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日蓮大聖人・池田大作

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東京支部長会 本因妙のリーダーたれ

1997.3.8 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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1  大東京を担い、支え、そして動かしておられる、偉大なる支部長、婦人部長の皆さま!
 いつも、またいつも、本当にご苦労さまです!
 この時、この地で、選ばれて、支部長として、支部婦人部長として、指揮をとるということは、大変でしょうが、また、何ものにも代えがたい誇りであり、喜びであります。
 すべてが、自身と一族の「栄光の歴史」と輝き、三世永遠にわたる福運となっていくことは、絶対に間違いありません。どうか、朗らかに、また朗らかに、胸を張って進んでいってください。
 きょうは、支部長、婦人部長の皆さまに、メッセージを贈らせていただきます。
 リーダーのあり方について一つの歴史から申し上げたい。(以下、江西逸志子原著『小田原北条記』上・下〈岸正尚訳、教育社〉、下山治久『小田原合戦』〈角川書官〉を参照)
 戦国時代、関東の中心は江戸ではなく、小田原(現・神奈川県)でした。豊臣秀吉に倒されるまで、小田原の繁栄はすばらしいものでした。
 初代の北条早雲。第二代の北条氏綱。とくに、第三代の北条氏康のころは、都の四条、五条などの繁華街にもまさる――と言われました。文化も栄え、日本中から芸能者・文化人が集まったという。貿易も行われ、中国人でにぎわっていました。(三崎の港に明の船が着いた。帰国せず、とどまった中国人の「唐人町」もあった)
 しかし、第三代の名君・氏康は、小田原の未来を楽観してはいなかった。こういう伝承がある。
 ある時、息子の氏政(第四代)と食事をしていた。彼は突然、箸を置き、涙まじりに言ったのです。「私の代で北条家も終わるか」
 人々は驚いた。「どうして、そんなことを言われるのです」
 父は答えた。「今、息子は、飯に汁をかけるのに、二回、かけた。一度汁をかけて食べ、またあとで、かけた。どうして、はじめから『どれくらい、かければいいか』わからないのか。毎日、朝夕食べているものなのに、汁の適量が、わからないとは、なさけない。そんなことでどうして、見ぬきがたい『人物の器』を判断できようか。『この人物には、こういう役がふさわしい』と、わかるだろうか。今の戦国の世で、立派な人材をもたなければ、生きぬけるはずがない。きっと、私が明日にでも死んだなら、この国は他国の賢明な大将に攻め取られてしまうだろう」
 食事の仕方、その手つき――ささいなことのようですが、達人というものは、ちょっとしたことで、相手の人物を見ぬいてしまうものです。それは自分自身が毎日を真剣勝負で生き、何ひとつ無駄のないよう、全身を武器に鍛え上げていたからでありましょう。
2  皆の中に入り、皆と一緒に前進
 父の予言どおり、氏政(第四代)と氏直(第五代)の時代に、小田原は秀吉に降伏します。
 時代の流れと状況を読みきれず、甘い考えのまま、秀吉に立ち向かい、倒されていった。父と息子は、どうちがったのでしょうか。
 第三代までは、たたき上げの人物でした。
 初代の北条早雲は、何の足場もなかった新天地に挑み、伊豆と相模の主になった人物です。二代目も、初代とともに草創期に決死の働きで、国の組織の土台を築いた。三代目は、十六歳の時から、生涯三十六回の戦で、敗れたことがなく、大将でありながら率先して戦ったために、全身、傷だらけ。顔にも二カ所、傷があり、敵に後ろを見せたことがない猛将だったと言われる。
 しかし、後継ぎの青年は、はじめから「大名の後継ぎ」として育ったのです。決して愚かではなく、父の厳しい薫陶のおかげで、他国の君主に比べても優れていたとさえ言う人もいる。しかし、何といっても、「苦労」が足りなかった。一方、家臣たちも「われらは豊かな小田原の家臣だ」と、おごる風潮ができたと言われています。
 いわば、草創期のリーダーは、「皆と一緒になって戦い、『われらの目標を勝ち取ろうではないか!』と、先頭に立って奮闘した」のです。ある意味で、仏法でいう「本因」の姿勢に通じるでしよう。皆と一緒になって、はるか「本果」の勝利を目指し、同じ方向を向いて進む――そういう精神です。
3  ナポレオンいわく「リーダーとは『希望を配る人』のことだ」。希望を「指し」、希望に「導く」人こそ「指導者」なのです。
 ところが、先人の奮闘のおかげで、安泰になると、リーダーが変質していきました。一面的に決めつけるわけにはいきませんが、傾向性として、「皆と同じ方向を見つめる」というよりも、「皆と向き合う」ようになったと考えられます。仏法的に言えば、いわば「本果」に安住する心に通じる。自分を、完成した立場に置いて、皆と相対すという関係です。
 どんな組織においても、リーダーが、「皆と一緒にやる」のではなく、上から「あれをやれ」「これをやれ」と命令する。自分は傷つかないように、うまく人を使う。こうなってしまったら、発展は望めません。ここに、古今東西、歴史の流転と興亡の一つの急所がある。微妙な「人間の一念」のドラマがあるのです。
4  いよいよの信心に「仏界」がわく
 日蓮大聖人の仏法は「本因妙の仏法」です。師匠は「本果」、弟子は「本因」――その上で、師弟ともに永遠に「本因の妙法」を行じていくのです。ゆえに「自分は、もうこれでいい」とか、「全部、人にやらせよう」とか、そういう「本果の心」では、本当の功徳は出ません。
 御書には「いよいよ(弥)」という言葉が、繰り返し、繰り返し出てまいります。大聖人は何十年、信心してきた門下に対しても、「いよいよ」の信心に立ちなさいと教えておられる。
 リーダーが、「自分は、いよいよ、これからが本当の修行だ」と決めて、皆の中へ入って、「希望」を指し、「希望」へ導きながら、一緒に前進すれば、功徳は、こんこんとわくのです。また、創価学会も永遠に発展するでありましょう。
 とくに、これからの時代は、いよいよ「団結」が大事です。「皆の協力で」「皆の力を引き出しながら」「皆、仲良く」、世界で唯一の広宣流布の組織を守りぬいていただきたいのです。
 寿量品の自我偈に「一心欲見仏 不自惜身命(一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば)」(法華経490㌻)とあります。
 日蓮大聖人は、この文に「日蓮が己心の仏界」が表されていると仰せです。
 その深義については省かせていただきますが、総じて、日蓮大聖人の門下である私どもが、「一心に仏を見んとする」――その不惜身命の「信心」に、「仏界」が顕れているのであります。「一心に仏を見んとする」本因の修行以外に仏界はなく、真の功徳はないのです。
 「一心欲見仏」とは、私どもでいえば、さあ広宣流布していこう、自分の周囲を仏国土にしていこう、自分も人間革命し、人をも幸福にしていこうという「信心」の一念であります。
 広宣流布のリーダーは、永遠に「一心欲見仏」のつ本因妙のリーダー」であっていただきたいのであります。
 私も、支部長代理を務めました。皆さまが日夜、どれほど大変か、どれほどの辛労があるか、よくわかっております。どうか、大東京の支部長、婦人部長の連帯で、わが同志を包み、「広宣流布」の前進を進めていってください。
 大切な皆さま方のご健康を、私は、さらに真剣に祈ってまいります。お体を大切に!
 (東京戸田記念講堂)

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