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日蓮大聖人・池田大作

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東京・神奈川の記念合同本部長研修会 仏法は″人格″尊ぶ行動のなかに

1986.11.29 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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2  人の″自尊心″を大切に
 次に私は「人の″自尊心″を大切に」と強調しておきたい。だれびとにも尊い一個の人格がある。その″自尊心″を絶対に傷つけてはならない。これは社会や地域においても、家庭においても、また広布の組織においても銘記すべき一点である。
 この点を深くわきまえていかなければ、人間としての正しき生き方を踏みはずしてしまう。いわんや、これからの新時代の指導者としては、重大な誤りをおかし、″リーダー失格″となりかねないからである。
 このことについて御書の仰せを拝したい。先日、埼玉県の三郷みさとでお話しした富木常忍の妻・尼御前の病気に関する御指導である。会員の方から、尼御前の病気は、その後、どうなったのかと心配する手紙も、あれから幾通か頂戴した。ご自分で調べていただいた方が勉強になるかとも思うが、その方々に安心していただく意味もこめてここに述べておきたい。
3  尼御前の病気は決して軽いものではなかった。先日、ご紹介した「弓箭きゅうせん御書」のほかにも、大聖人はくり返し、病の尼御前を激励されている。
 信心すれば全く病気をしないなどと仏法は説いていない。一歩深くみればすでに御本尊に照らされた本有ほんぬの病気であり、本有の「生」「老」「病」「死」なのである。また宿命転換という深い意義の場合もある。ゆえに病気という一現象のみを見て、その人の信心が弱いとか、謗法ほうぼうがあるとかと、短絡的にきめつけるのは誤りである。むしろその時こそ最大に激励し、守っていくべきである。これは信心の世界で、ともすれば陥りやすい点でもあるので一言、申し上げておきたい。
4  有名な「可延定業書かえんじょうごうしょ」も尼御前に与えられた激励のお手紙である。大聖人はこの御書で尼御前に対し、懇切に信心の指導をされ、定まった寿命でさえ転換できる妙法の功力の絶大さを教えられている。
 その上で大聖人自ら、医術のすぐれた心得のあった四条金吾に治療を受けるように勧められている。そして依頼するに際して、その心構えと注意を、こまごまと教えられた。
 すなわち「此れよりも申すべけれども人は申すによて吉事もあり又我が志のうすきかと・をもう者もあり人の心しりがたき上先先に少少かかる事候」と。
 ――日蓮からも(四条金吾に、あなたの治療を)頼んであげてもよいが、人によっては、他の人が頼むことによって良い事もあり、また(逆に)本人の誠意が足らないのではないかと思う人もいる。人の心は知りがたい、その上、(四条金吾については)以前にも少しこうしたことがあった――と仰せなのである。
 さらに大聖人は、金吾の人柄を的確にとらえられ、次のような御指導をされている。
 「此の人は人の申せばすこそ心へずげに思う人なり、なかなか申すはあしかりぬべし、但なかうど中人もなく・ひらなさけに又心もなくうちたの打恃ませ給え(中略)きわめて・まけじたまし不負魂の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり」と。
 ――四条金吾は他の人から頼んだのでは、あまり快く思わない人である。(ゆえに)なまじ(他の人から)頼むのは良くないと思う。仲介者も入れず、ただ真心こめて一心に(自ら)頼まれた方がよい。(中略)四条金吾は極めて負けじ魂の人で、自分の味方の事を大切にする人である――と仰せになっている。
 いうまでもなく、日蓮大聖人にとって、金吾は門下の一人である。大聖人が一言、尼御前の治療を依頼すれば、師の仰せを金吾が断るはずもない。そうした方が、ことは簡単であるように思える。しかし御本仏の御振る舞いは、そうではない。金吾の人格と心情を最大限に尊重し、その自尊心を最大に守っておられたということだ。その上で、具体的な御指南を尼御前に与えられている。ここに私どもが心すべき重要な人生の機微がある。また指導者として振る舞うべき真髄の一端がある。
