Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ドミニカ広布21周年記念勤行会 新大陸原典の地に妙法の太陽

1987.2.9 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

前後
2  本日、歓迎してくれた鼓笛隊、ポンポン隊の皆さんの可憐かれんさ、健気けなげさ、美しい瞳を私は決して忘れない。また婦人部の皆さまの合唱の見事さ、「キスケーヤ(母なる大地)」の曲の、心をふるわせる感動のコーラスは、私の胸から生涯、消えることはない。
 この曲の中に「私たちの島ほど美しいところはない」「愛する大地よ」とある。私も全く同感である。
 昨日、ドミニカを初訪問し、到着の第一声として私は言った。――貴国は、いわゆる大国から見れば小さな国かもしれない。しかし、紺碧こんぺきのカリブの海に囲まれた自然の美しさは宮殿のごとく、また楽園のようである――と。
 立派な宮殿のような建物、大きなビルが、たくさんあるから素晴らしい国であるとはいえない。要は、人間の生命、人々の心の中に、「宮殿」が輝いているかどうかである。そこに、その国の″魂″ともいうべき最も大切な一点がある。
3  ドミニカ共和国には、エメラルドの海がある。輝くそよ風がある。海の底には美しき真珠が眠り、大地には緑したたる樹々が茂る。そこに住む人々も、心やさしく、女性の方々もまことに美しく輝いている。男性も、もちろん素晴らしい。
 ドミニカの海岸に比べ日本では海は汚れ、空気は濁り、心も貧しくなっている。先ほど婦人部の方々が、私の作詩した「森ケ崎海岸」の曲を、それは見事な日本語で歌ってくださった。この詩をつくった十九歳の頃と比べ、この海岸も大きく変わった。今では面影をしのぶよすがもないほど汚れてしまっている。
 私は、むしろドミニカの美しい自然と美しい心に触れて、この詩にこめた、かつての詩情がほうふつと胸にこみあげてきた。その意味で、ドミニカは私にとって、″青春の魂″宿る憧れの国となったと申し上げておきたい。
4  皆さま方の中には今は生活も苦しい人もいると思う。また様々な悩みがあるにちがいない。しかし妙法は一切の福徳の根源である。ゆえに、ひとたび妙法を唱えた皆さま方は、色心の無量の財宝を″貯蓄″しているのである。
 いくら富豪の人であっても、いちいち全部のお金を持って歩くわけにはいかない。やはり、どこかに貯金している。と同じように、皆さまは生命にばく大な貯金をしているようなものである。現在は、余り持っている人がいないとしても……。すなわち皆さま方は、御本尊おわします限り、すでに最も「富める人」なのである。このことを深く確信していただきたい。
 また、光り満つ、この大地と人間の美しさは、やがてドミニカが、心も生活も国土世間も、世界のどの国よりも美しく発展していく未来の象徴のように思える。また皆さま方が、このドミニカの地で高らかに題目を唱え、妙法を実践している事実自体が、因果倶時の理法によって、必ずや輝かしい未来を開いていくのである。
 このドミニカ会館を思う存分使い、信心を深めていっていただきたい。また近い将来、大勢の人々の集える、より大きなドミニカ会館を建設してはどうかと私は提案する。また今日集った方々の氏名を記念として全員、銅板に刻み、新ドミニカ会館の中に顕彰しておきたい。
5  輝く広布先駆の功労
 美しき島国、ドミニカはカリブ海に浮かび、広さは、ほぼ日本の九州と山口県を合わせたぐらいである。
 有名なコロンブスは、新世界への初めての航海で、この島に出あった時の感動を、次のように記している。
 「まだ島を見たことのない人でも、(話を)聞いただけでこれ以上の所はないと思うでありましょう」「いろいろの大きさの山や、広々とした美しい平野、森、肥沃ひよくな農場、耕作、牧場、住居などに最適な所があります。この島の港は、どこも便利ですばらしく、川がまた至る所に流れているのは、人間にとって欠くことのできないもの」(R・H・メジャー『われ新大陸を発見せり――孤独の英雄コロンブス探検記――』佐藤亮一訳、山と書房)と。
