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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 広宣流布の大目的に生きよ

2000.7.19 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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1  総県長会議、まことにご苦労さまです。
 「日興遺誡置文」にいわく、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」と。
 創価学会は、「広宣流布」の団体である。皆さま方は、「広宣流布」の指導者である。私たちのすべての戦いは、「広宣流布」のためである。
 どうか、この大目的を、ともどもに見つめて、断固たる勝利への布石を、お願いしたい。
2  このたび、私は、「平和研究の母」として著名なアメリカのボールディング博士より、最新の著作(『平和の文化――歴史の隠された側面』)を贈呈していただいた。これは、今月、八十歳の誕生日を迎えられた博士の、これまでの平和研究の集大成ともいえる著作である。
3  ボールディング博士「創価学会が平和的世界を創出」
 博士は直筆で、献辞もしたためてくださった。この著作のなかで、博士は、創価学会の活躍を次のように評価してくださっている。
 「仏教は、日本においても、重要な平和運動を生み出した。創価学会は、池田大作氏のリーダーシップのもと、より平和的な世界の発展に焦点を当て、大学をつくり、教育機関や、平和研究所のネットワークを築き上げてきた。日本そして世界中にある多くの(SGI)メンバーのグループは、平和や社会正義、環境の回復のための活動に、積極的にかかわっている」(Elise Boulding, Cutures of Peace : The Hidden Side of Histry, Syracuse University Press.)
 博士が評価してくださったように、学会活動は、すべて、世界の一流の知性に、明快につながっているのである。
 また、「ボストン二十一世紀センター」(=現「池田国際対話センター」)の代表を通じて、アイダホ大学のガイヤ教授の声が寄せられた。ガイヤ教授は、私の著作である『私の仏教観』を、二十年以上にわたって教材として使ってこられた方である。
 教授は、近年、意識あるアメリカの学生たちが、SGIの運動に大きな関心を示していると証言しておられる。では、なぜ、アメリカの学生たちが、SGIの運動に興味を抱くのか?
 教授いわく。
 「学生たちにとって、SGIのヒューマニズムの運動は、現実世界と精神世界を結びつけるうえで、大変、魅力的な運動と映るからです。学生たちは、SGIの実践を知ることによって、科学と宗教は対立するものではなく、生活と宗教は分け隔てられたものではない、と知るのです」と。
 「仏法即一切法」であり、「仏法即生活」である。
 また、ガイヤ教授は、次のように語っておられる。
 「仏教は本来、アメリカ的なものではありません。しかし、SGIは、アメリカ社会に受け入れられております。それは、仏教を実践するSGIのメンバーが、社会で立派な実証を示し、平和的で建設的な貢献をしていることを人々が認めているからです」と。
 「法」といっても、それを持つ「人」がどうかで、評価が大きく変わってしまうのである。
 昨日の本部幹部会には、アメリカSGIの代表の方々が出席された。ロサンゼルスの名校長として活躍してこられた方もお見えになった。
 アメリカSGIが、社会で高く評価されるようになったのも、同志の皆さま方が地域に根差して、地道に、誠実に、見事な信心の実証を示してこられたからである。
 その偉大なアメリカの同志の皆さまを、私は心から賛嘆申し上げたい。
4  アメリカの著名な宗教学者であるチャペル博士は、こう指摘されている。
 「池田会長は、人間と人間の外交を通し、グローバルな理解を結び、世界の平和に貢献されている。仏教の教えの真髄は、“智慧”と“慈悲”とされてきたが、池田会長は、それに“勇気”を加えられた。日本の軍国主義との戦いや、難民の救済、世界市民の教育などが、創価学会の運動で強調されてきたのは、そのためである」
 全学会員の皆さまへの称賛と励ましとして、紹介させていただいた。
 ともあれ、仏法の「智慧」と「慈悲」を現実のうえで展開していくためには、「勇気」が必要である。この「勇気」を赤々と燃やし、仲良く、朗らかに、人間の外交を広げながら、二十一世紀へ勝ち進んでまいりたい。
5  「異体同心」が学会の魂
 学会は、どこまでも御書根本である。
 ここで、仲良き団結の大切さを教えられた御聖訓を、いくつか拝したい。
