Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

全国総県長会議 新しき「七つの鐘」を打ち鳴らせ

2001.4.26 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

前後
2  第二の「七つの鐘」に、希望と勝利の前進
 昨日(4月25五日に開催された第5回本部幹部会)は、学会創立百周年の二〇三〇年へ、新しい前進を力強く開始した。同時に、新たな「七つの鐘」の出発となった。これから七年ごとに、また十年ごとに、希望と勝利の節を刻みながら、前進してまいりたい。
 まず、「第一の鐘」を締めくくる、七年後の二〇〇八年の五月三日。次に創立八十周年の二〇一〇年の五月三日。また「第二の鐘」の結びとなる二〇一五年の五月三日。さらに創立九十周年の二〇二〇年の五月三日。そして創立百周年の二〇三〇年の五月三日を絢爛たる勝利で飾りたい。
 この間に「第三の鐘」(二〇一五年から二二年)、「第四の鐘」(二〇二二年から二九年)も刻まれる。そして、二〇五〇年は創立百二十周年であり、「第二の七つの鐘」の総仕上げの年に当たる。
 アメリカ創価大学の第一期生、また現在の学生部、未来部の諸君は、このころ、ちょうど今の私と同じ年代になる。青年を育てることは、未来を育てることだ。縦横に活躍する姿が、本当に楽しみである。
 「報恩抄」には、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」と仰せである。
 万年の広宣流布の源流となりゆく、誇り高き使命の皆さまなのである。
3  「三国志」の名将・諸葛孔明は言う。「将帥、勇ならざるは、将なきに同じ」(守屋洋編・訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店)
 指導者に勇気がなければ、指導者がいないのと同じだと言うのである。広宣流布の指導者にとって、「勇気」とは「折伏精神」である。これを失えば、もはや広布のリーダーとはいえない。
 孔明は、「それ必勝の術、合変の形は、機にあり」(同前)とも述べている。
 戦いにあっては、変化に巧みに対応しなければならない。必ず勝てる局面をつくれるかどうか。それは、ひとえに、「チャンスを、どう生かし切るか」にかかっている。
 折伏精神を燃え上がらせて活路を開く。チャンスを逃さず、すべてを味方に変えていくことだ。
4  日蓮大聖人は、東京の同志の大先輩に当たる池上兄弟とその夫人に、こう仰せである。
 「日蓮の法門は、昔こそ信じがたかったが、今は、前々から言っておいたこと(謗法を断たなければ、自界叛逆難と他国侵逼難が起こるという予言)がすでに的中したので、理由もなく誹謗した人々も、悔いる心が起きているであろう。(それにしても)たとえ、これから後に(日蓮の法門を)信じる男女がいても、あなた方に替えて思うことはできません。はじめは信じていたのに、世間の迫害が恐ろしくて、信心を捨てた人は数知れない。そのなかには、もとから誹謗していた人よりも、かえって強く誹謗する人もまた多くいる。仏(釈尊)の在世にも、善星比丘などは、はじめは信じていたけれども、後に信心を捨てたばかりでなく、かえって仏を誹謗したゆえに、仏の大慈悲をもってしても、いかんともしがたく、無間地獄に堕ちてしまったのです」(御書1088㌻、通解)
 善意に満ちた創価の世界に弓を引き、私利私欲から、醜い嫉妬から、恩を仇で返し、同志を裏切り、去っていった反逆者たちは今、栄光輝く五月三日を、どれほど妬ましく、うらやんで見つめているか。心の奥底で、どれほど、わびしく、悔やんでいることか。
 戸田先生は、よく言われていた。「学会を悪口した人間が、しまったという時が、広宣流布だよ」と。
5  昨日は、お元気な牧口家、戸田家の皆さま方も、お越しくださり、これほどの喜びはない。
 本年(2001年)は初代会長・牧口先生の生誕百三十周年。ならびに戸田先生の第二代会長就任五十周年。その佳節に、牧口先生の故郷である信越、そして戸田先生の故郷である北陸の総会も盛大に行うことができた。信越も、北陸も、本当に、よくがんばってこられた。おめでとう!
