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日蓮大聖人・池田大作

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教育部、ドクター部合同会議 生命の尊厳を守る「正義の師子吼」に続け

1996.9.7 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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2  不惜の行動で「自身の宮殿」を建設
 仏法では「自身の宮殿に入れ」と説きます。私どもの行動は、法のため、人のため、社会のためですが、究極は、他のだれのためでもない、自分自身のために仏道修行するのです。
 (「御義口伝」に「南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」)
 そう決めれば、一切の文句は消えるはずです。
 先日(八月二十九日)、ガーナ大学のベネ副総長一行が、お見えになりました。(=池田名誉会長は、日本人初の同大学の「名誉法学博士号」を授与された)
 ガーナのことわざにも「われ神の名を呼ぶ、神は答えず。われ布の名を呼ぶ、布は答えず。人間なのである、大切なのは」(B・デビッドソン『アフリカ文明史』貫名美隆・宮本正興訳、理論社)とあります。
 何よりも、人間が大事です。人間の成長が大事です。なかんずく自分自身がたよりになる」存在へと成長することが大事です。
 広宣流布への活動は、すべて「自分という宮殿」を立派に建設し、磨き、仕上げるためにあります。一つ一つの行動が、「自身の宮殿」に、黄金の柱を立て、黄金の釘を打ち、美しい彫刻を刻んいるのです。
 反対に、裏切りやウソや裏表がある人間は、自分で自分の宮殿を、せっせと破壊しているのです。
 自我偈の冒頭、「自我得仏来」(法華経489㌻)の意味も、自身の仏界を「自得(=自分で得る)」するということです。
 「無上宝聚 不求自得」(信解品=法華経224㌻)――無上の宝の集まりを、求めずして自ら得る。
 「自受法楽」――自ら法楽を受ける。
 「自受用身」――自ら(仏の無限の力を)受け用いる仏身。
 全部、「自受」です。自分が受けるのです。全部、「自得」です。要は、自分が得をするのです。すべて、「自身の宮殿に入る」ためなのです。
 ゆえに、いかなる活動も、「自分の勝利」が大切です。信心の「自分の目標」を決め、それができれば「自分の勝利」です。
 ”自分は勝った!””自分は満足だ”と言える不惜身命の戦いをすることです。
3  「一人」が叫べばすべてが変わる
 私の好きな言葉を贈ります。
 「一人善く射れば百夫決拾す」(「一人善射 百夫決拾」、「国語」呉語)
 ――弓の名手が一人いれば、その人を見習って百人が弓を構える――一人の優秀な人が、周囲を刺激して奮起させるのです。いずこの世界にあっても、死に物狂いになれば、必ず全体が大きく変わります。なかんずく大事なのは”旗頭”となって先頭に立つリーダーです。
 弓を引き絞って矢を射るごとく、力強き「声の矢」を次から次へ放っていくことです。”口から先に生まれた”と言われるくらい、指導者は語りに語っていくことです。そこにこそ、広宣流布の勢いがグングンと増していくのです。
4  戦うべき時に戦う人が「仏」
 「長風浪を破る かならず時有り 直ちに雲帆をけて滄海をわたらん」(「長風破浪会有時 直径雲帆済槍海」、唐の詩人・李白の詩「行路難」)
 ――大風に乗じて波を蹴破り進む時が必ずくる。その時こそ、ただちに雲のような帆をかけて、大海原へ乗り出していこう――
 ”時”を逃してはならない。大事な”時”に逡巡してはならない。柔道であれ、剣道であれ、逡巡があれば負けてしまう。医師が手術に臨む時も、そうであるにちがいありません。技術だけではない。心の技が、ここにあります。
 種を蒔くべき”時”があります。戦うべき”時”があります。その時に、逡巡なく「師子王の心」を出して立ち上がるか、どうか。それで成仏は決まります。
 結びに「戦うリーダーたれ!」「会員を守りゆくリーダーたれ!」、そして内外を問わず「信頼されゆくリーダーたれ!」と申し上げ、本日のメッセージといたします。
 (世界青年会館)

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