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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 「対話」の大道を世界へ

2001.12.14 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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1  総県長会議の皆さま、この一年、本当にご苦労さまです。
 皆さま方の見事なる広宣流布の指揮に対し、私は、心から賞讃申し上げたい。
 21世紀の第1年、それぞれの、わが天地で、大人材をきら星のごとく輝かせながら、堂々たる「勝利城」「幸福城」を築かれた功績は、不滅である。
 この一年、それぞれの使命の舞台で戦ってくださった同志の尊いご健闘に対し、私は最大の感謝を捧げたい。
 来る12月22日は何の日か。それは「統監部の日」である。明年は、結成50周年を迎える。昨日(13日)の本部幹部会にも、代表の方々が出席しておられた。
 学会は、統監部が厳然としていたからこそ、土台ができ上がった。統監がなければ、組織は大混乱していたに違いない。
 統監が正確であり、明快であったゆえに、広宣流布の一切の戦いに、的確な手を打ち、一つ一つ堅実に、確実に、勝利を収めることができたのである。
 数学の天才であられた戸田先生は、口ぐせのように言われた。
 「どの世界でも、何らかの数の計算がある。私たち創価学会は、地球上で最も尊厳な生命をどれだけ守り、どれだけの人に妙法を受持せしめ、どれだけの人を幸せにしたかということを数えるのである」と。
 その「幸福の数学」の大博士こそ、統監部の皆さま方であられる。
 皆さまは「平和の拡大」を数えておられる。陰の陰で、目を真っ赤にさせながら、数字を書き込み、人知れず、懸命に計算されている姿を、幾度となく、私は見てきた。その功労は、そして福徳は、あまりにも大きい。全国の尊き統監部の皆さまに、心から、最大の感謝を申し上げたい。
2  トルソトイを「破門」破門した宗教権力の傲慢
 今から、ちょうど100年前の1901年、帝政ロシアの「宗務院(大教院)」は、大文豪トルストイを教会から「破門」した。(トルストイが73歳の年)
 一方は、人類の幸福のために「真の宗教」のあり方を探求し、世界の人々に訴える大文豪。もう一方は、正義の人に嫉妬し、虚偽と偽善で民衆を欺こうとした宗教権力。「哲学」も、「境涯」も、あまりに違いすぎた。トルストイ破門の決定は、事前に、本人に何の説明もなく、話し合いすらなく、新聞などを使って、いきなり発表するという、「一方的なもの」であった。
 日顕宗のやり方も、まったく同じであった。邪悪な人間の行いは、いずこにあっても、卑怯であり、臆病である。
 傲慢な宗教権力は、破門さえすれば、トルストイの正義の影響力を、封じることができると勘違いした。しかし、トルストイは、「破門」を、滑稽なものと見くだして、微動だにしなかった。
 むしろ動揺は、破門した側、すなわち教会の内部に広がった。内部からも、「トルストイ支持」を表明する人々が現れたのである。
 わが学会も、宗門の理不尽な謀略に、微動だにしなかった。また、「改革同盟」「憂宗護法同盟」「青年僧侶改革同盟」の方々が、勇敢に立ち上がられた歴史を、私たちは忘れることはできない。
 あるドイツの裁判官は、トルストイの主張が、自分たちの宗教的感情を侮辱したと言いがかりをつけ、世界的に有名なトルストイを、「名誉毀損」で、大々的に告訴した。(トルストイの「宗教大会への回答文」に対して、ドイツで裁判を起こした)
 しかし、さんざん騒いだあげく、裁判の結果は、厳然とトルストイ側の勝利の「無罪」となった。そして裁判所は、トルストイの宗教的信念を讃える文章を発表したのである。
 逆に、訴えた陰険な人間たちは、みじめに敗訴した。上告しようとした時には、検事局全体の要求で却下された。“「恥の上塗り」をするのは、もう結構だ!”と。
