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日蓮大聖人・池田大作

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渋谷文化会館落成記念勤行会 大衆とともに歌われゆく詩を

1986.12.28 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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1  新時代の″人材城″を
 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」(新潮文庫)――これは川端康成の有名な『雪国』の一節である。けさ目を覚ますと、美しい雪景色であった。これからも雪が降れば、本日の渋谷文化会館の落成を常に思い出すにちがいない。また皆さまの雪のごとき″清らかな信心″を象徴する意義があったともいえまいか。
 有名な″春の小川はさらさら……″との「春の小川」の歌も、ここ渋谷を歌ったものであるとうかがった。素晴らしき″平和の叙情詩″ともいえるこの歌の発祥の地だけあって、さすがに渋谷には深い情趣と品格に優れた方が多い。
 渋谷広布も、多くの草創の同志の労苦により、あの江戸城の石がきのように基礎はできあがり、新時代の″人材城″もできあがっていくにちがいない。
 一切は、人材で決まる。どうか、先輩と後輩が呼吸をあわせながら、お互いの使命に生きぬいていただきたい。
2  私も四十年間にわたって入信動機のさまざまな姿を見てきた。また、うかがってきた。深遠なる仏法の法義を教えていくのは当然である。とともにその時、人々が入信する動機となったのは「あの方は、まことに誠実である」、「あの人の人生は、確信に満ちている」、「あの人々はすがすがしい、情熱がある」といった、現実のその人々の実相をとらえて入信していることが多い。さらには「あの人はいつも歓喜の姿である。また目がすずやかである。会うと心が安らぐ。さらには、心から私のことを心配してくれている」といった具合である。ともあれ、まことに身近な所にその判断基準をおいている。
 つまり、実際の行動、人生の姿、身近な生活、人と接する自然な姿、また自然の共感の中から、具体的に仏法を志向するようになるという事実である。ゆえに、さらに信心の光と人格と生活とに磨きをかけていくようお願いしたいのである。
3  心清らかな信心たれ
 心清らかな信心には、無量の功徳がわきいずる。濁ってくれば、喜びもなくなる。功徳も出てこない。信心の″心″こそ大切なのである。
 往々にして、長い信心をしていくと、この清らかさが次第に濁っていく場合がある。これは大変にこわいことである。ただ、長年信心をしているからとか、幹部であったからとか、後輩を見おろすというような、自らの信心の濁りは、人々をも濁らしていくから、まことに危険な存在といわなくてはならない。そうなってはいけないし、またそのような人のために信心を濁らせてもならない。ともあれ、″春の小川″がやがては大河に、大海へと、流れゆくがごとく、年々の信心の流れと境涯を作っていただきたいのである。
4  渋谷区広宣流布の歴史と、人材群の流れは、すべて私は知っているが、きょうは時間の都合で、これを略させていただく。御本尊に、その功労の方々のご多幸を祈るとともに追善させていただいた。
 話は変わるが、ここ渋谷の地は、大変にすばらしい地であるが『万葉集』には、一つも歌はのっていないようだ。しかし、松尾芭蕉の句に『しばらくは花の上なる月夜かな』(『芭蕉俳句集』中村俊定注、岩波文庫)とある。歴史的に由緒ある桜の花をんだ句である。
 また近代になって、歌人の斎藤茂吉は『渋谷川うづまき流るたもとほりうづまく水を見れど飽かぬかも』(『斎藤茂吉全集 第一巻』岩波新書)と歌っている。渋谷川は、かんがい用水のほかに、水車にも利用されるなど、古くから渋谷の人たちの生活を支える川であった。この水車は、葛飾北斎『冨獄三十六景』の″隠田おんでんの水車″としてまことに有名である。
 さらに渋谷文化会館のある広尾の地には、庶民の遊歩散策の場があり、『土筆つくしケ原』と呼ばれていた。これは『江戸名所図会』にも描かれている。
5  また、本日、NHKテレビの番組で、私(山本伸一)の作詞した「森ケ崎海岸」の歌が、ダーク・ダックスの歌唱により紹介された。
 この森ケ崎海岸の詩は、ご存じのとおり十九歳の夏、入信するその前につくったものである。当時の親友と二人して涼風に吹かれながら静かな森ケ崎海岸の土手で月を仰ぎ、金波銀波の海を見、未来の人生を探究しながら人生いかに生くべきかと語りあった。彼はキリスト教にいくと主張した。私はこの正法に生きることを念願していた。それ以来彼とは会っていない。
 その時の詩が、このようにNHKの番組で全国に放送されたことはまことに恥ずかしいかぎりであるが、うれしいことでもある。と同じように万般にわたり、学会内だけに限定されたいき方では広がりがなくなる時代となった。たとえば歌という次元でみても、どの人も歌える詩があれば、その詩に縁して多くの人が、正法を知る場合もあるかもしれない。大衆が親しんで歌っていけるような詩歌をつくることも一つの先取りではないかと思う。その意味でそのような歌の創造を、情緒にとんだこの国土世間に生きゆく若き人々にお願いしたい。
 最後に、きょうお会いできなかった方々に、くれぐれもよろしくお伝えください。そしてよいお正月をお迎えください。
6  (終了後の懇談で)
 渋谷区の新しい出発を祝しつ、今後「ニュー渋谷」を合言葉に前進してはどうかと提案したい。そして、人材を大切に育てながら、朗らかにして、求道の心厚き、異体同心の渋谷区を建設していってほしい。
7  今日降った新雪を見ても、雪にはロマンがある。″雪の降るまちを……″。また″雪やこんこ……″と美しい詩歌がある。しかし、雪国の方々の労苦はあまりにも大きい。豪雪地帯では、雪との格闘である。これが現実の生活である。
 人生は極限すれば現実との格闘である。また自己との格闘である。夏は暑さとの闘いである。冬は寒さとの闘いである。また自己自身の宿命との格闘である。または病魔との格闘である。格闘なき人生はない。正と邪との格闘もある。常に苦悩との闘いもある。その格闘は、″幸″の方向へ、″正″の方向へいきゆかんとする人生の証であるといってよい。格闘の彼方に強き自分を築きあげていただきたい。

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