Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

全国総県長会議 声は正義の力!

2002.6.1 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

前後
2  困難を乗り越える宇宙飛行士の知恵
 さて、私は現在、ロシアの宇宙飛行士のセレブロフ氏と、宇宙と人間と生命をめぐる対談を進めている。(=対談は『宇宙と地球と人間』と題し、2004年11月、潮出版社から発刊)
 氏の初めての宇宙飛行は20年前。以来、4度も宇宙に飛び立ち、十度におよぶ船外活動――“宇宙遊泳”を成し遂げた、宇宙探究のパイオニア(開拓者)である。
 宇宙飛行の貴重な体験も、うかがった。
 宇宙は漆黒の海。ずっと眺めていると、目が慣れてきて、砂粒のように無数の星々が見える。「星の海原」が眼前に広がってくる。
 太陽が、地球の地平線の向こうから顔を出す。その瞬間、鮮やかな紅色が流れ出す――。
 言葉には言い尽くせないほどの、荘厳な美しさだという。
 宇宙を旅した一つの結論として、氏は、「宇宙には秩序がある」「宇宙は、常に秩序を志向する存在である」と語っておられた。
 宇宙飛行士に必要な資質は何か。その一つは、いかなる困難にも耐えうる「精神の力」である。
 それは、だれかが与えてくれるものではない。
 「自分自身をつくっていく努力は、自分でしかできません」とセレブロフ氏は言われていた。
 氏は、低次元の嫉妬の妨害や、思いもよらない事故など、幾多の苦難に直面した。それらをすべて乗り越えた。
 「何かに挑戦する時には、困難と出あうのが、むしろ普通と思わなければなりません」
 これが、宇宙を舞台に大いなる歴史を残した、先駆者の信念である。苦難と戦わずして、一流にはなれない。難を乗り越えずして、仏にはなれない。偉大なる自分自身はつくれない。大事なのは、忍耐である。負けじ魂である。「能忍」(能く忍ぶ)が仏の異名なのである。
 さらに氏は、宇宙飛行士は「人間としての品性」をもたねばならないと強調された。「ずるいことや卑しいことをしない高潔な人格」が必要だというのである。
 重要な指摘である。ずるいこと、卑しいことをする人間は、自分で自分を破壊している。生命の正しき軌道から、はずれてしまう。
 仏法は、その点を厳しく戒めている。大聖人は、青年門下の南条時光に、こう仰せである。
 「日蓮の弟子の少輔房といい、能登房といい、名越の尼などといった者たちは、欲深く、心は臆病で、愚かでありながら、しかも自分では智者と名乗っていた連中だったので、ことが起こった時に、その機会に便乗して、多くの人を退転させたのである」(御書1539㌻、通解)
 せっかく最高の妙法の世界に出あい、リーダーになりながら、退転していった人間がいた。皆、欲深く、臆病であった。虚栄心が強く、見えっぱりであった。「増上慢」であった。そういう人間に断じて振り回されるな、尊き団結を壊されるなと大聖人は教えておられるのである。
3  宇宙飛行を成功させるカギは何か。
 セレブロフ氏は「仲間を尊敬できる心」「感謝できる心」であると語っておられた。
 同志を結ぶ「信頼」と「尊敬」と「感謝」こそが、一人ひとりの「精神の力」を高めていく。
 団結は力である。広宣流布は、「異体同心」の前進こそ要である。
 一、宇宙飛行は、一瞬の油断もできない、緊張の連続である。そのなかにあって、大きな役割を果たすのが、「ユーモアの心」「ゆとりの心」であるとセレブロフ氏は振り返っておられた。
 状況がどんなに大変でも、それを悠々と見おろしていくような大きな心である。
 地上の飛行管理センターには、宇宙飛行士が精神的に追い詰められることがないよう、励ましを送る専門家チームが待機しているという。やはり、「励まし」が大事である。
 と同時に、宇宙飛行士本人が、何があろうと、くよくよせず、前へ前へと進むことが大事だというのである。氏は語っておられた。
 「緊張する場面であればあるほど、自分の置かれた状況を笑い飛ばせるくらいの余裕を、宇宙飛行士自身が持っていることが大切です」
 ユーモアは「ふざけ」とは違う。真剣勝負のなかに、にじみ出る、たくましき楽観主義である。
 真剣の人は明るい。朗らかで、生き生きしているものだ。
 結論的に言えることは、宇宙飛行士も、まず「人間としてどうか」という基本が問われるということである。そうした人間としての力を、最高の哲学で、全世界の友人とともに、日々、磨いているのが、創価の同志である。
 21世紀は「宇宙の世紀」である。「生命の世紀」である。そして、いかなる哲学を持ち、実践しているかが問われる「哲学の世紀」である。
