Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国の青年部に 青年部の時代へ決然と一人立て

1998.5.15 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

前後
1  私が待ちに待った「青年部の時代」が来ました。今こそ、まさに「青年世紀」の夜明けであります。
 戸田先生は、よく言われていました。
 「これからは青年の時代だ。青年を仏さまを迎えるがごとく大事にして、何でも語り合い、自分の思っていることを全部、伝えて、バトンを受け継いでもらう以外にない」
 私も、全く同じ気持ちであります。
 青年とは、だれかを頼るものではありません。だれかの後ろについていくものでもない。
 決然と、一人立って、自分で道を開いていくのが「青年」であります。
2  青年が理想の創価学会の建設を
 私は、入信間もない青年部のころ、悩みがありました。それは、周囲に立派な先輩が少ないということでした。
 終戦間もないころでありました。誠実さも慈愛もなく、ただいばっているような壮年が多かったのであります。堕落した幹部もいた。陰で戸田先生を裏切っている幹部もいました。
 青年として、私は許せなかった。権威的で、真剣にやらないうえに、後輩を大切にしない先輩が嫌いでありました。
 ある日、戸田先生は私の心を見抜かれて、「創価学会が嫌いなのか」と聞かれた。私が「その通りです」と実情を申し上げると、先生は一言、「それならば、大作、お前が本当に好きになれる創価学会をつくればいいではないか」と言われたのであります。
 “良い人がいないというならば、君自身が偉くなればよいではないか。君自身が模範になればよいではないか”
 “鯉が竜に成長するにも、上から落ちて来る滝の圧力に逆らって、登り切ってこそ、竜になれるのだ。やりにくいところで、うんと苦労してこそ、人間も偉大な人になれるのだ”
 “先輩など、あてにするな。全部、青年が青年の責任で、理想の創価学会を建設していけ。それを私は期待しているのだ”
 そういう先生の心でありました。
 この明快な指針の通りに、私は戦いました。広宣流布の一切の責任を担って、猛然と一人、立ち上がったのであります。
 「革命は死なり」の決心で、五十年間、走り抜きました。そして今、全世界から顕彰される創価学会になりました。牧口先生、戸田先生が「世界の偉人」と認められる「証明のドラマ」をつづりました。
 私は今、青年部の皆さんに、この戸田先生の言葉を、そのまま贈りたいのであります。
 そして、わが池田門下の君たちが、こぞって猛然と立っていただきたい。
 広宣流布に遠慮はいりません。よき先輩は尊敬しながら、悪い先輩は叱りつけて進めばよいのです。そして婦人部を大切にしながら、傲慢な仏敵は一人も残さず、屈服するまで責め抜いて、広宣流布の新しいうねりを無限に広げていただきたい。
 きょうは、大切な青年部の皆さんであるゆえに、少し難しいかもしれませんが、将来のために、日本と中国の「近代の歩み方」の違いについて、一言、語っておきたい。これについては、さまざまな議論が可能であるが、ひとつの角度からの話として、参考にしていただきたい。
3  青年の決起が現代中国の勝利の原点
 去る五月四日、中国の北京大学で創立百周年の記念式典が行われました。江沢民主席をはじめとする中国の首脳が出席しての国家的行事でありました。創価大学の代表も参加いたしました。
 この「五月四日」は、あの有名な「五・四運動」の記念日であります。
 一九一九年(大正八年)の五月の四日、北京大学の学生をはじめとする青年たちが、日本の理不尽な「対華二十一カ条」要求に憤激して立ち上がったのであります。女性も、ともに立ち上がりました。この数千人の青年の決起が、現代中国をつくった原点となりました。なぜか。
 その要点のひとつは、青年たちが「もう、だれも頼らない。あてにしない。自分たちがやる以外にない」と決めて立ち上がったことにあるとされています。
 それまでの中国の革命運動は、外国の援助に期待したり、軍閥の力や、改革運動の元勲――大先輩たちを、あてにした面をもっていた。そして、いつも裏切られてきた。
 しかし、この青年運動は、一切の幻想を捨てていた。
 ふがいない先輩への期待もなかった。そして「中国は、中国人の中国だ」をスローガンに、民衆の怒りを青年が代弁して立ったのであります。
 だれかの力をあてにしている限り、本物の革命はできません。創価学会も、だれ人の援助も期待しない「獅子」だったからこそ、これほどまでの「歴史」を築けたのです。
 だれの力もあてにせず、立ったとき、はじめて、一個の人間としての「独立」があります。「だれかがやるだろう」とか、「だれかが何とかしてくれるだろう」と思っている限り、精神的には「寄生」であります。そして「精神の独立」こそが「国の独立」の基盤であり、本当の近代化の内実なのです。文明人とは「自己の確立」が根本要件なのであります。
4  「改革は自己から始まる」
 日本では長らく、「アジアの中で日本は近代化に成功し、中国は失敗した」と論じられてきました。すなわち、中国は古い自国の文明に固執したために、近代化に後れを取り、半植民地化されてしまった。一方、日本は進取の気風で、欧米の文明を取り入れて文明開化し、独立をたもった――というのであります。
 しかし、人間の精神の面から見れば、どうか。実は、日本のほうが、はるかに「精神の独立」を失い、「自分自身を失ってきた」と言えるのであります。
 中国は「自分自身」を、しっかりともっていたゆえに、「すばやい変わり身」はできなかった。背広を取り替えるように、思想や文明を取り替えることはできませんでした。日本にとって、文明は「取り入れる」ものでしたが、中国にとって、文明は自ら新しく「生み出す」ものだったからです。その分、中国は自己変革に時間がかかり、苦しみ抜いた。しかし苦しんだ分だけ、本物の「内面からの近代化」を鍛え上げていったのであります。
