Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 わが本陣に大勝利の旗を

2002.7.4 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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1  全国総県長会議、ご苦労さまです。
 青年の月、師弟の月の7月を、日本全国、そして世界181カ国・地域のSGIの同志が、晴れ晴れと、広宣流布の上げ潮の中で迎えている。
 皆さま方の尊い活躍を讃え、感謝を込めて、メッセージを贈りたい。
 7月1日は「札幌大会」、7月2日は「夕張大会」の45周年。そして7月3日は「大阪事件」45周年の記念日であった。
 (=1957年〈昭和32年〉、「夕張炭労事件」が起こり、名誉会長は北海道へ。学会員の「信教の自由」を脅かす、炭労の不当な弾圧と戦った。その直後、無実の選挙違反容疑で、7月3日に大阪で投獄された。牢を出たのは7月17日であった)
 あの時、大阪では、多くの同志の方々に、お世話になった。
 広宣流布の途上の大難を、ともに乗り越えた同志のことを、私は永遠に忘れない。
 45年前のあの時、私は、北海道の炭労事件に勝利して、続いて、東北の福島県の浜通り地域(=同県の太平洋沿岸部)へ行きたいと願っていた。縁深き文京支部の班があったからである。その意味からも、今回の東北総会は感慨深い。
 東北6県のすべてを訪れた、アメリカの女性の社会福祉家がいる。ヘレン・ケラーである。彼女の言葉を贈りたい。
 「悪のゆえに戦わねばならぬ奮闘が最大の祝福の一つであると確信をもっていうことができます。それは私達を強い忍耐に富んだ有用な男女としてくれます」(『私の住む世界』岩橋武夫・遠藤貞吉訳、『ヘレン・ケラー全集』所収、三省堂)
 (ヘレン・ケラーは東北各地で講演を行った。65年前〈1937年〉の7月3日には、福島に滞在している)
2  現在、「学会本部新館」の建設が進められている。
 学会本部新館は、東京・信濃町に、2004年の5月ごろ、完成の予定である。(=創価学会本部別館として2004年6月に完成)
 さらに、その後、立派な建物の「新本部」を建設することも計画されている。
 21世紀の世界広布の黄金時代へ、アメリカ青年部が新出発した。
 青年部が進める「暴力に打ち勝つ」運動は、全米に大きな波動を広げている。
 また、非暴力の精神の継承を訴える展示がアメリカ各地で行われ、15万人以上の方々が来場されたと、うかがった。(=「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展。各界から賛同の声が寄せられている)
 先日は、アメリカ屈指の名門、カリフォルニア大学バークレー校で開催された(=5月3日から7日まで)。私も、かつて表敬訪問した、思い出深い大学である。
3  キング博士は青年を信じた
 全米の多くの人々が敬愛してやまない非暴力の闘士といえば、マーチン・ルーサー・キング博士である。
 公民権運動が重要な節目を迎えていた1963年の4月、博士は正義の非暴力闘争ゆえに投獄された。有名な「バーミングハム闘争」である。
 キング博士が運動を展開していた、南部最大の工業都市バーミングハムには、凶暴な権力者がおり、抑圧と差別が吹き荒れていたのである。
 8日間の獄中闘争を終え、出獄したキング博士が取り組んだのは、何であったか。
 それは、青年を糾合することであった。
 青年が立ち上がる以外にない――これが、迫害を一身に受けてきた博士の結論であった。
 出獄された戸田先生も同じ信条であられた。大阪事件の折、私もまた同じ思いであった。
 キング博士は青年を信じた。
 「若いひとたちは、われわれの呼びかけに応じる勇気をもっている」(『黒人はなぜ待てないか』中島和子・古川博巳訳、みすず書房)と信じていた。
 実際、学生や青年たちの反応は、こうした期待を、はるかに超えるものだった。青年たちは、生き生きと集会や研修に参加し、非暴力の思想を学んで、訓練を受けた。
 青年たちは、まず、自分自身の変革に、真剣に挑戦した。そして、青年が青年と語り、青年が青年を呼びながら、勇んで街へ飛び出し、不当な差別の撤廃を訴えていったのである。
 それより以前に、バス・ボイコット運動があった。私の友人であるローザ・パークスさんが口火を切った運動である。そのなかで、人種差別をするバスを拒否して、遠い道のりを歩いた老婦人がいた。
 「なぜ、あんたまでが」と聞かれて、彼女は毅然と答えた。
 「わしはな、わしの子どもたちや孫たちのために歩いとるだよ」(同前)
 バス・ボイコット運動は、一つの勝利を得た。そこには、人生の大先輩の世代の奮闘があった。学会でいえば、多宝会の方々である。
