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日蓮大聖人・池田大作

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第十三回白樺会夏季研修会 尊きかな「女王のごとく、人を救う女性」

1998.8.2 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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1  全国の皆さま、暑いなか、本当に、ご苦労さまです。また、「健康」と「充実」と「友情」の、すがすがしき年輪を刻まれゆく伝統の白樺夏季研修、まことに、おめでとうございます。
 皆さま方は、悩めるあの人にも、孤独なこの人にも、慈愛の手を差し伸べてこられました。そして、時間のないなか、学会活動に歩きに歩いて、岩をも砕く執念で、広宣流布の勝利の大波を起こしてくださいました。
 妙法のために自らの足で動いた分だけ、生々世々、無量無辺の大功徳に包まれていくのが「因果の理法」であります。
 日蓮大聖人も、そして十方の仏菩薩も、諸天善神も、皆さまの神々しきご活躍を、「尊し! 尊し」と大喝采しておられるに違いありません。また、けなげに戦っておられる仏勅の学会員を、私たち同志も、諸仏とともに、真心から、ほめたたえてまいりたい。
 有名な「諸法実相抄」の一節には、「ほめられれば、我が身がそこなわれるのもかえりみず(一生懸命に)行動していくのが、人間の常である」(御書1360㌻、趣意)と教えておられます。
 更に、「法華経の功徳はほむればいよいよ功徳まさる」とも仰せであります。
2  心を蘇生させる「励ましの力」
 牧口先生は、地方から青年が上京してくると、抱きかかえるように温かく歓迎し、こまやかに激励されました。先生は、そうした青年を連れて、都内の座談会に一緒に出席された。しかも、必ず、ご自身の横に座らせたといいます。
 そして、先生は、入会間もない青年を、「この○○さんは、△△の地域で、大変に頑張っている人です」等と最大に称えながら、皆に紹介して、体験発表を語らせることもありました。
 牧口先生は、一人一人に張り合いと自信を持たせながら、「新しい人材」を手作りで育てられたのです。
 思えば、あのナイチンゲールも、元気をなくした人を励ます力が、まことに見事であったと称賛されております。彼女の生き生きとした快活な対話が、落胆した人々の心をも蘇生させていったというのであります。いわんや、仏法では、「声仏事を為す」と説きます。
 白樺会の皆さまが、各地の座談会で、「健康セミナー」を担当してくださっていることにも、多くの友から感謝が寄せられております。いつも、陰に陽に、同志の健康を守ってくださり、心より御礼申し上げます。
3  女性宇宙飛行に挑戦したテレシコワさん
 さて、三十五年前(1963年)の六月十六日――。この日の午後零時三十分(日本時間・午後六時三十分)、人類で初めて、一人の女性が大宇宙へと飛び立っていきました。その凛々しき微笑の若き「女性宇宙飛行士」こそ、私たちの親しい友人である、ロシアのテレシコワさんであります。
 彼女のことは、『新・人間革命』や『世界の指導者と語る』でも書きつづりました。
 「私はカモメ!」と声をはずませながら、彼女は、宇宙船ボストーク六号に乗って、三日間(七十時間五十分)で、地球を四十八周しております。
 宇宙から、「ふるさと」の青き地球が、いかに尊く懐かしく見えるか――。その感動を、「カモメさん」は、私たち夫婦に、しみじみと語ってくれました。(テレシコワさんとは1975年5月、87年5月、90年7月の三度にわたり、モスクワで語らいを重ねている)
 各大陸も、各大洋も、それぞれの美しさを放っていたといいます。
 テレシコワさんは、もともと紡績工場の女工として働く平凡な乙女でした。その彼女が、積極果敢な挑戦を続け、厳しい訓練に耐え抜いて、「宇宙飛行」というロマンを、ついに勝ち取ったのであります。その人生は、「うまくいかなければ、あきらめる」などという弱々しい悲観とは、まったく無縁です。彼女は言います。
 「いたずらに好いお天気を待って、岸辺に坐ってはいられません。未来のためにたたかい、勇敢に困難を克服すべきです」(『テレシコワ自伝』宮崎一夫訳、合同出版)
4  苦労してこそ「慈愛」がわく
 この強さは、どこに由来するのか。それは、彼女が「私のヒロイン」と尊敬する、お母さんから学んだものです。