6  そうしたこの美しい島・ドミニカに、初の支部が結成されたのが一九六六年(昭和四十一年)三月十六日。本年でドミニカ広布二十一周年を迎える。初代支部長は今は亡き西尾順一さん(享年六十二歳)、初代支部婦人部長は木村磯代さん(現・ドミニカ本部婦人部長)であった。
 結成の当時、私はペルーを初訪問していた。私もペルーの地で、この意義深き三月十六日の結成式を見守った。そして結成式には、ペルーに私と同行していた柏原ヤスさんと山田徹一さんを派遣し、出席してもらった。結成式には、六十二人のメンバーが集い、一支部三地区の陣容で出発したのである。
 以来二十一星霜――。現在では、一本部、四支部、十二地区、約一千人のメンバーへと大発展をしている。
 ドミニカのメンバーにとって、支部の結成日である「三月十六日」は、3・16「広宣流布記念の日」とともに、「ドミニカ日蓮正宗の日」として、二重の意義を刻む節となったのである。
 なお、初代支部長の西尾さんの子息・孝志さんは、現在、副本部長、また孝志さんの夫人・陽子さんは本部副婦人部長として、亡き西尾さんの遺志を継いでドミニカ広布に活躍をしておられ、喜びにたえない。
7  木村庫人理事長については、SGIグラフの「私と世界の友」でも紹介している。
 私と木村さんとの初めての出会いは、一九六七年(昭和四十二年)の桜花満開の四月、学会本部においてである。これは、ドミニカ支部結成の一年後であり、当時、地区部長の木村さんが、十年ぶりに帰国した折のことである。
 そのとき私は「どこまでも、信心根本に大樹と育ってください。必ず花が咲く時がきます」と激励した。
 今回の私のドミニカ初訪問は、この出会いからちょうど、二十年目に当たる。また、木村さんが一九五七年(昭和三十二年)三月、山口県からドミニカへ移住して、ちょうど、三十年の節にも当たっている。
8  木村理事長の入信は、一九六三年(昭和三十八年)二月。遠く離れた日本の老いたる母から寄せられた何通もの手紙によってであった。母の一途な祈りが、はるか海を越えて、我が子の入信へと結実したのである。その母は、木村さんが入信してからも、「聖教新聞」を送り続けている。
 私はかつて「この無名の母こそ、ドミニカ広布の陰の大功労者とたたえたい」と書いた。この広布の母・木村ハツさんは、故郷に信心の錦を飾った子息の晴れ姿を見届け、八十三歳で大満足の生涯を終えられている。
 なお、今日のドミニカ広布の伸展においても、草創の方々の子弟が大学等へ進み、スペイン語による弘教で、ドミニカ社会に仏法理解の輪を、さらに広げていくという、確かなる後継の流れができており、本当にうれしく思う。
9  ところで、後継の信心といえば、日蓮大聖人御在世当時の南条時光を思い起こす。
 南条時光は、両親から信心を受け継いだ、いわば″二世″である。この点について、日亨上人は、次のように言われている。
 「七郎次郎(=時光)の信心の色は、あいより出でて藍より青く、こおりは水より出でて水より冷たく、日々に向上するその信心の揺籃ようらんは、母が動かしたものであろうか。自ら父の往事おうじを夢のごとく思い出して、内薫ないくんしたものであろうか」(『南条時光全伝』中国報編集室)と。
10  また、大聖人の御在世時代に、身延の地から遠く離れた日本海に浮かぶ佐渡の島で、健気に信心を貫いている無名の一老夫婦がいた。大聖人は、その方へのお手紙の中で次のように仰せになっている。
 「此の法華経は信じがたければ仏人の子となり父母となり女となりなんどしてこそ信ぜさせ給うなれ」――この法華経は信じ難いので、仏は、人の子となり、あるいは父母となり、またあるいは妻となるなどして、衆生に信じさせられるのである――と。