 さて尼御前は、大聖人の仰せ通りの純真な信心を貫いた。指導通り、金吾の治療も受けたのであろう。また大聖人も御前の病気平癒へいゆを我がことのように祈られている。こうした結果、尼御前はその後、何と二十数年も寿命をばしている。まさに「定業」を克服した勝利の姿であった。大聖人御入滅後、晩年には娘の乙御前とともに、富士の重須おもすに移り、日興上人のもとで生涯を全うしたと伝えられている。
5  自尊心が、いかに人間にとって大切であるか。ある著述家は、次のように述べている。
 「自尊心が、各人の人格の核心である。侵されない自尊心のために、それだけのために、人間は営々として生きており、いざとなったら、そのために死にもする。これ以上大切なものはない」「人生の達成する一切のもの、出世や名誉や富や権力はみな、この自尊心をたかめることに奉仕しており、その尺度である。自分の自尊心が確認されていることの自覚が、多くの人が幸福と呼んでいるものである」と。
 これは、人生の一つの真理であろう。絶対に、みだりに人の自尊心を侵してはならない。いわんや仏法においては、だれびとといえども全部平等である。すべての方々が、かけがえのない尊貴な人格である。ゆえに、人格を尊重しないいき方は破仏法に通ずる。また破和合僧の罪に通じてしまう場合もあるかもしれない。
 もちろん、謗法に対しては厳しくあらねばならない。当然、法の上の戦いには、妥協はありえない。しかし謗法を破折することと、自尊心を傷つけることとは違う。まして和合僧の広布の組織にあっては、どこまでも最大限に互いの人格を尊敬し、守り合い、ともに成長し合っていかなければならない。新しい時代に生きゆく指導者の皆さま方であるゆえに、このことを強く申し上げておきたい。
6  無責任な言論は畜生の心
 次に、著名な文芸評論家として数々の評論・翻訳に健筆をふるった故・吉田健一氏の言葉を紹介したい。それは、父の吉田茂・元首相について述べたもので、政治家やマスコミ、知識階級の本質を鋭く喝破したものとして興味深いものである。
 彼はいう。「吉田首相が一番評判が悪かったのは、代議士と、新聞記者と、所謂いわゆる、知識階級なるものの中でだったということは、全くこの老人に対して心あたたまる思いをさせるものがある。この三つに共通するものは、口舌こうぜつの徒であるということだろう」(文藝春秋編『「文藝春秋」にみる昭和史第二巻』文藝春秋)と。
 これは、吉田元首相を非難していたのが政治家やマスコミ、知識人という″口舌の徒″であり、草の根の民衆ではなかった。ここに、元首相にとっての一つの救いがあったというのである。
 吉田元首相に関しては、様々な評価もあろうが、戦後の混乱のなか日本の独立と復興に全力を傾注した指導者であったことは、間違いないことであろう。
 かつて戸田先生も、ある懇談の席で、「敗戦国・日本の独立をもたらした功労者は誰か。最大の功労者は、無論、労苦に耐え、黙々と道を拓いた民衆である。しかし、政治家としては、吉田茂氏ではなかろうか」と話されていた。
 この点は様々な意見の方もおられると思うが、私もそう思っていたし、戸田先生の洞察は、私の心に印象深く残っている。
7  続いて吉田健一氏は、こう述べる。
 「ものを言うというのは本来は言いたいことがあるから言ったのであり、言った以上はその責任を取るのが常識だった。しかしものを言うのが職業になると規則が大分だいぶ変って、言いたいことよりも言って得になることの方が大事になり、言ったことに対して責任を取るなどというのは損だという説が取られる」(同前)と。
 まことに、現実を鋭く突いた言葉である。現代はあまりにもこうした行き過ぎの傾向性となっていることは皆さま方がよくご存じの通りであると思う。
 真実よりも″売れればいい″という無責任きわまりない人間の心の傾向性を、仏法では「畜」の心といわれている。
8  御書に「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し」と仰せの通りである。
 現代的にいえば、上役には心にもない世辞を並べ追従ついしょうする代わり、下の者にはやみくもにいばりちらすような卑しい心の人も、この一分かもしれない。現代のマスコミや知識人、政治家の一部にも、こうした強者には迎合し″弱者いじめ″をする傾向があることは、心ある人々がよく指摘する通りである。