 母は二十七歳の若さで、愛する夫を戦争に奪われました。後には、まだ三歳のテレシコワさんら、三人の姉弟が残された。しかし母は負けなかった。
 母の毅然たる姿を称えて、テレシコワさんは、ロシアの大詩人(ネクラーソフ)の詩を捧げております。
 「ロシアの村落には女がいる、
 顔には静かな決意をたたえ、
 動作には美しい迫力、
 歩きぶりと眼ざしは女王のよう」
 「災厄におじけず、人を救い、
 疾走する馬をも制し、
 燃えしきる家にとびこむ女が。」(同前)
 わが白樺会の美しさと強さに通ずる詩であると、私は思ってきました。
 皆さまも、ある場合には子育てとの両立、また、ある場合には未入信の家族を抱えるなど、さまざまなご苦労があることでしょう。しかし、今、人の何倍も苦労することが、大勢の人々を包み、救いゆく慈愛となり、力となることは間違いありません。
 ナイチンゲールも、嵐に毅然と立ち向かってきた人格の輝きが、無言のうちに、患者さんに“勇気をもって耐え抜きましょう”という励ましを贈っていたと言われます。
 学会の強さも、苦労を重ねてこられた方々が、第一線のリーダーとして、名指揮をとっておられることにあります。信心とは、「人間究極の希望の光源」であります。どうか、強き信心で、「生き抜く力」と、そしてまた、「喜び」と「たくましき人生」を勝ち飾っていってください。
 「カモメさん」と学会婦人部の交流も深い。(=1975年5月の池田名誉会長の第二次訪ソ以降、交流を重ねてきた)
 この青く輝く「母なる地球」を、核戦争の黒い灰などで汚してはならない。「地球号」という宇宙船のすべての女性が手を取り合って「平和」へ飛翔していこう!
 このように、彼女は呼びかけております。
 日々、厳然と「生命」を守り、現実の上で「平和」を推進しておられる天使こそ、白樺会の皆さま方であります。
5  現在、テレシコワさんは、「国際科学文化協力センター」の所長として、活躍されております。
 先日も、テレシコワさんは「池田SGI会長は、ロ日の友好の“金の橋”を建設されました。池田会長との変わらぬ友情を大切にしていきたい」とメッセージを寄せてくださいました。
 また、先般、私が会談したパノフ駐日ロシア大使も、「ロシアでも、人々が『人間としての生き方』を学び、人生を支え助けていく創価学会のような活動が必要だと思います」等と、大きな期待を寄せてくださっております。
 モスクワ大学には、ロシアと私たちの友好を象徴する「白樺」の木が植樹されております。(=1994年5月、池田名誉会長の訪ソ二十周年を記念して植樹された)
 創価の友情の並木道は、世界中に晴れ晴れと広がっていることを誇りとしてください。
 ともあれ、白樺会の皆さま方は、朝な夕な勤行・唱題しながら、大宇宙を旅行し、見渡していくような大境涯を開いておられます。
 そして、仏意仏勅の和合のスクラムによって、自分も、一家も、人々も、三世永遠の幸福と安穏の大軌道へ導いておられます。
 白樺会こそ、颯爽たる「創価のカモメ」です。どうか、大宇宙に飛び立っていくロケットのごとき生命の勢いで、ますます、勝利の上昇あれ! と祈っています。
6  「国民のレベル次第で決まる」
 今年二月、フィリピンのラモス大統領は、独立百周年を記念する「リサール国際平和賞」の授賞式へ、第一回の受賞者である私のために駆けつけてくださいました。そして、スピーチのなかで「独立の父」リサール博士の言葉を引いておられました。
 大統領いわく、「リサールは『国の発展は、まさしく国民ひとりひとりの発展にかかっている』と信じていました。リサールは言いました。『国民と政府は、互いにかかわりあい、補い合う。正義の国民がいるところに、低能な政府があることは、めったにない。政府は国民に似るし、国民は政府に似る』」
 国民のレベル次第で、全部決まる、ということであります。
 ラモス大統領は、六月末に六年の任期を終えましたが、「フィリピンの国家再建の基礎を築いた」と評価されております。
 (=授賞式で、大統領は、こうも語った。「池田博士は、精力的な行動者であり、フィリピンの友人であり、『世界平和のチャンピオン』であられます。『人間の世紀』へ、池田博士のビジョン(展望)に学びましょう! 博士の模範の行動に続きましょう!」と)
7  リサール博士の言う通り、国民のレベルを変えなければ、何も変わりません。
 太平洋戦争が終わったとき、日本では、一つの「流行語」がありました。それは「だまされた」という言葉でした。
 みんなが「自分は、だまされていた」と言った。民間人は、軍部や官僚に「だまされた」と言った。軍部や官僚は「上に(上官に)だまされた」と言った。その「上のほう」に聞くと、さらに「もっと上のほう」から「だまされた」と言うのです。