 また今回は、東京の総会でもあった。
 懐かしい下町・江東区では、「江東広布五十周年」の記念幹部会が行われると、うかがった。わが縁深き墨田は「5・3墨田広布原点の日」を迎える。ふるさとの大田は「4・29大田の日」。豊島は「5・5豊島の日」。まことにおめでとう! さらに、目黒、荒川、足立、中野、新宿、世田谷、町田、そして北多摩はじめ、全東京の同志の晴れやかな栄光を私は祈りたい。
6  正法は”七百年”が節目に
 さて、歴史を巨視的に見れば、大聖人が出現されたのは、韓国から日本に仏法が伝来してから七百年後であった。それは、中国の天台大師の時代から七百年後でもあった。
 御書には、こう仰せである。「仏法が日本に渡ってから、今、七百余年になる。前代未聞の大法が、この国に流布して、インド、中国、さらに全世界の一切の人々が仏に成ることは、まことにありがたいことである。ありがたいことである」(御書1283㌻、通解)
 そして大聖人の法戦から七百年後に創立され、「全世界に広宣流布せよ」との仏の未来記を実現しているのが、わが創価学会である。学会がなければ、法華経も、また御書も、ことごとく虚妄となってしまったであろう。
 この七百年という節目は、正法の命脈を守り抜く時である。それは、壮絶な信心の戦いによってのみ成し遂げられる。
 涅槃経には、釈尊が亡くなって七百年の後に、魔が正法を破壊しようとするが、その魔は、聖人や仏のような姿で現れると説かれている。大聖人は、その文を引いておられる。(御書651㌻)
 大聖人の滅後七百年、まさにこの方程式の通りに現れた天魔の坊主らの正法破壊の陰謀に対し、学会は、断固として戦い、断固として勝った。
 我らはさらに、異体同心の模範の団結で、この五月三日から、いよいよ二十一世紀の新たな「七つの鐘」を、高らかに打ち鳴らしてまいりたい。
7  「七」とは、宇宙の根源の音律である妙法の甚深の七文字に通ずる、妙なるリズムである。
 私が、忘れ得ぬ語らいを刻んだ、二十世紀を代表する大音楽家で、天才的バイオリニストのメニューイン氏も、「南無妙法蓮華経」の七文字のリズムについて、「本当に口ずさみやすく、心地よい音律です」と感嘆しておられた。
 また、「太陽と月が四天下(世界)をめぐるのは仏法の力による」(御書1146㌻、通解)との御聖訓通り、天体の運行も、すべて妙法のリズムに合致した営みである。
 大宇宙と生命を貫く妙法の律動に則って、仏意仏勅の学会とともに、「向上」と「充実」と「拡大」の勝利の鐘を打ち鳴らしていく。そこに我らの広布と人生の前進がある。そこには惰性はない。停滞もない。行き詰まりなどありえない。
8  思えば、大聖人の御闘争も「七年」が大きな節目となっている。
 大聖人が、三十二歳で立宗宣言をされたのは、1253年(建長5年)の四月二十八日。その七年後、「立正安国論」をもって、時の権力者を諌暁された。(1260年)
 さらに七年後は1267年だが、翌68年の初めに蒙古から国書が届いている。
 安国論の予言が的中して、蒙古が日本に攻めてきた文永の役は、さらに七年後。(1274年)
 その七年後が、二回目の蒙古襲来である弘安の役。(1281年)
 まさに七年ごとに、社会は大きく動き、「立正安国」の警鐘となったのである。
9  かつての蒙古――大草原の国・モンゴルとも、今、私たちは深い交流を結んでいる。
 (=バガバンディ大統領とエンフバヤル首相は、ともに創価大学に来学。大統領は帰国後、「創価大学は素晴らしい大学だ。喜びに満ちた顔をした人々だった。本当に印象深い」と語った。若きエンフバヤル首相は名誉会長に「ぜひモンゴルにお越しください。わがモンゴルには、池田先生の哲学が必要なのです」と述べている)
 創価学会は、一九三〇年(昭和五年)の創立以来、最初の「七つの鐘」を堂々と鳴らし終えた。そして昨年、西暦二〇〇〇年は創立七十周年。
 まさに七百年分の歴史を、七十年に凝縮した戦いであったといえよう。この七十年の間に、わが同志が唱えた題目も、結んだ仏縁の広がりも、積み上げた福運の大きさも、まさしく天文学的な巨大なスケールとなるに違いない。
 今、創価学会には、無数の人材が光り、無量のエネルギーがみなぎっている。
 いよいよ西暦二〇五〇年を目指し、新しい「七つの鐘」が始まる。創価学会が、世界市民の連帯をさらに広げ、アジアと世界の揺るぎない平和の基盤をつくり上げていく時代である。
 平和の鐘の音は、一人ひとりが使命を強く自覚してこそ響いていく。一心不乱に、真剣な精神闘争を貫いてこそ、正義の勝利の鐘は鳴り響く。
10  ルソー”悪に対しては厳しく、罪に対しては怒れ!”