 「(釈尊が法華経を説いた)八年間のご説法の最初は、南無妙法蓮華経方便品の『諸仏の智慧(は甚深無量なり)』であり、終わりは(普賢品の)『当起遠迎当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)』の八字である。ただこの八字をもって法華経一部八巻の肝要としたのである」(御書781㌻、通解)
 広宣流布のリーダーは、心して会員を大切にしていただきたい。
 御書にいわく。「ふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。少し強い者でも、独りであれば、悪い道では倒れてしまう」「仏になる道は、善知識に勝るものはない」(1468㌻、通解)
 同志は、ともかく守り合うことである。「異体同心」が学会の魂である。
 法華経にも、こうある。
 「もし善男子、善女人にして、善根を植えたがゆえに、いつの世にも善知識を得たならば、その善知識は、よく仏の仕事をなし、示し、教え、利益を与え、喜ばせて、最高の完全なる悟りに入らせるであろう。大王(妙荘厳王)よ、まさに知るべきである。善知識とは、大きな因縁である。つまり、教え導いて、仏を見ることを得させ、最高の完全なる悟りを得たいという心を起こさせるのである」(法華経661㌻、通解)
 人々を限りない成長へと導く善知識に――これが指導者として果たすべき責務である。
 また大聖人は、池上兄弟の弟・宗長に、「兄弟の仲は、決して不和であってはなりません。不和であってはなりません」(御書1100㌻)と仰せになっておられる。いわんや、我々の同志の絆は兄弟以上である。
6  門下の四条金吾には、こう仰せである。
 「このたびは、前よりも、彼ら(敵)の謀りごとは、巧みになるであろう。何といっても、鎌倉の荏柄地域の夜回りの人たちほど、味方として力になる者はいない。どんなに心に合わないことがあっても、彼らと親しく交わっていきなさい」(御書1172㌻)
 この時、金吾は敵との闘争のまっただ中にいた。同志の仲が悪ければ、魔につけ入る隙を与えてしまうことを教えられたのである。
 また、ある弟子たちの身を案じられて、こう仰せになっている。
 「あなた方四人は、それぞれに日蓮の大切な味方である。そうであるのに、頭を砕くほど真剣に祈っているのに、今まで験があらわれないのは、この中に、信心退転の者がいると思われるのである。(日蓮と)思いの合わない人のことを祈るのは、水の上で火をたき、空中に家を建てるようなものである。このことを四人にお聞かせ願いたい」(御書1225㌻、通解)
 まことに厳粛な御聖訓である。
7  友情ほど大切なものはない。
 御書にも、「松が栄えれば、柏が悦ぶ。芝が枯れれば、蘭が泣くといわれる。非情の草木ですら友の喜び、友の歎きは一体である」(934㌻)とある通りである。
 創価学会は、永遠に「君が愁いに我は泣き、我が喜びに君は舞う」(『嗚呼黎明は近づけリ』沼間昌教作詞)という友情の世界である。
 また大聖人は、信心に反対であった父を入信させた池上兄弟の「団結の勝利」を、ことのほか喜ばれた。
 「あなた(弟・宗長)のお心が賢明で、日蓮が諫めたことを用いられたがゆえに、あたかも二つの輪が車をたすけ、二本の足が人を担うように、また二つの羽で鳥が飛ぶように、日月が輝いて一切衆生を助けるように、兄弟二人の団結の力によって、父親を法華経の信心につかせることができたのです」(御書1095㌻)
 団結の力ほど、強いものはない。また、ある三人の弟子には、こう仰せである。
 「(釈尊の弟子であった)修利槃特というのは、兄弟二人の名前である。兄弟のうち一人だけいても、修利槃特と呼ばれた。あなた方三人も同様である。(体は異なっても、同じ法華経の信者で、一心同体であるから)一人が見えられても、三人が来られたように(日蓮には)思われるのである」(御書1000㌻)
 こうした人間の深い情愛が通いあうのが学会である。
8  同志誹謗の罪は重い
 反対に、同志を誹謗する罪はあまりにも重い。法華経には、「この経を受持する者を見て、その悪口を言ったならば、そのことが事実であるにせよ、事実ではないにせよ、この人は、現世に重い病を得るであろう」(法華経677㌻、通解)と、厳然と記されている。
 さらに大聖人も、「法華経の行者」を誹謗する大罪を、文証をあげて、厳しく戒めておられる。
 「法華経の第二の巻に『法華経を読誦し、書写し、受持している者を見て、軽んじ、賎しみ、憎み、嫉んで、恨みを懐くならば、その人は命終えて後、阿鼻地獄に堕ちるであろう(中略)』と説かれている」「無間地獄は、五逆罪の者と不孝の者と誹謗正法の者との三人の住処である。今、末代の法華経の行者を戯れにも、罵詈、誹謗する人々は、無間地獄に堕ちるであろうと説かれた文である」(御書1042㌻、通解)
 まじめな学会員を悪口する者は、内外を問わず、仏罰を受ける。
