Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 燃え上がる大情熱で進め

2001.8.2 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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2  仲良きことは、美しく、そして強い。これが、創価学会の世界である。
 法華経の提婆達多品には、「大智徳 勇健にして 無量の衆を化度せり」(法華経405㌻)という一節がある。
 これは、大いなる智慧と徳と勇気と、そして、はつらつたる生命力をもって、無量の衆生を教化し、救済していくとの意義である。
 広宣流布の指導者は、常に健康第一で、満々たる生命力をたたえていなければならない。
 今朝の勤行でも、私は、妻とともに、総県長会議の全員が、ますます健康で、生命の威光勢力を倍増されますように、強く深くご祈念申し上げた。
3  「広布の仕事」はすべて「自身の幸福」に
 ドイツの詩人ヘルダーリンは謳う。
 「すべての喜びは苦難から生まれる」(「運命」手塚富雄訳、『ヘルダーリン全集』1所収、河出書房新社)と。
 なかんずく、広宣流布のために苦しんだことは、全部、仏になるための仏道修行である。何千万倍もの喜びとなり、楽しみとなって返ってくる。これが因果の理法である。「広布の仕事」は、すべて「自身の幸福」になるのである。
 フランスの大思想家ルソーの言葉に、こうある。
 「ほんとうの幸福の源はわたしたち自身のうちにある」(『孤独な散歩者の夢想』今野一雄訳、岩波文庫)と。
 その真髄が妙法である。ゆえに「妙法受持」の人は、幸福の当体なのである。
 さらにアメリカの哲人ソローの言葉。
 「”民衆のなかで、ひとかどの人物になれ”――これは、健全な忠告である。自分が望もうが、望むまいが、社会の中に打って出よ。そして、社会の出来事に人間的な興味を抱きなさい」(The Journal of Henry D. Thoreau, Dover Publications, Inc.)
 これが学会のいき方である。
4  皆が英雄、皆が同志
 さて、今から二千数百年の昔(紀元前4世紀)、「人類統一」を目指して、東へ東へと向かった一人の英雄がいた。マケドニアのアレキサンダー大王であった。(以下、アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』上・下〈大牟田章訳、岩波文庫〉から引用・参照)
 彼の名将軍たるゆえんは、戦いの真っ只中にあって、危険を顧みず、常に先頭に立って指揮を執ったところに、とどまらない。むしろ、彼の将軍学は、戦いの後にこそ光っていた。
 勝った時に、その勝利を、どう次の新しい勝利に結びつけていくか。彼は、戦いの直後から、電光石火で手を打っていった。
 自分自身がどんなに疲れていようと、また、どれほど深い傷を負っていようと、彼は、戦いの翌日から、兵士たちのもとに飛び込んでいった。活躍した兵士には、惜みなく賞讃の声をかけ、一人ひとり、その功績にきちんと報いていった。
 また彼は、命を賭して共に載ってくれた負傷兵のもとにも駆けつけ、一人ひとりを見舞い、ねぎらい、励ましていった。さらに彼は、犠牲者の葬儀についても、すぐさま手を打ち、遺族を手厚く守っていくことを忘れなかった。
 その一方で彼は、人事も即座に進め、スクラムを組み替え、新たな戦いの布陣を整えていった。勝った時にこそ、さらに団結を固め、さらに戦わんとする心を鼓舞し、戦う体制をつくっていったのである。
5  アレキサンダーが、宿敵であるペルシャ王の軍勢に打ち勝った直後の、こんなエピソードも、伝えられている。
 アレキサンダーは、なんと敵の王の母親のもとに、すぐさま人を送って丁重な伝言を届けたのである。それは、息子である王が無事に生きていることを伝え、安心させる内容であった。
 彼は、戦いに勝った時こそ、敵をも味方に変えながら、さらに陣列の拡大をはかっていこうとしたのであろう。
 さらに、その翌日、彼は、一人の護衛官だけを連れて、敵の王の母親を、自ら訪ねていったという。すると、その母は、やってきた二人が、ともに同じような服を着ているので、どちらがアレキサンダーかわからず、護衛官のほうに歩み寄り、ひざまずいて礼をした。それが間達いとわかるや、母は、失態を恥じて身を引いてしまった。
 しかし、アレキサンダーは、その母に、こう悠然と声をかけた。――お間違えになられたわけではありません。なぜなら、この男もまた、アレキサンダーなのですから――と。