 戸田先生も、こう話されていたことがある。
 「日本は仏教国であるが、その仏教の大半は活力を失っており、とくにインテリは仏教への深い関心をもたない。また当分の間、マスコミも仏法を理解しないであろう」と。
 いわゆる″二乗″の生命には、自分の得た世界にとらわれ、自分の世界をつくってしまう傾向性がある。現代の知識人も往々にして、その自分の狭い視野で仏法を見ようとするから、なかなか理解できない、またその努力をしようとしない場合が多いようだ。インテリの皆さま方は、よくよく注意していただきたい。
9  ところで日蓮大聖人は、なぜ、「師子の心」の大切さを随所で御教示されているのであろうか。
 「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」と仰せの通り、「師子の心」とは、恐れる心なく、敢然と諸悪と戦い、傲慢の心と戦うことである。また、正法を守り、民衆を厳護する、正義の心ともいえよう。
 要するに真実の仏法は、弱々しい感傷であってはならない。悪と敢然と戦う、行動のなかにこそ仏法は生き生きと脈動していくのである。ゆえに広宣流布という尊い使命に生きゆく私どもは、「畜生の心」の本質を鋭く破しながら、雄々しき「師子の心」で、堂々と法を弘め、正しき人生の軌道を進み抜いていきたいものだ。
10  人材を伸ばす賢明なリーダーに
 本日は、本部長の皆さまを中心とした研修なので、本部長の在り方について一言申し上げておきたい。
 本部長の皆さまは人材の将であり、重要な広布の指導者であられる。何人もの支部長さん方をはじめ、あとに続く多くの会員を守り、指導し、広布の活動を推進される立場である。また、上に立つ区長、圏長を支えていかなくてはならない。
 そうした″要″の人材である皆さま方が、いかに行動し、どれほど真剣であり、どこまで責任をもつかによって、その組織は大きく前進し、また、周りの人々もより大きな使命感に立っていくのである。
 その意味から、皆さま方は、一歩高い観点で、自らが区長や圏長を補佐するとの自覚で、その区や圏の全体観に立っていただきたい。また、それだけの責任感と力量をもった方々であると、私は確信したい。
11  さて、先ほどの自尊心の問題とも関係してくるが、指導した相手が納得しなかったり、理を尽くして話をしていくのが面倒になると、「あなたは謗法である」といって、はねつける幹部がいたことを私も知っている。また、ご家庭にあっても、子供やご主人が勤行を欠かしたりすると、すぐに「謗法」にしてしまうご婦人方もおられるようである。
 しかし、それは論理の飛躍であるし、心から納得できるものではない。何かあると「謗法」の一言で、すべてを安易に切り捨てるようでは、狭小な生き方になりかねないだろう。
 大学も四年で卒業する。大学院も五年である。いわんや信心を十年、二十年と励んできた人は人格的にも、それなりの立派な成長を遂げていなければならない。それが信仰の重要なあかしであるからだ。どうか時代への鋭い洞察力、説得力、そして秀でた人格と指導力を身につけたお一人お一人であっていただきたい。
12  次元は少々異なるが、謗法を注意する姿勢について、日亨上人は、大要、次のように述べられている。
 「みだりに他人を憎んで謗法の罪名をきせることは、それが真実であれ、ウソであれ、かえってその重罪を自身に招いてしまう。恐るべきである」(趣意。富要一巻)と。
 近年、学会に非難・迫害を浴びせ続けた謗法の徒がいた。彼らは正義の道を歩み、弘教に挺身ていしんしてきた私どもをおとしいれるためにあらゆる「策」をろうして「謗法」の罪名をきせることに躍起となってきた。これは、皆さま方もよくご存じの通りであると思う。
 しかし、どちらが「謗法」であったかは明白である。私どもは、何ものをも恐れることなく、これからも真実を見極めながら、大聖人の御遺命のままに、正しき信念の大道を堂々と歩み抜いていけばよいのである。
13  さらに、日亨上人は、次のように述べておられる。
 「大聖人も阿仏房の尼御前に″謗法にも浅深軽重の次第があり、そのすべてが取り返しのつかない重罪であるということはない。仮に軽い浅い謗法を、知らず知らずに行ってしまったとしても、その人が色心相応した強信者であれば、強い信心のために弱い謗法は打ち消されて罪とはならない″と仰せであるが、これには『門外折伏』『門内摂受』という意義もあり、信徒を守り助けてくださる大慈のあらわれなのである。
