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日蓮大聖人・池田大作

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東京女子部部長会 若き貴女よ幸福の開拓者たれ

2001.2.9 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

前後
2  私たちは、この世に人間として生まれてきた。これは、厳粛なる事実であり、これから、どう生きていくかを思うとき、それは、どうしょうもない運命といってもいいかもしれない。
 その自分自身が、何のために生きるのか。どのようにして、幸福になるか。
 どのようにして、勝利者となって、人生を悔いなく楽しく飾りゆくか。
 その根本的な課題の解決のために、釈尊が出現し、仏法を説かれた。そして大聖人は、広大無限な、この生命を、いかに希望へと脈動させ、いかに活力に満ちて幸福をば勝ち取るか、その大道を、厳然と残してくださった。
 最高に価値ある青春を、また人生を、生きぬく大哲学を示してくださったのが、仏法であり、この信仰である。
 生まれてきたからには、幸福を勝ち取らねばならない。断じて、不幸に負けてはならない。負けてしまっては、何のための人生か、わからなくなってしまうからだ。
 ゆえに、自分自身の勝利を謳うために、戦っていくのだ。
 一個の独立した人間として、歓喜と幸福のために、あらゆる不幸な運命を打開し、一歩も後退せず、すべてを乗り越えながら、青春の道を、人生の旅を、満開の花に囲まれながら、私は、悔いなき幸福の勝利を勝ち取った。
 私の友である貴女にも、同じように、美しい顔で、美しい心で、勝ち取った勝利の瞳が輝くのを見たいのだ。それが、私たちの友情だ。
3  一生は長いようで短い。
 大聖人は、女性の門下に仰せである。
 「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う」と。
 幸福というも、地獄というも、皆、自分自身の胸の中にある。心の中にある。
 これからも、巡り来る年月を進みながら、正しい法則にのっとって、正しい人生を、生きねばならない。その完壁な大道が、仏法であり、その実践が、信心である。
 いかなる境遇であれ、いかなる立場であれ、この大道をば、不断の努力を、一歩また一歩と繰り返していくならば、必ずや、天に輝く宝石のごとく、東天に輝く太陽のごとく、赫々たる煌めきの幸福という勲章が光り輝いていくのだ。
 これは、だれにも奪うことができない。自分自身の幸福の新世界である。
 有名人だから、幸福とはいえない。人気者だから、幸福とはいえない。いくら礼賛されても、真実の幸福者とはいえない。いかに財宝に恵まれても、幸福とはいえないだろう。
 真実の幸福は、汝自身の生命を開拓しながら、未完成の生命の奥の魂に輝く、南無妙法蓮華経という、永遠不滅の絶対的幸福の血脈に触れることである。これが、仏法の真髄だ。
4  偉大なる幸福の勝利者たれ!
 人生は、それなりの戦いだ。負けてはならない。
 勝つための信仰だ。また仏法は、勝てるための法則だ。
 わが人生を勝ち誇るために、平凡な生活といつも変わらず、日常の務めを果たして、一歩強く、この広宣流布の道を歩んでいくのだ。
 そこには、はてしもない高貴な魂が輝く。そして、数限りない三世十方の仏が、無名の愛らしき仏の使いとしての貴女を、世界一の女王として、護り仕えていくのだ。
 幻のような現象の中に、流されてはならない。真実の幸福の法則を知らない人間の後についても、決して幸福になれない。
 幸福への大道を厳然と残された王者の大聖人の仏法に従うことが、究極的に正しいのだ
 その信仰を持つ者は、没落しゆく多くの著名人を見おろしながら、永遠に勝利の輝きを持つ、王女の夢のごとき世界が待っていることを忘れてはならない。
 人生は、だれにつくか。これで決まる。策略の政治家につくか、悪魔のごとき虚栄家につくか、貪欲な狡猾な人間につくか、騙されてはならない。宇宙そのものの当体であられる大聖人につくことが、根本的な決定への歩みでなければならないのだ。
 どんなお父さんでも、どんなお母さんでも、どんな兄弟姉妹であっても、自分自身が仏になれば、皆を救える。幸福な、強き自分自身を創るのが、創価だ。
 結婚が、すなわち幸福であると、錯覚する人も多い。結婚しないから、不幸であるということも、まったくない。正しき信仰という土台の上に、揺るがぬ自己を築いていく。これが、真実の幸福のあり方だ。
 何かのために働く! 何かのために戦う! これが、一つの歴史の法則である。
 飛ばない鳥は、飛べなくなる。幸福の翼をはぎ取られ、幸福の大空へ、飛べない鳥になってしまう。走らない、練習しないオリンピック選手は、勝てない。戦わない、動かない、進まない、億劫な人は、最終的には、人生の落伍者になる。
 何かに戦い、何かに前進していく。これが、幸福の本質である。人のため、法のために、青春時代から、活躍することで、どれほど偉大な人間になっていくか。自分自身を革命しながら、どれほど偉大な生命になっていくか。
5  ご存じのように、私の妻も女子部の結成式に班長として出席し、ここ本陣・東京を青春の本舞台にして、広宣流布の活動を繰り広げてきた。
 あの歴史に残る蒲田支部の「二月闘争」でも、妻は、東京女子部の誇りをもって、寒風の中、友人の折伏に、同志の激励に、生き生きと飛び出していった。
 また家が拠点であったので、座談会に職場の上司を誘ったり、会合を率先して盛り上げるとともに、毎日毎晩、集まってこられる方々を、さわやかな笑顔でお迎えした。婦人部の、お子さんたちに、優しく楽しく、絵本を読んであげるのも、女子部である妻の役割だった。
 だれが誉めなくとも、だれが見ていなくとも、妻は、牧口先生との誓いを果たし、戸田先生をお守りするために、支部婦人部長の母を支え、地区部長の父を励ましながら、真剣に、誠実に、粘り強く、戦い続けた。
 この新鮮な女子部の時代こそが、最も思い出深く、最も信仰と人生の基盤を築くことができたと、妻は振り返っている。
6  皆さまの同志は、アメリカにも、カナダにも、ブラジルにも、アルゼンチンにも、イギリスにも、フランスにも、ドイツにも、アフリカ諸国にも、韓国にも、フィリピンにも、マレーシア、シンガポールにも、オーストラリアにも、世界中で、活躍している。
 世界の同志も、皆、絶対的幸福の道を、必死で歩んでいる。
 宇宙の大法別である妙法! これ以外に、二十一世紀の平和の道はない。
 一緒に、歩んでいこう! 身分や財産や地位、家柄などは、まったく幸福とは関係ない。ああなれば、こうなれば、ああしたい、こうしたい、そうすれば幸せなのに……。これは、真の仏法ではない。
 「心こそ大切なれ」とは、大聖人の御言葉である。「心」は「信心」であり、「信心」は「幸福」の要件である。
 その境遇で、その環境で、今いる、その場所で、そのままの自分自身で、幸福になりゆくことだ。
7  若き貴女よ、生命の開拓者たれ!
 偉大なる幸福の勝利者たれ!
 安逸な、そして虚栄的在、平凡な快楽、享楽からは、目をそらせ!
 根本的な幸福への行列の先頭を歩め!
 そこに、ありとあらゆる喜び躍る天使が、仏菩薩が、赫々と光り輝きながら、貴女の勇み躍りゆく生命を護り、最大に讃歎し、ながら、幸福の旅の道案内をするだろう。
 皆さまの大切など一家に、栄光あれ!
 東京女子部、万歳!
 創価学会女子部、万歳!
 (東京トだ記念講堂)

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