Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1回アメリカSGI各部合同記念研修会… 信念貫く勇者の振る舞いを

1987.2.7 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

前後
28  さらに同抄には「如渡得船」について、具体的に次のように仰せである。
 「そもそも法華経の如渡得船の船と申す事は・教主大覚世尊・巧智無辺の番匠として四味八教の材木を取り集め・正直捨権とけづりなして邪正一如ときり合せ・醍醐一実のくぎを丁と・うつて生死の大海へ・をしうかべ・中道一実のほばしら帆柱に界如三千の帆をあげて・諸法実相のおひて追風をえて・以信得入の一切衆生を取りのせて・釈迦如来はかぢを取り・多宝如来はつなで綱手を取り給へば・上行等の四菩薩は函蓋相応して・きりきりとぎ給う所の船を如渡得船の船とは申すなり」と。
 要約していえば、ここで大聖人は、釈尊を巧みな知恵をもった「船大工」に、また爾前の諸経を「材木」に、実教である法華経を材木を船へと形作る「釘」に、たとえられている。不必要な部分を削りとることが「正直」に「方便」を捨てることである。
 結論して言うなれば、末法において、「如渡得船」の船とは御本尊のことである。この船に乗ることができるのは「以信得入の一切衆生」と仰せのように、御本尊を信じきるすべての人々である。
 この妙法という「大船」に乗る時、釈仏・多宝仏、四菩薩をはじめとして、三世十方の仏菩薩に守られつつ、波荒き「生死の大海」を、悠々と楽しみ切って渡っていくことができる。御本尊以外の他の「小船」では決して成仏という彼岸に至ることはできないのである。
 その最後の目的地に達するまで、何があっても、妙法への確信強く、自行化他にわたる不退の実践を貫き通していただきたい。そして御本仏・日蓮大聖人から、また三世十方の仏菩薩から、称賛される誉れの信心と人生を全うしていただきたい。そのために本日の私の指導が何らかの参考になれば幸いである。
 最後にアメリカSGIの大切な友のますますの活躍と栄光の人生そしてアメリカ広布の一段の発展を心より念願し、本日の私のスピーチとしたい。

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