 自分から「裁判」を起こして、自分の恥を天下にさらしたのである。御聖訓に、「犬は師子をほゆれば・はらわたくさる」という道理が説かれている通りである。
 興味深いことに、トルストイが破門されてから、宗教の相違を超えて、全世界的な人間性の連帯が、それまで以上に、さらに大きく広がっていった。
 まるでトルストイのいるところが、「魂の都」であり、「世界の精神の中心地」であるごとく、世界のさまざまな宗教・思想の人々が、彼のもとを訪問した。心からの共感と感謝がこもった、数々の栄光の顕彰も行われた。このトルストイと世界の交流の広がりを、ある伝記作家は「全人類の渾然たる未来の大融合のシンボル」(ビリューコフ著『大トルストイ』原久一郎訳、勁草書房)と記している。
 私たちも、日顕宗の偏狭にして陰湿な鉄鎖を断ち切って以来、かえって広々と、世界平和のために、「文明間の対話」「宗教間の対話」を進めることができた。私も、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教などの方々とも対話を進め、数多くの「対談集」を残してきたことは、ご存じの通りである。
 トルストイが80歳を迎えた際、遠くオーストラリアの団体から、お祝いの声が寄せられた。
 「絶大なる道徳上の力として、あなたは王侯の上に君臨しておいでになる。そしてあなたは、彼らと彼らの事業が忘れ去らるるその時に、人類の生活を正しく矯正なさるでありましょう」(同前)と。
 なぜ、このように、トルストイが、全世界的な共鳴と賞讃を呼び覚ましていったのか――。
 トルストイは、こう述べている。
 「私が虚偽の宗教の解釈の根絶に力を致し、道徳的意味において世の人びとの利益になるあるものを提供したことに対して、これらの人びとはみな私に同感同情を表しているんです」(同前)と。
 つまり、それは、“宗教の虚偽と戦ったからだ”というのである。
 「破門」は、トルストイの魂を、人間精神の大いなる峰へと飛翔させた。同じように、「破門」は、創価学会を、いよいよ「21世紀の世界宗教」の高みへと飛翔させたのである。
3  なぜ宗教が必要か――トルストイの洞察
 なぜ人類は、宗教なしには生きられないのか。その理由を、トルストイは6項目にわたって、洞察している。
 「第一に、宗教のみが善悪の決定を与えるから」
 「第二に、宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを知ることが決してできないから」
 「第三に、ただ宗教のみが利己主義をほろぼすから」
 「第四に、宗教のみが死の恐怖を打ち消すから」
 「第五に、宗教のみが人間に生の意義を与えるから」
 「第六に、宗教のみが人間の平等を樹立するから」(同前)
 これらは、人々が求める宗教の条件ともいえるかもしれない。
 この6項目の要請に対して、宗教が、きちんと応えているかどうか。
 日顕宗は、ことごとく「ノー」である。すなわち、「人々が求める宗教の条件」を満たしていない。この点から見ても、日顕宗は、「宗教失格」を宣言されたも同然なのである。
 そして学会は、ことごとく「イエス」である。法理の上から、指導性の上から、そして現実の行動の上から、一つ一つの要請に明快に応えているからである。
 多くの世界の識者から、賛同と共感が寄せられているのも、その証左といえよう。
 トルストイが「破門」されてから100年。そして学会が「破門」され、大聖人直結の世界広布の道を、さらに力強く前進し始めてから10年。「宗教のための人間」の時代から、「人間のための宗教」の時代へ、歴史の回転は、さらに進んでいる。いな、断じて進めていかねばならない。
 それはまた、「宗教による分断・対立」の時代から、「宗教による対話・結合」の時代への転換であらねばならない。
 トルストイいわく。
 「われわれの信仰が強ければ強いだけ、その生活は堅固である」(『人生の道』原久一郎訳、岩波文庫)
 また、いわく。
 「人の一生は善に対する邁進である。それに向って邁進するのは、人に与えられたさだめである」(前掲『大トルストイ』1)