 リーダーの話には新鮮な魅力がなくてはいけない。それには、常に学ぶことだ。哲人の言葉を贈りたい。
 スイスの思想家ヒルティは言う。
 「われわれが、悩める人に与えることができる最も正しい助力は、その人の重荷をとり去ってやることではなくて、その人がそれに耐え得るように、その人の最上のエネルギーを呼び出してやることである」(秋山英夫訳編『希望と幸福――ヒルティの言葉』社会思想社)
 この究極のエネルギーが信心である。皆が強気で、人生の戦いに立ち向かい、断じて勝利していけるよう、リーダーは“励ましの達人”であっていただきたい。
 フランスの思想家ルソーは、著作の中に、こんな言葉を残している。
 「やさしさは徳の中で最も愛すべきものですが、またときには魂の弱さでもあります。徳は、必ずしもやさしくはないのです。徳は、悪に対しては適当な厳しさで、自己を武装することを知っています。徳は、罪に対しては怒りに燃えたつのです」(『学問芸術論』前川貞次郎訳、岩波文庫)
 牧口先生もまた「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友となり得ぬ」(『牧口常三郎全集』6)と喝破された。
 アメリカの哲人ソローは有名な著作『市民の反抗』で訴えている。
 「なぜ政府は賢明な少数者を大切にしないのだろう」「なぜ市民を激励して、油断なく監視させて政府の欠陥を指摘させ、しかもそれを、政府が願う以上に立派にやらせないのだろう」(斎藤光訳、『アメリカ古典文庫』4所収、研究社)
 戸田先生の厳たる言葉「青年よ、心して政治を監視せよ」と深く響き合う。
11  「七つの鐘」とともに使命の道を
 先日、インドの女子部のメンバーが、自分自身の「七つの鐘」の目標を手紙で報告してくださった。本人のご了解をいただき、感謝の思いを込めて紹介させていただく。
 彼女はインドの名門の出身で、妹と一緒に創価大学に留学された。
 母国に帰って、『教育の価値創造者たち――マキグチとガンジー』という研究書を出版。それを「創立者に捧げます」と送り届けてくださったことも忘れられない。現在は、ロンドンで教育学の博士課程の研究を進めておられる最優秀の女性である。
 彼女は、二〇〇八年までの「第一の鐘」で、自分自身の博士課程の修了とともに、「原水爆の禁止」を目指す。
 二〇一五年までの「第二の鐘」で、インドの女子学生部の強い基礎を築く。インドに「創価の教育者」を訓練する大学をつくる。
 そして、二〇四三年の「第六の鐘」までには、インドを創価教育の模範の天地にしたい。世界中に創価教育を実践する学園・大学を広げたい。
 さらに、二〇五〇年までの「第七の鐘」では、自分が育てた学生たちの成長と幸福を見守りながら、わが人生を総括し、次の「七つの鐘」を目指して新しい計画を立てていく――このように手紙には、つづられていた。
 仏教発祥の地から馳せ参じてくださった、一人の創大留学生の乙女が、どれほど素晴らしい「人間教育の鐘」を打ち鳴らしてくれることか。その心が尊い。
 私たち夫婦は、うれしかった。彼女の決意の手紙を御宝前にあげ、題目を送らせていただいた。
 どうか、皆さま方も、「七つの鐘」とともに、自分自身の目標、わが使命の地域の目標を大きく掲げながら、大いなる境涯を開き、大いなる福徳を積み、大いなる歴史を残していただきたい。
 日蓮大聖人が、流罪の地・佐渡で「観心本尊抄」を著されたのは、一二七三年の四月二十五日である。(文永十年)