 また、いわく。「(破和合僧をはじめとする)五逆罪というのは、そのうちの一逆罪を造るだけでも、なお一劫の間、無間地獄の苦果を感ずる重罪である」「法華経に名を寄せた人を軽蔑するならば、いま述べた一劫を重ねて無数劫という長い長い間、無間地獄に堕ちると、経文には説かれている」(御書1125㌻)
 和合僧を、また同志を、リーダーは断じて守り抜かねばならない。「破邪顕正」の精神で戦うべきは仏敵である。
 また、いわく「提婆達多の身は、五尺の人身であるが、(破和合僧などの)三逆罪を犯すに及んだところで(その罪の重さのゆえに)、大地が破れて、地獄に堕ちた」「ところが、末代の法華経の行者を、心に悪く思わず、顔色に出して嫉むこともなく、ただ戯れに罵っただけでも、提婆達多のように、身口意の三業相応して、一中劫の間、仏を罵詈した罪よりも過ぎていると説かれている」(御書1941㌻)
 これが厳然たる大聖人の仰せである。
9  「仏になる道は善知識にはすぎず」
 同志には優しく、敵には厳しく。そういう指導者であっていただきたい。
 「わが味方の人々には、少々のことがあっても、見ず聞かずのふりをしていきなさい」(御書1169㌻、通解)
 このおおらかさを忘れてはならない。文句よりも、希望を与える指導をお願いしたい。
 「常に、仲睦まじくしなさい。あなた(=四条金吾)は短気な性格であるから、(私が、こう忠告しても)よもや用いないであろう。もしそうであるならば、日蓮の祈りの力も及ばぬことである」(御書1172㌻、通解)とも仰せになられている。
 異体同心でなければ功徳も出ない。極悪の平左衛門尉さえも善知識と言われた大聖人の御心を知らねばならない。まして同志は、どこまでも大切にしなければならない。
 さらに、いわく。
 「我らは、迷いの凡夫であるとはいっても、一分の心もあり、理解する力もあり、善悪も分別し、時節を考え知ることもできる。しかも、宿縁に促されて、生を仏法流布の国土に受けたのである。善知識の縁に値えば、因果を分別して成仏できる身であるのに、善知識に値っても、なお草木にも劣って、身中の三種の仏性をあらわさずに、そのままにしてしまう理由があるであろうか。このたび、必ず必ず、生死の夢を覚まして、本覚の寤に還って、生死の紲を切るべきである」(御書574㌻)
 創価学会は、善知識の集いである。ともどもに善知識として励ましあい、三世永遠の成仏を勝ちとっていくのである。
 「寺泊御書」の一節を拝したい。
 「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」――志のある人たちは、一つの場所に集まって、仏法の教えを聴聞しなさい――。
 これこそが日々の学会活動である。
10  最後の息を引きとる時まで活動的であれ
 中国の文豪・魯迅は言った。
 「世間のすべての人の賞讃を受けても喜ばず、非難にさらされても挫けず、従って来る者があればその来たるに任せ、嘲笑悪罵に囲まれて孤立しようとも恐れない。こうした人物があらわれてこそ、天日の光をもって暗黒を照らし、国民の内なる光を発揮させることもできようか」(「破悪声論」伊藤虎丸訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社)
 皆さま方も、何事にも動じない「一人立つ勇者」として、周囲を明るく照らしていっていただきたい。
 また、アメリカの政治家・フランクリンの言葉に、こうある。
 「交戦中に臆病者が一人いると一〇人の勇者の働きも台なしにしてしまう」(『アメリカ古典文庫』1、池田孝一訳、研究社)
 最後に、スイスの思想家・ヒルティの言葉を紹介したい。
 「人生の幸福な時とは、要するに、仕事に没頭している時のことである。最後のいきをひきとる時まで活動的であること、これが、この世に生きる意味であり、合いことばだ――それがわれわれの運命ではないか!」(秋山英夫訳編『希望と幸福――ヒルティの言葉』社会思想社)
 人生、最後の最後まで戦って、戦い抜いていく。これが「不惜身命」の精神である。
 どうか、二十一世紀へ、総県長会議の皆さま方が、勇んで先頭に立って、わが地域を駆けめぐっていっていただきたい。そこにこそ、無限の広宣流布の道が開かれていくからである。
 来年(2001年)は、二十一世紀の出発の年である。来年、勝利するところが、「本末究竟して等しく」、次の千年へ、勝利と栄光を持続し、発展していくことができる。
 二十一世紀へ、勝ち抜くために、各方面、各県で、仲良く、信頼しあい、協力しあい、守りあい、助けあいながら、異体同心で前進していってください。
 各地域の大切な皆さま方に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 どうか、お体を大切に!
 (創価文化会館)

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