Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

パナマ代表者会議 「生」「死」ともに常楽の人生

1987.2.19 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

前後
1  探検家バルボアの偉業
 本日午前に大統領府を訪れ、デルバイエ大統領と会見した。そのあと外務省で、特別の功績に対し授与される国家最高の勲章である「バスコ・ヌニエス・デ・バルボア勲章」を受章した。まことに光栄なことと思っている。
 また、午後にはパナマ国立大学を訪問し、初の「大学教育功労大賞」ならびに「平和行動栄誉賞」を受賞した。教育交流に長年携わってきた一人として、まことにうれしく思う。
 しかし、いずれも私一人の栄誉ではないし、功績でもない。これは、愛するパナマの皆さま方が、仏法を基調としながら、よき市民、よき国民として社会に貢献されてきたあかしにほかならない。皆さま方のたゆまぬ努力の結晶なのである。
 その意味から、チュー理事長、チュー本部長を中心にパナマ広布を推進されてきた全同志に、心から感謝申し上げたい。
2  さて「バルボア勲章」の中央には、スペインの探検家であったバルボア(一四七五年?〜一五一九年)の肖像が浮き彫りにされている。このバルボアについて、少々、述べておきたい。
 彼は、パナマ地峡を横断し、ヨーロッパ人として、最初に太平洋に到達したことで知られる。東洋への道を求めたコロンブスの夢は、このバルボアによって実現された、といわれている。
 バルボアが太平洋を発見したのは、一五一三年九月二十五日のことである。彼は、このパナマの地の、壮大な展望が広がるクアレクアーの山頂に立った。そして彼方に銀色に輝く海原を眺望したのである。それは、大西洋とは別の、新しき大洋であった。
 この歴史的な舞台を踏んだ騎士らは、バルボアを中心に六十七人。全員、その名前が、現在まで残されている。それは、その場に立ち会った一人が、克明にとどめていたからである。
 バルボアは、この困難な旅を、たとえ少人数でも、信頼し、心の許しあえる者たちで完遂したいと考えていた。彼は、細心の注意を払いながら、この探検を計画し、地元の族長たちの、友好的な協力を得て、成功させたのである。バルボア一人だけでなく、その部下の名前も、歴史に刻まれているという一点にも、団結を大切にした彼のリーダーとしての卓越性が反映されているように思われる。
3  このパナマの地は、北米と南米をつなぐ懸け橋である。また、ヨーロッパ人にとって、この地は、はじめて太平洋と出あった地であり、その四百年後、太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河が完成している。いうならば、パナマは″文明の十字路″たる使命を帯びた国土であるといってよい。
4  ところでバルボアも、地元の人々にとっては征服者の一人であり、時に無情な行為があったことは事実である。
 しかし研究によれば、彼は通常、人間的であり、誠実であった。現地の人に対しても、あざむきや、暴力でなく礼儀、親切をもって、あたっていったようである。
 彼は、地元の人々の協力を勝ち取り、百九十人のスペイン人と、千人のインディアンとともに、ダリエン山脈を横断するという偉業を成し遂げた。自然や敵対する部族と戦いながら、一人の犠牲者も出すことなく、コロンブスやマゼランに比すべき偉業を成し遂げたのである。
5  その成功の要因を、バルボアの、リーダーとしてのたぐまれな資質に求める見方もある。つまり、バルボアは大胆かつ慎重であり、才能と不屈の精神の、どちらも備えていた。さらに外交戦と内部の統率の、両側面に手腕を発揮したというのである。
 私どもの広布の活動は、末法万年にわたる人類のための戦いである。それはバルボアの偉業よりも、はるかにすぐれた崇高なる戦いである。
 しかも、その進展は、指導者いかんによって決まるといっても過言ではない。どうかパナマ広布を担う、先駆のリーダーである皆さま方は、人格を磨き、自分自身を深めながら、大リーダーとしての見事な指揮をお願いしたいのである。