 ましてや我々末輩にあっては、自他ともに注意し合い、励まし合って、寛容さと厳しさのバランスを上手にとりながら、異体同心の姿を示していくべきである」(趣意。同前)
 日蓮大聖人の仏法においては、謗法厳禁であることはいうまでもない。「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」との厳しき仰せを心すべきである。それでは成仏は思いもよらなくなってしまうからである。
 したがって、自らの謗法の心を戒めるとともに、人々を不幸にする誤った教え、法義を慈悲の上から破折するのは当然である。
 その上で私どもは、全員が日蓮大聖人の仏法を信奉する同志である。どこまでも「異体同心」の信心でなければならない。互いに切磋琢磨せっさたくまし、家族のように励まし合い、包容しつつ、より信心を深め合っていくことが肝要なのである。
 信心の目的は一生成仏であり、幸福境涯を確立することである。そのための指導であることを決して忘れてはならない。かりにも重圧感を加え、苦しめ、かえって信心の心を閉ざすような指導だとすれば、それは誤りである。また、だれびともそのような権利はない。
 本来、指導は、悩める人々をして身も心も軽く、希望と勇気をわきたたせるためである。いかに御本尊へと向かわしめていくかが大事であるかをよくよく心に刻んでいただきたい。
14  会館は会員の真心の結晶
 話は変わるが、昭和二十六年(一九五一年)七月二十二日、学会本部常住御本尊の奉戴式ほうたいしきが、挙行された。引き続き開催された臨時総会の席上、日淳上人(当時、尊能師)から、学会が常住御本尊を奉戴したことを喜ばれて、次のようなお話があった。
 「この度、学会として御本尊を奉戴されたのは誠に尊いことで、大聖人様は『この御本尊を身に帯すれば鬼に金棒』とおおせられ、まさにその通りに学会が鬼に金棒を得られた事を深く感銘するものであります。この上は皆様、異体同心、堂々と折伏に精進される様のぞんでやみません」(『日淳上人全集 上巻』)と。
 日淳上人は、学会の活動に、常に深いご理解を寄せてくださっていた。この奉戴式におけるお話も、広宣流布のために進んでいる学会に対し、どれほど深くご理解くださっていたかを示す証左であると私は思う。
 日淳上人は、学会本部に御本尊を御安置申し上げる甚深の意義をお示しくださったと思う。各地の会館においても、その方程式は同じであり、学会の会館には、広宣流布の上からこうした深き意義があることを知っておいていただきたい。
15  小説『人間革命』で次のような一節を書いたことがある。それは、他の教団の建物――例えば現在でいえば、立正佼成会、霊友会、孝道教団など新興宗教の立派そうな建物がある。そうした建物をうらやんだ一青年の質問に対する戸田先生の指導である。
 「学会は企業ではない。彼らとは、目的が根本的に違うのだ。
 広宣流布の途上、人のため、また社会を救うために、ぜひとも必要となれば、建物はいくらでも同志の真心の結晶としてできていくだろう。また広布にぜひとも必要なものなら、御本尊様が下さらないはずはない。
 あちこちの教団の腐った建物を見て、うらやんだり、卑屈になっているようでは、真の学会精神が理解できていないのだ。建物より信心だよ、尊いのは。またいまは、建物より人材が大事なのだ」――。
 学会も、こうした時代から出発してきた。今は、大勢の地涌の眷属が雲集しているし、寺院も広宣流布のため、当然、寄進しなければならない。また寄進している。とともに、これだけの大勢の会員となった場合、どうしても全国的に会館を建設しなければならない時代を迎えた。
 これも、広宣流布に必要であるがゆえである。すべては皆さま方の真心の結晶であり、尊い真心のご尽力に、私は改めて心から感謝申し上げたい。
 また、私どもは全生命を打ち込み、信心の結晶として正本堂を建立寄進申し上げた。その際、浄財を御供養してくださった全信徒の皆さまには、私は今でも心から感謝している。
16  正本堂完成後の初の総会となる第三十五回本部総会が昭和四十七年(一九七二年)十一月、全国の代表幹部や海外のメンバーが集い、日本武道館で開催された。総会に御臨席をいただいた日達上人は講演のなかで、正本堂について次のように述べられている。