 しかし――と、ある文化人は指摘しております。(シナリオ作家で映画監督の伊丹万作氏)
 結論を申し上げれば、「いくらだます者がいてもだれ一人だまされる者がいなかったら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである」というものである。(「戦争責任者の問題」、『伊丹万作エッセイ
 集』所収、筑摩書房、引用・参照)
 そしてだまされること自体が、すでに一つの悪であると鋭く論じている。
 「あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜のように盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていった国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」
8  「このことは、過去の日本が、外国の力なしには、封建制度も鎖国制度も独力では打破できなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかめなかった事実と、その本質は同じくするものである」
 「そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである」
 「それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である」
 少なくとも、こういう脆弱な国民性を真剣に反省もせず、自分は、だまされただけだ、と言って、平気でいる日本人は、「おそらく今後も、何度でもだまされるだろう。いや、もう別の嘘によってだまされ始めているにちがいない」
 これはすなわち、国民が徹底的な自己改造をしなければ、あれほどの悲劇から何も学んでいないことになるとの警鐘といえるでしょう。
9  広宣流布こそ真の民衆運動
 広宣流布の活動は、民衆を賢くし、民衆を社会の主人公にする運動であります。真の民主主義の運動であります。それをよく、ご存じだったのが中国の周恩来総理です。
 なお、このほど、私は、周総理の学んだ「南開大学」の名誉教授になることが決定しましたが、こうした栄誉も一切、「異体同心」の同志である皆さま方に流れ伝わっていくことを確信してください。(授与式は1998年11月に行われた)
 周総理は、「創価学会は民衆を基盤にしている。創価学会を重視し、交流するように」と孫平化氏(中日友好協会会長)に語られたと言われます。
 また「(日本人に尋ねると)十人中、九人までが、創価学会のことを悪く言っている。これは、創価学会が偉大な団体である証拠である」(王效賢中日友好協会副会長の話から)と。民主主義の育っていない民衆蔑視の日本では、本物の民衆運動は迫害されることを見抜いておられたのです。
 民衆が権力者を監視し、団結して行動しなければ、民主主義は死に絶えてしまう。要するに、民衆の向上こそが、一切の鍵なのであります。
10  二十一世紀へ「青年の勢い」を倍加
 牧口先生は、『創価教育学体系』で、「政治も経済も道徳も、其他の生活も、行詰まりの病根が総て人材の欠陥にある」と喝破しておられました。現代の混迷の世相も、まったく同じといわざるを得ません。
 学会は、いよいよ、青年部・未来部の育成に、総力をあげていきたい。頼もしく台頭しゆく今の青年の勢いを、さらに倍加しながら、二十一世紀への山を走破していきましょう。
 「諸法実相抄」にいわく、「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや
 ――末法に妙法蓮華経の五字を弘める者については、男女を差別してはならない。皆、地涌の菩薩の出現でなければ、唱えがたい題目である。初めは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人、三人、百人と次第に唱え伝えてきたのである。未来もまた、そうであろう。これこそ地涌の義ではないか――。
 大地から涌き出るごとく、新しき逸材が欣喜雀躍と、限りなく登場し、結集し、活躍していく。これが「地涌の義」です。
 この「法華経の原理」のままに、わが学会は何ものにも左右されず、悠々と、また堂々と、創価の「不滅の道」を作ってまいりましょう。
 皆さま、どうか、お元気で! おたっしゃで!
 素晴らしい夏であり、素晴らしい人生であられますように。
 (東京戸田記念講堂)

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