6  三世に輝きゆく妙法信受の福徳
 さて、ここで御書を幾編か拝読したい。御本尊を受持した私どもが、三世永遠にわたって、いかほどまでに素晴らしき「生」と「死」を享受できるかを、強く確認しておきたいからである。
 まず御義口伝には「依正福智共に無量なり所謂南無妙法蓮華経福智の二法なり」と仰せである。
 南無妙法蓮華経は「福智の二法」であり、私どもが妙法を信じ唱えゆく時、依報正報つまり環境も我が身も、無量の福徳と智慧に包まれていく。
 智慧があっても福徳・福運のない人生は不幸である。智慧を十分に生かすことができない。福運があっても智慧のない人生はみじめである。人々に貢献することもできず、自身もやはり不幸となる。「福智」の両方が備わっていなければ、真実の幸福を築いていくことはできない。妙法は福徳の源泉であり、智慧の根本である。
 この妙法を修行しゆく時、我が生命ばかりか一家・社会・国土まで、無量の福智の輝きを備えていくことができる。これほど、ありがたき正法はない。
 また大聖人は「撰時抄」に「よろこばしきかなや・たのしいかなや不肖の身として今度心田に仏種をうえたる」と述べられている。
 「心田」――我が生命の水田に、確かに今、南無妙法蓮華経の「仏種」を植えた。「仏種」を植えた以上、退転しない限り、「仏果」が必ず実っていく。大聖人の仏法は「一生成仏」の仏法であり、成仏も今世のうちのことである。
 信心を一生の最後の瞬間まで、強盛に貫き通した人は、必ずや所願満足の幸の人生を生きることができる。そして、生命の勝ちどきをあげつつ、荘厳なる「死」を迎えることができる。
 そのことが間違いないゆえに、大聖人は「よろこばしきかなや」「楽しいかなや」と仰せなのである。私どもも御本尊への絶対の確信に立ち、何があっても、奥底には「よろこばしきかな」「楽しきかな」との歓喜の一念も強く、生き抜いていきたい。
7  マイアミでのアメリカSGI特別研修会のさい、御本尊の絶大な功徳力と成仏の境界について、簡潔にお話をした。その点について、御書を拝しながら、再び申し上げておきたい。
 「妙心尼御前御返事」には次のように仰せである。
 「ただいまに霊山にまいらせ給いなば・日いでて十方をみるが・ごとくうれしく、とくにぬるものかなと・うちよろこび給い候はんずらん、中有の道にいかなる事もいできたり候はば・日蓮がでし弟子なりとなのらせ給へ」と。
 この御書は、夫(高橋六郎兵衛入道)の病気を案ずる妙心尼に対し与えられた励ましのお手紙とされている。
 ここで大聖人は、六郎兵衛入道はこの病によって道心を起こし、信心に励むようになった。ゆえに、過去・現在の罪障は消え、成仏は間違いない、と仰せになり、――やがて霊山に参られたならば、太陽が出て十方世界を見晴らすようにうれしく″よくぞ、早く死んだものだ″と、喜ばれることでしょう。また、次の世に生まれるまでの間に、どんなことが起きても、″私は日蓮の弟子である″と名乗りなさい。そうすれば、何も恐れることはないのです――と教えられ、激励されているわけである。
8  高橋入道の病は、長きに及んだ。家族ともども、いくたびか深い不安に襲われたにちがいない。
 それに対し日蓮大聖人は、信心が強盛であれば、「中有」の世界をただよう死後の生命にあっても、決して恐ろしいものではない。むしろ、宇宙の仏界の生命と冥合し、自在に遊戯ゆうげしながら、悠々たる境涯を楽しみきっていける、と力強く励まされている。夫妻にとって、どれほど心強く、また勇気づけられる御言葉であったことか――。御本仏の大慈大悲を、あらためて痛感せざるをえない。
9  生命は永遠である。そして妙法信受の福徳は、死後の生命をも″幸の光彩″で飾り、三世に輝いていく。
 反対に、正法誹謗の罪業は、永遠に幸の門を閉ざし、生命を不幸の暗闇にとどめてしまうのである。
 どうか皆さま方は、この点を銘記し、生涯、純真な信心を貫いていただきたい。そして、「生」「死」ともに常楽の風薫る、尊い生命と人生を見事に飾っていただきたいと念願し、本日のスピーチとしたい。

1
1