 「ある人は祈願所としての正本堂の巨大性をうんぬんしておりますが、このことは正本堂完工式のとき、会長池田先生のあいさつのなかに『ここ正本堂は、民衆が猊下とともに祈願して帰るのであり、真に民衆のための施設である』との意を述べられていることをもって、よく玩味がんみすれば、その巨大なるゆえんを知ることができると思います。
 戒壇の大御本尊を安置したてまつって、正本堂に参詣することのできる人々は、まことに果報このうえもないと信ずるのであります。この正本堂は、われわれ正宗信徒の信仰の中心であり、下種仏法の本拠でありますから、この正本堂を原点としてさらに広宣流布の達成へ一段と精進していこうではありませんか」――。
 これは、当時の「聖教新聞」(昭和四十七年十一月三日付)にも掲載されている。つまり、仏教の権威を示すものでもない。また伽藍がらん仏教に位置づけられるものでもない。あくまでも全世界の民衆のための正本堂であるとの意義を明確にされたのである。(=現在は宗門が謗法を犯して、総本山は魔の住処となっている)
17  時代に先駆する学会の活動
 明年の「平和・地域の年」に向け、すでに前進は開始されている。「平和」と「地域」は今後の広布を展望する時に、大変に意義のあるテーマであると思っている。ここで文明論的次元からみた地域の重要性について申し上げておきたい。
 アメリカの第一級の文明批評家であるL・マンフォード氏はその著書のなかで、現代において、また全人類にとって何が大切であるかという観点から次の諸点を強調している。
 まず彼は「隣り近所的助けあいと率先的動きのための機関をつくり出す風習」(『人間――過去・現在・未来』久野収訳、岩波新書。以下、カッコ部分は同書から引用)の重要性を指摘している。
 これは、学会の主張、行動が現代社会において、いかに卓越し、時宜じぎに適しているかを証明するものと言えよう。″風習″とは人為的にこうだと決めてつくられていくものではない。自然の流れの中にできていく慣習といえる。その行動もだれかに言われたから行うのではない。「率先して能動的に行うという風習」が学会に脈動していることは、だれよりも皆さまがご存じの通りである。
 次にマンフォード氏は「一対一の評価と生きいきした討論のために、じかに顔と顔を合わせる風習」の大切さをあげている。
 これも説明するまでもない。座談会や協議会などをみても一対一の対話や指導・激励が、学会の伝統となっている。学会の日常活動のなかで行われているのが、まさにこの実践である。
 さらに「おびただしい数の無名の大衆としてではなく、どこのだれとわかっている顔ぶれ仲間に囲まれて、共同体の祝祭に参加する風習」の重要性を強調している。各地で、記念の日やさまざまな意義を込めて行われている勤行会などは、まさに、この″風習″といえようか。
 たしかに日本には正月になると各地の神社仏閣などに多くの人々が初詣はつもうでに行く風習がある。しかし、それは互いに知らない人々の集まりであり「どこのだれとわかっている顔ぶれ仲間」ではないことが多い。このような人間関係では、真の人間の共同体とはいえない。また真の平和の道の確立もあり得ないことを、マンフォード氏の言葉が示唆しているといえよう。
 また彼は言う。「われわれがこの地球を一つのまとまった単位として考えるようになり、研究なり仕事なりの使命をおびての自由な往来がやさしくなればなるだけ、目に見える境界があり、なつかしい人々のいる、このような根拠地、このようなくつろげる心の本拠地を確立する必要は、それだけ大きくなる」と。
 通信技術や輸送機関の発達で世界の各地は結ばれ、どんどん狭くなる。そして、自由な往来が日常茶飯事的にできるようになっても、隣近所関係そのものがなくなるわけではない。むしろ、そういう自由な往来が進めば進むほど「なつかしい人々のいる、くつろぎの心の本拠地」を確立していかなければならないとの鋭い指摘である。
 学会の地域拠点の組織であるブロック、地区はまさにこの「くつろぎの心の本拠地」である。ここにも「世界の平和」と「地域」という二つのテーマが、実は密接不可分である一つの証左があると私は思っている。
18  人間を愛する心の確立を
 ところで、いま我が国で最もすぐれた評論家の一人に加藤周一氏がいる。
 氏とは、私は二回か三回お会いしている。一度はニューヨークで、日本でも一度か二度お会した。氏は評論家であるとともに作家、思想家でもある。また血液学を専攻した医学者でもある。自然科学、社会科学にわたる該博がいはくな教養を備え、英語、ドイツ語、フランス語等にも堪能な国際的知識人として知られている。戦時中も、戦争の狂気に対しては、冷静で合理的な批判的態度を貫いてきた。また、新中国が誕生して以来、日本の中国政府承認と日中友好を一貫して主張してきた。