4  最も状況が厳しいところで勝利する
 今度のバーミングハム闘争では、子や孫にあたる若き世代が、先輩方の魂を受け継いで、勇敢に決起した。ここに勝利の方程式がある。
 権力の恫喝や威嚇にあっても、青年たちは、少しも恐れず、抗議の行進を続けた。彼らは自ら、“戦いの最前線に配置してほしい”と願い出たのである。
 非暴力の運動を繰り広げる青年たちの力強い歌声、はつらつと躍動する姿に、都市の権勢家たちも度肝を抜かれた。人々は、「もはや、この運動は阻止できない」と、大きく意識と態度をあらため、差別の撤廃を認めざるを得なくなったのである。
 一方、悪辣な蹂躙を続けていた権力者は、周囲から見放され、次第に孤立を深めていった。ついには裁判所によって断罪され、権力の座から永久追放されたのである。
 最も状況が厳しかった地域での勝利――それは全米に波及した。そして同じ1963年の8月、25万人以上の民衆による歴史的な「ワシントン大行進」へと結実していったのである。
5  歴史をつくる時は今、主役は民衆
 激しい人権闘争の渦中で、キング博士は、こう呼びかけている。「挑戦するときはいまだ。偉大な理想を実現するための働き手になることは、歴史がまれにしかあたえぬ特権なのだ」(『自由への大いなる歩み』雪山慶正訳、岩波書店)
 歴史をつくる主役は、民衆である。
 我らもまた、正義の大波を起こし、「勝利また勝利」の民衆の大行進をしてまいりたい。
 仏法では、この現実社会は、仏の軍勢と、それを妬む魔の軍勢とが戦う、精神闘争の戦場であると見る。正法正義を持つ仏の陣列が、いかに勢いを増していくか。それで勝敗は決まる。
 一人が一人の友を、妙法に目覚めさせる。その最も地道な対話の努力のなかにこそ、広宣流布の一切の要諦がある。なかんずく、青年のスクラムの拡大こそが、正義の勝利を決する。
 どうか朗らかに、楽しく、賢く、伸び伸びと、友をつくり、仲間を増やし、敵をも味方に変えながら、若き希望の大連帯を広げていただきたい。
 韓民族独立の父、安昌アンチャンホ浩先生は「韓国のガンジー」とも呼ばれる。彼は、次のような言葉を残している。
 「私自身をまず新しい人物に作り上げよ。そうすれば私が黙っていても、他人が私を真似るし見習うであろう」
 「真理は必ず従う者があり、正義は必ず成就する日がくる」(李光洙『至誠、天を動かす』具末謨訳、現代書林)
6  親から子へ信心の継承を
 正義を受け継ぐ後継者が大事である。
 今回、研修で来日された韓国、そして台湾、マレーシア、シンガポールのSGIは、親から子への信心の継承の良き伝統が光っている。
 親が、わが子に信心を教え、学会活動をさせ、広宣流布の後継者に育てていく。この基本中の基本を、日本は、アジアの同志から、謙虚に、真摯に、学んでいくべきである。
 日蓮大聖人は、四条金吾夫妻への御手紙で、夫妻の娘の経王御前について、こう仰せである。
 「現世には、必ず跡を継ぐ親孝行の子である。また後生には、この子に導かれて、(四条金吾夫妻は)仏になられるであろう」(御書1123㌻、通解)
 子どもに伝え残しゆく最高の財産は、「信心」である。いくら子どもを立派にしたくても、見栄や虚栄に流されて、信心をさせなければ、本末転倒である。福運はつかない。結局、敗北の人生となってしまう。御聖訓には、次のように戒められている。
 「(釈尊の弟子の)須梨槃特は、3年かかっても14文字を暗唱できなかったけれども、仏になった。提婆達多は、六万蔵という膨大な経典を暗記したけれども、無間地獄に堕ちた。このことは、ひとえに末法の今の世のことを表しているのである。決して他人のことと思ってはなりません」(御書1472㌻、通解)
 学歴や才覚などは、成仏と関係ない。信心の心が大事なのである。御書にも「心こそ大切なれ」と明確に説かれている。
7  父の志を継いで立派な信心を貫いた大聖人門下の一人に、南条時光がいる。
 大聖人は仰せである。
 「亡くなられた慈父の聖霊は教主釈尊の御前においでになり、檀那(南条時光殿)はまた現世に大果報を招くことは疑いない」(御書1530㌻、通解)
 「法華経を持つ人は、父と母の恩を報じているのである」(御書1528㌻、通解)
 信心は即、最高の親孝行である。青年部の皆さんは、その人生の王道を歩んでいただきたい。
 大聖人のもと、親子一体の信心の道を歩んだ先達の姿を、忘れてはならない。
 阿仏房・千日尼夫妻と、その子ども、藤九郎守綱。同じく佐渡の中興家の親子。佐渡の大聖人のもとまで訪れた日妙聖人と乙御前の母子。そして曾谷家の親子等々である。
 また、釈尊の息子の羅喉羅は、十大弟子の一人であった。
 牧口先生も、三男の洋三さんが、草創の目白支部の支部長として活躍されている。
8  妙法こそ宿命転換の法
