Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 皆に勇気と歓喜と確信を

2001.6.28 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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2  フランスの文豪ユゴーは言った。
 「私は結合、ただこの一事を諸君に要求します! 結合によって、諸君は打ち勝たれるはずです」「結合せられよ、諸君は難攻不落でありましょう」(『追放』神津道一訳、『ユゴー全集』10所収、ユーゴー全集刊行会)
 今日の情報社会にあっても、結合が力である。いかなる分野においても、孤立したところは取り残され、滅び去っていくものだ。
 どうか、皆さま方は、全員が「妙法の諸葛孔明」となって、秋谷会長を中心に、がっちりと一致団結して、智慧を結集していただきたい。そして、他のどこの世界にも追随を許さない、21世紀の「創価の完全勝利のネットワーク」を、堂々と、晴れ晴れと、築き上げていただきたい。
 ユゴーは、民衆を不幸に追いやる人間たちに対して、こう言い放つ。
 「私の最終の息に至るまで、前面に立って闘うであろう。彼等は私を見出すであろう、常にそこに、彼等の前に、起立して、演壇における市民のごとく、もしはまた市街における兵士のごとく」(『追放』神津道一訳、同全集9所収)
 皆さまも、ユゴーのごとく、徹して雄弁であっていただきたい。仏敵を打ち破る、勇猛果敢な名将であっていただきたい。
3  日々、御書を根本に「法華経の兵法」で前に
 御聖訓には仰せである。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、『諸余怨敵・皆悉摧滅』の金言むなしかるべからず」(御書1192㌻)
 ――いかなる兵法よりも法華経の兵法を用いていきなさい。(法華経薬王品の)「諸の余の怨敵をも、皆ことごとく摧き滅ぼした」との金言は決して空しくないであろう――
 法華経に勝る兵法はない。信心根本、御書根本で進めば、どんな強敵も打ち破ることができる。
 どうか、日々、一節でもいい、一行でもいい。御書を拝し合いながらの前進をお願いしたい。
 戸田先生は、「疲れた時こそ、御書を拝せ」と教えられた。御書には、蓮祖大聖人の赫々たる生命の光線が満ちあふれている。ゆえに、御書に触れれば、生命は一変する。「智慧」と「勇気」と「確信」がわいてくる。
4  「顕立正意抄」の一節を拝したい。
 大聖人は、「立正安国論」の自界叛逆難・他国侵逼難の予言が的中したことを示され、こう厳しく仰せである。
 「(日蓮の弟子等も、信じ随っているといっても)ただ名ばかりで、心に染め抜いていない信心の薄い者は、たとえ千劫は経なくても、あるいは一劫、あるいは二劫、ないし十劫、百劫の間、無間地獄に堕ちることは疑いないであろう。これを免れようと思うならば、おのおのは、薬王菩薩のように自らの臂を焼き、楽法梵志のように自らの皮を剥ぎ、雪山童子のように自らの身を投げ、(阿私仙人に仕えた)須頭檀王のように心から仕えなさい。もしそうでなければ、五体を地に投げ、全身に汗を流しなさい。もしそうでなければ、珍しい宝を仏前に積みなさい。もしそうでなければ、奴婢となって法華経の行者に仕えなさい。もしそうでなければ......というように、四悉檀(仏の4種類の説法教化の方法)の法理に従って、時にかなった修行をすべきである。わが弟子たちの中でも信心の薄い者は、臨終の時、阿鼻地獄の相を現すであろう。その時に日蓮を恨んではならない」(御書537㌻、通解)
 「進まざるは退転」である。いかなる大難があろうとも、「不惜身命の信心」で、前進また前進してこそ、絶対的幸福をつかむことができるのである。
5  「女性の進歩」が「全体の進歩」
 創価の前進は、幸福と平和への民衆解放の戦いである。その中で、最も重要な役割を担っておられるのが、わが婦人部であり、女子部の皆さま方である。
 「いつも本当にご苦労さま! ありがとう!」と心から感謝申し上げたい。
 悲願のインド独立が勝ち取られた後、ネルー初代首相は、誇りを込めて語った。