 六年近く前になるが加藤氏が「朝日新聞」(昭和五十六年一月十六日付)に「国際交流について」との一文を寄せ、次のように論じている。
 「旅客機の事故で数十人が死ぬと、幸いにしてその中に日本人乗客はいなかった、という記事が日本の新聞に出ることがある。この『幸いにして』は、日本人の哲学を象徴していると、彼(=ドイツ人の新聞記者、ゲルハルト・ダムブマン)はいうので、たしかに当たらぬわけではない。この哲学と、日本国の国際的役割との間の乖離かいりは大きく、日本国にとっても世界にとっても、遠くない将来にそれが大きな不幸の原因になるかもしれない。思うに、この国の急務は、愛国心の強調ではなく、愛人間心の鼓吹こすいである。哲学の根本的な変化が必要であり、その『国際交流』への反映が必要である」。
 加藤氏の指摘は鋭い。「愛国心」をもたない人はいないであろう。しかし、それが、あまりにも自己本位的な狭い考えになってしまうと、何かあるごとに、他国の人々より、自分達の利益を優先する言動となってしまう。その最たるいき方が戦争をも導いていくものだ。
 仏法からみるとき、人間はすべて平等である。そこには、国による差別等はない。ましてや現代は、人類そして地球それ自体が一つの運命共同体となっている。だからこそ「愛国心」とともに「愛人間心」、つまり「人間」を愛する心を国際間に確立していくことが大切となってくるわけである。
 平等大の日蓮大聖人の仏法こそ、「『愛人間心』を鼓吹」する、最高の哲理である。今や、この仏法を持ち、研さんに励む友の輪は、世界各国に広がっている。その意味で、学会の存在は、平和への国際的役割の一翼を大きく担っているといえるであろう。
19  父母にほほえみを忘れぬ人に
 話に変化をつけることも大切である。難しい話の後は、必ずやさしい話をしてほしいとの要望もあることをふまえて、話題を″親への孝養″に転じたい。
 子供が親の権威を認めず、なかなか親の言うことを聞かないというのも、現代社会の一つの風潮のようだ。ここには青年部の代表もおられるので、少々申し上げたい。
 親元を離れた青年達に会った時、私は、お父さんやお母さんの近況を尋ねる場合がある。そして「たまには両親に元気な顔を見せてあげなさい」と言うと、「忙しくて」といった返事が、よく返ってくる。しかしそれは、忙しいというより、面倒くさいからという場合が多いようだ。
 日蓮大聖人は、南条時光に与えられたお手紙の中で次の様に仰せである。
 「親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度みて向へとなり」と。
 私が青春時代、まことに感銘した一節である。
 たまには親に何かしてあげたいと思っても自分はまだできない。そういう時は、せめて元気な笑顔を見せてあげなさい、きっと何よりも喜んでくれることでしょう、とのご慈愛あふれる御言葉である。
20  「星の王子様」等の作品で有名なフランスの作家サン=テグジュペリは次のようなことを言っている。
 「本当に大切なものは、たいていの場合、重さを持たぬものだ。今の場合本質的なものは、見たところ、ひとつのほほえみにすぎない。ほほえみとは、しばしば、本質的なものなのだ。人はほほえみによってつぐなわれ、ほほえみによって報いられる」(『ある人質への手紙』栗津則雄訳、『サン=テグジュベリ著作集5』所収、みすず書房)と。
 「微笑ほほえみ」は平凡といえば平凡かもしれない。しかし、心をこめた一つの微笑が、どれほど人の心を潤し、励ましとなり、勇気づけてくれるものか。
 忙しさの中で心の余裕を失い、微笑を忘れた″鬼″のような表情であってはならない。親子、夫婦の関係にあっても、また学会の組織の人間関係にあっても、この″微笑の花束″を贈っていける心豊かな人であっていただきたい。
 戸田先生は、信心している以上、目も輝き、顔色もよく、何ともいえない風格と深い魅力がなければ、本当に信心をしている姿とはいえない、とまで厳しく言っておられた。どうか、さらに信心を強く自己を磨きながら、さわやかな微笑と人間的な魅力にあふれた一人一人であっていただきたい。
21  苦難のなかに輝く信仰の真価
 次に池上兄弟に大聖人から与えられた御書の一節を拝したい。