 幹部の家庭でも、お子さんや家族が、病気や、さまざまな課題を抱えている場合も当然あるだろう。それは、少しも恥ずかしいことではない。人間の社会であり、人間の集団だ。
 「心こそ大切なれ」である。「姿こそ大切なれ」ではない。
 いろいろなことがあっても、「心」が大事なのである。信心の姿勢が重要なのである。
 大聖人は南条家への御手紙で、こう励ましておられる。
 「あなたの家の内に病人があるというのは、まことでしょうか。(もし、それが本当であっても)よもや鬼神のしわざではないでしょう。十羅刹女が、信心のほどを試しておられるのでしょう」(御書1544㌻、通解)
 大聖人は、“心配ありません。強い信心に立てば、必ず乗り越えていくことができますよ”と温かく励ましておられる。これが御本仏の御約束である。ここに宿命転換の法理がある。
9  何かあると、すぐ「信心しているくせに」と、悪口を言われることがあるかもしれない。しかし、そんなことに紛動されてはならない。
 信心していても、災難や事故にあったり、病気になったりすることも、当然ある。御聖訓にも、こういうことは明確に説かれている。それを、受け身ではなく、能動的に、どうとらえるか。どう乗り切るか。どう宿
 命転換していくか。それが大事なのである。その根本の力が信心である。
 御聖訓には、「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」と仰せである。
 その現証を、未来に、どう出していくか。それが勝負である。
 一生を通し、三世永遠を通して、必ず、必ず、勝ち栄えていけるのが、この妙法なのである。
 一、また、お子さんがおられないご家庭もある。
 周恩来総理ご夫妻も、そうであられた。総理は、朗らかに言われていた。
 「私にはたくさん子供がいます。全中国の子供はみな私と小超(鄧穎超夫人)の子ですよ」(西園寺一晃『鄧穎超――妻として同志として』潮出版社)
 同じように、全学会の未来部員は、私たちの子どもであり、広宣流布の後継者である。
 全魂を込めて、皆で祈り、励まし、育てていきたい。
10  広布の人は最高に尊貴
 御金言には、こう仰せである。
 「(第六天の魔王自身が邪魔をしてきても)諸天善神等は日蓮に力を合わせてくださったゆえに、竜の口の法難さえも勝つことができた。そのほかの大難をも切り抜けることができた。今は魔王も、こりていることであろう」(御書843㌻、通解)
 仏意仏勅の学会も、すべてに打ち勝った。
 御書には、こうも説かれている。
 「すでに、法華経の大行者を謗る者に大罰があるのである。どうして信ずる者に大福がないことがあろうか」(御書1039㌻、通解)
 大聖人直結で進む皆さま方の福徳無量を約束してくださっている。なかんずく、難事中の難事である折伏を行じている皆さま方が、どれほど尊貴な存在であられるか。人間は、「いかなる哲学をもっているか」、そして「いかなる行動をなすか」で、その真実の偉さが決まる。
 戸田先生は言われた。
 「折伏の行をなす者は、仏の使いとして御本仏からつかわされた者であり、御本仏の行を、その代理として行ずる者である。ゆえに、その人の日常は御本仏に感応して偉大な生命力を涌出して、いかなる困難にも打ち勝ち、その顔は生き生きとし、体は元気に満ち」(『戸田城聖全集』3)ていくと。
 日寛上人は、「我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」(文段集676㌻)と示しておられる。
 広宣流布に生きゆく皆さまの生命それ自体が、御本尊の当体と輝き、蓮祖大聖人と一体となる。これほど尊極な生命は絶対にない。
 自分自身が、妙法の宝塔である。自分自身が今いるその場所が、いずこであれ、本有常住の常寂光土なのである。
 ゆえに、何も恐れるものはない。決して行きづまることもない。断じて不幸になるわけがない。
 妙法を弘めゆく究極の信念の我らには、だれ人たりとも、かなわないのである。
 この大確信に燃えて、一人でも多くの友を、永遠の幸福の大道へと糾合していくことだ。
 “わが本陣”の天地に、広布と人生の「大勝利の旗」を堂々と打ち立てゆくことだ。
11  今回、東北の同志から大太鼓が、そして、千葉の同志からは堂々たる師子の像が届けられた。
 法華経序品には「魔の兵衆を破して法鼓を撃つ」(法華経84㌻)とある。
 さらに、有名な御聖訓には「日蓮が一門は師子の吼るなり」と仰せである。
 さあ勇壮に、敢然と、正義の師子吼を轟かせ、そしてまた、勝利、勝利の大太鼓を高らかに打ち鳴らしながら、前へ、さらに前へ、戦い、勝ち進もう!
 仏のごとく、菩薩のごとく、悠然たる広宣流布の指揮を、とお願い申し上げ、記念のメッセージとしたい。
 (創価文化会館)

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