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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGI世界平和池田講堂開館記念… 自由の天地に新しい朝光を

1987.2.2 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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1  アメリカ広布に誉れの歴史
 本日は、アメリカSGIの皆さま方にお会いでき、大変にうれしい。
 お一人お一人の、お顔を拝見し″ああ、あの人もこれまでよく頑張っておられる″″あの人も、ここに参加しておられる″と、とても懐かしく思われる。またお元気な姿に接し、喜びにたえない。
 皆さまの真心によって建設された、この平和講堂に御安置の御本尊は、「世界平和広宣流布大願成就」とおしたためられた、大変に意義深い御本尊であられる。また、認められた日付も、日蓮大聖人御聖誕の佳き日である「二月十六日」であり、深い意義が込められている。
 本日、皆さま方とともに「世界平和広宣流布大願成就」の御本尊を拝し、勤行・唱題できたことを、私は本当にうれしく思う。とともに世界平和、また世界広宣流布への決意を、一段と深くしたものである。
 ところで、本日の開館記念勤行会には、日本の秋谷会長も、祝賀のため、ともに出席したいと考えていた。多忙なため出席できなかったが「皆さま方にくれぐれもよろしく」との伝言が寄せられている。
 また、日本の副会長、県長からも「アメリカの同志の方々に、よろしく」との伝言があり、この席をお借りし、お伝えしたい。
2  身近なことだが、日本から、この素晴らしい自由の天地・アメリカに来ることは、非常にうれしく、楽しい。だが一方で″時差″に悩まされる。
 しかし時差は苦しいが、時とともに薄らぎ、消えてしまう。だが、悪しき宿命、宿業は、なかなか消えない。消えないどころか、時とともに、その苦しみを増していくことが多い。それが人生の幸・不幸の厳しき因果の法則であり、ここに、宿命転換の仏法、そして信心の実践の必要性があるといってよい。
 自由の国・アメリカに、妙法流布が始まって三十年。また私がアメリカの大地に広布の第一歩をしるして、すでに二十七年となる。その間、皆さま方は、ウィリアムス理事長を中心に、異体同心で妙法流布の大道を進んでこられた。
 今や、アメリカの地にも数十万の地涌の友を数え、勤行・唱題に励みながら、平和と幸福と繁栄のために、弘教に活躍しておられる。
 この事実は、仏教史上、未聞の壮挙であり、その誉れの歴史は、永遠に語り継がれていくにちがいない。
 御本仏日蓮大聖人も、生々世々、皆さま方の功労を御称賛くださると確信する。また諸天善神も、広布先駆の勇者である皆さま方が、永遠なる幸福を満喫していけるよう加護するにちがいない。今日までの皆さま方のご苦労に厚く感謝申し上げるとともに、偉大なる活躍を心からたたえたい。
3  未聞の広布の推進であり、仏道修行であるがゆえに、今日まで、皆さま方は苦しいこと、つらいことがあったにちがいない。またこれからも多々あるかもしれない。しかし「広布」と「信心」のための労苦は、無駄がなく、最終的には、すべて自分自身の功徳となって、永遠に輝いていくことを確信すべきである。これが妙法の偉大なる功徳力であり、ここに信心の精髄があることを忘れてはならない。
 どうか、これからも自身の幸福の人生のため、勇んで宿命転換の仏道修行に励んでいただきたい。平和と繁栄の社会のために、広布の大道を歩み抜いていただきたい。この道こそ、最も確かなる人間王者の″正道″であるからである。
4  広布の″ミニットマン″たれ
 ここで私は、わがアメリカの「独立革命」の一側面に少々ふれておきたい。あるいはその史実は皆さま方にとって当然、ご存じのことかもしれない。しかし、そこには私どもの広宣流布の前進に相通じることが余りにも多いと思うからである。
 歴史の流れを変えたアメリカ独立革命。それに対し、私どもの広宣流布の戦いは、いわば″永遠の平和″と″永遠の幸福″への人類の独立運動であり、独立革命である。有史以来の宿業ともいうべき戦争と不幸の鉄鎖。それを断ち切って、生命の真実の「自由」と「独立」、「平和」と「幸福」を勝ち取るための、かつてない法戦なのである。
 歴史を振り返る時、時代の大きな変革には必ず無名の庶民、民衆の活躍があった。オランダ独立運動における「ゴイセン(乞食党)」しかり、日本の明治維新における長州の「奇兵隊きへいたい」しかりである。