 ご存じの通り、池上兄弟は大聖人の門下であったがゆえに、長きにわたって迫害を受け、父の反対にもあった。当時の封建的な社会環境では、民主的な現代とは比較にならない程、迫害も厳しかったにちがいない。兄弟は信心と団結でこれを乗り越え、最後には、強く反対した父を入信に導く。その折に、いただいた祝福のお手紙が「兵衛志ひょうえのさかん殿御書」である。
 同御書の中に「喩へば松のしもの後に木の王と見へ菊は草の後に仙草と見へて候、代のおさまれるには賢人見えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ」と仰せである。
 ――たとえば、松は霜が降りたのちも枯れないので「木の王」といわれる。菊はほかの草が枯れたのちにも、なお花を咲かせるので「仙草(妙なる草)」という。世の中が平穏なときにはだれが賢人であるか分からない。しかし世の中が乱れているときにこそ聖人と愚人はあきらかになる――との意味である。
 現代にあっても、試練の時にこそ、人間の真価は、光り顕れるのである。
 どうか皆さん方は、人間としての王者、幸福の″心″の王者であっていただきたい。その心広々とした人格は、人生の荒波を乗り越えた人にこそ、いや増して輝いていくであろう。その意味からも、皆さま方は、広宣流布の″金の存在″の方々である。これからも広布の将としてますますの精進と活躍をお願いしたい。
22  正法の前進妨げる「怨嫉」の心
 次に、「怨嫉おんしつ」について、少々述べておきたい。
 若き日に読んだ三木清の「人生論ノート」に、″嫉妬しっと″について次のようなエッセーがあった。私も、その部分をノートに書きとめたことを今でも鮮明に覚えている。
 「もし私に人間の性の善であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。嫉妬こそベーコンがいったように悪魔に最もふさわしい属性である。なぜなら嫉妬は狡猾こうかつに、闇の中で、善いものを害することに向かって働くのが一般であるから」(新潮文庫。以下、カッコ部分は同文庫から引用)と。
 戸田先生は、釈尊に師敵対した提婆達多の本心は「男の嫉妬心」であると厳しくいわれていた。
 これまでも、幹部でありながら退転し、去っていった者がいる。さまざまな理由もあったが、せんじつめれば、嫉妬によるものであった。そこには、提婆のごとき嫉妬の心が、根底にうごめいていたことを見落としてはならない。
 また三木清は、「どのような情念でも、天真てんしん爛漫らんまんに現われる場合、つねに或る美しさをもっている。しかるに嫉妬には天真爛漫ということがない。愛と嫉妬とは、種々の点で似たところがあるが、まずこの一点で全く違っている。即ち愛は純粋であり得るに反して、嫉妬はつねに陰険である。それは子供の嫉妬においてすらそうである」と述べている。
 さらに、「嫉妬は自分より高い地位にある者、自分よりも幸福な状態にある者に対して起こる(中略)しかも嫉妬は、嫉妬される者の位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である」と。
 そして「嫉妬はつねに多忙である」。「嫉妬の如く多忙で、しかも不生産的な情念の存在を私は知らない」とも表現している。
 三木清のこうした指摘は、「嫉妬」という情念の本質を、見事に破したエピグラム(警句)であり、まことに仏法に近い論理の展開であると、私は思ってきた。
 人間の感情は多くの場合、善悪ともに通ずるものである。そして確かに「天真爛漫に現われる場合、つねに或る美しさをもっている」ものだ。これは皆さま方も、おわかりと思う。
 しかし嫉妬は違う。それは″自らを高めようとする″方向に働くのではなく、″他をおとしめよう″、″自分の位置に低めよう″とする方向に向かって働くのである。そこに、嫉妬という感情の始末の悪さがある。
 たとえば、現在の自分の役職・立場に固執するあまり、後輩の成長をうらやみ、その活躍を妨げるようなことをする人がいるとする。それは、もはや嫉妬に支配された卑しい感情であると言わざるを得ない。
23  また、仏法では「十四誹法ひぼう」という、悪道に堕ちる具体的な原因を説いている。そのなかでも「軽善」「憎善」「嫉善」「恨善」の四つを、とくに厳格に戒めたい。
 すなわち「善」の存在である正法の実践者を、「軽」んじたり、「憎」んだり、また「そね」み、「うら」んでいくようなことがあってはならないとの厳しき教えである。
