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日蓮大聖人・池田大作

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山梨婦人部幹部会 「この大功徳を見よ!」と前進

1997.9.30 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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1  すばらしき山梨婦人部の皆さま、まことに、おめでとうございます!
 山梨は、日本第一の前進をしております。
 山梨は、大聖人、また日興上人の仰せどおりに、正法正義を掲げ、勇敢に大悪を打ち破っているゆえに勢いが増す。功徳があふれる。歓喜がみなぎる。
 その最前線で、名誉ある法戦の指揮をとられる皆さま方が、どれほど尊貴な使命の方々であるか。三世十方の仏菩薩、また諸天善神から守りに守られることは、絶対に間違いないのであります。
 大事な大事な皆さま方に、最大の敬意と感謝を込めて、メッセージを贈らせていただきます。
2  仏法の厳しき因果律は厳然
 大聖人は仰せであります。
 「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」――過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑し、いやしめる権力者と民衆は、はじめは何ごともないようであって、最後に滅びない者はない――。
 仏法の因果の理法は、あまりにも厳粛であります。
 御聖訓には、仏罰について、「百日・一年・三年・七年が内に」とも説かれております。
 大聖人を迫害した鎌倉幕府が、この仰せに寸分違わず、自界叛逆の難、他国侵一過の難ののち滅亡の坂を転がり落ちていったことは、歴史が明白に示しているところであります。
 そして、この法理が、現代においても厳然と実証されていることは、皆さまが、よくご存じのとおりであります。これまた、学会がいかに正しいか、その一つの証左であります。
 さらに、大聖人を死罪・流罪に苦しめた元凶である平左衛門尉の一族が、いかなる末路であったか。永仁元年(1293年)、幕府への反逆の陰謀が発覚し、一族がことごとく無残に滅び去ったのであります。
 これまで、何回かスピーチしましたが、この峻厳な仏法勝負の証を、あらためて確認しておきたい。平左衛門尉とその次男は、鎌倉のみずからの屋敷で陰惨な最期を遂げました。それは、かつて熱原の三烈士を斬った、まさに、その場所であります。
 日興上人は「これただ事にあらず、法華の現罰を蒙れり」(本尊分与帳)と記されました。
 さらに日寛上人は「撰時抄」の文段(文段集305㌻)で、詳細に、こう論じておられる。
 「今案じて云く、平左衛門入道果円の首を刎ねらるるは、これ則ち蓮祖の御顔を打ちしが故なり」――今、考察してみれば、平左衛門尉が首をはねられたのは、大聖人の御顔を打ったからである――。
 「最愛の次男安房守の首を刎ねらるるは、これ則ち安房国の蓮祖の御頸を刎ねんとせしが故なり」――最愛の次男である安房守が首をはねられたのは、安房の国御出身の大聖人の御首を、はねようとしたからである――。
 また、彼の長男は、父が次男を寵愛することを嫉妬し、その陰謀を密告して、一族滅亡の引き金を引き、みずからも佐渡に流罪されました。
 この点についても、日寛上人はこう喝破しておられます。
 「嫡子宗綱の佐渡に流さるるは、これ則ち蓮祖聖人を佐渡島に流せしが故なり」――長男の宗綱が佐渡に流されたのは、大聖人を佐渡に流したからである――。
 ゆえに、日寛上人は、「その事、既に符合せり、豈大科免れ難きに非ずや」と結論されているのであります。――現罰の因果の予言はすでに、ぴったりと事実と符合している。どうして仏法上の大罪の報いを免れることができようか――。
 広宣流布に励む人を迫害する者は、まさしく「還著於本人(還って本人に著きなん)という法華経の原理で、その大悪の果報が、ブーメランのように自分自身に必ず戻ってくる。苦しめた分だけ、みずからに還ってくる。その分、自分が苦しみぬいて、自滅していかざるを得ない。
 この一分の狂いもなき因果律を、山梨の皆さまは、よくよく生命に刻みつけてください。
3  強くなれ! 障害があるほど
 さて、私の青春時代からのモットーは「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す(いよいよ強くなる)」であります。
 じつは、これは、トインビー博士の歴史理念とも根本的に通じております。
 つまり、「挑戦」と「応戦」であります。何らかの課題や障害がある。その挑戦を受け止めて、自分がもっと強くなる(応戦する)――その生命力があるかぎり、その文明は発展するというのであります。
 戦う生命力が、なくなった文明は衰亡していきます。これを博士は、ゲーテの『ファウスト』を引いて、説明しております。(「文明の発生」、『歴史の研究』2所収、『』刊行会)
 悪魔に対して、すなわち戦うべき障害に対して、ファウストは言います。
 「もしおれが、これでいいという気になって安楽椅子に寝そべったら、おれは即座にほろびるがいい(『ファウスト 悲劇第一部』手塚富雄訳、中公文庫)
 もう戦わなくていいんだ。もうゆっくりしていいんだ。もう拡大しなくても、成長しなくてもいいんだ。そう思うようになったら、とたんに滅びていく。要約すれば、これが歴史の鉄則だと、トインビー博士は論じているのであります。
 人生も同じであります。団体も同じであります。何かあればあるほど、それらと戦い、それらを取り込んで、もっと強くなることができます。もっと大きくなることができます。
 大聖人は仰せであります。
 「火に薪を加えれば、火はますます燃えさかるではないか。多くの河の流れが入らなければ大海もないのである」(御書1448㌻、趣意)と。
 法華経の行者は、火のごとく、大海のごとく、難のたびに強く、大きくなるのであります。
 そういう生命力で前進したところが、歴史の勝利者となる。人生の勝利者となる。要は、自分が強くなることです。学会を強くすることです。
 御書に「心の固きに仮りて神の守り則ち強し」――信心の心の固さによって、諸天善神の守りも強くなる――と。
 一次元から言えば、これは「人だのみをするな」ということであります。
 だれかが守ってくれるとか、だれかが味方してくれるとか、そういう甘い考えは捨てなさい。全部、自分が強くなるしかない。自分が強くなってこそ、諸天善神も守るのだ、勝っていけるのだ――という文証であります。
 戸田先生は言われました。
 「わが学会を悪口するものは、妙法使徒の集団を悪口するもので、現罰なくしてなんとしよう。人々よ、よくこれらの人々の今後の生活を見たまえ。また、妙法を純真に信仰するものの受ける、不可思議の一大功徳も、また刮目して(=目を見開いて)みな見るべきである」(『戸田城聖全集』3)と。
 大好きな山梨の皆さまが、ますます福徳に輝きゆくことを心から祈って、私のメッセージといたします。お元気で! またお会いしましょう。(山梨文化会館)

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