Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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東京・墨田区大勝利総会 妙法で栄えゆけ 庶民の王国

1998.12.13 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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4  悪を見逃すのは、悪を犯すのと同じ
 ともあれ、国が傾いていくとき、黙っていてはならない。思いきり、正義の「声」を出さなければ、「与同罪(同じ罪になること)」になってしまう。
 牧口先生は、戦時色が濃くなるなか、“平和の種”をまく広宣流布の活動に東奔西走しておられた。1940年(昭和15年)には、二週間もの間、九州指導に回られた。
 その際、福岡の八女では、みんなで「松茸狩り」を楽しんだ。「みんなに思い出をつくってあげよう」とされたのであろう。(=松茸狩りを行ったあたりは池田山と呼ばれ、1997年には、近くに牧口久留米講堂が完成した)
 地元の人が「こんなに取れたのは初めてだ」と、びっくりするほどの大収穫。七輪で松茸を焼いて、みなで食べながら、牧口先生は、こう言われたという。
 「隣りの山に入って、松茸泥棒を見つけたら、どうするか。注意してあげれば、その相手も泥棒の罪をまぬかれる。黙って見すごしてしまったら、自分も、松茸泥棒をしたのと同じ罪をつくってしまう。同じように、誤った思想に進もうとしている人に、正しい信仰の道を教えてあげることが大事なのです」と。
 身近な例え話であったが、牧口先生、戸田先生は、一国に対しても、この通りに実行し、日本が亡国の闇へと進むなか、敢然と「正義」の光を掲げ続けたのである。この勇敢なる先師の後に続くのが、墨田をはじめ、九州をはじめ、全同志の使命であると申し上げたい。
5  妙法の祈りは絶対に叶う
 御書を拝したい。
 「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひ満干ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」――大地をさして、はずれることがあっても、大空をつないで結ぶ者があっても、潮の満ち干きがなくなることがあっても、太陽が西から出たとしても、法華経の行者の祈りがかなわないことは絶対にない――。
 私の五十年を超える実践の上からも、「本当に大聖人の仰せの通りである!」と言い切ることができる。法のため、人のため、社会のために、善行をなしゆく皆さま方は、わが心に植えた「仏種」を日々、育てておられる。そして、年ごとに大樹へと育っている。年ごとに、三世永遠に崩れない盤石な“幸福の木”が、生命に根を張っている。
 これが冥益である。その素晴らしさは、後になればなるほど、わかってくる。「永遠の幸福境涯」を得たという現証も、この一生の間に、厳然と現れてくる。
 仏典には、釈尊に、砂の餅一つを供養した子どもが、その真心の功徳で、あのアソカ大王として生まれたと説かれている。
 いかなるときも、「信心で行動し」「信心で受けとめ」「信心で生き抜いていく」。この一瞬一瞬の“心の妙用”によって、無量無辺の福徳が積まれていくのである。皆さまが、広宣流布のために戦った功徳は、子々孫々をも、力強く包みゆくことを確信していただきたい。
 二〇〇一年は「栄光の墨田広布五十周年」。その先駆の一年となる明年もまた、私とともに断固、戦い、断固、勝ちましょう!
 わが“墨田家族”が、一人も残らず、健康で、ご長寿で、そしてご多幸であられることを祈りに祈って、私のメッセージといたします。また、お会いしましょう! お元気で!(東京戸田記念講堂)

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