 こうした″うらみ″また″ねたみ″という人間の「怨嫉」の心は、十界論でいえば、心が曲がった「修羅しゅら界」の範疇はんちゅうといえよう。
 天台大師の摩訶止観によれば、その「修羅の心」とは、一瞬一瞬に常に人に勝ることを欲し、それが不可能ならば、人を下し他を軽んじ自身を尊ぼうとする心である。それはあたかも、ちょうどトビが高く飛んで見下ろすようなものである。しかも、外面的には「仁」「義」「礼」「智」「信」を掲げながら、その実は下品の善心を起こし、阿修羅の道を行ずるのである、と。
 大聖人の御書を拝すると、必ずといってよいほど「猶多怨嫉ゆたおんしつ」という経文がある。これは「嫉妬」にあい通ずる意義もあるといってよい。その「怨嫉」とか「嫉妬」がどれほど人の心を傷つけ、信心の心を破壊させていくかを見逃してはならないとの御聖訓とも拝せる。生き生きとした純粋な、天真爛漫な心の信心であり、一念でありたいものだ。
24  心の卑しく、濁った人は、他人の正しさ、すばらしさを認めたくはない、常に自分が正しく、自分がすぐれていることを吹聴したいという困った人である。また、人の幸福を喜ばない。反対に人の不幸を喜ぶ人である。
 怨嫉の人も、またそうである。信心強盛な人は、日増しに幸福になっていく。その姿がうらやましい。だから、その姿を破壊したいという哀れな心である。結論するに、正法正義の信仰に対し、さまざまな非難がでるのもやはり成仏、幸福を妨げたいという「嫉妬」の心から生ずるのである。
 また、信心の世界においても、退転したり、成長のとまった人は、まっすぐに向上している人をみてうらやんだり、それを妨げようという心を生ずるのである。
 ともかく、卑しく濁った心の方へ向かうのではなく、清らかな正しい幸せの道の方へいくことを忘れてはならないし、また、そのようにご指導をお願い申し上げたい。
25  さて仏典には、イソップ物語などに似た動物に仮託かたくした比喩が多い。とくに、人間の本性のなかの醜悪さ、愚かさを説く比喩にこの例が多くみられる。
 実際には動物にそんな心の働きや感情があるわけではなく、ただ本能のまま行動しているのであろうから、動物には少々気の毒な気がする。自分たちには、人間のようなそんな″悪魔の属性″はないのに、といって抗議されるかもしれない。
 それはともかく、一つの例を紹介する。
 あるところに、五百匹の豚を引き連れた大きなボスの豚がいた。配下を連れて険しい山道にさしかかったところ、向こうから、一匹の虎が悠々とやってくるのに出会った。
 ボスの豚は虎を見るなり、心中に恐れを抱いた。
 ″もしここで虎と戦えば、俺より強い虎に必ず殺されるだろう。かといって、逃げ出せば、配下の連中がボスは弱虫だと軽蔑するにちがいない。なんとか、この危難を免れる方法はないものか″と。
 そこでボスの豚は、カラ威張りして虎にいった。
 「おい君、君が闘争を欲するならば俺も大いに戦おうではないか。君に戦う気がないのなら、俺を無事に通してくれ」と。すると、虎はこしゃくなやつ、と思い「望むところだ。戦ってやろう」と答えた。
 困ったボスの豚は「それでは、しばらく待ってくれ。戦うためには、俺の祖先伝来のよろいで身を固めなければならないので」といって便所へ行き、ふんを全身に塗って再び虎のもとへ戻ってきた。
 そして「さあ、支度ができた。戦うか、それとも道をあけるか」と叫んだ。虎はその汚さ、臭さに閉口して道をゆずった。豚は虎の前を通り過ぎたあと、虎に向かって「来い、戦おうではないか。お前はなぜ恐れて逃げるのか」と豪語した。
 しかし、虎は次のようにいって相手にしなかった。「お前は畜生中の最下等なり。速やかに去れ、糞の臭い耐え難し」と。
 世間にはこの豚のように欲心と保身に終始し、善を憎み自分の身を汚したうえに、周囲の他人をも同じ汚臭おしゅうのなかに引き込むことだけを生きがいにしているような人物がいるものだ。
 末法の濁世に生きる以上、私どももそうした人々とまったく無縁でいるわけにはいかない場合がある。だが、その品性を欠いた低劣な生命の本質だけは鋭く見抜いていきたいものである。
 どうか皆さまが今までの人生で最高に晴やかで、楽しく有意義な素晴らしい正月を迎えられることを心よりお祈り申し上げ、本日の私の話とさせていただきたい。

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