Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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拡大方面長会議 さあ民衆戦線の最前線へ

1998.5.9 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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2  「実践の場」から人材は生まれる
 仏法の哲理は、現実の「時代」に、また「社会」に、生き生きとダイナミックに、かかわっていく。有名な「減劫御書」には仰せである。
 「智者とは、世間の法よりほかに、仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである」(御書1466㌻、通解)
 この仏法の「智者」の道を、日蓮大聖人の仰せ通りに歩み抜いてきたのは、仏意仏勅の創価学会しかない。
 大聖人は、歴史を振り返って、こう続けておられる。
 「(古代・中国の)殷の時代が濁って、民衆が苦しんでいた時に、(周の賢者である)太公望が世に出て、悪王である紂王の頚を切って、民衆の嘆きを止めた。また、(秦の時代の終わりに、始皇帝の後を継いだ)二世王が、悪政によって民衆を苦しめた時には、(漢の建国の功臣である)張良が出現して、世の中を治め、民衆の生活を楽にした。これらの人々は、仏法が伝わる以前であったが、教主釈尊の御使いとして、民衆を助けたのである。仏法以外の教えをもった人々は、わからなかったけれども、彼らの智慧は、内心では仏法の智慧を含みもっていたのである」(御書1466㌻、通解)
 民衆を苦しめる「悪の旧勢力」を打倒し、新しい時代を建設する。そして、民衆に「平和」と「幸福」をもたらしていく。その人は、信仰しているかどうかに関係なく、「仏法の智慧」の実践者である――大聖人はこう仰せなのである。
 要するに、民衆が現実に幸福になるかどうかである。この一点に仏法の焦点はある。
 この「人道」の連帯を拡大していくことが、広宣流布の展開である。仏法の人間主義は、大きい。限りなく広々と開かれている。偏狭な教条主義とは、まったく無縁なのである。
 根本の基準は「人間」である。ゆえに、「人間のため」に、具体的に、いかなる行動をしたのか。民衆のために、実際に、いかなる功績を成し遂げたのか。広布の指導者に問われるのも、ただ、この実証である。
3  青年の「熱」と「力」を今こそ!
 牧口先生は喝破された。
 「政治も経済も道徳も、其他の生活も、行詰りの病根が総て人材の欠陥にある」(『牧口常三郎全集』8)と。
 現代日本の行き詰まりも同じである。民衆は、青年の「熱」と「力」みなぎる若きリーダーの陣列を待望している。創価学会、なかんずく後継の青年部が底力を示しきっていく「舞台」が、いよいよ本格的に開幕したのである。古い役者に代わって、新たな歴史の主役が躍り出る時が来た。
 どうか、一日また一日、今いる使命の天地で、自分らしく、わが「人生の新記録」を目指して、前へ、前へ、跳び続けていただきたい。そして、二十一世紀へ、勇敢に、堂々と、そして、朗らかに、偉大なる「勝利の跳躍」を果たしゆけ! と申し上げたい。
 中国の周恩来総理は、外国の要人との会見に、多くの青年を同席させていた。心をつかんで離さない、名優のごとき達人の振る舞いを、後を継ぐ青年たちに自ら示して見せたのである。
 そして、青年を「実戦」のなかで訓練し、外交の根本を教えていった。私の戦いを目に焼きつけよ! こうやって戦うのだ!――と。
 「戦いの場」が即「教育の場」である。指導者の鍛錬は、一にも二にも「実戦」のなかにしかない。「行動」のなかにしかない。
 牧口先生は「水泳を覚えるには、水に飛び込む以外にない。畳の上では、いくら練習しても実際には覚えられない」と指導された。まず、動くことである。実際に、やってみることである。