 この21世紀を、私たちは、「善の中の善」である広宣流布に向かって、強く、また強く、勝利の勢いを増しながら、大前進してまいりたい。
4  因果の法、仏法の勝負はは厳然と
 日蓮大聖人は、有名な佐渡御書の中で、「日蓮を信ずるようであった者どもが、日蓮がこのような大難(佐渡流罪)にあうと、疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、自分のほうが賢いと思っている。このような、よこしまな者どもが、念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちたままになることは、不便としか言いようがない」(御書960㌻、通解)と仰せになっている。
 大聖人が、幕府によって、佐渡に流されると、門下の多くは、自分が難にあうことを恐れて、信心を捨てた。それどころか、かえって、大恩ある師匠の大聖人を誹謗し、攻撃した者も出たのである。
 そうした悪口の一つが、「日蓮さんは私たちの師匠ではあられるが、あまりにも剛直である(妥協がない)。私たちは(師匠と違って)柔らかに法華経を弘めましょう」(御書961㌻、通解)というものであった。
 しかし、それは、世間に迎合し、難から逃れるための、こざかしい口実にすぎなかった。いかに退転と反逆を正当化しようとも、因果の法の厳しい裁きを、ごまかすことは、絶対にできない。
 この佐渡御書に示された姿は、現在にも、そのまま当てはまる。
 牧口先生の時代にも、「牧口先生は厳しすぎる。もっと柔らかに弘教すべきではないか。そのほうが弘教が進むはずだ」といった批判が起きた。
 しかし「牧口先生は、『大聖人が、佐渡御書で仰せになっている通りではないか』と大笑いされていたよ」と戸田先生が、よく話されていた。
 第2次世界大戦中、学会が弾圧され、牧口先生、戸田先生が逮捕された時も同じであった。
 投獄された幹部は、退転して釈放された。また、難を恐れた幹部たちが、牧口先生、戸田先生に対して、「だまされた」等と罵倒し、会員を退転させ、学会は壊滅状態になった。
 しかし、その時に退転し、反逆した者たちは、妙法に厳しく裁かれた。戸田先生は、よく、「退転者は、不思議とその堕地獄の姿を見せにくるものだ」と語っておられた。
 この方程式は、今日もまた同じである。陰険な反逆者たちは、悪侶とともに、あらゆる策略、讒言を巡らして、私を陥れ、倒そうとした。
 しかし、そうした卑劣な陰謀は、すべて破綻し、失敗した。妙法の上からも、国法の上からも、正邪は明確に裁かれ、仏法の勝負は、ことごとく、峻厳なまでに決着はついている。
5  青年が「拡大」の突破口を
 昨日は、大勝利の喜びあふれる東京総会、そして四国総会でもあった。
 今日の広宣流布の拡大は、半世紀前、昭和27年の2月、私が東京の蒲田で突破口を開いた。弱冠24歳の青年部であった。
 この「伝統の2月」の折伏が波動となり、翌年、四国初の学会員が、高知に誕生した。所属は、私が指揮をとる蒲田支部の矢口地区であった。これが四国広宣流布の源流となった。
 あの「2月闘争」から50年――。
 広宣流布の本陣・東京の青年部の諸君! さらにまた、「紅の歌」の誉れも高き四国の青年部の諸君! そして、全国の青年部の諸君!
 いよいよ、君たちが、断固として立ち上がり、平和と人道の大連帯を堂々と築いてくれたまえ!
 次は、君たち青年が「勝つ世紀」であるからだ!
 戸田先生は詠まれた。
  一度は
    死する命ぞ
      恐れずに
    仏の敵を
      一人あますな
 この破邪顕正の学会精神をば、絶対に忘れてはならない。
 お帰りになられましたら、各県、各地の偉大なる広宣流布の同志に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 時代全体が揺れ動いているゆえに、一番大切な尊き同志を、どうか、心から励まし、厳として守っていただきたい。
 お体を大切に! よいお年を、お迎えください。
 (創価文化会館)

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