 アメリカの独立革命においても、革命のさきがけとなった庶民の青年兵士「ミニットマン」の存在があった。
 ミニットマンとは、いざという時にそくざ(at a minute's notice)に出動するという意味である。彼らは、ふだんは平凡な農民や職人として働き、生活していた。しかし、ひとたびこと起これば、直ちに結集し、全員で問題に対処した。また団結して守り合い、前進していったのである。
5  私どもは、どこまでも市民であり、社会人である。そこに何ら特別な姿があるわけではない。また、ある必要もない。むしろ他の人々以上に社会に貢献する良き市民、立派な社会人であらねばならない。
 そのうえに立って、私どもは根底に地涌の眷属という本源的な自覚をもちながら、自らの余暇をさいて、平和のため、人々のために広布の活動、妙法弘通に真剣に励めばよいのである。大切なのは、その深き使命感である。
 また私どもは、ミニットマンと同じく、いざという大切な場合には、直ちに集い、力を合わせて前進していける。本日の会合にも、大勢の方々が多忙の中、遠い所を駆けつけてくださった。その事実の姿は″広布のミニットマン″ともいうべき、潔い、強盛なる信心のあかしであると私は心からたたえたい。
6  ミニットマン達は、「冬には兵士、春には農夫」とうたわれていた。農閑期の冬になると、てつく寒さのなか、兵士としての厳しい訓練を受けたからである。彼らは祖国の独立と自由を守るために、自分自身の鍛錬に励んだ。
 私どもの立場でいえば、自己自身の根本的鍛錬、訓練とは、朝な夕なの勤行である。また自行化他にわたる唱題行である。その地道な鍛えのうえにこそ、妙法の″独立革命″の偉大な勝利も築かれるのである。
7  一七七五年四月、ボストン近郊(コンコード、レキシントン)で植民地軍とイギリス正規軍との戦いが始まった。これが独立革命の発端となった。この戦いに、先駆を切って出動したのもミニットマン達である。
 ″自由への戦い″の火ぶたを開いたミニットマン。その、ほとんどは十代、二十代の青年であった。一つの資料を紹介すれば、コンコードにいた約百人のミニットマンの年齢は、二十一歳未満が三〇%、二十一歳〜二十四歳が二八%、二十五〜二十九歳が一四%だったという。すなわち十代、二十代だけで七〇%以上を占めていたのである。
 若き青年の大いなる活躍。この一点も、私どもの運動に相通じる。青年の力が、どれほどまでに絶大な可能性を秘めているか。常に、その躍動するパワーを最大に信頼し、正しく、思う存分、発揮させていくという方程式を忘れてはならない。
8  ″一対一の対話″に力
 それでは、ミニットマンの青年達に、颯爽さっそうたる活躍の舞台を作ったのは誰だったか。それは経験豊かな先輩達であった。
 すなわちコンコードの人々が、このミニットマンの結成をはじめ、独立革命に向かって団結していく際には、様々な困難があった。主として居住区や財産の違いからくる障害、教会の分裂抗争などである。
 環境や意見の相違による不調和。それらを乗り越えて、戦いへの団結の道を開いたのは、主に六十代という年配者達であった。豊かな体験を持ち、堅実で穏健な彼らこそ、多様な市民を納得させ、心を合わさせていく方途を知っていたのである。
 その方途とは何か。それは″対話″であった。年配者の中心であった老大尉はその時、六十七歳。彼は町の家々を一軒一軒訪ねて歩いた。そして独立への戦いに向けて、人々を説得し、納得させていった。
 こうして市民達は、長年信頼し続けていた年配者の指導によって、独立への戦いへと団結していったのである。
 このように、青年達の活躍の陰には、経験豊かで人柄の良い、壮年・婦人部、指導部ともいうべき年配者の力があった。勝利の底流にはこの老若両者の異体同心のきずながあったのである。
9  ともあれ″一対一の対話″の力を見逃してはならない。独立革命といえば、世界の歴史を動かした大事件である。しかし、その発端を開いた人々の団結は、一老大尉らの粘り強い″対話″によって、もたらされた。
 本当の団結は、単なる命令や、権威を使った強制によってできるものではない。人間対人間という互いの信頼の絆、そして一人一人の心の連帯をつくっていく以外にないのである。
10  一七七五年の四月。コンコードの大地には青々と麦が生い茂っていた。その上を春のそよ風が吹きわたり、リンゴの木々は白い花を咲かせ始めていた。この美しき愛する故郷を守るためミニットマンの青年達は勇敢に戦った。
 そのコンコードの戦いは、実質、わずか二、三分の銃撃戦で終わったとされている。ある意味では極めて小さく地味な戦闘であったといえよう。