 二十一世紀を目前にした今、時代の風波は、いよいよ激しい。これを、どうたくましく乗り越え、勝ち越えていくか。広宣流布の勝負どころである。リーダーである皆さまは常に、学会闘争の真っただなかに奮って飛び込み、自分自身を鍛えに鍛え抜いていただきたい。
4  新時代へ! 回転に力は「大情熱」
 「情熱」は人間を大きくする。
 「情熱」は人間を生き生きと光らせる。
 「情熱」は人間の魂である。
 アメリカ・ルネサンスの思想家・エマソンは、こう語っている。
 「情熱は……人間という原子を回転させる力であり、他人の家を訪ねたり初めて社会的に発言するときの抵抗感を克服させる。つまりは勢いよく私たちを発進させて、いったん着手したなら容易に続いてゆけるようにさせる熱なのだ」(リチャード・ジェルダード『エマソン 魂の探求』澤西康史訳、日本教文社)と。
5  先日、私は、中国の新しき指導者である胡錦涛国家副主席と再会した。〈先月二十二日〉
 以前、お会いしたのは、十三年前(1985年)。氏は、この時、「全青連(中華全国青年連合会)」の主席、いわば中国の青年の代表であった。
 その出会いの四カ月後のことである。氏は、貴州省の党書記に抜擢された。
 貴州省は当時、経済状況が厳しく、人民の苦悩も深かった。その中で、氏は、すぐさま行動し、省内の八十六の県をすべて回った。農村をマイクロバスで走り回り、また歩き回った。現場に徹し、人民の声に耳を傾けた。その姿は、「お年寄りの話を聞く若き書記」と言われ、多くの人民から慕われたという。
 また、貴州省の状況を、より深く把握しようと、貴州大学の聴講生となって学んでいる。
 「自分の目で見て、自分で考えなければ、皆の気持ちはわからない」
 これが氏の信念である。
 地に足をつけ、目下の課題に徹し抜いていく。あえて苦労の中へ、民衆の中へと、情熱に燃えて飛び込んでいく。これこそ、真のリーダーの生き方である。
 再会の席で、私は副主席に「新世紀を開くのに、一番大切なのは『青年の熱』です」と申し上げた。「青年の熱」が冷めてしまえば、世界は冷たくなり、民衆は凍えてしまう。世界を「平和」へ、「希望」へ、「繁栄」へと、温めていくのは、「青年の熱」しかない。なかんずく、わが「青年部の情熱」「創価学会の情熱」こそ偉大なる炎であると申し上げたい。
6  ふたたび、御書を拝したい。
 「釈迦仏が昔、不軽菩薩といわれて法華経を弘めておられた時には、在家の男女も尼も法師も、だれも耳を貸さなかった。そして、あるいは罵られ、毀られ、あるいは打たれ、所を追われ、さまざまな迫害を受けてこられたのである。さらに、あるいは怨まれ、嫉妬をされたけれども、少しもこりることなく、強いて法華経を説かれたので、今の釈迦仏となられたのである」(「法華初心成仏抄」551㌻、通解)
 ここには、仏道修行の根本が示されている。バカにされようと、いじめられようと、少しもこりることなく、執念をもって、一心不乱(いっしんふらん)に戦う――。この人が「仏の大境涯」を得るのである。苦労せずして、戦わずして、難を乗り越えずして、仏になれるわけがない。わがままに、やりたい放題やって、行動も気分しだい――そういうのは、おとぎの国の話である。
7  だれもが「戦士」だれもが「英雄」
 ゲーテは言った。
 「中途半端にやる習慣を脱し、全体の中に、善いものの中に、美しいものの中に、決然と生きることを心がけよう」(「ゲーテの言葉」高橋健二訳、彌生書房)
 また、十九世紀ドイツの法学者・イェーリングの言葉に、こうある。
 「権利=法であれ、祖国であれ、信仰であれ、真理であれ、何らかの理念のために立ち上がることである。そしてそれは、つねに一つの闘争なのである」(『権利のための闘争』村上淳一訳、岩波文庫)
 だからこそ彼は言った。
 「誰もが社会の利益のために権利を主張すべき生まれながらの戦士なのだ」(同前)
 戸田先生は「自分自身に生きよ!」と言われた。
 最後に、スペインの思想家・オルテガの言葉を贈り、記念のメッセージを結びたい。
 「自分自身であろうとすることこそ英雄的行為なのだ」(『ドン・キホーテに関する思索』A・マタイス、佐々木孝訳、現代思想社)
 (創価文化会館)

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