 すなわち正法を教えてくれた家族は、家族であって同時に″仏の使い″である。また家族ならずとも、深い慈愛で大法を説く人は″如来の使い″である。人間として、これ以上、尊い存在はない。
 ともあれ、未入信の家族の方々には決して焦ることなく、深い慈愛で温かく包容していっていただきたい。また他の大勢の人には、人間としての深い情愛の上から、真心こめて大切にし、懇切に、粘り強く妙法を教えていっていただきたい。
11  また大聖人は、この篤信とくしんの方が佐渡に住むところから、遠い離島で強盛に信心に励む苦労をたたえ、次のようにしたためておられる。
 「人の御心は定めなきものなればうつる心さだめなし(中略)又国も・へだたり年月もかさなり候へば・たゆむ御心もやとうたがい候に・いよいよ・いろをあらわしこうをつませ給う事・但一生二生の事にはあらざるか
 ――人の心は定まらないものであり、そうした移り変わる心はとらえようがありません(中略)また国も遠くへだたり、年月も重なっているので、信心をゆるむ心も生ずるかと案じておりましたが、ますます強盛な信心の姿をあらわし、功徳を積まれておられることは、ただ一生、二生だけの浅い因縁ではないのでしょう――と仰せである。
 この御書を拝する時、私は、御本仏日蓮大聖人が、ドミニカの皆さまの、けなげにして不退の信仰を、どれほどまでにたたえ、喜んでおられることかと、深く心に感ぜずにいられない。
12  「衆流集まりて大海となる」を確信
 さて、ここで我がドミニカ共和国独立の、あるエピソードにふれておきたい。そこには私どもの妙法広布の方程式に深く通じる内容がある。
 皆さまの、よくご存じの通り、ドミニカが独立を勝ちとったのは一八四四年。その大きな淵源は、この六年前に結成された、わずか九人の青年達のグループにあったといわれている。彼らは、外国支配の束縛から独立し、自由と自治の共和国建設のため、立ち上がったのである。
 彼ら九人は、まず三人ずつ三つのグループに分かれた。そして、一人がさらに三人ずつ同志を増やし、そのまた一人が三人の同志をつくり――という戦いを繰り返した。そうした粘り強い、着実な前進を通して、五年間のうちに彼らは、島の各地に、また社会の各分野に、力強いネットワークを広げていったのである。
 彼らは「建国の英雄」ドゥアルテを中心に、″ドミニカ共和国″の建設のために自らを捧げることを誓い合い、団結した。この運動にドゥアルテとともに「建国の三傑」とたたえられるメジャとサンチェスも加わった。
 このようにドミニカ独立の原動力も、はじめは小さく、決して華やかではない、少数の青年たちの情熱と団結によったのである。
13  御書の「撰時抄」には有名な次の一節がある。
 「衆流あつまりて大海となる微塵つもりて須弥山となれり、日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一たい・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ
 ドミニカでは、まだ地涌の友は比較的少数かもしれない。しかし、皆さま方がいる、皆さま方はかけがえなく尊き先駆の勇者である。広宣流布への「一渧」であり「一微塵」である。
 ゆえに皆さま方、お一人お一人が、御本尊の無量の功力を満身に受けつつ、朗らかに、また強く、よき人生を生きぬいていくことである。その歩み自体の中に、ドミニカ広布即社会の繁栄の希望の未来が、壮大に開けゆくのである。
 ともあれ私は、皆さま方が、一人ももれなく多幸の人生、栄光の人生、そして長寿の人生を享受せられんことを、さきほども真剣に御本尊に御祈念させていただいた。また、これからも祈り続けていく決意である。
 最後に今日、お会いできなかった方々に、くれぐれもよろしくお伝えくださることをお願いして、私の記念のスピーチとしたい。

1
2