 よきにつけ悪しきにつけ、大事件の始まりが華々しい、派手なものであるとは限らない。永遠にわたる平和すなわち広宣流布への私どもの前進も、決して派手な活動によって成し遂げられるのではない。最も地道にして、最も着実なる″一対一の対話″、″一対一の指導・弘教″によってこそ推進されていくのである。
 また、このわずか二、三分の出来事は、やがて「世界に聞こえた銃声」として長く歴史に刻まれた。私どもの日常の活動も、一見ささやかで、小さなものに見えるかもしれない。しかし必ずや、人類の歴史に永遠に輝きわたっていく先駆の聖業なのである。このことを深く確信していただきたい。
11  平和と幸福の独立運動を
 後に、このコンコードにゆかりの深い思想家エマソンは、彼らの凛々しき戦いをたたえ、こううたっている。
 「大いなる精神は かの英雄たちを 敢然と死地におもむかせり 未来の子らに自由をのこさんと」
 この有名な詩の一節は、私の胸に強く深く響いてくる。「未来の子らに自由を遺さん」と戦う「大いなる精神」――。それは未来永遠にわたって、不壊の「自由」と「平和」と「幸福」を築きのこさんと勇んで戦う、崇高なる″学会精神″である。誉れある広宣流布の精神であり、地涌の勇者の精神である。この偉業の先駆者である皆さま方こそ、人類の「英雄」であり、永遠のヒーローなのである。
 しかも正法を掲げての私どもの法戦は、一切の武力・暴力の行使を否定した非暴力と平和の行進である。
 そのうえ、この行進に参加した人自身が絶対的に幸福になるためのものである。戦った人ほど、一時は苦しくとも、深く広い喜びを味わい、永遠の幸福を楽しみきっていけるのである。これほど矛盾なき、素晴らしい前進はない。
12  日蓮大聖人は「御義口伝」で「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」と仰せである。
 つまり、今、日蓮大聖人が唱えられている南無妙法蓮華経は、釈尊の仏法のように、正法千年、像法千年という限界がある教えではない。末法一万年、いな未来永劫にわたり、一切衆生を成仏させていくことができる大仏法なのである。
 また、大聖人は「末法の正法とは南無妙法蓮華経なり、此の五字は一切衆生をたぼらかさぬ秘法なり、正法を天下一同に信仰せば此の国安穏ならむ」と仰せである。
 ――末法における正法は、三大秘法の南無妙法蓮華経である。この南無妙法蓮華経は、全民衆を決してたぼらかすことはない。根底的に救いきっていく秘法である。この「正法」を世界の民衆が心を一つに信仰していくならば、国も、世界も、安穏にして平和になっていくことは、絶対に間違いない――と仰せである。
 御本仏の御言葉は絶対であり、虚妄こもうはない。全人類を救い、国も世界も繁栄させ、平和を実現する法は、妙法しかないことを、ここで改めて申し上げておきたい。
13  ところでエマソンは、晩年に、ハーバード大学での自らの学生時代を回顧し、新しい学問について情熱をもって語るある教授の講義を懐かしみ、次のような一文を残している。
 「(学生達は)ハーバード・ホールの教室の中で、新しい朝が明ける思いがした」と。
 この言葉を、私どもの立場でいえば、妙法の世界で生き抜いていくとき、我が胸中に、常に希望の太陽が昇りゆく生命の夜明けとなるのである。
 広宣流布とは、まさに平和の旭日が輝く、すがすがしき国土を築くための活動である。また、世界の不幸と悲惨から決別し、幸福と安穏の朝を開きゆくための戦いなのである。
 この自由の天地・アメリカに完成をみた平和講堂のオープンが、平和と繁栄の「新しい朝」「新しい夜明け」を開いていく意義あるスタートとなるよう念願してやまない。
14  日本にあっても、創価学会は、五十数星霜の歴史の中で、あるときは障魔の嵐との戦いもあった。また、あるときは春風のごとき前進もあった。さまざまな試行錯誤を繰り返しながら、今日の大発展を築いてきたのである。
 アメリカSGIは、今は、将来の大発展への、最も労苦の多い時期かもしれない。しかし、盤石なる土台は出来上がったと私はみる。
 ゆえに、今、大事なことは、一人一人が、真剣に生活と取り組み、自らの足元をしっかりと固めていくことだ。また、いかなる苦境にあっても、決して理想と希望を失わず前進していくことである。
 それがあれば、妙法の力用によって、十年、二十年、五十年と時を経たときには、必ず願いはすべて叶うとともに、現在の何倍もの素晴らしいアメリカSGIの発展がなされていくことは間違いないと、私は確信する。
 また、諸天の加護によって、必ずや、大発展の時代が到来するということを声を大にして申し上げ、本日のスピーチとさせていただきたい。

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