Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 民衆こそ「言論の自由」の主人公

2002.3.4 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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1  勝利のリズムを刻みゆく、重要な全国総県長会議、大変にご苦労さまです。県長、県婦人部長をはじめ各県のリーダーの皆さまの賢明なる名指揮、名指導によって、すべてにわたって未曽有の大発展をすることができた。心から感謝申し上げたい。
 はじめに、御聖訓を拝したい。
 大聖人は仰せである。
 「からんは不思議わるからんは一定とをもへ
 「難来るを以て安楽と意得可きなり
 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり
 また「開目抄」には、「諸の無智の人の悪口罵詈等し」と法華経の勧持品の文を引いておられる。難こそ誉れである。正義の証である。
 私どもは、常に、これらの御文を拝していかねばならない。
 牧口先生は言われた。「世は政治経済芸術の各分野を通じて、根本的の改革と進展を教育の力にたんとする」(『牧口常三郎全集』8)
 先生は、こうも言われている。「人格の高い教師であればあるほど教育力は大である」(同全集6)
 教育本部の新出発、おめでとう!
2  ファシズムのに立ち向った「四つの自由」の絵
 先日、アメリカのニューヨークで活躍する創価学園・創価大学出身の友が、うれしい近況の報告とともに、4枚の絵を届けてくださった。それは「四つの自由」と題する絵である。作者は「アメリカで最も愛された画家」と言われるノーマン・ロックウェル(1894~1978年)。(Laura Claridge, NOrman Rockwell : A Life, Random House, Collier Schorr, The Essential : Norman Rockwell, Harry}N. Abrams. Inc.以下、同書を参照)
 約60年前、第2次世界大戦中、ルーズベルト大統領が「四つの自由」を提唱した。それを主題に描いた作品である。その「四つの自由」とは、「言論の自由」「信教の自由」「欠乏からの自由」「恐怖からの自由」である。
 当時はヒトラーらが台頭し、「自由」を残虐に蹂躙した。ファシズムの嵐が吹き荒れていた。
 日本も、狂いに狂った軍国主義一色だった。それに立ち向かい、牧口先生、戸田先生の師弟が戦っていた時代である。
 アメリカの民衆画家ロックウェルは、真剣に悩み、考えた。自分も芸術家として、何とかして人々に貢献したい――。そして、この「四つの自由」の理念を、だれもが一目で理解し、共感できるような絵を描こうと思い立ったのである。
 私には、民衆と苦楽をともにされゆく、わが芸術部の皆さま方の姿と重なり合ってくる。
3  ロックウェルは、この大仕事に取り組んでみて、その難しさを、あらためて、かみしめた。自分自身の病気との闘いもあった。長く苦しい試行錯誤が続いた。
 そのなかで、師匠の言葉が、ふと胸に蘇ってきた。”絵の中に飛び込み、絵の中に生きよ”と。
 “そうだ!”と、彼は思った。
 「四つの自由」に生きる民衆の姿を、ありのままに描いていけばいいんだ――。
 そして彼は、以前、町の集会で、堂々と意見を述べていた素朴な壮年の姿を思い起こした。
 あの光景の中にこそ、まさに「言論の自由」があるではないか!
 それは、座談会や弘教の最前線で見られる、戦うわが壮年部の雄姿に、よく似ている。
 この3月5日は「壮年部結成記念日」である。心から「おめでとう」と祝福申し上げたい。
 この民衆画家は、身近な、ふつうの人々をモデルにして、高邁な「四つの自由の理念を、一つ一つ、わかりやすく表現していった。
 「言論の自由」の絵で描いたのは、政治家などではなく、誠実で勇敢な庶民だた。民衆が主人公であった。
 「欠乏からの自由」の絵で取り上げたのも、家庭のほほえましい光景であった家族や友人であろう、にぎやかな仲間が食卓を囲んでいる。
 さらに「恐怖からの自由」の絵には、やすらかに寝ついた子どもたちを見守りがら、そっと、ふとんをかける優しい母と父の姿があった。父親の手には、戦争報じる新聞が握られている。
 そして「信教の自由」の絵は、多様な民族の老若男女が敬虔に祈る姿などが描れている。
 「四つの自由」の絵は、4回にわけて「サタデー・イブニング・ポスト」誌に載された。それは、大きな反響を巻き起こした。
 この「四つの自由」の理念は、「国連憲章」に影響を与え、「世界人権宣言」どに結実していったことも有名な史実である。
 4枚の絵は、国連憲章のポスターにもなり、「言論の自由」「生きる権利」「平和」「信仰」とも題された。
 〈言論の自由の絵柄が少し異なる〉
4  妙法で真の「生命の自由」を
 「自由」といっても、どこか遠くにある、抽象的なものではない。だれかから与えられるものでもない。また、一部の人たちだけのものであってもならない。現実の社会に生きゆく庶民が、市民が、賢くなり、強くなって、一日また一日と、勝ち取っていくものである。
 私たちの学会活動は、一次元から言えば、人間が人間らしく生きるための「自由」を勝ち取る精神闘争である。21世紀の人類が目指すべき「自由」――それは第1に「暴力からの自由」であろう。
 戦争やテロ、さらに、家庭や社会に渦巻く暴力を断固として許さない。生命尊厳の思想と行動を貫いていく。そして、人権を侵害する言論の暴力や、言論のテロも、絶対に放置してはならない。
 現在、アメリカSGIの同志が繰り広げる「暴力に打ち勝つ運動」は、全米各地で大いなる共感を広げている。
 第2に「権威からの自由」である。
