Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「4.2」記念女子部代表者会議 常住の法に生き″永遠の幸″を

1987.4.2 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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2  生死の海の、波の間に間にただようような人生にあって、どう永遠に崩れることのない幸福を確立していくか。これが人生の最大の課題である。その解決は、結論していえば、常住不変の法である妙法に則って生きる以外にない。これが日蓮大聖人の教えである。
 当然、人生の途上において、勝ち負けはある。しかし、それらは一時の勝ち負けである。それに一喜一憂する必要はない。何があっても、たんたんと、またゆうゆうと生き抜いていただきたい。御本尊とともに広布と信心に生きゆく人生には、必ず生々世々、真実の幸福が到来することを確信されたい。
 大事なことは、それぞれの人生にあって″私はこれで満足だ。全く悔いはない″といえる生き方をしているかどうかである。ここに人生は″カケ″といわれた深い意味がある。
3  若いうちから目先の幸福や功徳のみを追う生き方では、余りにもはかない。
 世間的虚栄や、華やかさで自分を飾っても、メッキのような幸福に過ぎない場合がある。大聖人の仏法は諸法実相、凡夫即極、無作三身と教えられている。その仏法を持つ私どもも、総じて、ありのままの姿で使命に生き、成仏していくことが正しい。
 また私どもは皆、同志であり、妙法の家族である。そして、誰もがかけがえのない仏子である。互いに尊敬し、守り合っていくべきである。見えを張り合ったり、世法の次元で競い合ったりすることは仏法の精神ではない。
 どこまでも平等大の仏法である。たとえ社会的には地味であり恵まれない存在であっても、慈悲の心をもち、けなげに法を弘めている人をこそ、最大限に大切にしていかねばならない。また、その人を御本尊が厳然と守らないはずがない。このことを確信し、一生涯、麗しき妙法の姉妹として、どこまでも仲良く生きぬいていっていただきたい。
4  使命と責任を果たす人に
 広布を推進する学会の組織活動を離れた信心は、所詮、自分本位の、わがままな信心となってしまうであろう。わがままな仏道修行というものは、ありえない。たしかに組織での活動は苦労が多い。煩雑であり、時には、人々の悩みを多くかかえて大変な場合もあるであろう。また、人一倍疲れる場合もあるかもしれない。
 しかし多くの同志とともに、「法」のため、「人」のために悩みつつ前進するなかにこそ、真実の仏道修行があり、完成への鍛えの道がある。信心の組織を離れ、一時的に自由のように思えても、長き人生から見れば、福運の軌道を外れ、大きく悔いを残してしまう。
 さらに職場等でも、いずこにあっても、誰が見ていようと、また見ていなくとも、自分の使命と責任で、なすべきことをなしていく人であってほしい。また、そうした皆さんであると私は信じている。

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