 宇宙と生命を貫く大哲学を持った皆さまは、新しき世紀の最先端を進む誇りと確信を忘れないでいただきたい。
4  雄弁で勝った! キロケの言論闘争
 話は変わる。今から2000年以上前、古代ローマに、不滅の言論闘争を繰り広げた大哲学者がいた。雄弁の誉れも高い、キケロである。(以下、P・グリマル『キロケ』〈高田康成訳、白水社〉を参照)
 キケロの青春の天地の一つ、地中海のシチリア島。そこには、人々に尽くし、尊敬されている、ステニオスという公明正大な人物がいた。
 ところが、邪悪な心の権力者、総督ウェッレースは、この善の模範の人を憎み、無実の罪を捏造した。私利私欲を満たそうとする自身の要求を、彼が拒絶したからである。
 権力者は、まったく不当な訴えを起こし、一方的な欠席裁判によって、この善の人に有罪の汚名をなすりつけた。
 まさにその時、正義と真実のために決然と立ち上がったのが、若き大雄弁家キケロであった。
 キケロが、罪悪を鋭く暴き、追及しようとすると、敵は、陰湿な妨害に出た。キケロの威信を傷つけ、命までも狙ったという。
 そして敵は、元老院の政治家などと結託した。自らの悪行をウソで覆い隠そうとした。しかしキケロは、気迫の弁論で戦った。謀略を跳ね返し、法廷の内外で、正義を叫び抜いたのである。
 キケロは訴えた。
 「お前は何という人を、これほど重大な、これほど露骨な不法行為で苦しめたのだ」
 「(=ステニオスは)わたしが最も高く評価していた人」「人々のあいだでは最も輝かしい宝とされる友人だ」
 「(=その人に対して)お前がこれほど残酷な、これほど犯罪的な、これほど非道な仕打ちをした」(「ウェッレース弾劾Ⅰ 第二回公判弁論 第二演説」大西英文訳、『キロケ選集』4所収、岩波書店)
 火を吐くような言々句々であった。
 彼は、卑劣な悪党ウェッレースの仮面をはぎとり、その正体を、えぐり出していった。
 「破廉恥きわまりなく、淫乱きわまりなく、悪逆きわまりない人間」
 「その男ほど裏切り者の不実な人間が誰かいたか」(同前)
 「今わたしが糾弾しようとするのは、およそ堕落した非道な人間の中に見出しうるありとあらゆる悪徳であります」(「ウェッレース弾劾Ⅱ 第二回公判弁論 第三演説」大西英文訳、同選集5所収)
 自らの力と精神の限りを尽くして、不正を弾劾してみせる――それが、キケロの不撓不屈の決心であった。正しいがゆえに、キケロには何の恐れもなかった。
 使命を自覚し、使命に生きる人は幸福である。
 真の幸福は、「正義」の中にある。戦うべき時に、敢然と立ち上がる「勇気」の中にある。
 攻撃に次ぐ攻撃、追撃に次ぐ追撃――キケロの言論の剣によって、悪の権力者は、ついに裁判で断罪され、国外に逃亡していった。
 キケロの勇気と信念の獅子吼は、はるかな時を超え、人類の歴史にこだましている。キケロの闘魂の言葉を青年に贈りたい。
 「わたしのなすべき務めは、(中略)単に一人の悪辣な人間を拉ぐことにとどまらず、(中略)すべての悪辣な所業を払拭し、除去することでもある」(「ウェッレース弾劾Ⅰ クイントゥス・カエキリウスを駁する予備演説」西村重雄訳、同選集4所収)
 キケロが正義の旗を打ち立てたシチリア島では、今、SGIの同志が素晴らしい社会貢献の活躍をしておられる。(=名誉会長は、シチリアの5都市から名誉市民等の顕彰を受けている)
 キケロの勝利は、いわば「声の勝利」であった。仏法は「声仏事を為す」と説く。広宣流布は「勇気の声」「慈愛の声」「正義の声」で進むのである。
5  生涯、民衆の味方たれ
 40年前(1962年)の1月25日、私は、関西の同志とともに、大阪事件の「無罪判決」を勝ち取った。
 その判決の前夜、私は、まず関西女子部の幹部会に出席。(大阪・中之島の中央公会堂、5400人)続いて、関西男子部の幹部会に駆けつけた。(兵庫の尼崎市体育会館、12000人)
 この日、私は、信頼する関西の青年部に訴えた。
 「善良な市民を、まじめに人のために尽くしている民衆を、苦しめるような権力とは、断固として、一生涯、戦いたい」
 「仏法は勝負である。日蓮大聖人の大生命哲学は、いかなる哲学も及ばない、永遠不滅の大原理である」
 「したがって、私ども地涌の菩薩は、不幸の人の味方となり、真実に全民衆が安心して暮らしていける世の中を築き上げようではありませんか!」
 これが、関西広布の歴史を貫く誓願である。
 そして、今再び、この使命と栄光の松明を、私は全国、全世界の、わが青年部に託したい。
 どうか各方面、各県の大切な同志に、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 広宣流布の偉大なる建設者として、断固として、ともに勝利の歴史をつづりましょう!
 また来月、元気にお会いしましょう!
 (創価文化会館)

1
2