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日蓮大聖人・池田大作

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9.15「ドクター部の日」記念勤行会 人間を救う「薬王菩薩」の精神で

1996.9.15 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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2  戦う「正義の師子」たれ
 まず第一に、戦う師子たれ! ということであります。
 大聖人は、仰せであります。
 「阿闇世王は、提婆達多などを師匠として、釈尊を敵としたので、摩竭提国は、皆、仏教の敵となってしまった。王の眷属五十八万人が、仏弟子を憎む、そのなかで、ただ耆婆大臣だけが、仏の弟子であった。阿闍世王は、耆婆大臣が仏弟子であることを、快く思わなかったが、最後には、他の六大臣の邪義を捨てて、耆婆の正法についたのである」(御書1159㌻、趣意)とあります。
 すなわち彼は、幾十万の敵と一人、矢面に立って戦った。なかんずく、卑しき忘恩の反逆者たる提婆達多の策謀を、厳然と打ち破り、そして堂々と打ち勝った。この誰人にも臆さぬ、強き強き勇者こそ、ドクター部の大先達なのであります。
 戸田先生は、つねづね、”みずからの身を燃やし、その光明で大宇宙を照らした薬王菩薩のごとく殉教なされたのが、牧口先生ではないか!”と叫ばれた。
 殉教こそ、その宗教の最高最大の誇りであります。ゆえに、「ドクター部」とは、そのまま「薬王菩薩」の異名であらねばならないと、私は思っております。
 多くの人々は、医者を頼っています。「お医者さま」といえば、安心します。生命を救ってくれる人として、尊敬しています。その方々に、心から報いてあげてください。
 これが、仏法を持つドクター部の深い誇りであると思っていただきたい。
3  慈愛の「健康革命」を
 第二に、尊き生命を守る「健康革命」の旗頭であっていただきたい、
 耆婆が、なぜ、医術も、人格も傑出した不滅の名医となりえたのか。そこには、厳粛なる師弟の薫陶があった。そして、同志との絶え間なき切磋琢磨があったことを知らねばならないと、私は思っております。
 あるとき、耆婆が、師匠である釈尊とその弟子たちを、自宅へ招いたことがある。だが耆婆は、もの覚えの悪い須利槃特だけは、あえて招かなかった。
 釈尊は、この愚直な仏の弟子を見下す奢りを絶対に許さなかった。わが同志は、皆、かけがえのない尊貴な仏の弟子であるからであります。愚かにも、それがわからず、わが弟子を侮蔑することは、自分で自分を傷つけることであると、釈尊は叱った。
 こうした、だれよりも仏子を思い、人間を慈しむ師匠の心に学びつつ、耆婆は、民衆のなかで、「心の名医」として、境涯を開いていったというのであります。
 私が「健康」をテーマに対談を進めている、カナダのモントリオール大学学長であるシマー博士も、「医師と患者の関係をつちかう訓練」をやり直さねばならないと強調し、医療における「人間的要素」を重視されていました。これを、いつの日か、本にしたいと思っております。(=『健康と人生――生老病死を語る』と題し、2000年4月、潮出版社から発刊。本全集第107巻収録)
 ともあれ、大聖人は、病で悩む婦人門下に対し、”善医(善き医師)であり、法華経の行者である四条金吾殿がついています。この人は負けじ魂の人であり、わが同志のことを大事に思う人です”(御書985㌻、趣意)と励まされています。
 どうか、ドクター部の諸先生方は、多くの苦難を乗り越え、乗り越え、妙法流布のため戦ってこられた学会員の方々を、心から大切にしてあげてください。その方々のための「健康革命」のご尽力を、心からお願いします。
 生命全体の病を治しゆく力を与えるのは、仏法であり、信心である。いわゆる病気を治すのは、医者の仕事である。これが、皆さま方の、大聖人から命じられた使命であります。
4  社会の「信頼の灯台」に
 第三に、信頼されゆく社会の灯台たれ! ということであります。灯台は、つねに光っています。人々が注目しています。
 大聖人は、耆婆などの名医を、”その時代の宝”であり、光であり、灯台にあたるとされています。”後世の医師の鑑”とされております。
 「強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ
 ――強盛な大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と、鎌倉中の上下万人、および日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい――。
 これは、ドクター部への永遠の指針と、私は拝してきました。セミナーであれ、座談会であれ、個人指導であれ、仏法対話であれ、ドクター部の諸先生方の行くところ、行くところ、皆が楽しく、皆が喜び、皆が希望を持ち、勇気を持っていけるような、偉大なる名医であり、名指導者であってください。
 ともあれ、ドクターは、まさに「一人」が「万人」に通ずる存在であると、確信を持っていただきたい。一人のドクター部が、万人を照らしていってください。
 「諸法実相抄」には、「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし
 ――行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法ではないのである。我も行い、人にも教化していきなさい。行学は信心から起きてくるのである。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい――とあります。この御聖訓を、心肝に留めていただきたい。
 ドクター部員の厳然たる成長と拡大が、壮大なる広宣流布の大原動力であることを確信して、私のスピーチといたします。
 (戸田記念国際会館)

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