 日寛上人は観心本尊抄文段で仰せである。
 「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」「唯仏力・法力を仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。一生空しく過して万劫悔ゆることなかれ」(文段集548㌻)
 妙法を唱える自分自身の生命が、そのまま、御本尊であり、日蓮大聖人なのである。ゆえに、何も恐れるものはない。絶対に負けるわけがない。わが生命それ自体が、究極の「希望の鐘」なのである。
 妙法を唱える生命の波動は、人々へ、地域へと、すべてにつながり、広がっていく。自分自身の幸福をつくり、わが地域の繁栄をつくり、皆が仲良く友情を結びながら、地球全体に平和のスクラムを広げていけるのである。
 そのためにも、まず、新たな「七つの鐘」の第一打の本年を、楽しく、愉快に、断固たる大勝利で飾ってまいりたい。
12  釈尊の弟子たちはあの地この地へ「対話の旅」
 釈尊と弟子たちは、民衆のために、広大なインド亜大陸を歩んで歩んで歩み続けた。その模様について、私はインドの大哲学者ロケッシュ・チャンドラ博士(インド文化国際アカデミー理事長)とも語り合った。(=対談は『東洋の哲学を語る』と題し、2002年10月、第三文明社から発刊)
 たとえば、釈尊が最初に法を説き始めたサールナートにある「鹿野苑」は、生涯にわたる民衆救済の旅の、ほぼ中間に当たる都市である。そこを起点にすると、釈尊が、何度も何度も足を運んだ舎衛国へは二百数十キロ。マガダ国の王舎城へは約三百キロ。カンマーサダンマという地方へは七百キロ以上もある。(ほぼ東京―岡山間の距離)
 そうした道のりを、釈尊は、だれよりも勇んで歩み抜いていったのである。
 仏典には、こんな話がある。大勢いるはずの釈尊の弟子たちの姿が見えない。不審に思った、ある神が言った。
 「みごとに話し、学識ゆたかな、ゴータマ(=釈尊)のあの弟子たちは、どこへ行ったのでしょうか」
 別の神が答えた。「或る者どもはマガダ国へ行き、或る者どもはコーサラ国へ行き、また或る者どもはヴァッジ族の地に行きました」(『ブッダ 悪魔との対話』中村元訳、岩波文庫)と。
 記録によれば、釈尊の一人の女性の弟子は、布教のため、実に五十数年間にもわたって、当時のアンガ、マガダ、ヴァッジ、カーシーなどの国々を歴訪したという。
 光栄にも、チャンドラ博士は、こう言われる。釈尊と弟子たちの歩みを現代に受け継いで、世界的規模で行動しているのが創価学会である。仏教の慈悲のヒューマニズムを世界に伝えているのがSGIである――と。
 法のため、人のための現実の行動がなくなってしまえば、もはや、その宗教・哲学は滅び去っていくのみである。
 今、各地の誉れのわが同志は、二〇〇一年の五月三日を、生き生きと動き、語り、戦うなかで迎えようとしておられる。これこそ、創価学会が二十一世紀の世界宗教として、さらに隆々と発展しゆく瑞相である。
 どうか、各方面・各県・各区の全同志に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 私は、病床にある各地の愛する同志の方々に対しても、お一人お一人に題目を送り、平癒とご長寿を、毎朝毎晩、真剣に祈っております。
 我らの栄光の月・五月を、朗らかに戦い、勝利して、また元気にお会いしましょう!
 (創価文化会館)

1
2