 「五・四運動」には若き日の周恩来総理も参加しました。当時、二十一歳の総理は「改革は自己から始まる」と書いています。
 中国の青年たちは、革命の作家・魯迅が叫んだごとく、行動の中で、自分自身の「心の改造」を成し遂げていったのであります。
 一方、日本人は、器用に、文明の「果実」だけを輸入した。そして、外面は近代化したようであって、内面の確立は取り残されたままで、今日まで来てしまった。これは多くの学者が指摘する通りであります。
 いわば、「外面と内面の大きな谷間」に落ち込んだまま、自己を見失い、結局は、空虚な根無し草のごとく、権威・権力に押し流され、また目先の欲望と感情に流されてきたのであります。
 例えば、日本人は、自らの手で、悪の権力と戦い抜いて、社会改革した経験がありません。文句を言いながらも、最後は「しかたがない」として、与えられた現実に追随してきたのであります。
 自己を確立してないゆえに、いつも「寄らば大樹の陰」で生きてきた。そして自己を確立してないゆえに、他国への優越感と劣等感の間で、常に揺れ動いて来たのが、日本の歩みであります。
 この悲劇は今も続いております。
 「他のアジア諸国を踏みつけにして、自国だけ“近代化の優等生(エリート)”になりたい」という日本国家の方針は、「民衆を踏み台にして、自分だけ立身出世すればよい」という日本のエリートの生き方と、完全に重なっております。
 そこには「民衆と連帯する」「民衆に奉仕する」という、ヒューマニズムがありません。「民衆を愛せる自分になる」という精神闘争がありません。
 こうしたゆがみを、人類普遍の「人間主義」の方向に正していくのが、諸君の使命であります。
 「もはや創価学会の青年以外に、日本の将来を担える青年はいない」とは、多くの識者の声であります。
5  声ある国へ――民衆の夢を代弁
 「五・四運動」が「新しき社会」をつくった、もう一つの理由は、「青年たちが民衆の声を代弁していた」ことであります。ひとりよがりの観念の遊戯ではなく、民衆が言いたくても言えなかった本当の叫びを、青年たちが大声で叫んだのであります。
 ”よくぞ言ってくれた”と人々が喝采する言論戦です。民衆と一体の前進です。
 魯迅は青年たちに呼びかけました。
 “中国の民衆は、多年にわたって、声をあげることなく生きてきました。「声なき中国」でありました。しかし、いったい声がない人間がいるものでしょうか。声を出さないのは死んでいることではないでしょうか”と。
 「まず青年が率先して中国を、声ある中国に変えるのです。大胆にものを言い、勇敢に前進する。すべての利害を忘れ、古い連中を押しのけて、真の自分の考えを発表する」
 「真の声であってはじめて、中国の人と世界の人を感動させることができるのです。真の声があってこそ、世界の人とともに世界に生きることができるのです」(「声なき中国」竹内好訳、『魯迅文集』4所収、筑摩書房)
 五月四日、青年たちは叫びました。「我ら人民の『頭をはねる』ことはできても、我ら人民の『頭を下げさせる』ことはできない!」(斎藤道彦『魯迅文集』4所収、筑摩書房)と。
 民衆が、凛々しく頭を上げて前進しゆく近代中国の夜明けが、ここから始まったのであります。
 虐げられてきたところが、強い。中国も長き百年の間、虐げられたゆえに、今、二十一世紀を前に、本当の底力を出し始めました。
6  創価学会も虐げられてきたゆえに、強くなった。そして今ようやく、限りなき底力を出すときが来たのであります。
 御聖訓にいわく「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」また「法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし」と。
 ある哲人は言いました。
 「勇気こそ最大の美徳である。なぜなら、他の美徳――信念、希望、慈愛その他の徳があったとしても、それを実践する勇気がなければ、現実には美徳にならないからである。勇気なくして、いかなる美徳もない」勇気こそ、一切の人間性を生かす「原動力」であります。
 勇気こそ、青年の可能性の扉を開きゆく「キー(鍵)」であります。
 勇気こそ、古き社会の垢を押し流し、洗い流す「奔流」であります。
 勇気こそ、世紀末の闇を燃やし尽くす「炎」であり「太陽」であります。
 勇気こそ、人類を前へ前へと進歩させる「エンジン」であります。
 そして「勇気」が「正義」と結びついたとき、その人は無敵の力を得る。
 「勇気」こそ「信仰者」の証明なのであります。
7  「やれることはすべてした」のが英雄
 「十万の青年がいれば日本を救える」と恩師は遺言されました。
 今日、幾百万の青年が集いました。日本を救い、世界を変えられないわけがありません。「英雄」とは、「自分にできることを、すべてやった人間」であります。凡人とは、自分にできないことを夢見ながら、自分にできることをやろうとしない人間であります。
 文句を言いながら、また、ゆったりと遊びながらの行動では、広宣流布の勝利はない。自分自身の人間革命もありません。かえって転落してしまう。すなわち「英雄」とは、至高の目標を見つめながら、自分らしく戦い切った人のことであります。
 「自分自身に生きよ」とは戸田先生の遺言でありました。
 ゆえに学会っ子は、いかなる時代になろうとも、前途に何があろうとも、自分らしく堂々と、勇敢に、朗らかに生きることです。
 最後に、「広宣流布は青年部がやりなさい!」「学会の勝利は、青年部が勝ち取りなさい!」「先輩を乗り越えて、青年よ、進め!」と申し上げ、私の祝福のメッセージといたします。

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