 日顕宗に象徴される、人間を隷属させる独善的な宗教の権威などから、人間の魂を広々と解き放っていくことだ。大聖人は明快に「権威を恐るること莫れ」と仰せである。
 第3に「貢献の自由」を挙げたい。
 人々に限りない勇気と力と励ましを贈りゆく「貢献の人生」を、私たちは生き抜いている。
 学会は、平和・文化・教育の次元で、積極果敢に社会にかかわり、貢献している。
 人々の幸福を祈り、正しき信仰の道に導くことも、当然、「貢献の自由」だ。政治に参加し、政治を厳しく監視することも、「貢献の自由」の一分である。だれ人たりとも、この自由を奪うことはできない。また断じて奪わせてもならない。
 そして、第4に「生命の自由」である。
 生命と宇宙を貫く根本の大法則にのっとって、いかなる宿業も宿命も転換しながら、絶対的な幸福境涯を築いていくことだ。さらにまた、「生老病死」という根源の苦悩を打開し、永遠の生命の自由を勝ち取っていくことである。人類全体の宿命転換は、この「人間革命」の大道にある。
 アメリカ・ルネサンスの大詩人ホイットマンはうたった。
 「『生』、生は耕作、そして『死』はふさわしいその収穫」(『草の葉』下、鍋島能弘・酒本雅之訳、岩波文庫)
 広宣流布は最高無上の“生命の耕作”である。広布に生き抜いた人生は「生も歓喜」「死も歓喜」となる。生々世々、“無量の福運”と“栄光の収穫”に包まれゆくことは、御聖訓に照らしてまちがいない。
 先日、芸術部の皆さま方をはじめ全同志の代表として、シルクロードの名門、ウズベキスタンの国立美術大学から「名誉教授」称号を拝受した。(2月20日)
 仏法では、「心は工なる画師の如し」と説く。心は、偉大な画家のように、自由自在に一切を描き出していく。心は偉大なる芸術家――今回、お迎えした美術大学の先生方も、この言葉に深く共鳴され、大学のモットーとしたいと語っておられた。
 芸術も、人生も、一切は「心」で決まる。私たちは、この一生を名画家のごとく生き抜きたい。壮大なる「自由」と「正義」の民衆の絵巻を、未来永劫に創り残してまいりたい。
5  社会は、善と悪の闘争である。悪人は、利害で、たやすく結託する。だからこそ、善人が団結することだ。連帯することだ。
 牧口先生の言葉を贈りたい。
 「社会生活の為めに害毒を流すもの、若くは社会団体を破壊する性質のものを称して悪と為すのである」(『牧口常三郎全集』4)
 「もしも善人が悪人をそのまま包容したとなると、自分だけは高く止って居るにしても最早結果は悪に降伏したことになる」(同全集9)
 さらに、青年のために、「聖愚問答抄」の一節を拝したい。
 「『邪』と『正』が肩を並べて立ち、『大乗』と『小乗』が優劣を争う時には、万事をさしおいて、謗法を責めなさい。これが折伏の修行である」(御書494㌻、通解)
 広布を破壊する大悪は、責めて責めて責め抜かねばならない。
6  自分が変われば世界が変わる
 このたび、研修で来日されたアメリカ婦人部の方々が、エレノア・ルーズベルト大統領夫人の貴重な自筆書簡とサイン入りの自著を届けてくださった。
 エレノア・ルーズベルト女史は、フランクリン・ルーズベルト第32代大統領の夫人。世界的な社会活動家、平和活動家として、今なおアメリカで最も尊敬されている女性の一人である。
 エレノア夫人は、こうつづっている。
 「人にやる気さえあれば、自分を作り変えることも、自分の世界を作り変えることも、できる」
 「恐怖と正面から対決する度に、人には力と勇気と自信がついてくる。そして、『この恐ろしいことが切り抜けられたのだから、次にどんなことが来ても大丈夫だ』と言えるようになる」(『生きる姿勢について』佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳、大和書房)
 ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、エレノア夫人とともに「世界人権宣言」の採択に尽力された。総裁と、彼女の尊き人生について語り合ったことは、忘れ得ぬ思い出である。
 広宣流布の行動に無駄はない。折伏のための苦労には、絶対に無駄はない。
 皆さま方も、思うように折伏が進まず、悩む場合もあるにちがいない。しかし、それ自体が、人を救わんがための偉大な悩みである。
 まさに「煩悩即菩提」であり、その悩みのなかに、仏に通ずる深い深い慈悲が光っている。
 御書には、「仏になる法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になる」(552㌻、通解)との法理が厳然と示されている。
 春3月、私たちの「勇気の声」で、「希望の対話」で、人々の心田――心の大地に「仏の種」を蒔きながら、「平和と幸福の安全地帯」を大いに広げてまいりたい。
 新出発の女子部に、
  厳寒に
    勝ちて薫らむ
      梅の花
  青春を
    思いきり咲け
      寒桜
 と句を贈りたい。
 お帰りになられたら、何よりも大切な、尊き同志の皆さま方に、くれぐれも、よろしくお伝えください。特に、病気と闘っておられる同志のことは、私も毎日毎日、一生懸命、平癒と健康長寿をご祈念しております。ご家族の方々にも、心からのお見舞いのご伝言をお願いいたします。
 また、火災や交通事故が絶対にないよう、「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」の御聖訓通り、「無事故即勝利」の前進を頼みます。
 いかなる世の乱れにも、無量無辺の仏天よ、わが同志を守りに守りたまえと、私も真剣にお題目を送り続けてまいります。来月、また元気に、お会いしましょう!
 (創価文化会館)

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