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日蓮大聖人・池田大作

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東京第六・第八総合本部記念幹部会 広宣流布の組織を守れ

1986.12.23 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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11  広布は幸福への大道
 昭和三十年(一九五五年)四月の、第二回向島支部総会の折の戸田第二代会長は、次のように指導されている。
 「時にめぐりあい、その時に生きるということは、人生の重大な問題である。日蓮大聖人様御在世の時に生まれることもできず、また、中興の祖、日寛上人様おでましの時にもおともできなかったことは、まことに運勢のない者と一応は悲しく思います。
 しかし、またふり返ってみますれば、七百年以前の大聖人様の御命令が、未来において広宣流布せよとある。御開山日興上人様も『未来において広宣流布せよ』とある。その広宣流布の時に生まれあわせた身の幸福しあわせは、まことにありがたいものと私は思っております。
 初代の会長は、実に立派な方でありまして、われわれが、その下について指導を受けました。創価学会の会員として、初代の会長にめぐりあわなかった人は、どれほどなさけなさを感ずるかわからないと思います。
 しかし、このたびの広宣流布にめぐりあわせ、そして、われわれの手で広宣流布できたそのあかつき、また私ども、初代と会えなかった人達を思い、また大聖人様とお会いできなかったことを悲しむと同じような悲しみを、この広宣流布に参加できずに戦わなかった人々が、皆いだくのではないでしょうか。『あれ、みよ。私のおじいさんは、わが親は、広宣流布のために働いたのだ。二十余年前の闘士として、みな働いたのだ』という名誉を子に残すことは、まことにうれしいことではないだろうか。
 広宣流布というと、人のためのように聞こえるが、それはことごとく、わが身のためなのです。(中略)
 いま、広宣流布の大使命に遅れて、なんのしあわせをつかむことができましょうか。私の法難(=戦時中の投獄)のときに退転したものは、みんな食えない。やっと生きています。名前をあげて申しあげてみても、いっこうにさしつかえない。現証歴然です。あなた方が、この信心から退転して、もししあわせが得られるならば、得てごらんなさい。断じて得られない。
 広宣流布の大道へ手をつないで挺身したものは、五年、十年とおやりなさい、必ず幸福な生活がつかめますから。本日の私のことばを忘れることなく、日々の信心をつとめられんことをお願いして、私の講演とします」(『戸田城聖全集 第四巻』)――。
 私も、この戸田先生の気持ちと全く同じである。どうかわが身の成仏のため、そして子孫末代のため、全人類のために、「これ以上の幸福の人生はない」「私以上の幸福者は断じてない」との確信で、不退の人生を全うしていっていただきたい。
 最後に、よいお正月を迎えていただきたい。来年もまたともどもに前進を、と申し上げ、本日の指導とさせていただく。

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