Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 「仏法即社会」の勝利劇を

2002.7.26 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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2  きょうは、全国儀典部長会も行われている。いつもお世話になり、心から感謝申し上げたい。儀典部の使命は、まことに重大である。宗教団体である創価学会を代表して、日蓮大聖人の仏法に基づき、儀式や行事を
 遂行されている方々である。
 かつて日顕宗は、“いくら創価学会でも、僧侶がいなければ、葬儀などはできないだろう”と、冷酷無残に言った。
 しかし、見よ! 仏法の本義にのっとり、しかも時代社会の要請に応えゆく、最もすがすがしい儀式のあり方を、厳然と、そして見事に確立できた。
 偉大な「21世紀の宗教革命」を成し遂げた大功労者こそ、儀典部の皆さま方である。
3  壮年部よ仕事第一で
 8・24「壮年部の日」を前に、全国、全世界の壮年部のご活躍を、私は、心から讃え、ねぎらいたい。
 不況は依然、深刻である。世界的にも、株価が低迷している。こうした時代状況のなかだからこそ、壮年部の皆さま方は、信心を根本に、あくまでも「仕事優先」「仕事第一」で前進していただきたい。
 活動になかなか出られない場合も、当然ある。自営の方々のご苦労も、並大抵ではない。
 周囲の同志は、そうした壮年部の状況を、よく理解して差しあげることが大事である。
 その人が大変なときこそ、皆で祈り、皆で励まし、皆で包容し、守り合い、支え合っていく――これが、創価学会の人間共和の世界だからである。
 戸田先生は、よく「信心は一人前でよい。仕事は三人前、働きなさい」と言われた。
 大聖人は、社会で戦う壮年の弟子を、こう激励しておられる。
 「あなた方のことは、日蓮から(諸天に、守護をお願いし)申しつけておきましょう。そのままでおられること(=今のまま主君に仕えること)こそが、法華経を昼夜にわたり実践されていることになるのです。ともかく主君に仕えることが法華経の修行であるとお思いなさい。『一切の社会の営みや日常の生活は、すべて実相(=妙法)と相反することはない』と経文に説かれているのは、このことです」(御書1295㌻、通解)
 当時、大聖人は、御自身に3度目の流罪の可能性もあった。しかし、そのなかで、御本仏は、悠然と、また厳然と、苦境と闘う門下を守り抜いておられたのである。
4  仏法は道理! 仏法は勝負!
 壮年部の模範の先達といえば、信越にゆかりの深い四条金吾である。
 四条金吾が、立派な仕事ぶりゆえに同僚から妬まれ、正しき信心ゆえに弾圧され、悪辣な讒言を加えられ、窮地に立たされたことは、ご存じの通りである。
 その金吾を、大聖人は徹底して厳護していかれた。
 金吾に贈られた御書の指導について、あえて要点を挙げれば、次のようになろうか。
 まず「難を乗り越える信心」である。
 そして「変毒為薬」――「毒を変じて薬と為す」妙法の偉大な力を教えられた。
 また、「名聞名利、毀誉褒貶などの八風に侵されない賢人たれ」(八風とは「利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽」)、「仏法は人の振る舞いにある」と強調された。
 具体的に、“短気を起こすな”“油断するな”“事故に注意せよ”“事前の用心を怠るな”“酒に気をつけよ”“同志を大切にせよ”“味方をつくれ”“女性は決して叱るな”“人を尊重せよ”等々、細々と「人間学の真髄」を教えていかれた。
 「仏法は道理なり」とも仰せである。
 仏法は、いかなる権力や横暴にも必ず勝つ最高の道理であり、最高の正義である。
 さらに大聖人は「同志の団結」を訴えられた。
 大変なときこそ、よき同志から離れず、和合の組織とともに進むことだ。それが魔に付け入る隙を与えないことになる。学会こそ「生命の安全地帯」である。
 また「信心に生き抜く以上の遊楽はない」のである。
 大聖人は四条金吾に「法華経に勝る兵法なし」と厳然と示された。
 「心こそ大切なれ」、「臆病にては叶うべからず」と強く語られた。
 勇気ある信心で戦っていくことだ。
 そして、何よりも「仏法は勝負なり」である。
 師子のごとく正義を語り、堂々と生き抜く。正しき仏法を断じて持ち抜く。その人間が最後は勝つ。それを燦然と示しきっていく生き方を、大聖人は教えられたのである。
 また、四条金吾の夫人に対しても、勇気ある信心を貫いていきなさいと大聖人は指導しておられる。
 金吾への御手紙に“夫人の祈りが叶わないというのは、決して法華経のせいではない。信心が弱いからである。『自分(金吾)は人に憎まれながらも、信心を持っている。そのように実践していこう』と夫人に話してあげなさい”(御書1138㌻、趣意)と記しておられる。
5  事業にも、人生にも、山があり、谷がある。
 遠くは、釈尊門下の随一の大富豪であった須達長者夫妻も、決して順風満帆の人生航路ではなかった。7度、貧窮し、そして7度、長者になるという「波瀾万丈の人生」であった。
 とくに、7度目の貧窮の際は、万民が皆、逃げ去り、ただ夫妻二人だけ残された。そのどん底の中でも、師と仰ぐ釈尊に大誠実を尽くし、そして大法に殉じていこうとした。
 最も苦しいときの、最も強く、最も深き信心の志によって、夫妻は一転して、インド第一の長者になった。やがて、あの有名な祇園精舎を造る大境涯になったというのである。