 同じ責任感で戦っている人間は、だれもが自分と同じ将軍である。上も下もない。皆が英雄である――そうしたアレキサンダーの心を物語るような逸話である。
 一、アレキサンダーは、東方遠征の苦難のさなか、激しい戦いの連続に、くじけそうになる兵士たちを前に、叫んだ。
 「何の苦労もなく己の一身の安全を守ることだけで能事終われりとしていたなら、このわれわれとしてはいったい、どんな壮大で輝かしい功業を成しとげることができたというのか」
 我が創価の「平和」と「正義」の大行進もまた、これ以上の燃え上がる大情熱で、戦いから戦いへ、そして勝利から勝利へと、いよいよ勇ましく朗らかに進んでまいりたい。
6  民衆が主人公となる社会の実現
 ここで御書を拝したい。
 日蓮大聖人の御在世当時、大聖人に嫉妬し、讒言によって流罪・死罪をもたらした元凶が、極楽寺良観であった。大聖入門下であった池上兄弟や四条金吾などを苦しめ続けたのも、この良観であった。
 大聖人は、池上兄弟の弟への御聖訓の中で、良観を破折され、こう仰せである。
 「(良親ら極悪の坊主たちに)たぶらかされ、日蓮を,うらみに思われたので、(ある有力な権力者は)その本人も、また一門も、皆、滅びてしまわれた」
 「両火房(良観)を信用されている人が、栄えているとお思いになりますか」「(邪宗の寺院を建てた)一門の末路を、よくよく見るがよい」(御書1093㌻、通解)
 これが、大聖人の叱咤であられた。日顕宗と結託して、仏意仏勅の学会をいじめた人間も同じである。正義の中の正義である学会に弓を引いた輩の中で、立派な人間として歩み通せた者は、ただの一人としていないであろう。その一事を見ても、正邪は歴然である。
 さらに大聖人は、池上兄弟の弟に、こう御指南されている。
 「これからも、何があっても少しも信心が、たゆんではならない。いよいよ強く、仏の敵を責め抜いていきなさい」(御書1090㌻、通解)
 この破折精神、折伏精神こそ、学会精神の真髄である。
7  人類の英知の箴言を、皆さまに贈りたい。
 アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士いわく。
 「個人がもはや社会にたいする真の参加者でなくなり、社会にたいする責任を感じなくなったとき、民主主義は空洞化します」(『良心のトランペット』中島和子訳、みすず書房)
 この民主主義の空洞化と真っ向から戦っているのが創価学会である。
 チェコの哲人政治家マサリクいわく。
 「宗教的自由の抑圧は当然道徳の荒廃をもたらし、そのことは大きな社会的重要性を持ちます」(シリングロウ編『マサリクの講義録』栄田卓弘・家田裕子訳、恒文社)
 ドイツの革命詩人ハイネいわく。
 「わたしの国民よ、あなたは国家の真の皇帝であり、真の君主である」「わたしの国民よ、あなにの意志があらゆる権力り唯一の合法的な源泉なのです」(舟木重信訳『詩人ハイネ』筑摩書房)
 民衆が主人となってこそ民主主義である。日本人は民主主義の意義を知らなさすぎると、心ある識者は憂慮している。民衆こそが皇帝――この自負と誇りを忘れてはならない。
8  対談集『希望の選択』――世界は必ず変えられる
 このたび、広島、長崎の「原爆の日」を前に、新たな一書が完成した。タイトルは『希望の選択』。(河書房新社刊。本全集第110巻収録)
 アメリカの平和団体「核時代平和財団」のクリーガー所長とともに、「核兵器のない平和な21世紀」を展望した対談集である。
 お届けくださった一冊目に、私は、中国の古典『荘子』の一節を揮毫し、河書房新社の若森繁男社長に感謝を込めて、贈らせていただいた。「図南之翼」――「大鵬が南の海に飛び立とうと翼を広げるように、大事業を成しとげる」という意味である。
 大鵬と言えば、昭和28年7月、私は、戸田先生から、次のお歌をいただいた。
  大鵬の
    空をぞかける
      姿して
    千代の命を
      くらしぞあれ
 ”大鵬が大空を悠々と舞っていくように、生涯、永遠に、世界に舞っていきなさい。長く長く生き抜いて、平和のために飛翔していきなさい”とのお心であった。
 なお、「原爆の日」を前に、犠牲者の方々に懇ろに追善させていただいた。
9  新たに完成した対談集で、クリーガ一所長と私は、題名の通り、「希望の選択」を大いに語り合い、論じあった。
 それは、さまざまな危険が絶えない「核兵器の時代」にあっても、「世界は、必ず変えることができる」「人類は、必ず、悪に打ち勝つことができる」という希望である。
 では、「核の力」よりも強大な「希望の力」とは一体、どこにあるか?