 インド解放の戦いにおいて、「婦人の役割は顕著であるどころか最も重要な意義を持っていました。婦人の役割こそあの闘いの一大特徴をなすものです」(『ネール 自由と平和への道』井上信一訳、社会思想研究会出版)と。
 ネルーは、「インドの女性の進歩」こそ、「インド全体の進歩」を示す尺度であると位置づけていた。
 また、母と子のための政治を目指し、平和への戦いを貫いたジャネット・ランキン女史(アメリカ初の女性の国会議員)は言った。
 「女性の願いが政治に反映できれば、妊娠している女性が一日中、重たいものをもたされたり、子どもが深夜まで働かされたりしなくなるでしょう。弱いものの味方になる法律がつくれるようになるわ」「正義の声をあげて、社会のなかで弱い立場の人たちの味方になって、働くことは意義のあることだわ」(真鍋和子「ジャネット・ランキン」、『物語・20世紀人物伝』5所収、ぎょうせい)と。
 正義の声を高らかにあげる、わが婦人部・女子部の行動こそ、「女性の世紀」の最先端である。
6  ネルーは、マハトマ・ガンジーと苦楽を分かち合いながら戦う喜びを、獄中から娘のインディラに書き送った。
 「われわれは、一つの大きな目的のためにはたらき、たたかうというよろこびをもち、そして、われわれは一人の偉大な指導者をもっている。この、だれもが敬愛するお友だち、信実にみちた導き手を見れば、ちからが湧き、かれにふれれば勇気がこみあげる。そして、われわれは、成功がわれわれをまちうけていることを確信している」(『父が子に語る世界歴史』4、大山聰訳、みすず書房)
 いかなる激しい戦いにあっても、一人の指導者の一念によって、皆に、どれほど大きな喜びをわき立たせ、どれほど強い勇気を奮い起こし、どれほど深い確信を打ち込むことができるか。
 皆さま方は「広宣流布の指導者」である。「信心の指導者」である。ゆえに、いかなることがあっても、皆を励まし、皆を明るく元気にしながら、断固たる勝利の指揮をお願いしたい。そして、皆に、勝ちゆく強さと、勝ち抜く歓喜を贈っていただきたい。
 そのためにも、女性を心から大切にし、その力を、思う存分に発揮していただくことである。婦人部・女子部の前進が、創価学会の前進である。女性が生き生きと、伸び伸びと活躍している組織こそが、21世紀を勝利する。
7  七月は師弟の信念の大闘争の月
 昨日の本部幹部会(東京戸田記念講堂)では、牧口先生と戸田先生の肖像も、一段と、うれしそうに、私たちを見守ってくださっているように思えてならなかった。
 勝って、師匠に勝利の報告ができる。人生、これに勝る喜びはない。また、これほど神々しい生命の劇もない。
 昨日は、中部の総会とともに、静岡の第1回総会であった。思えば58年前、昭和18年の6月、牧口先生と戸田先生は、静岡の大石寺に呼びつけられ、大謗法の神札を受けるよう強要された。しかし、創価の師弟は断固として拒否した。臆病な、狂った宗門に憤激しながら。
 もし、このとき、両先生が宗門を破折しておられなかったならば、大聖人の「立正安国」の大精神は死に絶え、「広宣流布」の命脈は断絶していたに違いない。牧口先生、戸田先生の烈々たる信念の戦いは、日本の国家主義という「一凶」を禁じゆく大闘争となったのである。
 牧口先生は、58年前のきょう6月28日、再度、法主を直接、諌めておられる。しかし、こともあろうに宗門は、この正義の学会を切り捨てた。軍部権力の弾圧が自分たちに及ぶのを恐れたのである。
 牧口先生、戸田先生は、7月6日の早朝に逮捕された。牧口先生は、逮捕から1年後の秋、11月18日、創価学会の創立記念日に獄死し、殉教された。
 後継の弟子・戸田先生は、逮捕から2年後の7月3日に出獄され、権力の魔性に対する仇討ちの戦いを開始された。7月がめぐり来るたびに、戸田先生の「巌窟王」の闘魂は、いやまして炎と燃え上がった。
8  戸田先生が、青年部を結成されたのも、この7月であった。(男子部は7月11日。女子部は7月19日)今年で50周年。7月は「青年部の月」である。
 今、嵐にも恐れなく戦う、青年部の「新世紀の大陣列」が、堂々と、でき上がった。牧口先生、戸田先生も、どれほど喜んでおられることか。ヤングの青年部の活躍も、本当に頼もしい。