 まさに「一念三千」であり、「一心の妙用」である。信心の「心」こそ大切なのである。
 大聖人は、「この須達長者を鑑として、万事を心得ていきなさい」(御書1574㌻、趣意)と仰せである。
 私は、わが学会員が、一人も残らず、いかなる苦境をも打開し、福運に満ち満ちた人生を歩んでいかれるよう、強く、また強く、深く、また深く、題目を送り続けていく決心である。
 創価学会のことを馬鹿にし、学会員をいじめた者は、因果の理法に照らし、必ず哀れな末路をたどる。これは、多くの方々が、まのあたりにして、ご存じの通りである。
 仏罰は厳しい。「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」である。
6  「世界に開かれた創価学会」と識者も評価
 日本を代表する宗教社会学者であられ、敬虔なキリスト教徒でもあった上智大学名誉教授の故・安斎伸先生は、創価学会を、まことに深く理解してくださっていた。
 私も、幾たびとなく、お会いして、忘れ得ぬ語らいを重ねたことが懐かしい。
 かつて創価学会が、宗門問題や、宗教法人法の「改正」などで、いわれなき誹謗を浴びたとき、安斎先生は、真っ先に、正義の論陣を張ってくださった。こう語っておられた。
 「今こそ、我々は、宗教者としての気骨を示さなければなりません。創価学会の牧口初代会長が獄死し、戸田第二代会長、そして第三代の池田先生が獄中闘争をされたことに代表されるように、宗教者には、何ものをも恐れぬ強靱な信仰心があります。より高く人類的視点に立ち、もう一度、真の宗教とは何か、信仰とは何か、という根本の原点に立ち返って、人権のために、人道のために、立ち上がるべきです。深い信仰の次元から、すなわち、本当に磨かれた人間としての生き方の上から、言うべきことは、はっきりと言い切っていくべきです」
 また、安斎先生は、こうも話された。
 「日蓮大聖人の御書の中には、地方に住んでいる無名の庶民の一婦人に対して、本当にこまやかな慈愛を込めて励まされている御手紙がたくさんあります。そこからは、教義うんぬんを超えた人間としての心の深さ、豊かさが、ひしひしと伝わってきます。そういう人間性の昇華の姿を、私は多くの学会員のなかにも見いだしてきました。沖縄の宗教の現状を調査した時、案内してくださった学会員の壮年のやさしい思いやりや友好的な態度、誠実な行動が、今でも印象に残っております」
 さらに、安斎先生は、訴えられた。
 「創価学会やSGIの活動を実際に目にすると、その活動は非常に開放的であることがわかります」
 「名誉会長が自らSGI会長として他国の文化に深い理解を示すからこそ、各国が厚い信頼をSGIに寄せているのです。近年、創価学会は宗門と離れ在家教団としての道を歩み始めましたが、開放的、革新的な学会と、閉鎖的、保守的な宗門とを比べれば、これは避けがたい必然的な結果であったと私は見ております。平和・文化・教育の価値も理解できず、伝統に固執し、権威と力で信徒を抑え付け、時代錯誤に陥った宗門。そこから独立しなければ、創価学会もやがては独善的、閉鎖的な教団として終わってしまい、未来性も世界性も断たれていたことでしょう」
 安斎先生は、学会は、宗門と決別して、本当に良かったと、祝福し、喝采してくださっていたのである。
 安斎先生は、創価学会の真実の姿を「日本の識者、ジャーナリストらは知らなければならないのですが、全く理解していない。宗門も然りですが、私はそこには一種の嫉妬心があるからではないかと見ております」と鋭く語られた。
 イギリスの哲学者ラッセルが「ねたみは人間の不幸の大きな源泉の一つである」(『教育論』安藤貞雄訳、岩波文庫)と喝破した通りである。
 本当に、不思議な先生であられた。未来性、世界性に満ちた、今日の学会の前進をご覧になれば、どれほど喜んでくださることであろうか。
 安斎先生の希望は青年にあった。
 「名誉会長が語るように青年を鍛えることが盤石な21世紀を築くことになるのです。その意味でも、学会が優れた青年たちを世界に輩出していることは、頼もしいかぎりです」
 今も私の胸に響く、安斎先生の言葉である。
7  広布拡大の時は今! 愉快なる言論戦を
 多くの民衆は今、学会に期待と信頼を寄せ始めている。広宣流布の拡大の絶好のチャンス到来である。法華経には、「無量千万億の菩薩摩訶薩有って、同時に涌出せり」(法華経452㌻)と説かれている。
 日蓮大聖人に直結し、末法に世界広宣流布をする我らこそ、誉れの「地涌の菩薩」である。
 今年から来年、そして再来年へ、いよいよ、「法華折伏・破権門理」(法華は折伏にして、権門の理を破す)の大精神で、広宣流布の愉快なる「言論戦」を開始してまいりたい。
 しゃべって、しゃべって、しゃべり抜いたほうが勝ちである。そして、人類の永遠平和の基盤となる「地涌の一千万の大勢力」を断固として打ち立てたい!
8  全国の同志の偉大なるご健闘を、私は、重ねてねぎらい、心から讃えたい。
 新しい会員の皆さま方をはじめ、大切な全同志が、所願満足の人生、大福運の一生を勝ち取られるように、そして、各地の広宣流布の栄光と拡大の道が、無量無辺に開かれゆくように、私は一生懸命、題目を送り続けてまいります。
 「創価の新世紀」の夜明けが来ました!
 晴れ晴れと功徳に包まれながら、前進と勝利を頼みます。
 「恐れるな! 正義には、諸天善神が必ず護る」。そして、「勝ち戦 万年までも 創価かな」と申し上げ、私のメッセージといたします。
 どうか、健康で、長生きを! 暑い日が続くので、お体を大切に!
 (創価文化会館)

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