しい信心で、正しき軌道にのっとった人生を歩み抜いていただきたい。

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