 かつて、アメリカの非暴力運動の指導者・キング博士は、人権闘争の勝利の後に語った。
 「最近の直接行動の聖なる闘争のほとんどは、若いひとたちがその火をつけていた」そして、若き青年、学生たちこそが、「この聖なる闘争に新しい衝撃と闘争を勝ちぬくために必要なはずみをもたらした」(『黒人はなぜ待てないか』中島和子・古川博巳訳、みすず書房)と。
 ここに創価学会の勝利の方程式がある。
 青年部の行動が、広宣流布の前進に火をつけ、「はずみ」をつけ、勢いをもたらしていく。どうか、壮年・婦人のリーダーの方々には、新世紀の世界広宣流布を担いゆく青年の激励と育成を、よろしくお願い申し上げたい。
9  師弟の縁は、厳粛である。戸田先生が出獄された7月3日のその日、その時刻(午後7時)に、私は、不二の弟子として入獄した。不当極まる、無実の罪のゆえである。
 そして、わが愛する関西の同志とともに、「常勝不敗」の新たな戦闘を開始した。
 7月は、いうまでもなく、わが「関西の月」である。
 御聖訓に「師弟相違せばなに事も成べからず」と。
 師弟の心が相違していれば、何事も成就できない。反対に、師弟の心が一致すれば、何事も、成し得ないことはない。勝てないわけがない。師弟の道に徹しゆくとき、わが生命に秘められた智慧と力を、限りなく発揮させていくことができる。この世で、「師弟不二の戦」ほど強いものはない。楽しいものはないのである。
 牧口先生は師子吼された。
 「日蓮大聖人が『仏法は勝負をさきとし、王法は賞罰を本とせり』と仰せになって居るように、これ(功徳と罰の厳然たる現証)こそ宗教の生命といふべきもの」(『牧口常三郎全集』10)である、と。
 正義の実証を堂々と打ち立てゆくことだ。すべてに「勝つ」ための信心である。永遠に勝ちゆくことが広宣流布である。
10  信心即行動! 一切を味方に
 戸田先生は、1000万人をはるかに超えて、世界に「平和の連帯」を広げゆくことを悲願とされていた。民衆の平和勢力を築くことができれば、いかなる国家主義の反動があろうとも、日本の針路を揺るぎなく安定させていくことができる。世界の平和への永遠性の軌道をつくり上げることができる。これが、戸田先生の壮大なるビジョンであり、夢であった。
 御書には、「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」との法華経の文が引かれている。
 妙法の人は、一切を味方にしていける。リーダーは、どんどん人に会い、広宣流布の味方に変えていくことだ。信心即行動である。「強い信力」で「強い前進」を、「大きな行力」で「大きな拡大」を起こしていっていただきたい。
11  昨日もお話ししたが、聖教新聞を配達してくださっている「無冠の友」をはじめ、広宣流布のために歩き、動いているすべての方々に、心から感謝申し上げたい。雨の日も雪の日も、広宣流布の活字を送り届ける――それは、折伏を推進し、広布を推進し、毎日、仏道修行をしているということである。
 釈尊も歩きに歩いて説法された。大聖人も各地に弘教の足跡を刻まれた。それと同じように、広布の道を歩みゆく行動である。尊い偉業である。その人が福運を積み、生命力がつき、健康になることは間違いない。
 どうか、各地の「無冠の友」をはじめ、陰の立場で戦ってくださっている皆さまに、くれぐれも御礼を申し上げていただきたい。
12  最後に再び、ユゴーの言葉を贈りたい。文豪は、非難中傷に対して、悠然と言った。
 「罵詈の声は後世から光栄の響きとして受け取られます」(『追放』神津道一訳、前掲『ユーゴー全集』10所収)
 「迫害、それもよかろう。この迫害がどんなであろうと、どんな形式を取ろうと、これだけは確かだ、我々は自尊心と歓喜とをもってそれを受ける」(『追放』神津道一訳、同全集9所収)
 そして「諸君は弱ってはならぬ、目的まで突進せねばならぬ」(『追放』神津道一訳、同全集10所収)と。
 徹して強気で、徹して大胆に、徹して聡明に、徹して快活に、そして、徹して勇敢に、歴史に語り継がれる名指揮を執っていただきたい。朗らかに、楽しく前進していただきたい。

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