 この点でも、所長と私は一致した。それは人間の生命の中にある――と。
 この「希望の哲学」の究極が、仏法で説く「一念三千」の法理である。「一人の人間の一念に、世界を変革する力がある」と明快に説き明かしているからである。
 クリーガ一所長は、「一念三千」の法理に、深い理解と共鳴を示しておられた。
 では、私たちの一念に具わる巨大な力を解き放ち、発揮していくためには、何が必要となるか。
 クリーガー所長は、「勇気」すなわち「自らの信念を貫く勇気」「一人立つ勇気」であると強調しておられた。
 そして、この「勇気」が、「思いやり」と「献身」の心に結びついた時、世界を変革していくことができると訴えておられたのである。
10  クリーガ一博士”正義の青年こそ希望”
 また、対談では「希望とは青年の異名なり」との信念が響き合った。
 クリーガ一所長は力説しておられた。
 「歴史の転換点には、必ず青年の行動がありました。しかし、過去のいかなる世代も、現代の青年たちが取り組むべき課題はど、大きな挑戦には直面してこなかったでしょう。今日ほど、『勇気ある行動』が絶対的に必要とされる時代はなかったと思うのです」
 私も、まったく同感である。創価学会も、今の青年部で一切が決まる。今回も本当に立派に戦ってくださった。まことに不思議な使命の青年たちである。
 この後継の青年たちに責任を与え、思う存分に活躍してもらう以外に、21世紀の希望はない。青年を大切に育て抜いたところが勝利するのである。
11  一昨日、中学・高校生に対する国際比較調査が発表された。
 それによると、21世紀が「希望に満ちている」と答えたのは、アメリカで86・2%、韓国で70・6%、フランスで
 63・6%。それに比べて日本は33・8%。日本の中学・高校生は、将来に対して悲観的という結果が出た。(日本青少年研究所が発表)
 これは、日本の中学・高校生の責任ではない。大人社会の責任である。
 その意味からも未来部の育成が、ますます重要となっている。
 「21世紀使命会」の皆さま方の尊いご活躍に、私は心から感謝申し上げたい
12  クリーガー所長は「世界を変革するには、何人の菩薩が必要なのか。あるいは、どれほどの利他の行為が必要なのか。これらは答えられない問いです。ただ言えることは、現在世界に存在する菩薩や利他の行為のみでは足りないということです。もっと増えなくてはなりません」と語っておられた。
 とともに所長は「希望を抱き続ける」「一歩一歩確実に決然として目標に向かって行動し続ける」ことを強調しておられた。所長も考察しておられるように、若き「地涌の菩薩」の連帯を拡大することは、それ自体が「希望の拡大」なのである。
 中国の古典『論語』には「人能く道を弘む」とある。「道を弘めるのは、徳の教え自体ではなくて、徳を行う人間である」という意味である。(『論語』金谷治訳、岩波文庫、引用・参照)
 私たちは今こそ「青年部の拡大」に総力を挙げてまいりたい。
 「我が青年部よ、21世紀を頼む! すべてが君たちの時代だ! 君たちの舞台だ!」と、万感の期待を込めて申し上げたい。
13  広布前進への名指揮を!
 経文に「一人一日の中に八億四千念あり」とある。人間は、一日の中で、数多くの思いを起こすのである。人の心というものは、縁に触れて瞬間瞬間、揺れ動く。この揺れ動く我が心を、どこに定めるか。
 法華経の寿量品には、「毎自作是念(つねに自ら是の念をさく)」(法華経493㌻)とある。
 仏は、いつも衆生を成仏させることを願っているという意味である。
 ゆえに、妙法のため、広宣流布のため、そして学会のために、「毎自作是念」して戦い続けていく。それが、仏となりゆく道である。
 仏とは、何があろうと揺るがぬ「絶対」の容積と正義の勝利者のことである。これが皆さま方の使命と栄光の人生である。
 一日また一日、自分自身の偉大なる人間革命の歴史のために、朗々たる勤行・唱題を根本に、広宣流布の指揮を、厳として執っていただきたい。
 暑い日が続く。よく工夫して、睡眠を十分にとって、健康第一でお願いしたい。
 お帰りになったら、敬愛する我が同志に、「ありがとう! 本当にありがとう!」と、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 生き生きと、お元気で、また絶対無事故で、朗らかな連戦連勝の前進をお願いします!
 (創価文化会館)

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